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池田昌之です。

このブログはあるゴルフ倶楽部の会報に連載したゴルフ紀行が始まりである。その後テーマも多岐にわたるものになった。

ゴルフ紀行13―その13インドでのゴルフ・深い魂の河畔で一

2012-06-25 13:27:14 | インド

―その13インドでのゴルフ・深い魂の河畔で一

 1995年の夏、南インドを旅行した。カルカッタ経由でベンガル湾に面した港町のマドラス空港に着いたのはもう日もとっぷり暮れた時刻であった。ターミナルの外へ出て、突然襲ってきた驟雨に当惑しながらあらかじめ手配してあったガイドの姿を探していると、スーツケースを乗せた手押し車に何人かの男たちが先を争って群がってくる。手を振って断ると意外にも彼らは拍子抜けするくらいおとなしくさがっていく。北のカルカッタでは、こういう手伝いの押売りにしつこく付き纏われて往生した。国際線から国内線へ移動する間、自分で押しているカートに断っても断つても手を添えてきてなにがしかのチップをせがむのだった。
 雨中の街路は車や自転車や歩行者が犇めき合い、泥だらけの混雑振りを呈していた。道端に所狭しと積み上げられた日用品に群れる人々の姿が電光のなかで黒々と揺れている。ホテルに着いた。マドラスで一番の目抜き通りに近い場所だ。白亜の外観は立派だったが、通された部屋は湿った空気が淀み、床の絨毯も薄汚れていて埃っぽい。旅装を解くのを思わず躊躇してしまう。
『ああ、ここはやはりインドだ!』これからの十日程の旅程を思いやって、一瞬ちょっとブルーな気分になった。

 インドヘは二度目の旅だった。その十二年程前に仕事で北インドを二週間旅行して以来、 もう一度来たいという思いを温め続けてきたのである。翌朝、朝日に輝くヒンズー寺院の塔を見上げた時にその不思議な魅力に圧倒され、胸の中が興奮で熱くなるのを覚えた。その塔はヒンズーの神々の浮き彫の群像で覆われ、幾重にも層をなして聳えていく。極彩色とスタッコの質量そのままに、 この国の人々の濃密な祈りを体現しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  靴を脱いで裸足になり寺院の境内に入る。まだ午前も早いのに境内は色々な姿の老若男女で賑わっている。見るからに裕福そうな身なりの貴婦人がお供を従えている。粗末なシャツによれよれのズボンをはいた貧しい人々もいる。修行僧もいれば、鼻汁をたらした子供もいる。修行僧は白い装束に身を包み、赤銅色に日焼けした額に白い聖灰のまじないの印をつけて杖をついている。

 鉄製のテーブル状の台の周りに人々が群がり、灯明のようなものが供えてある。あれは命の火なのであろうか。奥まった場所のシヴァ神の像の周りを人々が何回も廻ってお祈りをしている。一種の「お百度参り」なのであろう。
 大きな木の箱の中に、力一杯ココナツの実を投げつけている人に驚かされる。飛び散ったココナツの白い果肉が眼にまぶしい。何かの願い事なのだろうが、むざんに飛び散った殻や果肉のさまに、人に潜んだ破壊の本能とその営みを見る思いがした。みんな殆ど言葉を交わすことはない。真剣な表情ばかりである。
 石畳の上にサリーを着た一人の若い女性がじっと座って物思いに耽っている。誰のために何を祈っていたのだろうか。私の詮索がましい視線を感じたのか、私の顔を見返してくる。その眼差しに、 吸い込まれるような深い淵を感じた。

 寺院はいつも街の只中にある。周りはインドの人々の生活の匂いで満ち満ちている。路傍は常にひどい穴だらけだ。人々は土埃や汚れを友として、その中に生きる運命に心安らかに浸っているようにさえ見える。老婆が道路の上に赤い花弁を沢山拡げて一心に花飾りを作っている。石畳にじかに座って俯いたまま顔も上げない。その姿はまるで永遠の彫像のようだ。
 子供が物乞いに来た。大人のTシャツを膝の下まで羽織っただけのみすぼらしいなりだ。いつまでも後を追ってきて離れないので、写真を1枚撮らせて貰ってお礼に小銭を握らせた。するとその子は一瞬はにかんだような表情を見せ、その後どうしたらいいか判らないといった風に荘然と突っ立っていた。

 インドは実に多様性に富んだ国である。言語も何千種類も有るくらいで、土地によって人々の生活様式も気質も違うという。

 ………以前にこの国に来た時は、物乞いにお金を渡すものではないと教わった。事実、オールド・デリーに近い観光名所のレッド・フォートで、物乞いの女性たちの一団に取り囲まれた時は怖かった。彼女たちは一見してハンセン氏病の跡が認められたが、私の腕に取りついた力は凄かった。苦し紛れに誰か一人にお金を渡そうものなら、我も我もと収拾がつかないことになっだろう。
その点南インドでは人々の気質は概して温和で、いわゆる伝統的なドラヴイダの恥の文化があるといわれるのも肯けた。

 昔インドの北部を訪ねた際の、いくつかの出来事を思い出す。
 ……デリーの旧市街に近いレッド・フォートを訪れた時のことだ。砦の高い城壁の上から川原が見下ろせた。17~8歳の男が、川原に拡げられた4~5m四方の天幕のようなシートの下にもぐり込む。男はシートの中央の穴から首だけ出して横たわっている。すると弟らしいまだ小さい子供が太鼓を叩く。突然信じられないことが起きた。太鼓のリズムが速度を増すと、男の身体が横になった姿勢のまま、宙に浮き上がってくるのだ。そして数メートルの高さに達したかに見えた。あれは目の錯覚だったのだろうか。見物者から喜捨をねだっている若者の手には、竹の棒が握られていたが、ひょっとするとあれが彼の魔術の小道具だったのかもしれない。横たわったままに見えた彼の身体の線は、あの竹の棒だったのかも知れない。…………

 ………魔術といえば、ゴルフ場で財布の中から実に巧妙にお金を抜き取られた。カルカッタのゴルフ場は、英国の外では世界で最古のものだという。クラブのゲートヘアプローチする道路は薄汚い 住宅が犇いてていた。しかし一歩構内に入ると、 クラブハウスはなかなか古風な風格があって伝統を感じさせた。
 ゴルフ場でついたキャディは初老の背の低い男だったが、油断のならない鋭い目付きが気になった。午後遅いスタートだったのと黒い雨雲が低く垂れ込めてきたので、ハーフ・ラウンドだけで プレーを打ち切って帰ることにした。日本と違って9番のグリーンはクラブハウスから最も遠いところにある。濃い木立を通り過ぎようとしていたら、フォア・キャディを勤めていた少年が、しきりに訳の判らない彼らの言葉で話し掛けてくる。ふと気がつくとキャディ・バッグや私の荷物を担いでいたくだんの老キャディの姿が見えない。振り返ると、木立の蔭からそのキャディが小走りに駆けてきた。キャディに心付けを直接払うシステムで、きまった額の料金制度などというものはない。財布は預けた荷物の中の下着の包みに隠してあったのだが一応気になって中身を改めて見た。クレジット・カードや円やドルはちゃんとあるので、安心してしまった。ホテルに帰ってきて、落ち着いてルピーの現金を調べて見ると明らかに抜きとられていて、臍を噛んだ次第であった。………さてその時の旅の話に戻る。

 マドラスから更に飛行機で南下したマドゥーライの町は、インド亜大陸の南端に近いタミール文化の中心地だ。車で4~5時間かけて西ガート山脈の南端の高地へと向かった。ペリヤール湖の野性動物保護区を訪ねるのだ。『マジソン郡の橋』の作者の第二作、『スロー・ワルツの川』の重要な舞台になった場所である。

 風変わりな独身の教授、マイケル・ティルマンと同僚の教授の奥さん、ジェリー・ブレーデンの運命的な出会いは、パーティーで二人がそれぞれのインド体験に就いて語り合ったことが発瑞となった。そして二人の道ならぬ恋は、アメリカ中西部の退屈な地方都市の大学のキヤンパスから天駆ける。ここ南インドのベリヤール湖の畔のバンガローでクライマックスを迎えるのである。
 私の方は憧れのベリヤール湖の野性動物遊覧ツアーが原因で、初めて旅先で病むことになった。高地で気温も10度を少し越えた程度だったのと、おまけに横殴りの雨と強風が原因である。 結局虎にはお目にかかれなかったが、象や野牛や猪に鹿、珍しい野鳥類などの姿を追い求めて、2時問あまり冷たい風雨に身体を晒してしまった為である。インド通にいわせると、高級ホテルのエアコンに巣くうヴィールスが曲者だそうだ。
 お蔭で三日間は高熱にうなされたが、旅程を変えずアラビヤ海の港町コーチンを経てバンガロールに辿り着いた。インドではエアコン・シティと呼ばれている、涼しく過し易い高原都市だ。何とか肺炎なども起こさず熱は下がったが、ヴィールスが今度はお腹を襲ったのか、一週間以上も下痢に悩まされることになった。ただでさえ万華鏡を見るようなインドが眼中をぐるぐる回る。ホテルのベッドや車の座席の上で、まどろみやうつつの中で世界が回る。高熱がそうさせるのだ。暫らくは苦行の旅が続いた。

 ………ベリヤールヘくる途中のタミール・ナドゥの回舎道。遠景の奇怪な台地状の岩山。子供たちが1列縦隊でいく。ヒンズーの日曜学校へ通うのだという。手に手に給食用の椀を持ち嬉々として歩く。大きなインド象が道を塞いでやってくる。車を降りてカメラを向けると迫ってきて、危うく悲鳴を上げそうになる。象の背中の青年に促されてルピー札を差し出すと、鼻の先で器用に受け、腰を折ってお辞儀をする。その眼は優しい。
 
 マドラスの高級住宅街のインド占星術師を訪ねる。そよ風のポーチで占星術師は事も無げにいう。
 『貴方の老年期は平穏無事でしょう。』
 『貴方は生後X回目の暦月が満ちた時、突然の死を迎えるでしょう。』
 『………………………』
 戸外に出ると、向かいの邸宅から若い女性が現われた。サリーを優雅に翻して車に乗り込もうとする。何となく物問いたげで、神秘的な表情が微かに動いた。

 アラビヤ海からの湿った南西の季節風が吹く。ケラーラの地は水溜まりと泥濘が旅人の足を、いや車の運行さえ鈍らせる。コーヒーや茶やスパイス類などの緑の森に埋もれたテッカディ(ペリヤール)からコーチンまでの、たったの140~150キロの行程に、なんと6時間余りを要する。悪路の振動で何度か車の天井に頭をぶつけそうになる。途中で立ち寄った路傍のスタンドで、コーヒーを飲んだ。カップ の汚さが気になって、熱い液体を消毒がわりに流してから唇を添えて喉に入れる。ミルクとサフランと蜜の混ざったコーヒーの味は吃驚するくらい美味である。高熟で火照った身体に注ぎ込まれて生き物となった。
 バンガロールの遠い郊外のプッタパルティ。広大な土地に無料の病院や無料の大学の建物が展開する。その奥に偉大な宗教指導者サイババのアシュラム(修行場)がある。午後のダルシャン(集会)に参加する。ひたすら隣人への愛のみを説くその人の回りに、その日は千数百人の人々が集まっていた。会場への入り口で探知機の門を潜らされた。カメラ携行が禁止なのは知りつつも、撮影する気がないので荷物の奥深く忍ばせて置いた。果せるかな見つかってしまった。うんと絞られるのかと一瞬覚悟したが、見張り人が親切に預かり場所を教えて呉れた。やっとの思いで一息ついた。玉を転がすような音楽と群衆の憧れのざわめきの中に暫らく身を浸す。信仰心の足りない私は、身体の向きを変えようとして、左の大腿を次に右の大腿を痙攣ささせて苦痛に顔を歪めていた。…………

 バンガロールに戻ってやっと熱から回復した。そこでバンガロールでゴルフをした。
 白と薄いピンク色の割合瀟洒なクラブ。ハウスを出て、陽光の映える前庭に立つ。素晴らしい枝振りのバニャン・トリーが心地好い蔭を落している。熱が下りたのがあらためて嬉しい。今更ながら健康の喜びを感じる。お腹の方はいずれなんとかなるであろう。幸いにして食欲もある。メンバーの一団がスタートするからというので、7番ホールからやってくれとぃう。こちらは一人のプレーだから文句もいえない。1番のスタート地点に広告の看板が幾つも並んでいるのはちょっとどうかと思うが、これもお国柄なのだろうか。  
 キャディ氏は黒光りのする坊主頭で、乱杭のような白い歯と短くて白い不精髭が日立つ。まるで骸骨のように風采が上がらない。しかしその仕事振りはなかなか水際だっていて、見事であった。グリーンのラインや芝目の読みは実に的確である。しかも先ず念入りにボールを磨いてから、ボールの印刷されたマークをパッティングの方向にキチンと合わせて置いて呉れるのである。そのボールを置く時の手つきのしなの付け方もなかなか堂に入って憎かつた。おまけにチヤーターした車の運転手が私の荷物の袋を後生大事に持ってラウンドの間中付き添ってくれた。カメラ係を頼んだところが、いろいろなショットの瞬問の写真を沢山撮ってくれたのである。

  このクラブはバンガロール市街の中の公園に隣接している。さすが土地の広さの制約があるようで、何と三つのホールのフェア・ウェイが交錯する所があつた。折角我ながら素晴らしいロング・ドライブを打って意気揚々とフェア・ウェイの真中を歩いていると、キャディが左端を歩けとしきりにいう。右後方からインド人の家族連れの一組がやってくる。そうこうしていると、今度は遥か右前方から斜めに横切って行く一組が見えた。優先権についてちゃんとしたルールが有るらしく、お互いに手を振ったりして和やかに通り過ぎていく。皆裕福で豊かそうな人たちだ。サリー姿の女性がコースの片隅で地面に張りついたようにして黙々と草むしりをしている。夕日が彼女の場所から長い影を曳いていた。

 その夜はヒンズー教の幸運の神様であるガネーシャの祭で、街は遅くまで娠わった。
 ガネーシャは、破壊の神様であるシヴァ神と女神パールヴァティの間に生まれた長男だが、或る日シヴア神の怒りに触れて首を切り落とされた。偶々そこに象が通りかかったのでその象の頭を切ってすげ替えられてしまったという。かくしてガネーシャは、象頭の姿でしかも愛嬌たっぷりの大鼓腹の姿の神様である。インドでは幸運を象徴する最も愛されている神様だ。 
 祭りの雑踏の中で少女が後を追ってきた。振り返ると私を見上げて、右手を自分の唇に当ててこちらに差し出す動作を何回も繰り返す。喜捨を乞うているのだ。お祭りを祝う食べ物を買うお金も無いというのだろうか。ポロシャツを大きくせり上げているわが大鼓腹に気がついて苦笑しながら、ガネーシャ様に成り替わったつもりになって、何枚かのお札を少女の手に握らせた。
 その額はいかにも多すぎたのだろう。その子は信じられないというように大きく眼を見開いて、走り去った。
  『きっとガネーシャ様が下さったのだわ。』あの子はそう思ったのに違いない。 少女からこぼれ出た喜びの表情は、まるで小さな奇蹟を見るように輝いていた。その子の長い髪が蝶々のように飛び跳ねながら群衆の波の中に呑まれていくのを目で追う。
  『施しを受けたのは、むしろお前の方なのだよ』という声を私は心のどこかで聞いていた。(了)