朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

言葉

2022-10-09 09:11:10 | 随筆
人間は自由意志をもち
それを表現するのに
文字や言葉、あるいは音を発する。
人間だけがもつものだろう。

言葉や音(音楽)には
物質的質量はありません。

その言葉が10キロです。とは
いえないし、そも、測りようがない。

値千金に相当するや
重み。深み。はあります。
これは、言葉も音も同じでしょう。

これら、物質的質量でないものに
人は感動し、喜び、励み、勇気
憤怒、疑い、恐れ、悲哀、郷愁を
その胸の内に抱く。
(恐れには、色々あっても
大きな音に恐れを一番感ずるのでは
ないだろうか?)

言葉や音は、それが独りであった
場合は、自分対自分であり
対象者(物)がある場合は
対象対自分となる。

ただ、変化しないのは
受け手の「自分」となりますが
そのときに対象者(物)がある場合は
言葉に反応して、言葉を返す、
当たり前のことを意識して行います。

そこで、対話が始まり
思いもよらずの、解決になったり
停滞、暗礁、決裂、感化となること
ありますね。

自問自答である、対象者がない
対自分となった対話は
どうでしょう。

そうなると、いままで出会った
言葉や音、風景、印象に残ったこと、
文字を思いおこし、自分の頭だけで
考えるのではないでしょうか?

自分の頭だけで考えるというと
独善的と思われがちですが、
考えを述べる相手は、自分になるので
それが本質か?という問いが
湧いてでで、もっと考えていくと
自分の主張がなくなってくるんですね。
(自信がなくなるわけではありません)

主張がなくなった状態が
対自分との対話となります。

そこで、文字を読むのではなく
言葉の意味を知ろうとします。
また、行間や間合いを読もうとします。


「ありがとう」と言ったとき
「ありがとう」と言われたときの
背景は、なんであったのか?

「バカ野郎」はなぜ言ったのか?
「バカ野郎」となぜ言われたのか?

なぜ、作者は
こういう作品(書物、音楽、絵画)を
創ったのか?
何を言いたいのか?
言いたかったのか?

自分の頭だけで考えるのは

自由意志を言葉や音で伝える
わたしたち、人間は物質的質量
では、測れない
「重み」「深さ」の旅人なのかも
知れませんね。