ーその11 ニュー・ジーランドでのゴルフ・残された最後の楽園への幻視行ー
1995年の3月にニュー・ジーランドに旅をした。10人あまりの団体旅行であつた。
早春の東京から初秋のオークランドに、つまり北半球から南半球へ、赤道を跨いでひとっ飛びしたのである。
気温の変化は殆どないというものの、春や夏をとばして秋を迎えてしまったせいか、季節が急に去って行くのを惜しむような、一種不思議な感覚がこの旅の心となった。
最初の宿泊地オークランドから、バスで北島の中央に向かう。起伏に富んだ牧草地帯がえんえんと続く。白と黒の斑のホルスタイン種の乳牛の群れが、そこかしこで悠々と草を食んでいる。
街道は左右に旋回しながらどんどん低地へ向かつて吸い込まれるように下降している。緑の丘陵がゆったりと雄大に広がってうねる。その中を加工するうちに、不思議なことに段々平衡感覚
が失われて行く。見上げているのか見下ろしているのか分からなくなる。
遙か先の信じられないような高所にポプラの並木が整列していろ。その尖った頂きの線の更に向こうに、大地がせり上がって行って雲に隠れてしまう。
川が流れている。水際は深い草に覆われていて川原というものがない。緑の野原に深く刻まれたような川に、豊かな疾い水が、お互いを急かすかのように幾重もの縞を作りながら流れている。
やがて山間の道に入つた。曲がりくねった街道の左右の路傍に、時々白い小さな十字架がいくつか現れては草窓の後方に消えて行く。ガイドの説明では交通事故の犠牲者の現場なのだと言う。
さして難所とも思われない道筋なのに、この十字架の群れは暫くの間現れては消えして、我々の眼を捉えて離さなかった。
バスは今度は小さな村落を駆け抜けて行く。浅黒い顔をした、がっしりした体格の青年が、独りで歩いて来る。
『あれが、この地の先住民族マオリ族の人です』とガイドが言う。
前日にオークランドのマオリ文化の博物館を訪れた。そこで見たもろもろの情景が蘇って来る。
…………マオリの民族衣装の男女の踊り。彩色された腰蓑を纏い、男は上半身が裸で、女はバングナの髪飾りの姿である。恋の物語か?優美にたゆたう身体の動き、力強く絶妙なハーモニーの
合唱が観客の心をも溶かして辺りにこだまして行く。
お次は、男達の戦士の出陣の踊り。日玉を剥いて舌をべろりと出すのが、敵を威嚇する男の勇壮さのあかしである。…………
…………もう絶減した巨大な駝鳥のモアや、深い森林に隠れる保護鳥のキィーウィの剥製の数々。そして彼らを見下ろすのは大きな白い木製の仮面。眼を閉じて哀しげに民族の未来を予知する
かのようである。……………
マオリ族の王様の末裔が住む館の前を通る。細い寄木で葺いた屋根や壁が特徴的だ。朱色に近い褐色に塗られた屋根の破風に、マオリの戦士の像が眼を大きく吊り上げて白い歯を剥き出して、
こっちを睨んでいる。胸の前に合わされた大きな左右の掌の指は、何故か3本ずつしかない。この3本の指の意味は、『生まれる、生きる、死ぬ、なのです」とガイドが教えて呉れた。
何と簡潔で深い哲学であろう。この言葉はまるで天啓のように、私の耳の底でいつまでも鳴り続けた。
やがて、我々はワイトモの鐘乳洞に着いた。この洞窟はブナや苔や羊歯の原生林に囲まれて、地上にポッカリ開口している。洞内を下って行くと、鍾乳石や石筍が電光に美しく映える。それは
途方もない悠久の時の流れの跡である。そしてすべての想念を奪って真空のような境地に誘い込む。暗い階段を更に地底に向かって降りて行く。やがて『大聖堂』に行き着く。
入り口にほの暗い灯火が小さな鐘乳石の輪郭をぼんやり浮かび上がらせていると見ると、……そこには無数の透明な糸が、櫛の歯状に垂れ下がっているではないか。そしてその糸のあちこちに
数十本のねばねばした透明の糸を垂らし、餌となる昆虫を光り粒状の蛍光が灯つていて、夢幻的な雰囲気を醸し出していた。 ニユー・ジーランドにしか棲息していないと言う、ツチ・ボタル
(GlowWorm)だ。蚊に似た二枚羽の昆虫の幼虫である。巣の周りにs数十本の粘々した透明の糸を垂らし、餌となる昆虫を光で誘って待つのだ。この虫の寿命は約1lヵ月だ。その齢、数万年にも
達する鐘乳石との取り合わせは皮肉だが、造化の神の深い思し召しなのであろうか。
地底には川が流れ、船着き場が有った。我々の乗った船は、真っ暗間の中を張り巡らしたロープを頼りに滑って行く。綱を手繰るのは、マオリの男たちである。
突然、何とも幽玄な寂光のドームが頭上に開けて来た。ツチ・ボタルの洞窟だ。数十万の小さな光りは、天上の奥深いところから靄のように淡く、しかし薄い雲の彼方の星の光のように確実に
届いて来る。と同時に、微かな、遠い木魂のような声が聞こえて来た。…………『生まれる。生きる。死ぬ』と、その声は言っているようだった。
次に訪れたのはロトルアという湖である。ニユー・ジーランドは多くの湖に恵まれている。そして、湖のほとりには昔から人が住んだ。この国には温泉もたいへん豊富である。ロトルア湖の畔
にはマオリ族の村落があって、今なお伝統的な生活様式を守っている。温泉と言えば、近くに有った80米以上の白煙を吹き上げる間欧泉の方が観光の目玉であったのだが、それよりのはずれ
の共同温泉の方に目を惹かれた。70~80度の熱湯を地面に掘った水路で冷ましながら露天の凹所に導き入れている。その素朴で自然そのままを生かした知恵に心を打たれてしまう。夕方になると、
の人々が一日の汗を流しに三々五々集まって来るという。そこでは、 どんな会話が交わされるのだろう。
ホテルの前にゴルフ・コースが有った。白い柵の向こうにフェア・ウェイがうねり、深い木立の蔭から白い湯気が盛んに立ち登つている。コースの中に温泉が湧いているのである。
(因みに、この国では自然保護の為に、温泉を商業目的に利用することは禁じられている。したがってこんな勿体ない風景が見られるのだ)
飛び出して行って、ハーフ・ラウンドだけでもプレーしてみたいと思う。とても旅程の変更を提案する勇気はなかったが、未練が残った。そのせいか、その夜半に不思議な夢を見た。
……その宵は、マオリのハンギ料理とマオリの合唱と踊りの見物が呼びものだった。白人との混血のチヤーミングなマオリ娘に、手を引っ張られて舞台に登らされた。その誘い込むような鳶色の
目が美しかった。他の観客の何人かと共に、マオリの戦士の真似をさせられた。目を剥き舌をべろりと出す仕事を実演させられたが、それも夢の引き金だったのか。……
…………目の前にマオリの戦士が剣を片手に目を剥いて舌を出して迫つて来る。彼のいいなずけを誘惑したと詰っているのだが、そのいいなずけとはあの混血の娘に違いない。壁に追い詰めら
れて身動きが出来なくなり、とうとう相手の剣が我が胸を貫く。ふと気がつくと、ベッドと壁の間の隙問に落ち込むようにして自分の身体が横たわっているのが見える。自分の意識が、自分の
身体から解き放たれて自由に高みに飛んで行くではないか。この讐えようもない透明な感じは一体何だろう。
眼下に白い雲が流れる。緑の絨毯の上に白い米をいっぱい撤き散らしたように見えるのは、羊の群れだろうか。高い山々の間をすり抜けるように飛ぶ。岩肌が雪で薄化粧している頂きの辺りに
ぼっかりと藍色の水を湛えた湖があり、その高い淵の切れ目から、長い白い糸のような滝が低い峯々に向かって注いでいる。
山々を越えて、広い大きな湖に出る。湖に しゃもじの先の形をした半島が突き出ていて、そこにはゴルフ場が半島いっぱいに展開しているのが見える。
『ああ、自分はあそこに行こうとしているのだ。でも、こんな意識だけの自分になって、何が出来ると言うのだろう』……………
突然、暗転した闇の遠くに、誰かの叫び声らしい物音を聞いた。カーテンの隙問から前庭の常夜灯の光りが漏れて来ていて、我が身を照らしていた。自分はベッドと壁の間で身動きも出来ずに
汗まみれになっていたのだ。
次の宿泊地は、南島のワカテイプ湖の畔のクインズ・タウンだった。ケーブル・カーで山の中腹に登り、眺望の良いレストランで夕食をとることになった。湖を取り囲む壁のような山々に夕日
が映える。日陰になって夕間が迫っている湖面に視線を走らせていた。その時、愕然として我が眼を疑った。向こう岸からしゃもじの形の半島が張り出していて、そこにはゴルフ場らしきところ
さえ見えるではないか。……… しかし、問もなく辺りは幻のように闇に包まれて行ったのである。
翌日の早朝、 ミニ・バスでミルフォード・サウンドというフィヨルド(氷河が刻んだ峡湾)ヘ向けて出発した。途中夢のような天然の景勝地に立ち寄つて観光しながらであったが、 目的地の
フイヨルドに着くまで約5時間半の長旅であった。最後の中休みの場所で、マオリ族のような褐色の肌をした日本人ガイドの女性が、ひっつめにした長い髪に手を遣りながら、さり気なく提案を
して来た。『お帰りは、またもと来たコースを戻るのですが、セスナ機でお帰りになる方法もございます。それですと約30分でクインズ・タウンヘお戻りになれます』と言うのである。
このガイドは、ゆったりとしたちょっと時代離れの古風な語り口の人だった。その提案の声に何か不思議な魔力でもあったのか、全員がシーンとしてしまって、賛成とも反対とも声を出す人は
いなかった。セスナ機に乗る場合には事前の予約が必要であって今がそのタイムリミットだというのである。確かその数年前だったが日本人の新婚旅行の客がフィヨルドの遊覧飛行中に墜死した
のはここではなかったかと思う。リスクは怖い。しかし時間が大幅に節約できる魅力もある。また五時間半もかけて、バスに揺られて帰るのはうんざりする。皆内心でその選択に悩んでいる様子
は明らかであった。結局団長の立場の私から、『希望者だけがセスナ機に乗ることにしましょう。それが嫌な人は予定通りバスで帰ればよい』と提案したのである。ところがそのひとことで踏切
がついたのかバスを希望する者は誰一人居なかったのである。湾内を遊覧船で巡りながら、イルカと競争したリアザラシの昼寝を見たり、九ビルの2倍の高さという滝の壮観を楽しんだりした後、
結局我々は2機のセスナに分乗して、帰ることになった。そうと決まると、誰彼ともなく、『これで、クインズ・タウンのゴルフ場でハーフ・ラウンド出来るぞ』と言う華やいだ声を上げた。
私は 1番機の副操縦席に座った。機はフィヨルドを眼下に一瞥してから反転し、上昇気流に突き上げられて揺れながら登る。真正面に岩の頂きが機を見下ろしながら迫って来るのに、機の高度
は上がらない。この儘だとあの峯に衝突すると見る間に、機首を翻してその横をすり抜けて行く。私はもう夢と現実の区別がつかなくなった。
何かが崩れ落ちて行くような感覚が襲って来る。その方向に目を遣ると、岩の峯近くの藍色の淵から白い一筋の滝が、今落ちて行く。峯と峯の間にジェット気流のように白い雲が流れた、その
瞬閲、煽られて空が回った。セスナは山々を抜けて、大きなワカティプ湖辺りに出た。クインズ・タウンの町も、湖に突き出た半島も、ゴルフ場も見える。私が夢で見た風景その儘である。
やがて機体が滑るように滑走路に降りると、期せずして皆が盛大な拍手をした。
月曜日の午後の陽がクインズ・タウン・カントリー・クラブに降り注ぎ、人影は疎らだ。プロ・ショップでクラブや靴を借り、帽子や手袋やボールなどをせかせかと買い整える。我々はまるで
少年のように興奮して、4台のカートに分乗してコースヘと乗り出した。
1番ホールを終え、ブナの原生林の中の急な坂道を登り切ると、2番ホールのテイー・グラウンドである。ここからは、半島の根元へ向けてコースが展開して行くのが眺望出来る。
碧い湖水が左右両側から切れ込む、その向こうに山々が壁のように連なっている。その山々は褐色の岩肌を薄い靄のような衣で包んでいる。千米の樹木限界線の下方には樹林が展開しているのが
見える。前景には、一本の針葉樹の大木がもっとくっきりと色濃い蔭を宿している。3番ホールヘ打ち下ろして行くと、平坦になった場所の右手にポプラの並木が美しい。
折から、風が吹き出した。ポプラの葉が風にそよぎ、まるで無邪気な少女たちのようにお喋りをすると、幼年時代を過ごした旧満州の思い出のひとこまが蘇って来る。この後は、コースは半島の
反対側の湖岸を進む。殆ど総てのホールから、湖やまわりの山岳を望むことが出来る。我々は文字通り大自然の懐に抱かれながら、時間の過ぎるのを忘れていた。
9番ホールに立った時は、既に急速に夕間が迫って来た。まわりの森が吐息のように吐き出す精気が、妖しく心を浸して来る。森の中から今にもあの混血のマオリの娘が飛び出して来そうな、
甘く不吉な予感が漂つて来る。
ふと、ミルフォードヘの道中で見た、鏡の様なミラー湖の風景が眼に浮かんで来た。冷え冷えとした原生林の暗がりから覗き込んだ湖面に写る樹々と、湖面に覆い被さる樹々とが重なり合って
見分けがつかない。いくら眼を凝らして見ても、 もどかしい位 どうしても見分けがつかないのだった。実在するものと写つたものが、淳然一体となってしまっていたのだ。
すると、現実の中の夢と、夢の中の現実も、時には分別がつかなくなるのだろうか。………
遠景に立つクラブ・ハウスに、ほっと灯が灯った。(了)