ときは昭和37-8年ごろ ある大店の娘が18歳。女子高を出たばかりです。
近所でも評判の器量よしで 父親の自慢の娘でありました。
その娘があろうことか 店の増築に入った大工の弟子とねんごろになり 一緒に
なりたいと言います。父親は激怒し その男と所帯をもつなら わしの目の黒い
うちはこの家の敷居をまたぐな と追い出し 若い二人は大阪へ夜逃げしました。
大阪で居を構えたものの 半人前の大工に仕事の依頼は少なく またたく間に
所持金も使いはたし 男は酒におぼれるようになり やがて妻と幼い娘を捨て
よその女房と手をたずさえ 出奔しました。
女はおさな子を養うため 掃除婦や皿洗いをかけ持ちで働き 夢中で20数年を
送り 娘が巣だったころ里の母から 父親が急逝したとの知らせを受け 実に
20数年ぶりに 故郷の土をふみました。
その里帰りには 飼っているニワトリの足を縛り風呂敷に包み 土讃線で戻った
そうです。エサをやらねばならんからと ニワトリも連れての帰省となりました。
なつかしい故郷で父を見送り ひと月ほど滞在して そろそろ大阪へ帰ろうかと
言った矢先に 庭先にどこからか 1羽のニワトリが迷いこんできたそうです。
すると女は あっという間に裸足で庭にとびおりて ニワトリの足を縛り納屋へ
隠して 里帰りには2羽だったニワトリが 帰りには3羽に増え 翌朝には3羽とも
風呂敷に包まれ ふたたび列車にゆられ 大阪へ帰っていきました。
ふ~ん へ~えと 頭にカーラーをいっぱい付けて お客と美容師の話を黙って
聞いていましたが ニワトリのくだりには こらえ切れずに 吹き出しました。
おんば日傘で育ったお嬢さまが 20数年で強い母になり 娘を一人前に育てあげ
よそのニワトリの 足を縛り風呂敷で持ち去るなど 処世術もちゃんと身につけ
だれにも頼らず生き抜いた 土佐女のはちきん人生は まことにあっぱれです。
ニワトリ事件から30数年経った今 そのあっぱれさんが 最近亡くなったそうで
お客の女性は あっぱれさんの 弟の嫁とのことでした。
弟の嫁が語るあっぱれさんは 娘を育てる苦しい間も 郷里の親に グチひとつ
お金の無心ひとつせず 自分の腕一本で世渡りをした 頑固な父の血を引く頑固な
娘であったようです。
美容院のおばちゃんの話は昔から好きで 土佐の女はドライヤーの音にも負けず
声を張りあげ話しますので 盗み聞きの後ろめたさはありません。
3ヵ月ぶりのパーマと お嬢さまの根性を拝聴し いい一日になりました。