関空を飛びたったキャセイ航空CX564便は 定刻通り2時間30分後 台北の
桃園空港に着陸しました。短距離のせいか ビジネスがとても安かったです。
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仲良しおばさん4人は全員が2度目の台湾になり A子は53年ぶりとのこと。
若い頃『世界青年の船』のメンバーとして訪れたそうで 高いビルがない当時の
台北中心地の写真を見ると 高層ビルが林立する今とは大違いです。
私が台湾観光した25年前 旅が終わり帰国して数ヵ月後 日月潭近辺で大地震
があり 多くの犠牲者が出ました。
この日空港まで迎えのバスは途中で食事をし 台中のホテルへ2時間半後に到着。
翌日の観光は 蒋介石が愛した避暑地 日月潭に到着しました。
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旅行中の食事は 毎回同じようなメニューですが 日本人の口にあいます。
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食後1時間バスに乗り 台南のオランダ統治時代の要塞『赤かん楼』👈せきかんろう
7. 8. 9. 10. のかんの字がどうしても出ません。
台中から1時間バスに乗り高雄に到着です。龍の口が入口・虎の口が出口の
『蓮池澤』に到着ですが 現在修復中のため 台湾観光さま拝借します。
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甘い香りのプルメリアが咲き 満開の泰山木は爽やかな香りで街を包みます。
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日本では沖縄で見られるそうですが 私は初めて見ました。
『鳳凰の木』の名前の シダに似た緑の葉に 色鮮やかな真っ赤な花を
咲かせています。
台湾では卒業式が6月 入学式が9月のため その時期に咲く鳳凰木は
縁起の良い花と言われます。
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こちらも同じく街路樹として植わる ゴールデンシャワー。
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台湾周遊3泊4日のツアーでしたが 高知の場合どうしても前泊か後伯が
必要で大阪で後伯し 4泊5日の旅を終えて昨日帰ってきました。
台湾のホテルは清潔で良かったですが 暑い国のおもてなしは ぎんぎんに
冷やすことらしくて エアコンの温度調整してもすぐ元に戻ります。
そのため風邪をひいて 写真の整理もせず 夜やっとblogに綴っておかねば
忘れるため慌てて書いています。
少々の記憶違いもあると思いますが お許し願います。
更新がないのでどうしたのだろうと心配していました。
気の合うお友達との旅行、楽しかったでしょうね
それにしても、お料理がおいしそう(*^^)v
旅行記、楽しみに拝見しています。
私も友とかれこれ20年程前に行きました
友は海外旅行は殆ど行ったことがなくフット姿が・・・
団体行動の意識が薄れてしまうのでしょう
珍道中でしたが思い出深い旅行でした
台湾の方
戦争中は日本の支配下にあった事も有り年配の方
日本語を聞くと向こうからよく話しかけられました
懐かしいです
当時は戒厳令下で海峡を隔てて大陸と1日に一回大砲を射ち合う儀式が続いていて、これが「まだ戦争中ですよ」というシルシだと教わりました。
理髪師が女性ばかりの床屋(❓)に連れて行かれて両手両足の爪を切られ、しばらくミカンが剥けませんでした。
在来線で高雄まで行ったら、列車の中で車掌(❓)が土瓶でお茶を淹れてくれました。
台湾の方(特に年配の方)は日本語が上手で丁寧な言葉使いをします。日本に帰ってからしばらく台湾の言葉使いが伝染ってました。
懐かしい思い出です。
久しぶりでの旅行で、楽しかったことでしょう(^_^)
コロナでここ4年間はどこへも行っておらず どこかへ行こうよ
になりましたがものすごい円安で なかなか海外へは出にくくなりました。
このツアーを見つけて お手頃価格だし行こうよになりました。
親日家台湾 東北大震災のときも お正月の能登半島地震のときも
いち早く義援金を届けてくれた台湾。ありがいことです。
旅行記といっても私目線のため ろくなものになりませんが
読んでいただけたら嬉しいです。
台湾新幹線が運航開始になりましたから ぴかぴか新車の車体に乗られたのでは?
私が行った25年前はまだ新幹線がなかったです。
昔の台湾は貧乏人の子は教育も受けられず 字も読めない子がいたそうですが
日本の統治下になって全ての子が学校へ行けるようになり 同時に日本語も
覚えました。その子たちが今はもう80代後半になっているでしょうね。
持ってきていましたが高い建物はなく 地方の田舎町という感じでした。
50年前は大砲を射ち合う儀式がありましたか。私が前回行った25年前の台湾では
忠烈祠で衛兵の交代式を見ました。ベトナムのホーチミン廟でも衛兵の
交代式があり どちらも観光客に人気でした。
塀に寄りかかるような青空理髪店を見ましたが モバ様が爪のお手入れされた店は
ちゃんとした店舗だったと思います。列車の中で車掌が土瓶のお茶を配るなんて
なんと趣のある時代だったでしょう。いい時代に行かれましたね。
歩む足はだだもの重く こんなにも衰えていたのかとショックが大きいです。
よそのツアーの人達を見ると どう見ても80代と思われるマダムが
はつらつと歩いて観光を楽しむ姿は 日ごろの鍛錬があってのことだと
つくづくしみじみ・・。
Kさまは畑をされていますね 野菜作りが自分の体にものすごく効いている
と思います。わざわざジムに行く必要はないです。
家の畑は夫がしていますが 私も手伝おうと思います。
親日で食べ物も美味しいですよね。
旅行記、楽しみにしています。
「赤嵌楼」でしょうか。
どうしても字が出ない場合は、コピペなさるとよろしいですよ。
が、旅行の後で風邪を引かれたそうで、風邪はなると、
こんなにツラかったっけ?と思うほど、キツいですよね。
…私は昔、台湾は何月に行ったかな、寒かった記憶はありませんが、
シンガポールはどこもかしこも、キンキン冷えで、
凍死するのではと思いました。ひどい下痢になりました。
体調崩すのはわかします、お大事になさってください。
くりまんじゅうさまの旅行記、大好きです。
台湾は気軽に行けるから、と思っているので逆に足が遠のいてます。
日本になん度もいらしてる日本語も上手に操る台湾の若い人すごいなぁと思います。
風邪はいかがですか?
無理なさらないでくださいね。でも続き読みたい(笑)。
仲の良い方たちとの旅行は楽しいですね。
台湾は親日なので、感じは良かったんでしょうね。
食事も合いそうですね。
台湾、昔々2度ほど行きましたけど、
すごく変わってるんだろうなと思います。
故宮博物館?で見た白菜の翡翠が忘れられません。
あの字は『はめる』ではないでしょうか。
前回記事の最後の方、うるっとなりました。
どなたさまもお優しいです。
何度もマッサージしてもらい 大デブの私が何とか持ったような旅でしたので
本来ならマッサージ料を1万円は支払わねばなりませんが そこはそれ
プール後のランチをご馳走するという友達価格にしてもらったので
どうしても昨日は行かねばならなかったのです。案の定夜になり熱が出て
頭を冷やしました。ひょっとコロナが心配で今日検査も受けてきました。
幸いコロナでも インフルでもなかったです。
1㌦100円の頃がなつかしい。ホテルの冷房は各自快適温度があるでしょうから
部屋で調節できるが当たり前と思っていました。24度ほどに直してもすぐまた
元の19度に戻るんですよね。いくらデブでも19度は寒すぎる。
今回のツアーは私達おばさん4名と 中高年のご夫婦が2組の全部で8名で
バスも1人が2人分の席を使えて快適でした。これをきちきちに詰めると
しんどいです。コロナ解禁?でしょうか GW明けに行ったけれど
どの観光地も結構人がいました。田舎者は人が多いと疲れるのよね。
連絡すると『12時半から診ます 院内に入らないでください あなたの車の車種と
ナンバー・色はなんですか?』とtelで聞かれて とにかく院内に入るな
あなたの車まで先生が行くからと言います。
その通りにして駐車場で待っていると完全武装の先生が
現れ吹き出しました。鼻の奥からサンプルを取り10~15分後に私のスマホに
先生から『心配に及ばぬ』のお返事がありました。
またコロナが流行っているみたいですね 気を付けましょう。
ゆっくりと旅してください。私達おばさん組は偉そうなこと言ってもだれも
英語が喋れないので どうしてもツアーの旅になります。順番に観光地をめぐる旅は
ツアーなら無駄な時間が出ませんので効率もいいですね。でもここでもう少し
居たい 見たいと思ってもそれは許されません。
今回4年ぶりの旅の驚きは何と言っても 伊丹ー関空間のバスが減った事です。
以前は伊丹で降りたらすぐに関空行きがあったものが 今は以前の1/3まで
バスの本数が減っています。これが一番参りました。
帰りもキャセイは定刻通り着いても 伊丹行きのバスがないため
そこで数時間待つことになり 高知行きの最終便に間に合いません。
今回は自分の体力のなさに 情けなくなりました。
旅はまず歩かねばなり立ちません。それができなくなったらクルーズですかね。
一生クルーズ旅も私たちは出来ないと思います。
母はこれといって秀でたところがない女でしたが 今から思えば
姑に対するあの優しさは 何物にも代えられません。
居なくなって気が付くなんて ほんとに私はバカでした。
気の合ったお友達と一緒で、さぞ、にぎやかだったことでしょう。
円安で海外旅行は、以前の1.5~2倍になりました。
ハードルが高く、今は静観しています。
台湾には一人で行きました。
海外の中ではまだ何とか手に届きそうかな。
ゆっくり旅の思い出整理をしてください。
コロナ前と同程度の旅でも 今までの2倍近くするようになり
それに諸々の空港使用料や サーチャージ料を支払うわけで思っただけでいやになります。
のりのりさん台湾へ1人旅でしたか。一人だと気を使わなくとも良く
って私達おばさん組は だれも気を使っているマダムはおらず旅先でも
衝突はありますが そこはそれ 土佐の女は根に持ちませんから すぐに治ります。
親日国台湾。そこへ行くと子どもの頃から日本人にひどい目にあったと
憎みの対象として教える国へは行きたくないですね。
まさかと思いますが あの人が台湾に攻め入ることはないと信じています。