17c-18cの時代において、行軍速度が遅かった理由は主に次の5つである。
1.大砲の重量と規格の問題
2.民間人の規模
3.補給の方式
4.地図の有無
5.前進の方式
これらはそれぞれが独立した理由ではなく、互いに関連する。
しかしいきなり総合的に考えるのは極めて分かりにくいので、
それぞれを独立して考える。
1.大砲の重量と問題
18世紀前半まで、大砲には野戦砲と攻城砲の区別がなかった。
そのため、歩兵隊に付属される一部の連隊砲を除き、すべての砲は、
攻城用の砲弾や装薬に耐えられるように頑丈に作られていた。
この結果、大砲は非常に重たく扱い難いものとなった。
しかも砲兵には多くの民間請負業者がおり、兵の扱いと同様に、
砲そのものの規格の違いにも悩まされた。
兵士ではないと言うことは、行軍時に逃亡する確率が高いと言うことであり、
規格の違いは砲兵段列の負担の増大・段列の大規模化に繋がった。
2.民間人の規模
18世紀前半にもなると、30年戦争当時ほどひどいものではなくなったが、
それでも、民間人の集団はつねに軍隊に付随した。
彼らは規律を乱し、彼らの持つ大量の荷物は行軍の足手まといとなった。
しかし彼らにしか提供できないサービスは、
当時の兵士たちを戦場につなぎ止めるのに非常に役立ち、
そのため、軍はその集団となかなか決別することが出来なかった。
しかも、身分の高い士官・将校らも自分たち専用の従卒や馬車を保有しており、
それらを軍隊に付随させた。
彼らもまた行軍の大きな足手まといであった。
1.大砲の重量と規格の問題
2.民間人の規模
3.補給の方式
4.地図の有無
5.前進の方式
これらはそれぞれが独立した理由ではなく、互いに関連する。
しかしいきなり総合的に考えるのは極めて分かりにくいので、
それぞれを独立して考える。
1.大砲の重量と問題
18世紀前半まで、大砲には野戦砲と攻城砲の区別がなかった。
そのため、歩兵隊に付属される一部の連隊砲を除き、すべての砲は、
攻城用の砲弾や装薬に耐えられるように頑丈に作られていた。
この結果、大砲は非常に重たく扱い難いものとなった。
しかも砲兵には多くの民間請負業者がおり、兵の扱いと同様に、
砲そのものの規格の違いにも悩まされた。
兵士ではないと言うことは、行軍時に逃亡する確率が高いと言うことであり、
規格の違いは砲兵段列の負担の増大・段列の大規模化に繋がった。
2.民間人の規模
18世紀前半にもなると、30年戦争当時ほどひどいものではなくなったが、
それでも、民間人の集団はつねに軍隊に付随した。
彼らは規律を乱し、彼らの持つ大量の荷物は行軍の足手まといとなった。
しかし彼らにしか提供できないサービスは、
当時の兵士たちを戦場につなぎ止めるのに非常に役立ち、
そのため、軍はその集団となかなか決別することが出来なかった。
しかも、身分の高い士官・将校らも自分たち専用の従卒や馬車を保有しており、
それらを軍隊に付随させた。
彼らもまた行軍の大きな足手まといであった。