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小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

記事/岩見隆夫のコラム:「検察は乱暴」というのは早すぎる

2009年03月18日 | ニュース
漆間官房副長官

サンデー時評:「検察は乱暴」というのは早すぎる
 この一週間ばかり、

〈リーク〉

 という言葉を聞かない日がない。あまり響きはよくない。民主党の小沢一郎代表の公設第一秘書が政治資金規正法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕(三月三日)されて以来だ。

 検察側が捜査の内容を少しずつメディアにリーク(漏らす)し、連日、新聞紙面などをハデに飾っているという見方だ。それだけで記事を書いているはずはなく、独自取材も加わっているのだが、リーク部分があるのは間違いない。

 メディアからすれば、証拠のほとんどは検察側が握っているのだから、そこにアタックするしかない。小沢さんが、当初、

「衆院選が取りざたされている時期に、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使だ」

 などと検察側との対決姿勢をむきだしにしたものだから、対抗上もリークの量が増えたということかもしれない。

 検察も世論の支持がなければ捜査がやりにくい。ことに政治犯罪にメスを入れるとなると、政治側の抵抗、圧力も強くなる。リークなしで沈黙の捜査をしてもいいところだが、メディアを味方にしたいのが正直なところだろう。

 今回も、民主党首脳は、

「国策捜査のような雰囲気がある」(鳩山由紀夫幹事長)

 とか、

「手段を選ばず選挙に勝ちたい与党の陰謀だ」(山岡賢次国会対策委員長)

 と、きわどい表現で検察側を批判した。こんなことまで言ってしまっていいのだろうか。テレビのコメンテーターにも同調する発言が目立ち、ある民放テレビ番組のキャスターなどは、

「選挙が近い時期に、こんな乱暴なことをしていいのか」

 と乱暴を連発した。民主党が政権を取れるかもしれない、ということは自民党が政権を失うかもしれない緊迫の場面で、検察が流れを変える可能性もある挙に出たのだから、思い切ったことを、とだれもが思ったのは確かだ。

 しかし、それが乱暴かどうかは、まだわからない。検察側は、小沢さんの疑惑の対象である準ゼネコンの西松建設の捜査に昨年六月から着手し、すでに前社長ら五人を逮捕しているのだ。だから、

「検察は何か握っていると考えるのが常識的だ」

 と特捜検事出身の大学教授が語っているのは、そのとおりだと思う。〈何か〉がわからないうちに、検察批判をするのは危うい。

 ◇権力の衣をはがされそうな時は異常な反応を示す
 国策捜査というのは、政治権力、つまり政府の与党が検察側と裏で通じ、政府有利の捜査を画策することで、事実なら、こんな恐ろしい正義と民主主義に反する振る舞いはない。しかし、これも警察官僚出身の平沢勝栄衆院議員が、テレビ出演して、

「できるはずがない。小沢さんはかつて官房副長官や自民党幹事長をやっているのだからわかっているはずだ」

 と言っていたが、そのほうが説得力がある。今回以上に国策捜査批判が渦巻いたのは三十三年前のロッキード事件だった。小沢さんの師匠である田中角栄元首相逮捕の衝撃は時が流れても薄れることがない。当時、

〈担当検事は「おい、田中」と呼び捨てにして取り調べを開始した。……〉

 などと報じた新聞もあった。これは興奮状態のなかで起きた勇み足の誤報、強大な検察権力を誇張して伝えようとする意図が読み取れた。

 いやしくも首相経験者である。担当検事が田中さんに容疑事実を告げ弁明を聞いた席には、当時の高瀬礼二東京地検検事正が同席し、それなりの敬意を示した。拘置所に身柄を移す時は、検事正が、

「環境が変化しますから、健康にはご注意を」

 と言葉をかける配慮をみせたといわれる。政治家を特別扱いしたようにみえるが、権力を持つものの行儀でもあるだろう。

 こんなことはエピソードにすぎないが、ロッキード事件では、田中さんを慕う政治家たちが、口をそろえ、

「検察ファッショだ」

 と声を荒らげた。事件の追及に執念をみせた当時の三木武夫首相を、

「惻隠の情がない」

 と非難し、激しい三木おろしの政争につながっていったのだった。

 今回はまだファッショ呼ばわりには至っていない。この言い回しは、もとをたどれば、検察が一九三四(昭和九)年、帝国人絹の株売買と銀行融資にからまる帝人事件を摘発、時の斎藤実内閣が倒れたが、裁判で無罪になったため〈検察ファッショ〉と騒がれたのが始まりだ。

 戦後も、疑獄のたびに同じ言葉が繰り返されてきた。大蔵省高官の汚職にメスが入った時も、同省OBで蔵相経験のある自民党首脳が、

「もう検察ファッショだよ。あの連中(検察事務官)ときたら、役所の机のなかのものを根こそぎひっかきさらっていくんだから。手帳も何もかもなくなってるから仕事にならん、と役人はお手上げだ。ひどいねえ」

 と息まくのを聞いたことがある。捜索の仕方までファッショときめつけるのが適当かどうか。政治家や官僚は日ごろ権力の衣を身にまとって生きているから、もう一つの権力にそれをはがされそうになると異常な反応を示す、とその時思ったものだ。

 東京地検に政界の不正摘発を主任務とする特捜部が設置されたのは一九四九(昭和二十四)年五月、以来、河井信太郎、伊藤栄樹、布施健、吉永祐介ら私でも名前を覚えている名特捜検事を生んだ。布施さんは〈フセケン〉の愛称で呼ばれ、ロッキード事件当時の検事総長である。

「網にかかった魚は絶対に逃がすな」

 が布施さんの信条だった。ファッショ的になるのはもちろん困るが、検察は私たち国民にとって、不正義と巨悪をこの世から追放する最後の頼りだ。魚を逃がさないでほしい。

<今週のひと言>

 漆間官房副長官は辞めるべきだ。

(サンデー毎日 2009年3月29日増大号)

2009年3月18日


 総選挙とは大いに関係あるだろうが、論客の見解が毎日載っている。果たして田中角栄は、小沢一郎は後世どのような評価が下るんだろう。現在でも異なる意見が出るところが面白い。小父さんは小沢さんが辞めて、麻生さんも辞めて、若手の両党の党首(投手)の戦いが、一日も早くはじまることばかり願っている。それでも民主党有利かな?
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