槍と銃剣

近世西洋軍事と日々の戯言&宇宙とか色々

行軍速度についての考察

2005年10月09日 22時49分13秒 | 大北方戦争+軍事史
17c-18cの時代において、行軍速度が遅かった理由は主に次の5つである。
1.大砲の重量と規格の問題
2.民間人の規模
3.補給の方式
4.地図の有無
5.前進の方式
これらはそれぞれが独立した理由ではなく、互いに関連する。
しかしいきなり総合的に考えるのは極めて分かりにくいので、
それぞれを独立して考える。

1.大砲の重量と問題
18世紀前半まで、大砲には野戦砲と攻城砲の区別がなかった。
そのため、歩兵隊に付属される一部の連隊砲を除き、すべての砲は、
攻城用の砲弾や装薬に耐えられるように頑丈に作られていた。
この結果、大砲は非常に重たく扱い難いものとなった。
しかも砲兵には多くの民間請負業者がおり、兵の扱いと同様に、
砲そのものの規格の違いにも悩まされた。
兵士ではないと言うことは、行軍時に逃亡する確率が高いと言うことであり、
規格の違いは砲兵段列の負担の増大・段列の大規模化に繋がった。

2.民間人の規模
18世紀前半にもなると、30年戦争当時ほどひどいものではなくなったが、
それでも、民間人の集団はつねに軍隊に付随した。
彼らは規律を乱し、彼らの持つ大量の荷物は行軍の足手まといとなった。
しかし彼らにしか提供できないサービスは、
当時の兵士たちを戦場につなぎ止めるのに非常に役立ち、
そのため、軍はその集団となかなか決別することが出来なかった。
しかも、身分の高い士官・将校らも自分たち専用の従卒や馬車を保有しており、
それらを軍隊に付随させた。
彼らもまた行軍の大きな足手まといであった。