槍と銃剣

近世西洋軍事と日々の戯言&宇宙とか色々

軍事史的視点

2007年01月06日 00時07分41秒 | 大北方戦争+軍事史
一部、改稿した。
イントロダクションの中の通史の一部分

大北方戦争を簡単に軍事史的視点で見るという試みを行った文章なのだが、以前のものは、どうにもクラウゼヴィッツの絶対戦争に囚われすぎていた。よって次のように大幅に変更した。絶対戦争という言い回しを捨てて決戦戦争にしてみた。決戦戦争や消耗戦争という言葉は余り好きではないが、それに代わる単純な言葉がないことからこれを採用する。限定戦争はもっと問題があるし。

 また軍事史の視点でこの戦争を見ると、当時としては一般的な消耗戦争の中に、後代のナポレオン的な決戦戦争の片鱗を発見することが出来る。「騎兵の歴史」を著したデニソン大佐はカール12世が行った1705年の追撃戦を1806年のイエナ会戦後にミュラ元帥の騎兵が行った大追撃に比肩しうるとすら述べ、彼の戦場外追撃を激賞している。結局、カール12世はナポレオン的な決戦戦争を、1706-7年の戦役を除いて、政治的問題から完全に遂行することが出来なかったが、それは逆を言えば、近世的な常備軍を用いても決戦主義的な機動戦を行うことが可能であると言うことを示していた。
 勿論、このような消耗戦争の中の決戦主義的な戦争を、歴史家マクレガー・ノックスのようにカール12世を狂信者と表してこの指揮官の個性に原因を集約させることも可能である。しかし、冷静に見てこれは与えられた戦略的状況を正しく評価しているとは言い難い。むしろ、J.パーカーが17世紀の事情を観察したものと同じように要塞未発達地域であったポーランドやバルト沿岸部、ロシアが戦場になったことを大きな要因として考える方が妥当である。そしてまた、それ故にこそ、この戦争は、「補給戦」の著者クレフェルトが主張する「"敵の要塞の比較優位と戦略目的としての敵の野戦軍との関係"が、消耗戦争と決戦戦争(もしそのように戦争を単純化するならば)を分けた本質的原因であり、また、いつの時代においても"現地徴発が戦略の基本"」と言う説が誤りでないと言う証拠の一つとなっている。
 つまる所この戦争は、消耗戦争の中にいびつな形の決戦戦争が混じり合う非常に興味深い様相を呈しており、近代の戦争と近世の戦争を考える上で多くの示唆を与えてくれる戦争であると言えるのである。

明けましておめでとうございます

2007年01月01日 14時32分09秒 | 戯言
みなさま、明けましておめでとうございます。
去年は結局、まともに更新することのできない一年になりました。
今年は少し、趣向を変えていこうと考えています。

この5年で分かったことは、できないことはできないという真実でありまして、HPも幾分か縮小するつもりです。シンプル イズ ベストが今年のテーマになると思います。
それでは。