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池田昌之です。

このブログはあるゴルフ倶楽部の会報に連載したゴルフ紀行が始まりである。その後テーマも多岐にわたるものになった。

ーその10 ハワイでのゴルフ・風が見たものー

2012-06-15 16:04:15 | ニュージーランド / ハワイ

ーその10 ハワイでのゴルフ・風が見たものー

 1994年の12月にハワイに4日間滞在した。その間殆んど毎日風が吹いていたような気がする。
 ホノルルがあるオアフ島とマウイ島を訪れたのであるが、不思議なことに同じ島内でも場所によって
風の強さがぜんぜん違うのである。
 極端な例かもしれないが、オアフ島のパリーという風の名所を訪れたときは物凄かった。空が吠える
ような猛烈な風圧の中で吹き飛ばされないように、何かに掴まりたい位であった。
 
 その後にすぐワイキキに降りてみたが、そこはまさに別天地であった。ホテルのポーチに腰かけてい
ると心地よいそよ風が頬を撫でていく。
 ハワイアン・バンドのトリオが、囁くように『真珠貝の歌』のメロディを爪弾いている。あの懐かしい、ゆ
ったりした波のうねりのように上昇と下降を繰り返す音階が、夕映えにそよぐヤシの葉影を漂っていく。
聴くほどに穏やかな陶酔の気分が身体中を浸してくる。

 ホノルル・マラソン競技の翌日、マウイ島へ向かう。
 風の中で機体を震わせているプロペラ機に滑り込む。セスナに毛が生えた程度の小型機である。座席
数は18席である。後部の登乗口に近い席に陣取る。近くの2列の席の背もたれに赤いカバーがしてある。
『英語の堪能でないものは座るべからず』と掲示してある。緊急時の配慮であろう。
 パイロット兼パーサーの男が早口の英語で話しかけてくる。若い日本人の女性の二人連れがキョトン
としていると、引っ張りだされて席を替えさせられてしまう。

 飛行機は間もなく、向かい風に煽られるようにして舞い上がった。ホノルル市街が白っぽい靄の中で
かすんでいる。ダイヤモンド・ヘッドの褐色の山肌が、眼下を横切って視界から消えていく。

 海面一杯に白い波頭が立っている。よく目を凝らしてみると、潜水艦の潜望鏡らしいものが何本か突
き出して航跡を引いている。真珠湾の艦隊の訓練なのであろうか。
 平和な日常の風景にはそぐわない。一瞬不意を突かれたような不安な気分が胸をよぎる。

 前々日に訪れた真珠湾上のアリゾナ記念館が目に浮かんでくる。
 
 ………約20分の真珠湾攻撃の再現フィルムを見たのち、艀で洋上の記念館に向かった。圧倒的な                                    破壊のシーンが、淡々としたナレーションと共に映し出される。それが瞼を離れないが、目の前の平和                                    な現実とはどうしても重ならない。
 戦争というものを、狩り出される側の個人の意識のレベルで捉えてみるなら、一体それは何だろう。
真珠湾攻撃の艦載機から魚雷を発射した若い飛行士の心中に、どの位の憎しみの感情があっただろう。
 日本側の宣戦布告は攻撃の前に相手に届く手筈だったが、タイピストが休日で不在のために遅れた。                                        米国の政府首脳は奇襲を予知していたが、日本海軍の実力を軽視して真珠湾の艦隊には知らせなかっ                                       たともいわれる。 
 こうして戦争は始まった。戦争とは一種暴力的な風に似た、狂気の応酬のようなものである。
 
 海底に沈んだままの戦艦アリゾナを跨ぐ形で白亜の記念館が建っている。それは時々空を引き裂く                                           ように鳴る風の中で、どっしりと海面に腰を据えている。心持肩を怒らした船の艦橋の姿である。
 いまだに船体の一部分から重油が漏れて海面に浮かびあがってくるという。もう半世紀以上前の重い                                          歴史的事実と現在を繋ぐ強い意志のようなものを感じさせる。
 記念館には艦と運命を共にした約1500名の戦士の名を刻んだドームがあった。日本の慰霊団が
捧げた花輪があった。それが枯れそうになって残されていて、虚しさを感じさせた。
 遙か東のホノルル市街の方に、美しい虹か出ていて息をのんだ。
 虹の橋は不幸な歴史を越えて、未来に向かって架けられているのだろうか。………

 

 飛行機はオアフ島の南のモロカイ島をかすめて東へ進んでいく。山肌には大昔に火山の溶岩が、                                              一斉に海に雪崩れ落ちた跡がそのまま残されている。その異様な景観の上を、風が吹く。飛行機は                                      あまり高度を下げもせず、マウイ島の北端の小さな空港に着陸する。
 滑走路を白い霧が流れる。それとも空港そのものが厚い雲に包まれたのか。風が霧を吹き流した                                             向こう一面に、パイナップルの畑がうねって続いている。そのまた向こうには視界一杯に海が広がって                                               いる。
 モロカイ島とラナイ島の雄大な姿が、その海と空の間を繋いで広がっていた。
 ホテルに手配しておいたリムジンの到着を待ちながら、茫然と景色に包まれて立つ。
 そぞろ歩きの通りすがりに、所在無げな金髪の女性と目が合う。黒いスパッツにすらりとした脚を包み、
何となく憂いを感じさせる表情だ。やるせない旅情がヒタヒタと心に溢れてくる。

 目指すカパルア・ベイのホテルはリムジンで約10分の距離だった。クリスマス・シーズンの端境期で、
ホテルは拍子抜けするくらい空いていた。客の姿もまばらである。
 ホテルの庭園は、白い波頭に噛まれた岬を抱き、風に煽られる椰子の樹林に縁どられている。、
 

 陽差しは紛れもなく午後であり、時が急ぎ始めている。昼食もそこそこにして歩いて数分の所に有る                                                    『ベイ・コース』に向かう。一応スタートの予約をしておいたが、当方はたった独りなので 日本人の夫婦                                     らしい一組と組み合わされることになった。
 スターターがそのことを告げると相手方の男性は一瞬当惑した表情を浮かべた。そして何か言おうと                                      したが、思い止まった様子だった。

 『Nと申します』とご主人らしい男性が日焼けした顔に微笑を浮かべて、折り目正しい挨拶をした。奥さん                                                                   らしい女性はカートの蔭に隠れるようにして目礼をしただけだ。人見知りをするタイプなのであろうか、でも                                    中々の美人である。

 『私の家内はまだ初心者なので、ご迷惑を掛けるかも知れませんが、宜しく』
 『いいえ、こちらも下手ですからどうぞお気軽に』という遣り取りがあって、我々の乗った2台のカートは走                                              り出した。

 1番ホールはやや登りのロング・ホールだ。猛烈な向かい風に煽られたのと、貸しクラブが重いせいか、                                                              ティ・ショットをダフってしまう。2打目も3打目も地を這うような当たりばかりで、だんだん焦ってくる。相手の                                    夫婦はと見れば、フェア・ウェイの逆のサイドでもっと苦労をしている様子である。奥さんの方が一向に前に                                 進まないのである。ご主人が辛抱強くそして丁寧に手を取るようにして教えている。まるで何か壊れやすい                                  ものを大切に扱っているような雰囲気が感じられるのであった。
 我々の次のもう一組の日本人の男女が、後方でじっと待っているのが見える。やっとの思いで1番ホール                                      を終えたところで、恐る恐る提案してみた。
 『後ろの組は二人のようですから、パスさせてしまいましょうか?』
 『 ………」
 『その後に外人の組が続いていたようですから、思い切ってこの儘行ってしまいましょう』
 奥さんの方を気遣いながらご主人が言う。言い方はソフトであったが、そこには決然とした意思が感じ                                                          られた。目を伏せている奥さんを突風が容赦無く襲う。乱れ髪を風に舞うに任せているその顔には、何故か                                      はっとするような凄惨な美しさがあった。

 フェア・ウェイのはずれに、コンドミニアムがひっそりと立ち並んでいる。
 凹地に舞い降りるような2番グリーンを終えて、3番のショート・ホールに向かう。正面に小さなチャベルの                                       塔の十字架が見えた。その背景は海である。右手にはホテルの建物が榔子の樹の間に見え隠れしている。                                        左手にはカナダ杉のお行儀のよい樹列が続く。美しいホールである。どうしたことか後続の組の人たちの                                                                         姿が全然見えない。途中でショート・カットして先に進んでしまったのかも知れない。私は初めて落ち着いた                                                            気分になって、辺りを見回す余裕を取り戻した。カメラを取り出してこの風景をフィルムに収めようとすると、                                              相手のご主人が『シヤッターを押しましょう』と近寄って来た。
 『記念にそちらの方も如何ですか』と言うと、                                                                                     『いや私達は以前ハワイに駐在していたので、たくさん撮っていますから』と固辞する。このご主人はいろいろ                                                             とこちらに対して気遣いを見せて呉れるのであるが、何となく一定の線から中には踏み込ませないというような                                                              感じがあって、お互いの身上のことを話題にするのは憚られた。

 

 次のホールは小さな岬の根本に差し掛かる。猛烈な横風を充分計算に入れて、ショート・アイアンをグリーン                                                                  右横のバンカーに向けて打ったのに、ボールはグリーンの遥か左へ流されていってしまった。処置なしという                                                             感じだ。
 次のショート・ホールが又難所である。目の前の崖が深く抉られて湾が口を開けており、泡立つ海の向こうに                                                  グリーンがある。スコア・カードを見ると154ヤードと書いてあるが、えらく遠く感ずる。
 こちらは一寸遅れてティ・グラウンドに到着したのであるが、それは、それこそあっと言う間の出来事だった。                                                  奥さんが真っ先に打った。シャンク気味の打球はあえなく海に消えて行った。遥か向こうのグリーンの近くに                                                赤いテイが見えるのに、何故今回に限ってわざわざ難しい白いティから打ったのだろう。びっくりしていると、                                                    奥さんがもう一度打ち直した。今度はダフってボールは眼前を転がつて消えた。彼女が憑かれたような表情で                                                  ボールをもう一つ取り出した。
 一瞬空気が凍り付くように張りつめた。あっと声を出す問もなく、 もうひと振りが空を切りボールは数メートル                                                  先に転がった。サイレント映画のひとこまのように物音がすべて消え失せて、何も聞こえない。突然、彼女が                                                       蒼白な顔をして、いきなリクラブでティ・グラウンドを叩くような構えをしたように見えたが、それよりほんの一瞬                                               早くご主人が動き、彼女の両肩を優しくしつかりと抱いた。                                                                                『君が打つ場所は、此処じゃなくてあっちだよ………』                    |
 この瞬間に轟音と共に一陣の突風が襲い、ご主人の帽子を吹き飛ばした。ご主人は笑い声の悲鳴をあげて                                                    帽子を追う。奥さんも一瞬遅れてその後を追い掛ける。帽子は運良く少し離れた濯木に引つ掛かって、二人が                                             折り重なるようにして取り押さえることが出来たのである。 二人は顔を見合わせて大笑いをする。こちらも救わ                                                   れた気分でこの笑いに唱和して、何かを吹き飛ばすように大声をあげた。

 『私は、実はハワイは初めてなのですよ。ホノルル・マラソンを見に来たのです』と私は当たり障りのない話題を                                                 投げ掛けた。

 ………『頑張って、頑張って、大丈夫!』ホノルル・マラソンの10キロ地点で、市民のボランテイアーの人たちが                                            日本語でランナーを励ます、あの掛け声が耳に蘇って来る。この『頑張って……』は、その時のご主人に対す                                               私の気持ちが呼び起こした運想だったのかも知れない。
 このマラソンの参加者は年々増えて3万人を越え、日本人の数は2万2千人に達するに至ったのである。この大                                          イベントは 1万人を越す地元のボランテイアーの献身的な運営に依って、毎年世界各地の市民ランナーを集める                                               祭典となっている。
 大会の基本の精神は「アロハ・スピリット」つまり真心からの歓迎と人間愛である。この大会の随所に、お互いに                                                励まし合って走ることと、それを支援することを通じて心の触れ合いが見られ、感動的であった。…………

 その後は無事にワン・ラウンドの残りを終えてクラブ・ハウスヘ戻る。夜のとばりが慌ただしく降りた。
 別れ際にご主人の見せた眼差しには、深い感謝の気持ちが込められているように見えたのは、私の独りよがり                                                       の思い違いだったのだろうか。

 シャワーを浴びさっばりして、夕食に行く。ホテルの中のレストランは休みなので、ベイ・クラブと言う場所まで、                                                     10分程林の中を歩く。海岸の戸外にオープンとなったレストランには、数組の老夫婦が静かに食事をしている。
 その内の一組が風を避けて私の近くに席を移して来た。食事の最中に何度となく皺だらけの腕で抱き合って、                                               キスをしては、愛を確かめ合っている。

 帰り道に林の切れ目から砂浜に出て見る。大きな立札が目に入る。
  『高波に注意!もし高波に襲われた場合は絶対に波に背を向けない事』と物騒なことが書いてある。
 踵を返して立ち去ろうとした時、一陣の黒い突風が首筋を襲った。恐怖のあまり、叫びそうになった。

 林を越すと、ホテルの窓の疎らな明かりが見えた。遠くから人の温もりを伝えて来て呉れた。
 私は暗い海に向かって振り返り、大きく腕と脚を拡げて、温かい風を身体一杯に受け止め、抱いた。                                    (了)                                                                     


 



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