朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

お裾分けについて

2022-03-15 05:43:44 | 雑記
アドバイス、助言、励まし
時には叱咤激励
そっと見守る
困ってる人を後ろから支える
それらに感激しそれでも前を
向けずもある。

それでも自分が決める(決めた)
ことは、それらの方々に対する
恩返しとなる。

恩は自らが引き受け
次代の人々に自分なりの
行動、振る舞い、言動で
お裾分けさせて頂く。

昨夜、こんなツィートをした。
ぼくが7歳の時に他界した
母方の祖父は物静かで荒声をあげない
人であったが
独特の威圧感が小さなぼくを
恐れさせた。

なぜだかわからない
特に怒られた記憶もないが
じいさんの足音だけはすぐにわかった
ものだ。

ばあさんに駄々をこねて
ぐずっていても、じいさんの足音を
聞けば、すぐに駄々を引っ込めたらしい。

そのじいさんから
教わったのは、いや、いまでも覚えて
るのは

「T坊 自分にいいことがあれば、それはお返ししないといけないよ」

(お返しってなに?)

「T坊も大人になったら、色んな人から
力を貰ったり、勇気づけられたりする
ことがあるよ。そしてその力や勇気は
自分だけのものにしてはいけないよ。
それは、他の人にお裾分けするんだよ

(ふーん)
この時は、殆ど意味がわからなかった。

じいさんが亡くなった年齢まで
あと一年となったぼくだが
どう考えても
一人で生きていけない自分がいる。
自らを信じるのは、素晴らしくもあり
反面、過ぎる信(過信)もないとは
言えない。

若さの勢いは、躍動するが
年を寄るにつれて、残酷だと思う。

一人で生きれないこそ
その一人が貴重でかけがえのないもの
と最近、つくづく思う。

それは、人さまも同じだと思う。
誰しもが、その貴重でかけがえのない
人の道を泣いたり、笑ったりしながら
歩いている。

身の丈以上でなくてもいい。
今まで、関わってくれた人々に
恩返しというお裾分けを忘れずに
実行していきたいと思う。





小説を読んで感じたこと

2022-03-13 23:37:46 | 本 感想
吉村昭氏の「海の史劇」
司馬遼太郎氏の「殉死」
池波正太郎氏の「将軍」、「賊将」
を読んで
つらつらと想いを巡らす。

書きながらまとまるだろうか…?と
思いつつ。

征韓論は、岩倉卿、大久保卿などが
列強諸国との国力の違いを実見し
新政府となった当時の日本体制は
脆弱であることを痛感し
まずは、内国強化をはかるべしとの
論を押し通し
全権大使として朝鮮に説得に行き
無碍の場合は開戦もやむなしとする
西郷を故郷鹿児島に下野させる要因
となった。

が、列強の清国、朝鮮に対する
不平等な侵攻を企てる情勢は
日本に刀の矛先を向けた形の
小さな海ひとつを隔てた
朝鮮半島を我がものとする
意図は明白であり
その後は日本への干渉は
明らかだっただろう。
その後国防上、日本はロシアの圧迫に
対抗せざるえず、開戦に踏み切る。

時の天皇(明治天皇)は
度重なる御前会議で
何が「民」のためになるかに
呻吟を尽したという。

今回、読んだ本は、いずれも
今の世界で起こっている事を意図して
選んだものではない。

ぼくの、その時の感覚(直感)で手に
とったものだ。
著された時期も古いものだと
50年以上前となる。

何が心に刺さったかといま再度
自分に問うと

「聖将」、「軍神」、「無能」と
呼ばれた
乃木希典将軍である。

海の史劇は、日本海海戦の
史伝となるので乃木将軍への
記述は多くはない。
難攻不落と呼ばれた旅順要塞へ
あくまで肉弾戦で挑み、何万人の
同胞(乃木将軍の長男、次男も)を
死中に投入する場面を簡潔に感情を
抑制して描く。
参謀総長であった児玉源太郎は
総司令官を乃木将軍と交代せよと
大本営から言われるが
乃木将軍の性格を熟知していた彼は
乃木将軍が切腹しないように
将軍の体面を重んじた作戦指揮をとり
203高地を陥す。
乃木将軍への内面に切り込まず
事実として記す。

殉死の司馬遼太郎氏では
美徳と無能となる。
それまで、聖将、軍神と呼ばれた
将軍を無能としたのは当時としては
衝撃だっただろう。

大学生のころ、殉死を読んだのだが
美徳よりも無能(戦争指揮官として)
の印象が鮮烈に残っていた。
これも狂人ともとれる
ただただ、肉弾戦で正面突破を
計る描写からだ。

美徳は、敗将ロシアステッセルとの
水師営での会見である。
将軍はステッセルに帯剣
を許し、従軍記者に会見中の撮影を
厳禁したという。
なおも懇願する記者に対して
会見終了後、同列に並んだ写真なら
一枚だけ撮ってよいと言ったくだり
だったと思う。
(30年以上前なので完璧ではないが
主旨は違えてないと思う)

将軍の池波正太郎氏では
乃木将軍を部下が「おやじ(司令官)」
と呼ばせている。
無論直接は「閣下」である。
そして、西南戦争で
不可抗力だったとはいえ
軍の命ともいえる「軍旗」を
西郷軍に奪われて、切腹しようとし
その後30年に渡り「死処」を将軍が
求めている姿を将軍の内面に
陰影をつけて、読者に語りかけている
ように感じる。

それは「聖将」「軍神」「無能」ではなく
己の弱さを克服し、死処を求め
一介の「武人」として
己に忠実であり、部下に愛情をもって
接し、敵将ステッセルを誇り高き
「武人」として誠を尽くし、水師営の
会見で将軍からの贈物の返礼として
ステッセルが贈ろうとした
「白芦毛のアラビア馬」を
馬は武器であるので、直接は受け取れ ないと言い、然るべき手続をとった上
で頂くとする律儀で誠実な
「おやじ(司令官)」乃木将軍だろう。

そして、長男、次男の戦死に
対して司令官としての
「軍人ならば光栄なこと」と毅然とする
将軍と
父親としての
「ロウソクを消し、ひとり部屋で横たわる」
将軍がいた。

池波正太郎氏は
文中でこう言う
「人間と人間が、その力と精神の美
をもって、闘い合う戦争はこの日露
戦争をもって終焉を告げたと言っていい」と。

三氏の描く
人物像に甲乙つけるつもりなぞ
毛頭なく
どれもぼくにとって、心がことりと
動く作品だ。

そして、乃木将軍という
誠実に律儀で慈愛と己に忠実である
明治の気骨に触れたのがなによりも
静かな感動を与えるのだ。

理論、理屈、各国の利権、思惑
そんな戦争は懲り懲りだとも。





本感想 応仁の乱 池波正太郎

2022-03-13 12:20:02 | 本 感想
室町時代と問われた場合
足利幕府と応仁の乱しか
頭に浮かばない。

本を読むきっかけは高三の折り
父親に薦められた「竜馬がゆく」だった
事もあり、江戸幕末から維新に
その後の明治にかけてが少ない読書量
の大半を締める。

本篇は賊将に収められる
150ページの中篇となる。

八代将軍足利義政
かわらもの(賎民)出身の作庭師善阿弥
義政の妻日野富子
管領(かんれい)方と呼ばれる
細川、山名、斯波の守護大名

善阿弥を除く
これらの謀略、権術、政争、世嗣
の中での義政の苦悩を表現する。

将軍家だけの力で幕府を成立させた
ものではない室町幕府は
管領方という後見役をおき、各地の
大名の平衡感覚をとらざるを得ず
独自の強権をもって統治することが
できない。
それに、足利の伝統ともいえる
敵方に寛容であったことも義政の立場
を名君にはほど遠く、享楽に身を費す
人物に想像させたのかも知れない。

そして10年に及ぶ内乱で
京の街は、ほとんどが灰燼と化す。

英雄、革命は出てこず
黒か白かで判断し殺戮が跳梁跋扈し
略奪と烈火が人心を狂気に駆り立てる。
そして、結末がないように
戦火は止む。

義政は黒と白との間にあるものを
(融和といっていいかもしれない)
を望んでいたと思う。
これは、作中にも
義政が言うくだりがある。

後の東山山荘「銀閣寺」を建立した
のは、義政が本当に遺したかったもの
だと感じた作品だった。





湯あたりについて

2022-03-13 07:57:50 | 日記
「ふぅ〜やれやれ終わったの」
昨日は休日であったが
朝9時から2時まで会議があり
長い半日を終えた。

この日は贔屓のさんわ湯は定休日
なので、どこへサッパリしに行こうかと
方角だけ決めて自転車のペダルを漕ぐ。

萬成湯にしよう。
毎日12時から14時30分まで
清掃に入るが、着く頃には営業してる
だろう。

さんわ湯もそうだが
ここ萬成湯も昭和の匂いを強く残し
建屋は古いが清潔感のある名湯だ。

サウナはなく湯船が二階建となっている。

一階部分には湯船が四曹あるが
階上があるために天井がやや低い。
この為に、半スチーム状態となり
いつも通りの時間、湯に浸かるのは
避けるのがぼくのしきたりだ。


二階部分には水風呂と塩風呂があり
天井は覆いのない露天風呂となる。
晴れた日には青空を眺めての
塩風呂はことに気持ちがいい。

一階部の湯船に向かうと先客が二名いた。
約10分程浸かり二階に移動して
5分程浸かり、降りてくると
一人のおじさんが、ポーズを変えずに
まだ浸かっていた。

(あれ?まだ入ってるんか?
大丈夫なんかな?)
ぼくと同時でも15分は深風呂に
入ってるので一抹の不安がよぎる。

しかし、手は湯船から出し
オーケストラの指揮者のように
リズムをとっていた。

(うーん)と見詰めていると
番台から店主が浴場にきて
○○さん○○さんと声をかけた。
反応はあるのだが鈍い…

(こらやばいで)と湯船から引き揚げる
心づもりをした。

店主に向かい
(お父さん、こらあかんで引き揚げよ)
「あぁ、そうでんな」
店主はご高齢である。
湯船に入り縁側へ押す
一旦、店主に支えてもらい
湯船から抜けた体を支えて降ろす。

その頃には、殆ど意識がない状態で
酔い潰れた体が三倍重いように
ずんと体重がぼくの中腰の上半身に
乗った。

血栓か梗塞の可能性もあるので
慎重に降ろさないといけない
頭でもぶつけたら
どうなるかわからない
必死でゆっくり降ろす。

40代くらいの娘さんが
店主とバトンタッチして小走りに
浴場に入ってきた。

(お姉さん、すいませんけどタオル
水で濡らして持ってきてくれませんか?それと救急車呼んで下さい。)
とお願いすると
「わかりました」ときびすを返した。

当のご本人の顔色は青い
医者でもないので何もできないが
とにかく呼びかけて反応を待つ。

(おっちゃん、おっちゃん、ここどこかわかるか?)
「風呂」
(そやそや、風呂や)

(この手握れるか?)と問うと
握り返してきた。

お姉さんが持ってきた濡れタオルを
後頭部の動脈部と首の動脈部にあてがい
救急車の到着を待つ。

長い…
およそ10分以内だったと思うが
旧型のパソコンの起動時間を待つよう
長い。

救急隊員が三名到着した。
瞬間、ホッとしたが
どうなるかわからない。
が、役目は終わったので洗体に戻った。

入浴を終えて脱衣場に向かうと
おっちゃんは座っており
救急隊員は「湯あたりでしょう」と
言い、去っていったと娘さんから聞く。

娘さんの仰った言葉が心に残る
「○○さん 迷惑なんかひとつも思って
ないから、体調が悪いなと思ったら
お風呂入る前にひと言言うてね。
これで済んだとは言え、○○さんが
危ないでしょ。
さ、お水、ゆっくり少しずつ飲んで
下さい。」

そして、ぼくに向かい
「どうもありがとうございました。
お手数お掛けしてすいません。」
と仰った。

風呂屋にくるお客さんは
ほぼご高齢のお客さんが多く
さんわ湯でもそうだが
長湯には神経を張っている。

湯あたりした事に気づかない
ことが多く、また体調がすぐれない
時が多いので常連でも歩き方などが
普段と変わってないか?
チェックしてるとさんわ湯の店主に
聞いた憶えがあった。

萬成湯の店主の気づき
娘さんの優しさ
救急隊員の的確な処置、判断
そして、ややこしい事には
関わりたくないという
その他大勢の本音もみた昨日の銭湯
だった。

本感想 賊将 池波正太郎

2022-03-12 17:22:49 | 本 感想
涼やかで執着のない男
それが人斬り半次郎と呼ばれ
日本初の陸軍少将となった
桐野利秋へのぼくの印象だ。

極貧の家庭に生を受け
父はその貧しさあまり
病苦にあえぐ娘の治療費欲しさに
公金を一時借用した科により
遠島となる。

「今にみちょれ!」と
誰しもが開墾しない荒地を耕し
夜は内職の紙漉きをし
その後、ただ一太刀に全精力を
渾身する打ち込みを繰り返す。

冒頭はそんなくだりで始まる。

短篇である。
個人的には短篇はその作者が
「図面だけ書くよ、図面みて想像して」
どう感じるか楽しんでね」
と思っている。

読後感は
恩を忘れるのは男(桐野利秋)の
恥であり、心酔する西郷をどこまでも
慕い、死ぬまで
銘刀 綾小路定利を一閃、一閃する
涼やかな快男児であった。