朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

(続)怪我について

2020-03-08 03:35:47 | 雑記
幼年期の怪我は何故か治療の経緯を思い出せない。

保育園時代 母親によると2歳だったようだ。
当時のプールは、砂利を固めたようなザラザラの表面であった。
どうしてそうなったのか定かでないのだが、顎をぶつけてしまいパカッと皮膚が
裂けた。
よほど激しくぶつけたようで
顎の骨が見えていたそうである
今でも顎に縫い傷が残る。

小学2年の頃は、他校の生徒とケンカになり拳大の石を投げられてそれがデコに命中した。

痛たーーと思い、デコを触るとヌルッとした感覚があり出血だとわかった。

投げつけた子供と私の友達が出血した私を見て、泣いて逃げ散った。

投げつけた子供は慌てたのか片方の靴が脱げた状態で走り去ったので、その靴をトイレの大便器(水洗ではなかった)に捨てた。

そこまではよかったのだが、血が止まらず目に入って歩けなくなってしまった。

かなりの深手である。

子供なので怖くて泣きそうなのだが、血が目に入るので泣くに泣けない。

すると、同級生の女の子(三姉妹の末っ子)とお姉ちゃん2人が「どないしたん!!」と走ってきて、長姉が手持ちのハンカチで傷口を拭いてくれた。
すると、次女に「骨見えてるからタオル2、3枚持っておいで」と言った。

ダッシュで次女がタオルを持って駆けつけてくれ、私の頭に巻き付けてくれた。

なんとか目に入る血も回避してくれたのだが、痛いので歩けない。

長姉と次女が、両側から私を支えてくれて歩いて家まで送ってくれた。

「痛いやろう 痛いけどもうちょっとで
着くからな、我慢しぃや なぁ痛いなー
痛いなー かわいそうになー」と励ましてくれた言葉が忘れられない。
(思い出して半泣きである)

男(男子)達は、逃げ散ったがこの三姉妹は女性というか少女である。

これを綴りながら、今さらではあるが
いざとなると女性の方が肝が据わってるという言葉はあながち嘘ではないだろう。

当時を回想し感謝のみである。





怪我について

2020-03-04 04:15:44 | 雑記
初めての大怪我は保育園時代であった。

シーソー台。当時のシーソー台は木製であり座面も当然木製である。
取手は馬の顔で持ち手が馬の耳であった。

私は靴を脱ぎ靴下を履いたまま、座面に立った。(経年使用で座面はツルツルだった)
ステンとうつ伏せに倒れると、喉元に馬の耳が刺さった。

一瞬何が起こったのかわからず、痛いと思い立ち上がると、周りが阿鼻叫喚となった。
喉元から血が噴き出してた。
文字通りの全身血まみれである。
今でも覚えてるのは、患部に触れると指がズブッと入ったことである。

泣き叫びながら走ってきた担任の先生に抱っこされて、近くの外科に向かい、手術台に横たわって患部に麻酔を打たれたところまでは記憶にあるが、その後の治療や通院は記憶から欠落している。

2度目はジャングルジムでのケンカであった。
後に知的障害とわかった当時の園生にジャングルジムから突き落とされた。

どう落ちたか記憶にないが、左手首の骨が皮膚から露出していた。

これは病院までの道のりが記憶にない。
記憶にあるのは、手術台に寝かされて
折れた骨を元に戻すことである。

保育園生であるが、あまりに痛いので暴れまくった。今でも自分のわめく声が聞こえる。(そらそうである、麻酔無しであった)
すると、天井からスチールの鉄板がスルスルと降りてきた。

私は殺されると思ったが、ここで記憶は抜ける。
多分気絶したのだろう。

医者は折れた骨をボルトで繋ぐ手術を奨めたらしいが、祖母が断固反対したようだ。

近所のお好み焼き屋のおっさんの元に走り、腕のいい評判の骨接ぎ屋を聞いてきた。

そして、無理矢理退院させた。

これも石膏のギブスをされたところまでは覚えている。

あとはギブスが取れて、父親と公園に行って木に登り蝉を採ったことか…

まだまだあるのだが、自分でタイプしてて痛くなってきた。

どうもならん 保育園生である。