朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

奥(億?)

2023-06-18 08:43:23 | 雑記
お金を稼ぐ
生きていくために
食べ、自分にあった住まいを
維持、確保し、社会生活をする
には、不可欠のこと

知人からこんな話をききました
「億単位での株や投資を行っている
人がいる」
その人は、知人の母親に
「あなたも、やってみてはどう?」
といわれたそうですが
母親は、遊ばす金はあるが
趣味の範囲でと答えたそう

後日、ふとその話を思い出し
知人に
「その億の方は、ほったらかしで
動かしてんのか?」
知人曰く
「とんでもない、一日中パソコンに
かじりついて、ずっと動きを追いかけ
てますよ、海外では時差があるので
夜中にもかじりついてます」

わたしは、この話を聞いて
もし、自分が同じように
大きなお金を動かす財力が
あれば、どうするだろう?
と考えこんでしまった

本来、お金は物々交換に代わる
道具であり、生命を維持する
ために、「必要なもの」を
得るためのものと思っています

生きていくという至上命題のために
食べねばならんのです

「必要なもの」は、労働エネルギーに
よって得たお金で買います

買う時には
「自分にとって、これは本当に必要
ものなのか」
食材や生活用品は必需品ですが
それでも、例えば
一つが60円の豆腐と
200円の豆腐があり
価格に見合った価値を自分が
思っていれば、200円を買います
これを贅沢とは思いません

別の知人の息子さんは
数年前に、ドバイに行き
大富豪のパーソナルトレーナーを
請負いました

その大富豪は
歩かないそうです
輿を担ぐ専従者がいるから
歩く必要がないのですね

食事は、朝、昼、晩と
みたこともない、食材が
これでもかと食べきれないほど
出てきて、なかば茫然となったと

息子さんはこう思ったそうです
人間の胃袋には、限界があり
ひとりで食べれる量なぞ
決まっている
歩くことは、基本的な人間の
動きにもかかわらず、放棄するのは
何故か?と頭を抱えたそうです
そして、何のための
トレーナーかとも

豪華な食事
高価な調度品や車
個人所有のジェット機
お城のような邸宅
下僕、召使い…
そして、億単位の投資

確かに、これらを所有するには
お金が、あれば可能でしょうし
そのような環境に生まれ育った
ことは、否定できませんし
それらの方々の心理も
わかりません

また、これらのことを
肯定も否定もしません

ただ、この話をきいて
自分の労働エネルギーをそそいで
稼いだお金は
「本当に必要なもの」であるか
自己観照する意を強く再認識した
次第です

お金は、自分というかけがえのない
ひとりが、エネルギーを使い
得るもので、ゆえにお金には
エネルギーが循環しているのでは
ないでしょうか






追憶

2022-09-06 20:03:19 | 雑記
これまでに出会ったなかで
最もすばらしい人たちは、
挫折を経験し、苦しみ、闘い、
敗北し、どん底から這い上がって
きた人たち。

こういった人たちは、感謝することを
知り、敏感で、自分なりに人生を理解
しているから、思いやりと優しさ
それに心から心配する気持ちを
もっている。

すばらしい人になることは
簡単ではない。

つぶやき

2022-03-23 06:56:30 | 雑記
身の喜びを持って、人の喜びを知る。

身の痛みを知って、人の痛みを知る。

身の哀しみを抱いて、人の哀しみを知る。

驕らず、猛ぶらず、勇を誇らず、
恕(思いやり)を持って

今日という一日を正々堂々と生きてみよう。

夜を越えて

2022-03-19 03:20:00 | 雑記
以前に書いた時と同様の心境に
なったので(笑)
見返して修正しました。
結局のところ、自分に嘘はつけません。
相手を傷つけない嘘ならば
嘘も方便ですけど
ごまかしたり、逃げの嘘は
心に刺さりつづけると思います。
--

正直もんは馬鹿をみる
悪い奴ほどよく眠る
昔からある言葉ですが、、

あの人はいい人
気配りもできる
えらそうにもしない
俺が俺がもないのに
気づいたら周りも助けて
人の倍は動いてる

そんな人がいてたとしますね
その人の内面というか
心の襞はどうなんでしょうね。

世の中、聖人君子てそうそう
おらんと思います。

どっかで過去、現在で取り返し
のつかんことがあった方が多いんと
ちゃうか?と思います。

でも、そんなことなかなか人様に
言えませんよね。

笑い話になるには、ほど遠いことも
めっちゃあると思いますし…

ぼくなんか、手が後ろに回ってない
だけで、そらめちゃくちゃな時、
ありました。

それでもね
この歳になって思いますけど
いい事と悪い事半々で、
いつまでもいい事も続かんし
いつまでも悪い事も続かんと
思いますよ。

え?なんでかて?

それは…
そうですね…

あの、、
騙された経験をした後や他人の言動で、大きく傷ついたりした後って、人を疑ってかかってしまう事があると思います。

騙されたり、傷ついたりすると
そうならないと思ってた人(信じてた) にとっては、青天の霹靂となり、
ショックと怒りの連想ゲーム
でぐるぐるすると思います。

「なんでやねん!!」と思えば思うほど
寝れません。
これ、結構キツいことなんで
安易に人を信じんとこと
ディフェンスが働きます。
疑心暗鬼にもなるかな…

で、なんで騙されたんやろ?
なんで傷ついたんやろ?と
とことん自分の内面と向き合ってる
ととどのつまり自分に腹立つんです笑

自分に腹立つ(怒り)を向けると、だんだんその事があほらしくなってきます。
それから、ふと、
「あ、もうええわ、考えるのやめよ」となりますね。

ぼく思うんですけど
勧善懲悪でもなくて
正義は救われるでもなくて

人と人として
真っ向と向き合った時に
堂々としてる方がいいと思うんですよ。
逃げも隠れもせず
真っ向勝負。

天井に向かって唾吐いたんか?
吐いてないんか?
やることやってるか?
やることやってないか?

吐いたも、やってないも
全部自分に降りかかります。

天に唾せず
自分のできることは、その時その時で
十全を尽す
それが、誰も認めなくても
自分で考えて下した判断なら
正々堂々と生きれると思います。
それが自分を信じることなんかなーと
思いますね。

どこにでも出るでと思うのと
コソコソとビビって逃げ回るん
やったら
やることやって
たとえそれで撃沈されても
そっから浮上できます。

悪い奴ほどよく眠る?
悪い奴は、いっつも何かに
ビビってますよ。

ビビって生きるような
愚かな人生は送りたくないですね。








お裾分けについて

2022-03-15 05:43:44 | 雑記
アドバイス、助言、励まし
時には叱咤激励
そっと見守る
困ってる人を後ろから支える
それらに感激しそれでも前を
向けずもある。

それでも自分が決める(決めた)
ことは、それらの方々に対する
恩返しとなる。

恩は自らが引き受け
次代の人々に自分なりの
行動、振る舞い、言動で
お裾分けさせて頂く。

昨夜、こんなツィートをした。
ぼくが7歳の時に他界した
母方の祖父は物静かで荒声をあげない
人であったが
独特の威圧感が小さなぼくを
恐れさせた。

なぜだかわからない
特に怒られた記憶もないが
じいさんの足音だけはすぐにわかった
ものだ。

ばあさんに駄々をこねて
ぐずっていても、じいさんの足音を
聞けば、すぐに駄々を引っ込めたらしい。

そのじいさんから
教わったのは、いや、いまでも覚えて
るのは

「T坊 自分にいいことがあれば、それはお返ししないといけないよ」

(お返しってなに?)

「T坊も大人になったら、色んな人から
力を貰ったり、勇気づけられたりする
ことがあるよ。そしてその力や勇気は
自分だけのものにしてはいけないよ。
それは、他の人にお裾分けするんだよ

(ふーん)
この時は、殆ど意味がわからなかった。

じいさんが亡くなった年齢まで
あと一年となったぼくだが
どう考えても
一人で生きていけない自分がいる。
自らを信じるのは、素晴らしくもあり
反面、過ぎる信(過信)もないとは
言えない。

若さの勢いは、躍動するが
年を寄るにつれて、残酷だと思う。

一人で生きれないこそ
その一人が貴重でかけがえのないもの
と最近、つくづく思う。

それは、人さまも同じだと思う。
誰しもが、その貴重でかけがえのない
人の道を泣いたり、笑ったりしながら
歩いている。

身の丈以上でなくてもいい。
今まで、関わってくれた人々に
恩返しというお裾分けを忘れずに
実行していきたいと思う。