ホール・インワンの光と影
これはあるゴルフクラブの会報に寄稿したものに、若干の訂正・加筆をした文章である。
ホール・インワンをこの目で見たのは、かれこれ20年ほど前のことである。約150ヤード先のティーグラウンドは逆光と背景の木立のせいでやや黒ずんで見えた。
プレイヤーの動作を捉えようと目を凝らした瞬間に、打ち出された白球に視線がピタリと合ったのである。白い光の空にボールが打ち出された。ボールは重みに耐えかねたように、放物線を描いてグーンと目前に迫ってくる。ボールは一瞬視界から消えたと見るや、ボターンという質量感のある音とともに、ピンの7~8メートル手前のグリーン上に落下して、スライス・ラインを描いてカップに消えた。
先行組の我々が拍手をしながら迎えているのに、気持ちが舞い上がってしまった、当の若いプレイヤーは友人たちとはしゃぎ廻っていて、我々には目もくれずにいる。そのまま一言の答礼もないのには興ざめだった。
演じた人間の非礼はともかく、ホール・インワンしたボールの描いた線はまるで奇跡のように美しく脳裏に焼き付いて、違う意思の仕業かと思わせるものがあった。
ところでホール・インワンの快挙を祝う流儀にもいろいろお国柄がある。
その昔シンガポールで経験したさわやかな体験がある。プレイが終わって冷たい飲み物で寛いでいたときのことである。『ミスター誰それが、X番ホールでエースの快挙を成し遂げました。今食堂においでの皆様にお飲み物を振る舞いたいとの申し出がございました。ご本人に対する心からのお祝いの気持ちを込めてご紹介申し上げます』とのアナウンスがあり、期せずして拍手と歓声が沸きあった。
家族連れで賑わう休日の食堂は、華やいだ気分で盛り上がった。飲み物の伝票に本人のサインをもらいがてら、ヒーローに握手と祝福をする人々の列ができた。開け放たれた戸から、南国の午後の風が爽やかに吹き抜けていった。
ホール・インワンを巡る話では、台湾で経験したミステリヤスな事件がある。これは、ゴルフ紀行・その2 事件は霧の中で起きたで書いたので省略する。ホール・インワンがもたらす恩寵にもいろいろあるという話である。
我が国ではホール・インワンのお祝いを派手にやるという点では、他国に絶対引けを取らない。それで時には笑えない悲喜劇が起きることもある。海外出張中に、保険の期日が到来することには気が付いていたが、その延長を仕損なった人がいる。帰国後すぐやればいいと多寡を括ったのである。ところが週末に帰国して、ゴルフ大会に出た。そこでホール・インワンをやってしまったのである。参加者も大勢だったので、大変な物入りを蒙ることになった。保険会社の友人に頼まれて入った保険なので、何とかバックデイトで延長をと頼んだが、それだけはと断られたという。
さて次は私自身のホール・インワンの経験の話だ。場所は大日向カントリークラブ、時は約20年以上も前のことである。
ある先輩がお祝い状をくれた。『ホール・インワンの快挙おめでとう。私自身の経験から申すと、これから半年ぐらいは、ショートホールにやってくるとまた入り相な気分になる筈です』本当にその言葉通り、しばらくはショートホールに来るといつもそんな気分になった。
でもそもそもそれが実際に起きたときは、身構えるすべもないと突然の出来事だった。中学時代の同級生とのゴルフだった。しかも高速道路で事故渋滞に合って遅刻するという最悪のスタートの日だった。
ホール・インワンはその直後の2番ホールで起きた。『お友達ゲーム』というのをやっていて、相方の第1打者がピン4~5メートルに寄せた。第2打者の私が、よしそれならばと、勢い込んで打った球が入ってしまったのである。
ピンに絡んで行くなとは思ったが、ボールが消えるほんの一瞬の残像は、靄がかかったようでやや頼りなく、コトーンという音だけがやけにはっきりと耳に残った。
さて事後の処理はやはり語るに落ちるというか、人並みのことになってしまった。
同伴の悪友たちに宴席をたかられた。また長いゴルフ暦の間に一緒にプレイしたことのある方々に記念の時計をお送りした。加えて、ゴルフ・ウィドウの家内へハーフ。セットのゴルフクラブを送ることを忘れなかった。
もしかすると、平素の不義理を幾分なりとも埋め合わせさせようというのが、ゴルフの神様のご託宣だったのかもしれない。(了)