朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

ミスについて

2022-03-20 08:27:13 | 日記
少し今週を振り返ってみようと思う。

「湯上り直後に、よくない報せの権化
である緊急電話より着信あり。
とらずにいようかと思いつつ、受けると「2-8-25-○○号のお客さん、ゆうパケット受け取ってないていうてはるんやけど?」
(それ、俺昨日、2-8-5に入れてますわ)…
問答無用弁解の余地なしの誤配…
お客さんに申し訳ない
今週おかしい…」

⬆こんなツィートを昨日したのですが、、、

今週おかしいはなんだったろう…
まず、
火曜日に一丁目と二丁目を間違えて
投函→回収後、正規お届け先に配達。

次に、住所通りに投函したものの
宛名違いで返される。
但し、郵便は
開封されており、外装なしの状態で
戻ってくる。
差し出し人さまに、状況を連絡後、
再発行して、再度差し出すと言って頂く。

その次は、配達で使用する袋を
集合受け箱の上に、仮置きしたことを
忘れて、翌日、同じ場所に行ったことで、初めて忘れていたことに気づく。
→自ら回収

トドメ?は
冒頭のつぶやきである。
幸い、誤配先を記憶していた事もあり、当日勤務の同僚に速攻でTELを入れ
回収、その後、正規お届け先に
お渡ししたと連絡があった。
感謝し、ありがとうの想いでいっぱいだ。

常々、対面でも集合受け箱でも、そうですが、
「絶対に誤配(ミス)しない」と
つぶやいてから、あるいは、つぶやき
ながら、仕事をするのが、基本スタイルとなっている。

ミスは、まず、受取人さま、差出人さま
に、ご迷惑をかけることになる。

もし、受験票などの人の人生に関わる事であったなら?と考えるとゾッとする。
人生に関わるものでもなく、例えばDMやチラシに近い郵便でも、一通は一通であり、それらを明らかに、確認不足で、
誤配や誤転送、誤還付するのは、例え、人のする事であっても、やってはならないのが、基本動作の一環である。

ここまで書いて、考えてみましたが、
季節の変わり目と疲労のワードが
出てきた。

季節…は変えようがない。
毎年、この時期は情緒不安定となり
それに対する対処法も、長年の経験で
やりようがある。

疲労…
どうも蓄積しているように思う…

郵便の仕事は、単に郵便だけを配るものではない、荷物、書留、その他、数十種類があり、それを一度に積載して、お届けする。
対面もあればポストインもある。

ぼくの、仕事での基本スタイルは
その日の仕事を午前中であわよくば
終わらす事。を目標としている。
なぜそうするか?

昼から応援に回る前提で
思考、行動がそうなっているから…
配達区によって、当日の物(ブツ)の
交付具合は日々異なる。
重たい(しんどい)区
軽い(比較的楽な)区とハッキリ差が出る。

ぼくが担当するところは
重たかろうが軽かろうが、午前中で
仕事の、趨勢を決めるスタイルは変化
しない。

なぜなら、それを考えて仕事をしないと
能率も、自らの能力も、高める場所まで
到達しないと思うから。
なので、人の為ではなく、自らの
研鑽を積む為と言っていいだろう。

今週は5勤中、5勤全て、午後から
応援に回った。
仕事中は、疲れたと思わない、というか、疲れたと思う暇がないのが事実。

しかし、一週間で、例え、致命的でない
にせよ、4回もミスを犯すなぞ、かつて
なかった事も事実。

集中しているようで、やはり、集中力が
欠けていたと自省するのみである。

応援に回らなければいいではないか?
と思うぼくもいてる。
確かに、ここ数年は、ぼく自身、同僚に
応援してもらったことはない。

見返りを求めて、応援に回る訳ではないのだ。
体が勝手に動き
この口が勝手に喋り
「おう、どないや?」
「わかった。ほな、重たいとこ回せ」
と言ってしまう。。

ぼくは、正社員でもない、非正規の
契約社員である。

応援に回っても、査定にプラスに
なる訳でもない。

人によっては、応援に回ると
ミスを犯すリスクを抱えるだけと
決して、回ろうしない人がいるも事実。

しかし、ええかっこではなく
ぼくのとった行動で
誰かが、少しでも前を向く
助かったと思い、その思いが、
他の知らない人に向けられて、また
他の知らない人が助かった。と
思う、人の恩返しの循環を考える
性質(タチ)であるので
なかなか、改善はできないなと
思う。