「別宅で良い」 と答える妹に、「夜には妻子の元に帰さなければいけないのよ」 戒めても、
「それでも構いません」 わたしたちに伝えられる姉が高ぶる感情のあまりに思わず口を滑らせるは、「自分が別宅の子だから」 この失言に、ハッとして私を覗き込まれる。(2 出生の秘密 より)
とある年、大昭和 (ご存知ない方は国立美術館の収蔵作品が売りに出た、と考えられれば解りやすいでしょう) の経営危機により美術品が放出された。
息子さんが経営される銀座の画廊は全国規模で売却を展開する。
九州での販売を一任された私はオープンしたばかりのニューオータニでの展覧会が終わったばかりの半年後、今度はグランドホテルでも同じく最も大きな会場となる『翠玉の間』で開催した日本画・洋画展に来会されたのが、昼休みを活用された院長であった。
この日まで名すら聞いた記憶もない医院です。
私邸を訪問した夜が彼女との初対面でした。
妻子持ちは足繁く通いだした。出入り業者として。
2 出生の秘密
「あなたを妹が好きになってしまったらしい」
いきなり何を言い出されるのか全く理解できない。
立場に落ちてった。
私は妻子の写真を肌身離さず持ち歩いている。
「貸してください」との姉。
1枚を預かる姉は別室で待つ妹の下に戻られ、
「忘れなさい」と忠告されるが、
「ますます好きになりました」 と社会的な立場にある身としても下したらしい。
力なく戻られる姉は、
「逆効果でした。こんなにあの子が強いとは思いませんでした」
たじたじの体で院長と私に報告される姉は少し涙ぐんでおられる。
「別宅で良い」 と答える妹に、
「夜には妻子の元に帰さなければいけないのよ」 戒めても、
「それでも構いません」
わたしたちに伝えられる姉が高ぶる感情のあまりに思わず口を滑らせるは、
「自分が別宅の子だから」
この失言に、ハッとして私を覗き込まれる。
3 鈍感な私
彼女に名を聞いた。
「◯◯です」
です。にて行き違う踏み込めない連れなさに即座に、
「下の名前」と尋ねたら、
「啓子です」
間合いなんて計らず、即座に心から掻き続けてくれる。
なぜ彼女が〇〇家の姓を名乗ったのか、この時点では無理がありますが、後々に悩み苦しむときに何故思い出さなかったのか、悔やまれてならない。
嫁入りされた姉(奥様)が連れ子とされたのなら◯◯姓では、おかしい。
なにより、なぜ◯◯姓をわざわざ名乗って強調したのか。
◯◯家に来ている私に、その家の女性が。
私の機嫌をとられたり、ノルマを課せられるかの姉、私を買い被る彼女の立場と共に重圧の〇〇家は、春ではあるが冬でも伸し掛かる。
こんな一つ屋根の下、姉妹に姪の誰も居なくなり、私と院長との二人だけになった会話では途端に姉妹の話を打ち消したり正反対の本音を吐露されるようになる。
そして姉か彼女でも入り組むと同時に、そこまでの本音の話はそっちのけで私の妻と一人娘を彼女の下敷きとした話がどんどん進む。
結論は、私は妻子持ちであり院長を相手取る出入り業者だとはっきりしていた。彼女の義兄と見て、姉のご主人と見て〇〇家に出入りする者でもなかった。
無視されて進む話は現実離れしすぎ。この家には信じられない世界が二つもあったし、この二つとも私の世界とは余りに懸け離れている。
私は仕事において物腰の技巧で隠れ蓑を着慣らしても、空言で混濁させる面の皮なんて仕立てない。
彼女を笑われ草にして早仕舞いの義兄だ。なにくそとも抗弁できない。
院長との場に、温度差の姉妹が何時もの決まった話で割り込む同席では院長への優先順位にて誤魔化しなりの自失、うそ笑みで放熱する私を、わたしは創るようになりだしたみたい。
5 嫌われてしまった
そうこうしている状態が覚めやらぬ夜、
「妹のマンションを買っていますので、そこに住んでください」
前もって嫁入りの支度がしてあり、妹が私と出会う取り組みの温度を見計らうように姉は求めてこられるが、まだ手さえ取ったことなどなかったのに。
「(私達夫婦の)仲人をされた方(福岡県医師会の重鎮である伯父)や(私の母から妻にまで)会いに行っても構いませんから」
とまで姉が折り込まれた途端、
分け入ると感電しそうな対局に聞き入り黙り込んでおられた院長が並大抵ではない表情で震え驚かれた。
私にも、先生を無視して経済的な問題を第一に持ってこられる彼女の家は、別宅生まれの異母妹(「2、出生の秘密」にて投稿済み)を連れ子に嫁入りされているのにの奥様は益々もって分からなくなっていく。
この、囚われている私の思い込みを彼女は悟っていた。
だからこそ、姓を名乗っていたのです(「3、鈍感な私」にて投稿済み)。
気付いてあげられなかった。
姉の真意は妹との結婚を前提とした離婚の求めと慰謝料の支払いにあった。私の気持ちなんて考えてはおられなかった。
一業者に過ぎずに覚束ない私はといえば紛れも無く脳みそは干からび始め、蝋人形めかされた私は何様かの雛壇でぷかぷかに生かされてしまう。
私のほうから先んじて行動に起こさなければならなかった、たる苦汁をなめる。
が、何を、どうすれば、そもそも彼女は〇〇家の何、なぜ嫁ぎ先に離婚の慰謝料まで出させるのか、それも嫌がってあるばかりか略奪婚。
煙りわたる難解さは半鐘の火災視だった。
自分のなかでの結論はいつも一つ。
“先生に申し訳ない”
この頃には、カネ欲しさに妻と別れたりしません、と考えるどころか、はらわたが煮えくり返る感情が一度も込みあげてくる事はなかったといえばウソになる。
彼女が如何なる大器であろうと、妻を娘を母を家庭を大切に守らねばならない責務は済し崩しようが無かった。
ではあるが、彼女は好きだった。抱きたくなっていた。姉の言動は彼女を慮っての純粋なものと、はっきりしていた。妹が好きになってしまった相手がたまたま妻子持ちだったからに他ならない。
そして姉とは余りにも異なる彼女の純な心根が際立つばかりであり、ただ単純に“欲しい” これだけでした。あの、バスタオルを巻きつけた身一つの彼女だけが欲しかった。
それに彼女自身が別宅を望んでいたのは偽らざる裏千家師範としての本心です。
が・・・・・
その立場、あの地位にまで二十歳過ぎで到達した子だ・・・・・
とてもじゃないが堅苦しそうな生活になりそうで重荷だし・・・・・
重荷なのは私の方でも用意しなければならない支度金も・・・・・
そんなことより愛人になんて出来るわけない。
私自身が社会的に非難の的にされて仕事が出来なくなる。
7 習い事
日本最年少で、その立場、あの社会にまで到達した子から「別宅で良い」なんて何の前触れもないどころか何もしていないのに唐突に申し込まれて・・・・・
〇〇家としても認められた状況下から更に必要な金銭も出しますと一方的に行動を起こされて素直に喜べる男なんて居るのだろうか・・・・・
姉は姉で 「妹が可愛そう」 涙の底に身を沈めておられた。
「なにがなんでも妹を幸せにしてあげなければなりません」
手の中の珠を四六時中で抱き上げられて真っ直ぐに向かってこられる。
が結局は「習い事ではもう支出はありません。収入になっています」
カネの話に戻ってしまうんだ。
よる夜中のテレビみたい、わたしも砂嵐。
彼女を師範にまで上り詰めさせてくれた院長の財力と苦悩には感謝も負い目もあった。
私は自身でも「買い被りです」とだけ、こっそり胸の中に忍ばせている。
そして、据え膳には萎える自分だった。
喉まで出かかった言葉があります。
「ねぇ、なぜ貴女はお姉さんの嫁ぎ先であるここで赤ん坊の頃からお世話になってるの?
何故お金を先生に出させるのですか?」
聞けるはずなかった。
でも義兄は、
「妾の子の引き取りを反対したが姉は言うことを聞かなかった。それから育ててやって、ここに住まわせてやっている。今までに〝習い事〟では幾ら掛かっているか金額を聞いたら驚くぞ。
医院では苦労して集めた若くて綺麗な看護婦ばかりを他より高い給料を払って使っている。急に辞めても困らないように人数も余分に確保している。化粧もしない妹は人手も余っていて要らないが姉に言われて仕方なく使ってやっている。家に一人で居ても退屈だろう。給料も払っているが、これをみんな教会に寄付している。必要なカネは何時も一緒の姉が出すから要らない。
これは俺が働いたカネだ。
茶会がある日曜は朝早くから教会に行くが、遠いのでハイヤー代が掛かる。免許も取らない。何もかも俺に出させている」
辛くも、
「車の購入費やら維持費のほうが高くつきますよ」
助太刀できただけ。
そういえば、医院には25過ぎな女性は居なかったし、飛びっ切り可愛い子たちばかりでした。終業の五時前には医院の横の道はデパートの従業員口にまで迎えの車がかかり、いつもズラリと列を成していた。
あまねく、
「働いても二人でみんな使ってしまう。何のために働いているのか。妻が使うのは良いが妹に使われるのは腹が立つ」
涙ぐまれる。
同情しまくりでした。
9 悲しい生い立ち
新婚旅行での限りなく小さな生命を分娩室で失い、
「もう子供は産みたくない」 姉は錯乱状態になられたみたい。
この子への憐憫の情をも熱情的な高ぶりに増幅されて彼女は可愛がられる。
一方の院長は、
「妹が居てくれて良かったのはこの間だけだ。国際基督教大学(当時の福岡女学院は短大)に行って居ない4年間は良かった」
事も無げに言い捨てる。
「(濡れわたる色事に差し障り) 新婚生活がなかった」
度を越した恩着せがましさで息籠る言いざまも多岐にわたる。
私たち夫婦も新婚のときから実母との同居どころか妹の幼子まで預かっての妻が面倒を見てくれておりましたので嘆かれる不満が理解できない訳ではなかった。院長の言い方は強烈でしたが。謎は、危険信号と判明している新婚旅行での妊娠を急いだ理由だった。
まだ乳飲み子の異母妹を嫁ぎ先に連れて来て、先生の収入も大変な額を妹たる彼女に注ぎ込む姉はおかしかった。
みんなおかしかった。わたしまでおかしくなってった。
明け暮れを夫婦愛だと思い違いされておられる姉が使い盛る紙幣の分量と、煽られる彼女で考えると種々雑多な妄想に引っ掻き回されてしまうんです。
おかしいと言えば昨日投稿した20人以上もの看護婦さんや職員さんについてですが、警察官は結婚相手に困っているからとの事情で集団見合いさせられていた。当時で少なくとも10年以上は続いていた。ここに彼女までもが加わっていくのも分からなかった。
飲酒運転で検問に引っ掛かっても身元が判明すれば敬礼までして見送ってくれたそうだ。
こと資金においては何らの問題も疑問もなく院長に同情していた。
離婚と姉妹と資金について三竦みの私は、とうとう大変な決断を下す事態に陥る。
10 謙遜と服従
気が狂ったかの義兄。
一体全体なんだって言うのか。
お忙しかったんでしょう、うろたえる姉が台所あたりから内間を突っ走ってこられた。
驚いたのは姉の態度だった。
一言も言い返されない。ゆえに際立つ。
「彼が好きだから気になったのよ。彼の前でそんなに叱らなくても良いのに----------。妹が可哀相・・・」
何が起こったのか何一つご存知ないのに先生の言い分だけを鵜呑みにされる。
反論どころか確認もされない。胸の中に夫だけを、ストン、落とされた。
どこに引っ掛かることなく、容認。
ただ、悲しまれる様子が甚だしいってこと、だけ。
彼女に 「奥へ」と目配せされる。
それだけ。
これ、なに?
「違うでしょ」 かなりイラついたし、腹が立った。
院長には勿論だが、姉までがこうでは彼女が余りにも可哀相。
反論しかかった差し出口の私へと、
「口をはさむなっ-----」
すっげえ威喝声がおっかぶさる。
反論する私に驚愕される姉の驚きが、置き忘れられた姉妹愛を思い出された眼差しが、目に入った。
妹に代わって畳に両の指をついて土下座された姉が、私を横目に恥ずかしげに見られる。ただ正座していただけの私を、その横顔は、浴びる罵声に耐えつつ意識されておられる。
「わたしから良く言っておきますから」 姉の 〆
反抗した私を見られるは、私の前で自分までと傷つく誇りの奥様でした。
姉も立ち去られた後、今度は私が説教される番だ。執念深かった。
「二度と逆らうな」
「小さい頃から躾ている」
絶対服従する姉妹は信じられない家を私にも信じさせる。
彼女の場合には修道会の教義もあったが、分からないのは姉でした。ここまで従順なのは如何考えても納得できなかった。
この理由、のちに(数日後の投稿)合点の行くところとなるんですが、
11 我が家は糟糠の妻
妻はエンゲル係数が高すぎるにも関わらず、結婚してくれた。
結婚後、半年位あとに先が読めない状況下での独立を余儀なくされるんですが、お客様の方々に恵まれて可愛がってくださいました。お陰で順調な日々を送れていたんです。
糟糠の妻だし、私のベタ惚れである。子供は幼稚園に入園したばかりの女の子が一人いてくれました。
ネオンに群れ飛ぶ蝶に私がもてたとしたら理由は一つしかない。妻の悪口を言わなかったからだ。
仲を聞かれたら、良いところばかりを挙げる会話から横道に入る。
天気の良い日でした。
洗濯物を側に置いた妻は陽だまりの縁側で幼い娘に、高い高い、している。
何時ものどうってことない会話から、
「ボクに結婚話がある」と発表した。なんたって一大事な営業になっていた。
「分譲マンションが買ってあるらしい。-----。奥様が会いたいんだってさ。離婚の慰謝料を払われるんだろう」
朗らかにあしらわれた。明るく笑われた。
つるべ打ちに語り合った。
そこに居た母は最初は冗談としてしか受け止められなかったが、妻は私が真剣な話をしていると次第に受け止めている。
怒り出した母にも私は言った、
「なぜ(異母)姉が嫁ぎ先の財産からこんなカネを支払うのか、おかしいだろっ」
と二人に投げもした。
濯ぐは大人の、のりやすい妻でもあり、
「たくさん貰えるんだったら良いわよ。ふたりでやり直すから」 言いながら娘に頬ずりしている。眩しそうに寛ぐ妻を照らす光の約束、私たち二人の結婚の誓いは揺るぎようが無かった。
和やかに庭の老椿に青葉を眺めて一家団欒する幸せな普通の家庭でした。
「結婚相手を見損なった」 なんて考えさせる言い方に私ではなく、見損なったと言う明るいホームドラマの粗筋を説明してあげるような、隠し事しない夫婦の会話に過ぎなかった。
ひとり、母の怒りようだけは激しくなっていくのでした。
12 主語なき人生相談
新鮮味が歳月に取り込まれて豊潤となった割烹着の妻であり、「別れてくれ」と遠回しに摩り替えたかった本音でもない。夫婦として健全な行進曲に日々の一齣です。
ましてや財産目当てで三行り半を出すなど有り得ない。長女も可愛くって将来が楽しみでした。こんな私だとは読みを誤る恋女房ではない。
会話にした私でさえ、「手さえ触れてもいない女性相手に何でこうなるんだろう」な素朴な疑問で終わっていく。
ぱさつく頑固で寒い月の夜なんてのが生白く照らす我が家ではない。無尽の構造へと頑張り、支えあう家族があった。
疎ましく嵩張りだした離婚やら結婚を一方的に求められる粗筋が、どうすればそんな風に発展するのか知りたくなって、仕事仲間や得意先に相談した。
が、彼女の社会的な立場から院長の専門も素性も公に出来ず、相談にならなかった。
〇〇家の名は出せずに困っている内容だけで相談した私への仕事仲間の結論は、
「ブスなのか」 「うまく運べば凄い画商になれる。信用もあがり人脈で繋がっていける」
と、大体こんなところでした。
利益追求で収まるから尚更嫌らしくなってしまう。逆効果。闇は更なる闇を重ねる。
お客様からの意見は、姉妹の〇〇家という名を挙げた途端に顔が曇られる。皆さん一様に、判で押したように同じ反応だった。
とどのつまり深みにどっぷりはまってしまいました。底なし沼だ。
「妹の前では 『私たち夫婦の仲が良い』 との奥様の話は止めてください」
姉に叱られてしまいました。やんわり、お断りしていたつもりだったのに。
私が「妹との結婚を断る。妻とは離婚しない」なんて決心するとは夢にも思って居られなかったみたいです。
いつも前後に脈絡なく、結論を押し出される姉でした。この日も突然に、
「養子に入っていただけないでしょうか?」
不可解さに慣れっこになっていた私に理解できたのは、この瞬間に見知った院長の心底です。
「姉に見事なまでに裏切られた」 と私に告げている。
私が訪問して来るって言うんで、何か話し合われていたんでしょう。それが「引っくり返った」と、ま、こんなところの院長の心でした。当たらずとも遠からずです。
あっちの話になる夜もありました。
男性経験の有無について、姉は、
「知りません。男の人たちは・・・」 睨まれた私と院長です。
私たちには分かっていた。ない、と。
そっちの話 「ほんとに良いのかな」 考えている私だと姉に分かったとき、
「分かっています。どうぞ」 差し出されました。
わたしは初物嫌いです。信じられないとかじゃなくって、半信半疑とでも言ったら良いのかな。とにかく、夢みたい。良い夢なのか悪い夢なのか、そこから分からない。
14 彼女が毎朝で洗濯した
押し捲られる奥様から、
「分かっています」 腹を立てられたって試されているみたいでした。加えて、どうしたら良いのかさえ分からなくなっていくのです。
・・・・・だって、まだキスさえしてないんだから・・・・・
「子供じゃないんですから」 とまで姉に付け加えられたって、
「はい」 って、抱ける女性ではなかった。
かみ合わなかった。根幹に慰謝料やらの大金という汚い病巣がある。
普通、慰謝料ってのは少なくとも肉体関係のあとで発生するのに、最初っから出されてある。
それも女性のほうも家族から。
「はい」ってな訳にはいかないよ。
彼女にしても、夜に男と女は何をするのか位は知っていたでしょうが、姉夫婦のシーツを何故毎日洗うのか不思議がってたんだから。
やり損なえば私の仕事柄、信用も失って生き残れなくなる。
なんたって私は院長を相手取る出入り業者なんだからと、ここから出した私の考えは、今まで通りに仕事で出入りするのか、彼女の相手として出入りするのか、です。
淘汰されたくはなく慎重にならざるを得ない社会的な視野に立つと、取りあえずはこうなった。
あとは決断。
15 鳶に油揚げ
「妹と一緒になってください」
姉に口説かれて遠からず承諾したら、
「(姉妹が)何んと言おうとオレが許さなかった」
不始末をやらかしたのではないし、それは院長も承知してあったが、姉妹と反社会的な男女関係で癒着させているかの気分にさせられる。
「持っていかれるのは腹が立つ。ここまでカネを使われて別宅だなんて」
とどのつまり仲立ちされる姉は、私の首を縦に振らせられないままで1年以上もの月日が流れているから、先生は怒り心頭でした。
頑是無い私の一人娘まで引き合いに出される。
「娘から妻子持ちへと別宅でいい」 と言われたらどうする。
「鳶に油揚げだ」
責め問われても、甘受しなければならないと努力した。
暗たんとした心は自然に泣いている。
そこまで言われ続ける月日にて、
「もう承諾しても良いぞ」
白々しい。試されていた。
それでも不平不満ばかり鳴り物にされる中から彼女について聞かれると、
「好きです」 はっきり言えた。
もう、嫌いではありません、な言い方ではなかった。いとおしくなっている。
「無理をしなくてもいい。姉妹には俺から言ってやる」
これでもう良いのに、
「(三顧の礼で迎えられて) 妻に気があるのか。歳だし、子供も3人産んでいるから(アソコは)もう汚い。昔はきれいだったぞ。まさかとは思うがーーーーー」
魂消た。
「娘に気があるのか。娘はやれない。医者に嫁がせる」
我が家の産婦人科に視診やら触診を羨ましがった先生が何やら言われ出す。
「----------」
「(アソコが) きれいな人は来ないんじゃないでしょうか」
即座に正しい方向に向かおうとしたんですが、
「(着付けで晒しを巻く彼女の大きな胸を見てから強い関心を抱きだす) 妻の妹に手を出すわけにはいかない」
時を同じくして、生理や出張で家を空けられる日を除いて、新婚旅行から毎晩欠かさない姉との、その夜毎を聞き済ませてしまいました。
・・・・・姉のアソコに院長が顔を埋め・・・姉が腰を上下させ・・・院長の顔が濡れそぼち・・・姉が拭き・・・院長にパンツを穿かせ・・・ふたたび風呂に入られる姉・・・・・(これ以上事細かに書く必要はないが、これだけでも書いておかないと後々の投稿が意味不明どころか支離滅裂に感じられるかと思われます)
家事一切を賄う彼女は、何故お風呂に二度も入る姉なのか、何故シーツを毎日洗濯するのか訝しがっていた。この子の睡眠時間は三時間とか四時間でした。
私は姉の顔、とてものことにまともには見られなくなってしまいました。それどころか顔を伏せてしまうのです。その場面が蘇るのです。まるでテレビに見入ってしまうかのように。
毎晩で欠かさない理由は、姉の昼間の出来事から考えを、その最中に聞き取る、言わせる、抱かれている時には隠しようのない本心が現れるから、と信じてある。洗脳の夜勤でした。
所有される同じビルで部屋は異なるも一日中一緒に働いてあるのに、
なのに、マンションや慰謝料に養子縁組の肝心要の決意は聞き取れなかった。
・・・・・その最中でも姉は言われなかった。それで先生は焦ったんだ。
彼女が学生の頃、先生は原野商法に引っ掛かって土地(この土地から所有者から住民を私は良く知っている)を騙し取られたことがあったらしい。この時まだ子供の彼女から言われた言葉を未だに根に持っておられた。
「妾の子のくせにむかつく」
この時に難を逃れた一等地(現在はデパートの新館が建つ)の使い方については立ち入れない先生であったらしい。姉には彼女の考えが第一となっていた。他にも何度も苦い思いをされたらしい。彼女への恨み、そして不動産にはおどろおどろした考えをもってありました。
聞き取れなかった驚きと恨みが妹への八つ当たり、私への憂さ晴らし、姉との夜を更に深めていった。
姉の声に姿態は今も忘れられない。こびりついています。25年以上も毎日、信じられない。
それも一方的。姉はただ・・・・・つまり、絵に描いたような正常位、眼下に標的となる夜景を眺めつつの単独の夜間飛行・・・。
もう何もかもが私なんかには全く理解できない世界。
そして、カネ、カネ、カネ。嫌な家だった。つまり私も、そんな目で見られるってこと。
だから尚のこと彼女が気になる。連れ出してあげたくなっていく。
「(姉は自分からは) 何もしてくれない。毎晩毎晩が大変だから「大人のオモチャ」を買ってきてくれないか。(有名すぎる) 俺は買いに行けない」
「夫婦で使うものではありません」 はっきり断った。
後見人の任に当たる方が、姉妹には居られた。
医師会長を何期も務められる全国でも著名な重鎮である。
この方は姉妹の家に対して、「(私の本家)には気違いの血が流れている」 なんてとんでもない嘘を流された。
彼女に私を諦めさせる方便だったのでしょうが、これで最も傷ついたのは彼女です。
「気にしていませんから」 普通に微笑んでいたが。華々しい世界で追い詰められていく。
(ここまでに投稿した姉妹と私については全てを把握してある) 後見人は「時が解決してくれるだろう」 と安穏に暮らした。姉妹の家から商品を担保に借金してもあったので清算してあげた私。
意見できない後見人では困るからだ。後見人も私も、姉妹を大切に考えていた。
ひとり・・・・・・・・・・除いて、みんな心配していた。
「(アノ時) 寝室を明るくしたいが (姉は)拒否する」
「大人のおもちゃを買ってきてくれ」 と頼まれたのに断ったばかりの私でした。あとの事が気がかりです。
「(明るくなってから) 朝にされたら」
埋め合わせのつもりだったのでしょう。助言してしまった。
「やってみよう」
ここに至る私の助言が先生にとって都合良き脚本で書き直されたらしく、姉が私を厭らしい眼差しにて避けられるようになられたのは秋も深まる頃、彼女が倒れる半年ほどまえでした。
オモチャを使いたいという欲望が内分泌の逆鱗に触れ、余りにも激しい「初めまして」の面立ちに院長はびっくり仰天されたらしい。私を悪者にされた院長だと想像するに何の障害もありません。
最低の私には逆立つ気配で対峙されるようになられた姉。穿った肉体文学のナレーターは院長。あられもない夜景が焼きついたのは私。
じぐじぐした譜面をうろ覚えでもしてしまう後ろ汚さは間男な、姉色は青空教室で惑いあう歳月の夜の場に濡れしょぼたれる。顕著に、ひょっとこやら天狗やらで夢幻に暴行にビデオめかして観てしまいました。
ここからの彼女の気持ち、ここからの半年に思い巡らせると堪らない。
18禁が続いて心苦しいんですが綺麗事で一から十を済ませる恋愛では何も残らない、のと同じです。愛した女には憎しみも存在する。それを人は絆と呼ぶ。親子とは異なる絆である。優しさは易しさとも異なる。
18 第六感は正しかった
初めて訪問した夜、この屋敷に邪気を感じ取ってしまいました。
全身がすくんだ。服を貫き通す脊髄への予兆どころか、どっと身の毛のよだつ寒さです。空気も暗かった。
一件の商いでも多額の現金で決済する私の仕事では最も重要な、大事を取る感覚だとは骨の髄まで承知している私です。
これ以前の展覧会では初対面の先生から 「カネで買えないものはない」 なんて発言をも耳にしていたことでしたし。
なんの遠慮もなかった。だから、はっきり御夫妻に質問できました。初めて訪問された方にそんなことをはっきり言われるとはと、ご夫婦はひどく驚いておられる。
私にしてみれば、そんなこと知ったこっちゃ無い。人生を賭けた仕事なんだ。懸念が確信に変われば帰る。相手にしない。目先のカネなんかより大切でした。
天使に道なき道 上
第六感で猪突猛進に、邪気を、この屋敷に出入りする者の素性に置き換えて私は言い表した。
初めての商取引も矢先の自営業者の表現に院長夫妻は憤りというよりも呆気に取られてあった。
しかし、内向きに秀でた奥様が道理を通し、あからさまに慇懃無礼な私ごときに、礼に則って答えられたので吹っ切れてしまったんです。
私の失敗は、この感じた過去を葬り去ってしまった無能ぶりだ。
新婚旅行から25年以上も毎晩で欠かさなかった、その夜。
・・・これを信じてくれる人、居ないかもしれない。今の私でも信じがたいんだから。が、真実だ。どうしようもない。
夜の営みやら大人のオモチャで院長に助言した事によって今度は私が陥れられる。
11月頃からの姉は私にぴったりと、それまでみたいに張り付かれなくなっていた。
年が明けてからは浮かぬ顔でも、私を落とそうとはされなかった。
死の宣告まで、ここから半年、六ヶ月近くもある。
私と彼女との出会いからは、邪気からは一年と十ヶ月後の宣告だった。
わたしも酒の席なんかで相手に合わせるどころか自分から下ネタを披露したりもするが、相手が特定できるような言葉は使わない。
ましてや妻との夜は、想像される単語さえ控える。
ほとんどの男性はそうじゃないでしょうか。
なのに度を超えていました。こんな人が居たのか、と信じがたかった。
「言わないで下さい」って止めようとしたって、滑らかに続くんですから。
彼女にとって姉は 「私を落とす」 唯一無二の拠り所でした。
この姉の誇りから尊厳どころか存在を根底から卑しめる私とされたのである。
彼女にしても立つ瀬が無かったと思われる。
わたしに会いたくない姉を理解できたでしょうし、それまで姉に任せっきりでしたから従わざるを得なかったでしょう。
・・・どんなに寂しかったことか。
ひとりぽっちで空知らぬ雨、涙に濡れていた空に知られぬ雪、散る桜だったに違いない。
のべつ幕なしの動悸で雪隠詰めにされた彼女。
どれだけ女心を痛めつけたのでしょう・・・・・うかがい知るのは簡単なだけに・・・・・居た堪らない。
19 天使に道なき道 中
12月、わたしは私で師走に入る頃には一大決心を固めていた。
それは、離婚と結婚を二人の女性の間で繰り返しつつの生活でした。
俗に言うところの東京妻と福岡妻なる、ふたつの地域に女性を置く形態です。
まず離婚しての結婚しての離婚する。そして今の妻と再婚。あとは子供が出来るとか、必要な時に必要な方で籍を出し入れすればいい。
これしか解決法は思いつかなかった。
秋には準備を始めていた。必要な資金繰りでした。
見なし重婚 上
あの家から早く彼女を連れ出してあげたい。解決策は重婚まがいの漫画みたいな方法しか思いつかなかった。
姉が差し出された慰謝料やマンションなんか義兄たる先生の資産による出費は断ると決め、必要な資金は自分で用意し始めた。
といっても、あの立場に史上最年少で到達した彼女を手に入れ、かつ妻を東京に置くわけだから金額にしても小さくは無い。
院長の家とは出入り業者だった私の仕事に区切りを付け、彼女を相手とする男になる決心も固めた。仕事とは切り離さないと院長とは対等の口が利けない。
こうすることがもう一年以上も離婚とか結婚とか訳分からずに求められ続けている私にとっては自然のことと思えていた。
初春になっている。ツリー、飾り付ける頃から姉妹とは会えない日々が続いていた。
明るくなっての朝に大人のオモチャから発展した先生の思惑通りだった、という事でしょう。
姉妹にも、わたしの収入からの生活費は半分づつに分けると言わなければならない。半分といっても大台には乗っている。
この決断、妻には話した。
姉妹にはある程度の準備が終わってから報告するつもりだった。
そうこうしている内に2月になる。仕事の目処がついた。見做し重婚への資金の手当てもつきました。
今夜こそと満を持して訪問した日も初釜とかで姉妹ともに泊りがけの不在だった。
この夜に限らず、ことごとく会えなかった。
20 愛と清貧の戒律 上
逃げ込み婚だったのかも知れない。が、考えないようにしていく。
父みたいな愛を知らず知らず求めていたのかもしれない。
異変を察知する澄んだ瞳と白い歯の母性本能が、無自覚に子育ての呼吸で手繰り寄せたんだ。
答えられなかったオトコ。
この子は四季を問わず長袖にロングのワンピースでした。会服を体現していたのでしょう。自宅では食事でも寝る前でも祈りを欠かさなかった。ロザリオも人の目に付かないように肌身離さなかったフランシスコ修道会。
この思う子の寛容さ、普段は音叉みたいに端正な風姿で色めき立つ。
「欲しいものを買いなさい」 言っても、
「何も欲しがらないんです」と、姉は困っておられた。
なんでも買ってあげたかった・・・・・
問題は仕事上のお付き合いとしてなのか、自分の 「おんな」 としてなのかでした。が、これも自分の連れ合いとしてと決めたばかり。
毎週日曜の大〇別荘における茶会にて、
「お弟子さんから 『この頃綺麗になられて』 と言われる妹はすごく喜んでいます」
との一番弟子たる姉の 「お分かり?」を、意味を引きつらせてしまう。
目鼻立ちが端正な色香へと張り切って嬉しそうな眼差しは撫子の若葉の色に訪れて好し微風で撫で上げたい。
ひとひら、すればふたひら、花の蕾の清んだ声で弾むと赤み走ってしまう。
小さくない胸は帯では見苦しいと晒しで締め上げていました。
「まともにぶつかってきてください」 誘発してたんだ。
姉なる奥様の美しさは凄かった。もう40代なのに、とても見えない。あれほど綺麗な女性を私は後にも先にも、邦画にも見たことがない。毎夜の営みも焼き餅焼きだと聞きかじった先生だから、と考えてた私。
娘さんもキレイな20代前半でした。
彼女は、師範はポッチャリ、かわいかったぁぁぁ
芍薬、ユリの花、蕾む牡丹。。。
梅暦にて捲られる辛夷が散り掛かる花便りみたいに折れ目の色が焦げっぽく観て取れた夜もあったんです。
変わりなく穏やかに私の前に座ったんですが、ふたひらが、唇の色艶が尋常ではなかった。
広い応接室に位置としては正三角形になるみたいに、院長との三人は座ることになるんですが、彼女が座った途端、院長は私に対して自分の横に座りなおすように指示された。
2~3メートル以上は動いた私です。
院長と私は二人して彼女を、まるで攻め立てるように彼女の正面に並んで座ったのです。
わたしからは院長の顔は読めない。
態度の彼女はにこやかに微笑んでいる。
唇の異常を私は院長に知らせた。
気づいていた。
「野点のせいだ」 と一笑に付す。
私としては、それ以上突っ込めなかった。
静かに、柔らかく、座っている。
「もう行きなさい」 と義兄は退席を促した。
「はい」
「(来ているのを知り、私の居る部屋に一人で)来るなんて珍しい。よほど好きなんだな」
なにも言えなかった。なんにも出来なかった。
これが永久の別れになろうとは・・・・・・・
ワンピースの後ろ姿が焼き付いている。
21 大学病院 上
その夜の彼女、二十七歳。
唇の色の余りの変わりようを院長に合図したが、一刀両断に切り捨てられてしまいました。それも無表情に。有無を言わせない力が言葉にこもっていた。
つまり 「変だ」 「してやったり」 とは確信していた。
直感を何故わたしは何やかやと何んで騒ぎ立てなかったのか、悔やんでも悔やんでも悔やみきれないことばかり。
四月にもなる。
GWに入る。
明けた。
甚だしい痛みを訴える叫びに寝入りばなだった姉が部屋に駆け込まれるのは、八十八夜も去って立夏を迎え入れたばかりの沖縄が梅雨入りする頃、連休明けの夜更け 5月7日でした。
踵を返し、救急車が呼ばれる。サイレンが一晩を切りさいなむ。
ブラは着けないパジャマ姿の胸を掻きむしっているのに・・・・・隊員の手まで借りて着替えさせられた・・・・・
大学病院に搬送されたのです。もう、日付は変わっている。
針が回っても、その日の夜、前もっての約束どおりに私は彼女の家を訪れました。
八時ごろだったと思います。
「病院へ行きますっ」
邪魔したソファにテーブルを蹴っ飛ばして立ち上がり、一人で留守番しておられた院長に、なおの仁王立ちで夜間出入り口の場所を聞いた。
ジロッ・・・・・・ッ
端々まで烈しく睨みつけられての詰め、
「慌てるなっ」
低き定着も攻め支度にて怒鳴られ、
おっちょこちょい、を相手にする不愉快さで何から何までを蔑まれた。
「面会時間は過ぎているし、麻酔で寝ている」
「じゃ明朝一番に行きます。何時から面会できるんですか」
「明日は朝から手術で、終わっても麻酔が効いて寝ている。結果は昼間に連絡が入るようになっているから、夜、自宅に来れば良い。教えてやる」
制止させられる。
完全に見透かされた。
22 余命二週の乳がん
直感した雪と墨を、風や手で折れた辛夷の真っ白い花びらが土気色に黒ずみ腐りゆく様子に悲しみを思い出していた自分自身を、愚かにも打ち捨ててしまった。
・・・・・それほどの、彼女の、唇の、色、でした・・・・・
大学病院に救急搬送される、一ヶ月以上は前だった。
彼女にとって、私を落としてくれるはずの妙薬な姉は、気骨が折れる延々とした私への大気圧に加えての院長との板ばさみにあって疲れておられたのでしょう、油断しておられたのでしょう、見過ごしてしまいがちになる月日だったのでしょう。
わたしさえ動いていれば、医療機関にしろ相談先にしろ普通の人たちが想像できる以上に持っていたのに・・・・・
院長の指示に従い、彼女が搬送された当夜は病院に駆けつけるのを控えた。
・・・考える。
・・・胸を痛がっていたらしいから・・・???
胸に走る熱い火に寒くなる。
病名なんて想像も付かなかった。
後悔していた。
「一ヶ月、打ち明けるのが遅すぎた。だけど遅かれ早かれ今月中には快気祝いだ。重婚まがいを申し込む」
身を奮い立たせて考えすぎるのを鎮めるのに死に物狂いでした。
「明日の夜に出直して来い」
言われたとおり、診断の結果が聞ける、その夜を待ちました。
で、院長の待つ彼女の家に出向くのです。
・・・長かった。
聞き覚える。
「乳がん。あと2週間の命。医者の判断だった。病室には内鍵を取り付けたし、面会謝絶の札が掲げてあって行っても会えない。俺が伝えておいてやる。妹には教えない。最期まで隠し通す。家族の問題だ。口を出すな。もう関係ない。『(執刀医が言うには)手遅れ。メスを入れただけで手の施しようが無く、そのまま縫合した。一ヶ月早ければ。痛みはあったはずだ。きれいな胸だった』 」
・・・・・・・・・・きれい!? 余計な手当てだ。
ここからだ。おかしくなっていくのは。
23 見なし重婚 下
見做し重婚への資金の手当てもつきました。
GWになる。
明ける。
5月8日・・・乳がん、27歳なのに余命2週の告知となってしまいました。
愚図ついた私が悪い。支度金も都合がついたんだから強引に動いてれば二~三ヶ月も前には診察を受けさせられた。
それに、あの夜がある。この後ろ姿に声をかけていれば。。。
院長に逆らってさえいれば。。。
天使に道なき道 下
執刀医は、「一ヶ月早ければ。痛みはあったはずだ」 とも付け加えられた。
この半年間の重さ、大切さは計り知れない。
無為無策に流したのは、誰だ。
・・・私に他ならない。
これはもう殺人だ。少なくとも未必の故意である。
では殺したのは、誰だ。
憑かれしは逝くの朧な雲母の駅