朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

小説 感想 「ケナリも花、サクラも花」 鷺沢萠

2022-04-29 07:01:52 | 本 感想
鷺沢萠さん
1968年生まれ
ご存命ならば、ぼくの妹と同じ年齢
である。
いまは、鷺沢さんも妹もこの世には
いない。

(ケナリ(れんぎょう))


鷺沢さんが韓国へ半年の語学留学に
行った際の、心の体験記または
紀行文となっている。
いや、心の独白かもしれない。

鷺沢さんは、祖母さまが韓国の血を
もつ、クオーターであった。

両親は父さまがハーフ(帰化したのかな)
お母さまは日本人、なので
パスポートは日本国であった。
1993年に、渡韓したが
そのころは、指紋押捺、外国人登録証の
携行が義務であったが
鷺沢さんには、その義務はない。

いまでは、韓国と日本の交流は
政治的な理由を除けば
文化、芸能が国と国をスラリと
越え、韓国の歌い手、俳優などが
日本の趣味の領域に入り
それらにおいての、垣根や壁は
見えにくいものとなっている。

偶然であるが
鷺沢さんが、ソウルに留学している
時に、約一週間ぼくも
ソウル、釜山、済州島と
パスポート上の祖国に墓参りに行った。

ほんの一週間程度であったが
文中にある、在日三世が
「うちらは、日本におったら日本人
ちゃうねん、そやけど韓国に来たら
韓国人とちゃうねん」と言う場面がある。

これは、ぼくもその短い期間で
同じことを思ったのを思い出した。

僑胞(キョッポ)は、在外国に住み
その文化で育ち言葉を話し、
生計を成す
全ての韓国、朝鮮人に使われる
韓国の人から呼ばれる総称である。

僑胞は同胞ともとれるが
彼国の人からすると
頭に、在日や在米、在どこどこと
つくので、厳密には同胞とは
区別されていると、在日韓国人三世の
ぼくの感想となる。

民族の血は、まぎれもなく韓国だが
やはり、風習や習慣が日本と異なるの
違和感や時に嫌悪感を持ったのも
事実だ。

鷺沢さんは、この小説の中で
それらのことを、率直に、書かれている。

戸籍上は、日本人であると言うのに
祖母さまの1/4の血を受け継いだ
のが、彼女をどう変化させたのだろう。

ぼくの、叔父は故人となったが
よく言ったものだ
「俺らは草は草でも、根無し草や」
「ここ、(日本)で生きる術しか
知らんけど、日本人とちゃう
そやけど向こう(韓国)を
ある時に意識しても、向こうでは
住まれへんのや」


現代の僑胞をみて
鷺沢さんは、どういった文章を
書いただろうと思うと
「なんで、自殺なん?それはないで鷺沢さん…」
と思った作品だった。

映画感想 「北京的西瓜」

2022-04-17 08:56:04 | 映画感想
1989年公開
監督 大林宣彦

映画は実話からなる
千葉県船橋市のある八百屋の主人
「ベンガル」さんとその家族、仲間
在日中国人留学生との交流を
ドキュメントのように映し出す

時流、時勢が今の感覚で観ると
違和感はでる
この当時の中国と日本での貨幣価値
来日の目的は現在とは異なる
そこは、差っ引いて観た

八百屋の主人は、篤志家でもなく
毎朝、4時に起きて市場へ仕入に
向かい、休憩の合間に競馬場に行き
日々を淡々と、やることを成す
一市井の人

お金に困窮する、中国人学生は
八百屋の野菜が買いたいが
高くて買えずにいる

それから、物語は展開していく

実話での主人は
「長谷川勝」さんという方であるが
「目の前で溺れている人をみて、いてもたってもいられなくなった」と
おっしゃる

それから、見返りを求めない
奉仕が始まる

途中、どうして、ここまで
厚かましくなれるのか?と
中国人学生に思った

また、八百屋の主人に対しても
家族と他人(中国人学生達)と
どっちが大事なん?とも思った

美談ではあるが
誰か(家族)を犠牲にしての
美談はまやかしだろうと…

しかし、それを帳消しにするのは
あくまで、個人的ではあるが
主人の妻
「もたいまさこ」さんの存在だ。

はっとする、美人ではない
(ごめんなさい)
それでも、女優の
八百屋の女房になりきった風体
化粧っ気のない顔(無論メークはしてるだろうが)
なによりも、笑うと目がなくなる
笑顔が素晴らしい
落ち込んで、泣きそうになって
半べその顔もほんとに落ち込んでいる
んだな…と思う
店の金に手を出す主人に対しても
金切り声でわめくのではなく
止める声に品がある

もたいまさこさんが影の主人公である

映画終盤に37秒の空白があるが
これは、当時ならではのメッセージ
なった
西安的西瓜が本来の題名であったのを
あえて
北京的西瓜にしたのだろうか?とも
思った。

そして、同じく終盤での
もたいまさこさんが
中国人学生達に、礼を述べる場面の
セリフは
当時、現在でも変わらない
普遍のメッセージだろうと思う。






放棄・隠匿について

2022-04-07 10:16:37 | 日記
郵便屋としての独白

ぼくは、集配部という配達部隊に属す
一契約社員であり、早いもので、今年を持って丸9年となる。

郵便局は
階級制度が現存する旧態然とした
全体主義がまかり通る組織であろう。

言うまでもなく、組織の頂点は
霞ヶ関の本社である。
まさに、官僚であり、各管理者(局長、部長)から、見れば垂涎と雲上の人と
なる。
郵便料金も自社で決めることが
出来ない、およそ民営化とはほど遠い
交渉などを政治家や総務省と折衝する
と思ってもらえればよい。

その下部に支社がある。
近畿なら近畿支社
実質的に大阪などの各府県に点在する
本局の頂点である。

本局では
総務が頂点となり
その下に郵便部(内務)
その下に集配(外務、配達)となる。

正社員にも階級がある。
地域基幹職
一般職
一般職から地域基幹になるには
査定で2年連続オールS(5)をとった上で、テスト、面接に合格しないとなれない。

契約社員(時給制)
アソシエイト社員(無期契約)
期間雇用社員(有期契約)
AからCランクがあり
さらに、ランク毎の習熟度「あり・なし」に分かれる。

街の郵便局は、特定局と呼ばれるもので
配達や収集、集荷、郵便内務の仕事は
ない。

本局の局長、部長は支社に行くと
係長、主任、よくて課長だと言うから
その保守、階級が揺るぐことはないだろう。

全ての、通達事項は支社から
各本局に下達され、それに対しては
ロボットのように従わなければ
己の保身は叶わず、左遷される。

朝礼後に行われる安全スローガンを
一斉唱和する。
足は肩幅!
腰は手に!
指サック取って!
親指中へ!
(指の親指を内側に折り曲げまる)
構えいいですか?!
(構えヨシ!)
唱和の終わりにヨシ!と言う際にも
手を耳の横に掲げ、肘をピシッと伸ばす。

監査役(支社からの)が来た時などは
これらが、揃わないとアゲイン
(やり直し)となる。
査定では減点対象。

勿論、配達という仕事では
安全は最優先である。
その事には何ら異存はないが
これでは、若い人達は寄りつかないだろう。

配達というのは一歩外へ出ると
徹頭徹尾、自己完結できる仕事だが
個人個人のモラルが問われる仕事でも
ある。

云うまでもなく、我々が日々お届けする
ものは、個人情報の塊である。
また、その個人情報を私的に活用すると
即刻、郵便法によって、犯罪者として
扱われて、首を切られる。

ぼくの属する本局では
郵便物の詐取、放棄、隠匿の犯罪は
ないが近畿支社管轄でも、全国管轄に於いても情けないことに、なかなか根絶しない。

そして、毎日の朝礼時に
「緊急特報」という号外(押印必須)が
毎日、発表される。
どこどこで
書留の亡失、一時紛失、無記録(押印、サインなし)配達
タバコクレーム
接触事故
時間帯指定の不遵守
(指定に遅れた、早すぎた)等など
枚挙にいとまがない

正直、毎日毎日出しといて
何が緊急特報じゃ?と思う。

また、不思議なことに
偉いさん(本社、支社)の
着服、横領、パワハラ、セクハラ
などは、一切流れることはない。
ニュースで流れて初めて知るのも
事実である。

ぼくの、個人的な見解で
配達部隊の犯罪が起きる温床としては

第一に、班単位の人間関係が可能性と
して高い。

配達員は、絶えず時間に追われている
その日の交付される郵便物も
どんな量で、どんな物が着くかわからない。
言わば、出たとこ勝負の感が強い。

当然、交付物が少なければ
心には余裕を持てる
反対は推して知るべしともなる。

経験が浅い、センスに欠ける人達は
多ければ多いほど、その物量に呑まれ
配達が遅くなり、それが板に付くと
少い量でも、仕事が早くならないのが
ほぼ定例である。

遅いと、舐められる
舐められると言うことは、応援に来てくれる同僚も少なく、やがて、孤立して
悩みや相談事ができない空気となる。

そして、なかば自暴自棄となり
配達しきれなかった郵便物の報告を
しなくなる。

こうなれば、隠すか棄てていると思う。

ぼくは、当然したことないし、これからもしないが、
もし、一度でもしたら
多分、その楽さに溺れるかもしれないと
いう危惧はある。
それぐらい棄てる、隠すは楽だろう。
しかし、必ずバレる。
100%バレる。

よって、棄てない、隠さない環境作り
には、コミュニケーションを伴った
円滑な人間関係作りと応援体制をとれば
いいとなるが

それが、そのまま当てはまらないのが
この仕事のキツいところだろう。

円滑な人間関係は一見良好と思えるが、
対象者に対して、反対に「隙」を見せる。要は、脇が甘いとなる。

応援体制は、自区を一人で完遂できない
スキルのまま固定してしまう。
加えて、応援に回る人間は限られ、
結果的に応援した人間が、ミスという
減点リスクを得てしまう。

それでも…
人間関係の距離感
応援体制の距離感
この二つの間(ま)のとり方が
重要なのは、免れまいと思う。



小説感想 幕末新選組 池波正太郎

2022-04-07 06:42:02 | 本 感想
新選組二番隊 隊長永倉新八を
主人公とする歴史小説。

読後感は「さわやか」だ。
個人的なイメージの新選組は
鉄の隊律、血の粛清、
近藤、土方、沖田、天然理心流の結束
幕府への恩顧が強い。

永倉新八は小兵ながら道場剣術では
近藤も三本に二本は負ける腕前だった
そうな。

池波正太郎さんは生粋の江戸っ子だ。
江戸っ子は3代続いて江戸っ子と
いえるそうだが、氏は7代続く
江戸っ子だという。

そんな氏の愛すべき
永倉新八が全篇に渡り躍動する。

剣は強いが、女には滅法弱い。
弁才や組織構築なぞには
興味がなく、ただただ剣術が
三度の飯より好きで好きで
退屈な宮仕えなぞ、やってられんわ
と、自ら勘当してくれの書置きを親に
残し、浪人となる。
剣にも女にも一途
宵越しの銭はもたねぇ

そんな永倉新八。

近藤が道場主だった試衛館に出稽古
に行き、近藤の誠に漢気を感じ
将軍家茂上洛に伴う、浪士隊に参加し
それが清河八郎の倒幕隊となるのを
嫌い、近藤達、試衛館組は会津候の
お墨付きを得て「新選組」となる。

ここからの、新選組の雷名は
言わずもがなだ。

新選組の武勇を語るものではない。
無論、その雷名を天下に轟かせた
池田屋事件も登場する。
しかし、血なまぐさいと感じない。

やはり、永倉新八の竹を割ったような
一本気で、ものごとにこだわりのない
さわやかな気性を、言ってみれば
江戸っ子気質を、作者である
池波正太郎さんが愛したのではなかろ
うか?と思わせる臨場感がプンプンする。

永倉新八と原田左之助の掛け合い
親友市川宇八郎との馴初めから結末
藤堂平助との絡み

最初から、性が合わんと思った土方
田舎剣法と揶揄されても誠を
絵に書いた近藤の変貌

これらを思いおこすと
池波正太郎さんは、やはり
永倉新八という「漢」に江戸っ子の
粋を感じたのだろう。

最後に.......
晩年、永倉新八が孫の杉村道男氏と
活動写真(映画)を観に行った際の
エピソードが
最も、恐い印象と残ったのは
ぼくだけではないと思う。(笑)