朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

天命について

2022-03-24 06:19:59 | 日記
天。大空か…
天は何もしない、何も語らない
その、天に使命を感じるとも
死生、富貴に天はくみしない。
正しいことをしようとしまいと
ただそこに在り、触れもしない。
それでも、自分を信じ
結論がでるようで、でない
人の道を、悶々と凛とし進む
まだまだこれからと
言い聞かせる。

昨夜、こうツィートした。

なぜだろう?
天命について、考えていたのだと思う。

自分の手足を動かして
自分を汚さないで
自分は自分流で
生きていこうと決心した。

それは、誰に認めてもらうでもなく、
地位や立場を求めるものでもない。

言わば、自分に対する「掟」のような
ものだと思っている。

このことが、天から与えられた使命
なのか、ただ心を虚しくした結果、
そう思ったのかわからない。

ひとつ言えるのは
正しい行ないをしようが
正しくない行ないをしようが
死ぬ時は死に
栄華を極めるもあり
疾(やまい)に倒るもあり
健やかに過ぎるもある

天をもし、知ったとしても
天は、何もしない。
何の忖度もしない。

何もしないからこそ、身のうちから
湧き出てくる、静かなる決意。

それが、今のぼくが思うところの
天命だ。

「自分の手足を動かして、自分を汚さないで、自分は自分流で生きていこう」

あとの、成敗は天にまかす。


つぶやき

2022-03-23 06:56:30 | 雑記
身の喜びを持って、人の喜びを知る。

身の痛みを知って、人の痛みを知る。

身の哀しみを抱いて、人の哀しみを知る。

驕らず、猛ぶらず、勇を誇らず、
恕(思いやり)を持って

今日という一日を正々堂々と生きてみよう。

ミスについて

2022-03-20 08:27:13 | 日記
少し今週を振り返ってみようと思う。

「湯上り直後に、よくない報せの権化
である緊急電話より着信あり。
とらずにいようかと思いつつ、受けると「2-8-25-○○号のお客さん、ゆうパケット受け取ってないていうてはるんやけど?」
(それ、俺昨日、2-8-5に入れてますわ)…
問答無用弁解の余地なしの誤配…
お客さんに申し訳ない
今週おかしい…」

⬆こんなツィートを昨日したのですが、、、

今週おかしいはなんだったろう…
まず、
火曜日に一丁目と二丁目を間違えて
投函→回収後、正規お届け先に配達。

次に、住所通りに投函したものの
宛名違いで返される。
但し、郵便は
開封されており、外装なしの状態で
戻ってくる。
差し出し人さまに、状況を連絡後、
再発行して、再度差し出すと言って頂く。

その次は、配達で使用する袋を
集合受け箱の上に、仮置きしたことを
忘れて、翌日、同じ場所に行ったことで、初めて忘れていたことに気づく。
→自ら回収

トドメ?は
冒頭のつぶやきである。
幸い、誤配先を記憶していた事もあり、当日勤務の同僚に速攻でTELを入れ
回収、その後、正規お届け先に
お渡ししたと連絡があった。
感謝し、ありがとうの想いでいっぱいだ。

常々、対面でも集合受け箱でも、そうですが、
「絶対に誤配(ミス)しない」と
つぶやいてから、あるいは、つぶやき
ながら、仕事をするのが、基本スタイルとなっている。

ミスは、まず、受取人さま、差出人さま
に、ご迷惑をかけることになる。

もし、受験票などの人の人生に関わる事であったなら?と考えるとゾッとする。
人生に関わるものでもなく、例えばDMやチラシに近い郵便でも、一通は一通であり、それらを明らかに、確認不足で、
誤配や誤転送、誤還付するのは、例え、人のする事であっても、やってはならないのが、基本動作の一環である。

ここまで書いて、考えてみましたが、
季節の変わり目と疲労のワードが
出てきた。

季節…は変えようがない。
毎年、この時期は情緒不安定となり
それに対する対処法も、長年の経験で
やりようがある。

疲労…
どうも蓄積しているように思う…

郵便の仕事は、単に郵便だけを配るものではない、荷物、書留、その他、数十種類があり、それを一度に積載して、お届けする。
対面もあればポストインもある。

ぼくの、仕事での基本スタイルは
その日の仕事を午前中であわよくば
終わらす事。を目標としている。
なぜそうするか?

昼から応援に回る前提で
思考、行動がそうなっているから…
配達区によって、当日の物(ブツ)の
交付具合は日々異なる。
重たい(しんどい)区
軽い(比較的楽な)区とハッキリ差が出る。

ぼくが担当するところは
重たかろうが軽かろうが、午前中で
仕事の、趨勢を決めるスタイルは変化
しない。

なぜなら、それを考えて仕事をしないと
能率も、自らの能力も、高める場所まで
到達しないと思うから。
なので、人の為ではなく、自らの
研鑽を積む為と言っていいだろう。

今週は5勤中、5勤全て、午後から
応援に回った。
仕事中は、疲れたと思わない、というか、疲れたと思う暇がないのが事実。

しかし、一週間で、例え、致命的でない
にせよ、4回もミスを犯すなぞ、かつて
なかった事も事実。

集中しているようで、やはり、集中力が
欠けていたと自省するのみである。

応援に回らなければいいではないか?
と思うぼくもいてる。
確かに、ここ数年は、ぼく自身、同僚に
応援してもらったことはない。

見返りを求めて、応援に回る訳ではないのだ。
体が勝手に動き
この口が勝手に喋り
「おう、どないや?」
「わかった。ほな、重たいとこ回せ」
と言ってしまう。。

ぼくは、正社員でもない、非正規の
契約社員である。

応援に回っても、査定にプラスに
なる訳でもない。

人によっては、応援に回ると
ミスを犯すリスクを抱えるだけと
決して、回ろうしない人がいるも事実。

しかし、ええかっこではなく
ぼくのとった行動で
誰かが、少しでも前を向く
助かったと思い、その思いが、
他の知らない人に向けられて、また
他の知らない人が助かった。と
思う、人の恩返しの循環を考える
性質(タチ)であるので
なかなか、改善はできないなと
思う。

夜を越えて

2022-03-19 03:20:00 | 雑記
以前に書いた時と同様の心境に
なったので(笑)
見返して修正しました。
結局のところ、自分に嘘はつけません。
相手を傷つけない嘘ならば
嘘も方便ですけど
ごまかしたり、逃げの嘘は
心に刺さりつづけると思います。
--

正直もんは馬鹿をみる
悪い奴ほどよく眠る
昔からある言葉ですが、、

あの人はいい人
気配りもできる
えらそうにもしない
俺が俺がもないのに
気づいたら周りも助けて
人の倍は動いてる

そんな人がいてたとしますね
その人の内面というか
心の襞はどうなんでしょうね。

世の中、聖人君子てそうそう
おらんと思います。

どっかで過去、現在で取り返し
のつかんことがあった方が多いんと
ちゃうか?と思います。

でも、そんなことなかなか人様に
言えませんよね。

笑い話になるには、ほど遠いことも
めっちゃあると思いますし…

ぼくなんか、手が後ろに回ってない
だけで、そらめちゃくちゃな時、
ありました。

それでもね
この歳になって思いますけど
いい事と悪い事半々で、
いつまでもいい事も続かんし
いつまでも悪い事も続かんと
思いますよ。

え?なんでかて?

それは…
そうですね…

あの、、
騙された経験をした後や他人の言動で、大きく傷ついたりした後って、人を疑ってかかってしまう事があると思います。

騙されたり、傷ついたりすると
そうならないと思ってた人(信じてた) にとっては、青天の霹靂となり、
ショックと怒りの連想ゲーム
でぐるぐるすると思います。

「なんでやねん!!」と思えば思うほど
寝れません。
これ、結構キツいことなんで
安易に人を信じんとこと
ディフェンスが働きます。
疑心暗鬼にもなるかな…

で、なんで騙されたんやろ?
なんで傷ついたんやろ?と
とことん自分の内面と向き合ってる
ととどのつまり自分に腹立つんです笑

自分に腹立つ(怒り)を向けると、だんだんその事があほらしくなってきます。
それから、ふと、
「あ、もうええわ、考えるのやめよ」となりますね。

ぼく思うんですけど
勧善懲悪でもなくて
正義は救われるでもなくて

人と人として
真っ向と向き合った時に
堂々としてる方がいいと思うんですよ。
逃げも隠れもせず
真っ向勝負。

天井に向かって唾吐いたんか?
吐いてないんか?
やることやってるか?
やることやってないか?

吐いたも、やってないも
全部自分に降りかかります。

天に唾せず
自分のできることは、その時その時で
十全を尽す
それが、誰も認めなくても
自分で考えて下した判断なら
正々堂々と生きれると思います。
それが自分を信じることなんかなーと
思いますね。

どこにでも出るでと思うのと
コソコソとビビって逃げ回るん
やったら
やることやって
たとえそれで撃沈されても
そっから浮上できます。

悪い奴ほどよく眠る?
悪い奴は、いっつも何かに
ビビってますよ。

ビビって生きるような
愚かな人生は送りたくないですね。








本感想 秘図 池波正太郎

2022-03-17 06:30:20 | 本 感想
本篇は「賊将」に収められた
短篇となる。

賊将は6篇が連なる短篇集であるが
どれも時代設定は異なる。
いづれも
昭和30年代初期、著者が30代に
書かれたものばかりだ。

応仁の乱、賊将、将軍
そして「秘図」。
ことにこの作品が惹かれる。

主人公は江戸の影の警視総監ともいう
火付盗賊改方
徳山五兵衛秀栄
(とくのやまごへいひでいえ)とする。
実在の人物で、東京墨田区に
祀られている。

秀栄から遡り、4代前に織田家家来
となり
関ヶ原の役で徳川家康に領地を
与えられ旗本となった。
秀栄の父、重俊も影の警視総監であった。

幼少期から父の厳しい躾で
文武両道に励んだが
ある日を境に
放蕩、遊蕩の末、勘当となる。
遊色という享楽にのめった訳だが
どうもこれ以前に
育ての母、乳母の体温というのが
原体験にあったように思う。

冒頭は
大盗日本左衛門、召捕りで切り出すが
この時分の秀栄は
質実剛健、胆力大、機略充溢
いかにも豪壮、剛腕の火付盗賊改方だ。

そして、日本左衛門召捕りの記述は
心情描写はなく
淡々と事実を記すという表現である。

が、そこへ至るまでの過程が
人間味を感じるのだ。

秘図は家中の誰もが知りえない
「秘密」と自分なりに解釈する。

その「秘密」は
主人公が親元を出奔し
江戸から袋井を経て京に入り
ある人物と出会ったことで
今までの「体温」という感覚がなに
であったのか気づいたように思う。

それは黒白の判断ではなく
その中間に属するもの
それは体温を通さないとわからない。

作中、著者は主人公にこう言わせる

「喫飯、睡眠し、交わりをすることが
人間の暮らしだ」
「後のものは大同小異、畢竟はこの三慾を満たすための手段体裁に過ぎまい」

ここに題名「秘図」(秘密)を照らすと
鮮やかに、主人公の人物像が浮んで
くる。

6篇に共通するのは、人に対する
あたたかい眼差し。
生きる上で完全消化はなく
矛盾を抱えて生きていくのも
また、よしと心に残った。

よい作品集だった。
池波正太郎さんに感謝したい。