朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

オヤジ達の挽歌

2023-09-30 07:12:32 | ラグビー
9月17日 日曜日
東大阪花園ラグビー場へ
行ってきました😊

ほぼ10年ぶりで
その時も、過去、ラグビー青年
壮年、中年であった、わたしには
新装されたこの西の聖地の芝を踏み
「いやぁ、変われば変わるもんや」
と目をしばたたきながら
眺めたものです



当日、開催されたのは
「昔なつかし高校OB大会」で
もう、10数年続いている
大会です

大阪府内にあった
いまは統廃合や学校名の変更などで
すでに名のなくなった、変更された
高校でラグビーをしていた
40歳以上のオヤジ連中の集まりです

開催式が
会長さんの
「とにかく楽しみましょう!
「終わって美味しいお酒を飲みましょう!」

ドクターは
「日本一危険な大会と云われていま す!」(毎年救急車が何台もくる)
「無理はしないでください!お願い
します!」
「ドクターは控えていますが
怪我に気をつけて!」
で始まった

もうラグビーをしないと決めている
わたしは
母校のジャージを着て
当日、試合にでる先輩や後輩の
アップをみつめていた

暑い💦
めちゃくちゃ暑い
35℃は軽くあっただろう
みているだけのこちらも
汗だくになる‪💦‬

ボランティアの体育指導員の
お兄さんお姉さんが
入念にアップの指導をしてくれている

隣で一緒にいた
かつて、50mを5.8秒で走った
元快速ウィングの同期は
「アップだけするわ」と云い
その輪に入る

大阪はいまでも全国クラスの
高校が多数あり
花園大会(全国予選)の
参加ブロックは
三ブロックあり、強豪を輩出して
いる

この大会では
往年、ALL大阪、高校日本代表(候補)
日本代表クラスにあった猛者も多く
参加している

当時の名称で云うと
大阪工大高
浪商
啓光
興国
阪南
島本
淀川工
布施工
茨田
などなど
いずれも花園への出場高校が並ぶ

全試合は
第一グランドで行なわれ
試合時間は10分であった

(こんなに広かったのか!)と
驚きながら、人工芝となった
グランドにしばし立つ

わたしが、やっていたころと
外観は変わっても
グランドの大きさは規格で
決まっており変わらないはずだ

だが、広いめちゃくちゃ広い
(こんなとこ走っとんたんか…)

旧グランドは
道路のように
両端が下がり、蒲鉾のような
形状にあり、こんなに広くは
感じなかった
蒲鉾形状は雨水対策だったのだろう

現在は、パッとみでは
平坦であり、そのためか
余計に大きく感じる

試合が始まった
10分と聞いていたので
5分で切り、選手の入れ替えが
あると思っていたものの
プレーは切られずに
10分間続けられた

なつかしであり、憧れである
グランドに立つ選手達はどんな
心境だろうとグランド脇から
じっと試合をみつめる
「頼むから、イキったらあかんど」
思いつつ……

隣の同期が
「あれ、40オーバーちゃうやろ?」
「あんなに走れんど」
「歳ごまかしとるな」
ブウブウ云いながら
声援を送っている

ご存知の方もいらっしゃるように
ラグビーは
陸の格闘技と云われる

殊に近代ラグビーは
ボールを動かすラグビーで
(膠着状態を避ける)
フォワード、バックスともに
大型化し、運動量に代表される
フィジカルの強さ
当たりの強さ、タックルの強さ
スクラム、モールでの
コンタクト(接触プレー)の強さは
想像以上に選手への疲労が重なる

加えて、倒れて(グランドに体をぶつけ)
は、起きて、また走るのだから
そのしんどさは
想像に難くない

1960年代初めから
1970年代後半生まれのオヤジ達は
たしかにかつては猛者であった
闘将であった
チーム鼓舞する体を張った
タックルを何本もした

ですがっ!

これがいけない、笑
いや笑ってだめだ
なぜいけない?

脳が記憶しているのだ
記憶しているがゆえに
体がついていってないのに
タックルに入り
当たりにいく

これは、みていると
わかるのですが
ほとんど無意識に行なわれている

50mの独走もできないのに
体を当てにいく快感?を
脳は決して忘れてはない

わたし達がラグビーを始めた頃は
---そうでない連中もいたが---
大半が中学からのヤンキー連中
であった
そのわたし達は
体力を持て余していて
練習や試合で
体力を思いきり発散しても
それでも
翌朝には怪我でもない限り
また、練習や試合をしていた

その体力がすでにないオヤジ連中は
平静時にはわかっている
が、グランドに立つと変貌する

あれほど、大会会長、ドクターから
「楽しんで」「怪我なく」「無理なく」
と仰った言葉が、雲ひとつない
晴天のように青空だけが
残るのだ

いったれー‼️と…

ボキッ‼️

50歳を過ぎた後輩から音が鳴る
肩の骨が折れた

いってしまう気持ちはわかる
痛いほどわかる
我に戻ったときに「はっ!」と
する気持ちもわかりすぎるほど
わかる

やれやれやれ…

オヤジ達の挽歌(晩夏)は
今年も救急車の到着で終わった










京都大戦について

2021-09-15 08:23:24 | ラグビー

昭和63年(1988年)12月初旬リーグ戦を全勝優勝で終える事のできた私達は花園の芝生を踏むことになった。

当時、花園の芝生は現在の年間通して青々とした芝生ではなく冬枯れのする芝生だった。

いまでも私にとっての花園は冬枯れの芝生が記憶に焼きついている。

相手はそう…1回生で入れ替え戦で負けたライトブルーのジャージに胸にはホワイトライオンのエンブレムを持つ宿敵「京都大」だ

ジャージの色が好みなのでブルーライオンだ

1931年から続く定期戦でもある

私達はスポーツセレクション制度はなく、高校時代からほぼ無名の選手の集団だった。

国立大である、京都大も当然セレクション制度はない。

----

「ええか、この1年ここへ来て、京大に勝つためにやってきたんや、その練習を信じるぞ!!練習でやってきたことをそのまましたら絶対に負けん!! 最後は気迫や。行くぞ」

外で待機していた1回生が控室の扉を開ける

グランドに一礼して冬枯れの芝生に立つ

のちのち1回生に聞くと控室から出てきた

私の形相は鬼かと思うくらい顔つきが変わっていたそうだ(笑)

キックオフの笛が鳴る

私の対面(トイメン)は背番号5のロックだった。私よりひと回り体がでかい

180cm 85kgでロックというスクラムの二列目選手としては明らかに小柄だった。

対面は188cm 90kgはあったろう

泥臭い練習をしてきたのがその雰囲気でわかる。

AリーグとBリーグとの違いは技術面もさることながら圧倒的に違うのは「当たり」の強さだ

同志社、大体大、京産大と全国の四強に値する強豪校と七戦闘うことで、その「当たり」はスクラム、モール、ラックあるいはタックルの強さに繋がる。

ファーストスクラム

セットプレーのマスターピースだ

不思議とFWというのは、このファーストスクラムでの当たりで相手の強さがわかる

本当に力の差が歴然とする場合は当たった瞬間にズルズルと下がってしまう

「ハッ!オイショ!」

スクラムを組む組んだ瞬間に

一列目プロップの肛門に肩のポイントを当てて思いきり押し込む

相手がズルッと下がる

スクラムで1cm下がると相手バックス陣のラインは1mは下がる

手応えは有りだ。当たり負けしていない

前半三本のペナルティゴールを決めて9対0で折り返す

控室での監督の指示はなし

「フォワードは当たり負けしてへん後半はスクラムを基点にして、バックスは縦に走ろう。絶対横に流れるな」

サイドが変わり後半の笛

相手陣ゴール前、グランドのセンター位置でのペナルティを得た

(どうする?手堅くコンバージョンキックで3点をとるかの考えが一瞬よぎる)

とれば12点差…

2トライ、2ゴールで同点の範疇だ

「スクラムにします」19点差にして戦意を潰す

「ハ! オイショ!」

8人がひと固まりにまとまるナンバー8がボールをキープ

「レディーゴー!!!!」

押す!力の限り押す!京大が下がる

冬枯れの芝生を掻き全身の力で押す

相手プロップがたまらず首を抜く

ピピーッと笛の音「トライ」認定トライだ

相手はたまらず首を抜いたが、その行為が無ければスクラムを押し込みトライとなっていたとレフリーか判断したのだった。

ゴール決まりこれで19点差。ここからアクシデントが私に起こる

自陣のラックを作っていたときに味方フランカー、次期主将の3回生が私の右膝へ逆関節に頭から当たった

「バキバキッ!ブチッ」激痛が走る

右膝を見ると、膝頭が体の中心まで横にダラっと下がってる(ヤバい、靭帯切れた)一時離脱して、テーピングでガチガチに固定する。

1年間絶対に怪我をしないこと

練習を休まないこと

これが4回生になった時に最初に立てた目標だった。ここでくじける訳にはいかない…

グランドに戻る右膝がブラブラする

その時相手陣でのモールで私は相手に右足首を固定された状態で仰向けにひっくり返された。右足首から「バキバキッ! バチン!」と音が鳴る

鳴らした相手は私の対面だった「やってくれるな こいつ」今度は右足首の靭帯が飛んだ

右膝と右足首が壊れるとさすがに精神力だけで走ることは不可能と判断せざるを得ない…

控えの後輩が「〇〇さん!!もうやめて下さい!!」と声を張り上げる

目を真っ赤にした後輩に「頼むぞ」と声をかける

後はあまり記憶にない

勝った喜びよりもこれで責任を果たすことができたの安堵感の方が記憶に新しい

風の便りで右膝を壊した後輩は亡くなったと聞いた

足首を壊した対面の男は元気なのだろうか

正座ができない膝を見ると

思い出すのが京大戦であり冬枯れの芝生だ


夏合宿について

2021-09-12 03:03:44 | ラグビー
1回生が最初に部の洗礼を受けるのが
春合宿だとすると
地獄の苦しみと一体感を経て
高校生の面影からさよならするのは
夏合宿と言えよう

長野県白馬村が1回生から3回生までの
夏合宿の舞台だった。


「おーい!!1回集合ぉー!」

午前中の練習を終え、全裸となり
放心状態だった私達に3回生から
号令がかかる。

ちなみに全裸になるのは、ラグビースタイル一式、たとえソックス1足でも
履いていればタバコを吸ってはならないとの鉄則があるからだ。

(なんやなんや)と慌ててスタイル一式に
着替えてグランドに駆け戻った

「朝練の前にグランドの溝にボールが
放置されとった。見つけはったんは〇〇さんや(主将)」

愕然とする…

誰が放置したとかは問題ではない
ボールの手入れ維持管理は1回生の
仕事のひとつだ。
その管理を怠ったということは…

「ほな走っとこか」
1人の失態は全員責任だ
グランドのHバーの両端に
3回生が各々一人

ボールを蹴り出す
「キックダッシュ」の始まりだ
ボールが蹴られる
3人ないし4人のグループで
ボールを追いかけて、インゴールまで
パスを回しながら全速力で走る。

インゴールを通過すると
またボールが蹴られる
追いかける→全速力ダッシュでパスを
回す

これの繰り返しだ

朝練でランパス1000往復し
私はFWだったので
坂道スクラムを1000本を終えたあと
だった。

今でも覚えてるのは、白馬の暑さだ。
夜から早朝はクーラーもいらずだが
8時ころからは強烈な日差しで
(信州てこんな暑いんか?)
と思ったものだ(笑)

暑い…水が欲しい…
何本走っただろうか
意識が朦朧してくる
それでも影で見ている4回生が「やめ」
と言うまで、終わりはない

だんだん同期の表情が
狂気じみてくる

そのうち、ある同期が
ボールを蹴り出す先輩にタックルに
行った
言語道断の行動に先輩は
怒り狂い、ボールを蹴り出す感覚を
さらに早める(インターバルがない)

私達の中でも変化が起きる…
ラグビーは、ボールを持って走るのと
それ以外のいわば空(から)ランでは
精神的な疲労度が変わるのだ。

「回せ!(パス)」
「回さんか!こらぁ!」
ボールの取り合いではないが
みなパスを受けて走りたがるのだ。

何時間走っただろうか?
「ラスト5本!」の声がかかる。

ピピーッ
笛の音

「キックダッシュ終了‼️」

終わってみればみなくたびれた
布団のようになり、水飲み場に向かい
たらふく飲む。
そして1回生の溜まり場で再び全裸マンとなりひっくり返る。

私はグランドの奥に小川があることを
知っていた。
小川の縁に立ち全裸となり
小川に飛び込み、小川の水をたらふく飲む。

冷たい
そしてうまい
あの時の水のうまさは36年経過した
今でも忘れることはできない(笑)

溜まり場へぼとぼとになった
全裸のまま向かう

「おう 誰も脱落せんかったな」

(おお)

この繰り返しで1回生の一体感は
作られた。

もういっぺんできる?

いえいえもう結構です(笑)

---

ここまで読んで頂きどうもありがとう
ございます☺️

本日も良い一日をお過ごしください💚

関西学院戦について【消えてましたので再掲します⠀】

2021-09-05 10:35:01 | ラグビー










昭和63年(1988年)11月
京都原谷グランドにおいて
全勝同士、勝った方が優勝に王手をかける戦いが始まる。
長い歴史を持つ定期戦でもある。

相手はBリーグ優勝筆頭株
関西学院大だ
FW陣のスクラムとドライビングモールと堅い防御でここまで圧倒的な強さで勝ち上がってきた。

下馬評は、関西学院の圧倒勝利の一択だったろう。
私達の代はOBからは捨て駒と呼ばれ、
次の世代に期待をかけているのはわかっていた。

しかし、私個人では1回生の時
吉祥院グランドで当時Bリーグ優勝チーム京都大に負けAリーグから陥落した事を最終学年になるまで忘れられなかった。

京都大戦の前に合宿を張ったのだが
40度を超える熱の為にその入れ替え戦に出れなかったからだ。
---
アップを終え部室に戻る
「ここがあの薄汚れた部室か?」

部室はプレハブ/トタンの安易なものだった。
が、その日の部室は完璧に整理整頓され
塵一つなく掃き清められており
蛍光灯も新品に替えられていた。
1回生と4回生が私達を送り出す為に
心を込めて整えてくれていたのだった。

円陣を組み部歌である
「グレーター立命」を吼えるように歌う。

全身からアドレナリンが吹き出し
髪の毛が逆立つ
4年間の私達の血と汗を吸ったグランドへ歩む。

前半開始15分
関西学院得意のパターン、ドライビングモールで呆気なくトライを奪われる。

強力なパッキングとまとまりで防御も為す術がなかった。

「強いな、こいつら…」

スクラムでもサイズに劣る私達であったが、8人全員の固いパックと低いスクラムで押し負けることはなく、逆に相手ボールスクラムに押し勝ちサイドを奪ったことも多々あった。

が、決定的なチャンスは互いになく
一進一退で前半を終える。

スコアは3対6
ワントライで逆転の射程圏だ

ハーフタイムでの監督の指示は
「俺は君たちを信じてます!!」だった。

後半の笛が鳴る

敵陣でのプレーが続いており
怒涛のような関西学院FWのラッシュに
まとまりが欠けていき
相手方にやや疲れが見える
恐らくだが、下馬評通り圧倒できると
思ったはずが取るに取れない事への
焦りを相手方の疲れと感じたのだと思う。

ここで敵陣に攻め入っていたが
ボールを奪われて大きくゲインされた。
「まずい!ここで取られたら負ける!」

その時、スタンドオフ10番だったが
この時はウィング14番でスタメン出場していた副将が相手のトップスピードに乗った下半身目がけて、強烈なヘッドオンタックルで止めた。

ヘッドオンタックルとは頭からタックルにいくもので、この恐怖はやったもののみぞ知るタックルだ。

そして、初めてのウィングでそのタックルをした副将はタックルに難ありと言われ、ウィングでの出場に物議を醸した男でもあった。

脳震盪で気を失い、副将は担架で運ばれた。

ラグビーはタックルで勇気を貰うことが往々にしてある。
何故ならば?
タックルは恐怖との戦いと正確な技術に基づくものだと知っているからだろう。
私達はその勇気に背中が泡立った…

「いける 絶対こいつらには負けん」

メンバーの顔つきをみてもわかった。

残り時間5分
敵陣でのマイボールスクラム
好機到来だ
FW陣に声をかける
「相手は死ぬ気で押してくる
絶対押し返せ、FWで取るぞ(トライ)」

スクラムでワンプッシュかけると
相手は下がる
更にプッシュをかけると防御にギャップができる
ギャップができたと見るや
味方NO8がサイド攻撃を仕掛ける。
4番ロックだった私はスクラムから離れる際にプロップをワンプッシュして
フォローに回る

ゴール直前で相手のタックルに合うが、
綺麗なダウンボールをして
味方にボールを見せてくれていた。
相手のディフェンスより一歩早かった私がボールを拾い、インゴールに走り込む。

グランディングした際に激痛が走ったが
ボールは離さなかった。

高校最後の試合でもまぐれのトライを
したが、今回もまぐれである。

しかし、絶対にここで取ると思った心境は違った。

トライ後のコンバージョンキックも決まりノーサイドの笛が鳴る。

10対6
勝てた

激痛の元を見ると
左人差し指の爪がスパイクで蹴られて
根元の爪だけでブラブラしていた。

この日、親友と祝杯をあげたが
ウィスキーボトル2本空けても激痛で酔わなかった事が走馬灯のように甦る(笑)

試合に出れなかった4回生を含めた
全部員と私達を信じてくれた監督とで
勝ち取った勝利だった。

この後、最終戦にも勝利し、捨て駒と呼ばれた私達は全勝優勝となり
次のステージである花園ラグビー場での
入れ替え戦切符を手にした。
そして宿敵ブルーライオン「京都大」
尻尾を掴んでいた。

12月の花園への切符

ここまで読んで頂きありがとうございます。

本日もどうぞ良い一日をお過ごしください🍀