
この句を初めて知ったのは、私の中学時代でありましょうか。国語の教科書に載っていて先生からいろいろ講釈されたような記憶がありますがあまり明確な印象には残っていません。
大体がこの句自体をぽんと出されていくら眺めていたところで想像がひろがるようなものではなく、他の文学でもそうでありましょうが、山頭火の人生というフィルターを通して初めて作品の解釈が成り立つものであるからです。
この句は、永平寺三句のうちの一つであり、彼が悟りを開いたときの句としても有名です。
てふてふはまさに山頭火その人なのであり、いらかをこえた、とは、ある煩悩を超えて仏の道に近付いたということではないでしょうか。
ひらひら、というのがミソで、一直線に超えなかったのが山頭火らしいところ。あちこち寄り道しながら風に飛ばされそうになりながら、やっとのこと超えたのです。
それにしても全てひらがなのなんと柔らかな風合いの句でしょうか。
こちらまでほほえましく感じる明るい陽の光の当たった句です。
http://www2.biglobe.ne.jp/~endoy/okaeri.htmlおかえりJP酒と山頭火から

先週パンでも買おうかとコンビニに寄ったら「山頭火ラーメン」があるじゃないか。これ食ったら小父さんもうまい俳句が出来るだろうと早速買ってきた。いわれは今でも知らないが山頭火ブランドには弱い。
ちょうちょが、ふわふわっと瓦葺きの屋根を超えていったよ、ということだが、このリズム、そしてそこに込められた思いはお見事としかいいようがない。ラーメン小父さんの道けわし。
大体がこの句自体をぽんと出されていくら眺めていたところで想像がひろがるようなものではなく、他の文学でもそうでありましょうが、山頭火の人生というフィルターを通して初めて作品の解釈が成り立つものであるからです。
この句は、永平寺三句のうちの一つであり、彼が悟りを開いたときの句としても有名です。
てふてふはまさに山頭火その人なのであり、いらかをこえた、とは、ある煩悩を超えて仏の道に近付いたということではないでしょうか。
ひらひら、というのがミソで、一直線に超えなかったのが山頭火らしいところ。あちこち寄り道しながら風に飛ばされそうになりながら、やっとのこと超えたのです。
それにしても全てひらがなのなんと柔らかな風合いの句でしょうか。
こちらまでほほえましく感じる明るい陽の光の当たった句です。
http://www2.biglobe.ne.jp/~endoy/okaeri.htmlおかえりJP酒と山頭火から

先週パンでも買おうかとコンビニに寄ったら「山頭火ラーメン」があるじゃないか。これ食ったら小父さんもうまい俳句が出来るだろうと早速買ってきた。いわれは今でも知らないが山頭火ブランドには弱い。
ちょうちょが、ふわふわっと瓦葺きの屋根を超えていったよ、ということだが、このリズム、そしてそこに込められた思いはお見事としかいいようがない。ラーメン小父さんの道けわし。
それが、俳句の基本でしょうか。簡単なようで、なかなか上手く詠めません。邪心を無くさないとだめですね。欲や見栄、嫉妬も捨て去らないと、こういう句は詠めないでしょうね。・・・なんだか、恥ずかしくなってきました・・・
素敵な(言葉の)贈り物を、いつもありがとうございます♪
泥酔して失敗し、お金を借りて酒をのみ、女のところに行く。放浪しては人に迷惑ばかりかけていますね。
まだ、序の口ですが、山頭火哲学が人の心を打つわけで、哲学がなければ、ただの放蕩人なんだと思っています。小父さんみたいな常識人には句は無理なのかも。