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ザ人物伝 スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)生い立ち

2021-04-10 14:56:53 | 連絡
スティーブ・ジョブズは1955年2月24日、シリア人の父アブドゥルファター・ジャンダーリ (阿: عبد الفتاح الجندلي‎)と、アメリカ人の母ジョアン・キャロル・シーブル (英: Joanne Carole Schieble)との間に、サンフランシスコで生まれた[25][26]。
ジョブズは生後すぐに養子に出され、養父母となったポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻によって育てられた[25]。
実父アブドゥルファター・ジャンダーリは1931年にシリアのアラブ人ムスリムの家庭に生まれ、ホムスで育った[27]。レバノンのベイルート・アメリカン大学に入学したジャンダーリは学生活動家となり、政治的活動に参加して投獄されたこともあった[27]。 その後、ジャンダーリはPh.D.の取得を目指してアメリカのウィスコンシン大学に留学し、そこでのちにジョブズの実母となる、スイス系アメリカ人のジョアン・キャロル・シーブルと出会った[27][28]。
ジャンダーリとシーブルは同年齢であったが、Ph.D.候補生であったジャンダーリはシーブルが受講した授業のティーチングアシスタントを務めていた[29]。ジョブズの実妹であるモナ・シンプソンによれば、シーブルの両親は娘がムスリムの男性と交際することを好ましく思っていなかった[29]。ウォルター・アイザックソン(英語版)によると、シーブルは父親から「ジャンダーリとの交際を続けるなら勘当する」と脅されていたという[28]。
ジャンダーリによれば、父親が自分との結婚を認めなかったため、シーブルは誕生以前からジョブズを養子に出すことを決めていた[26][30]。ジョブズが2005年6月12日のスタンフォード大学の卒業講演で語ったところによると[31]、母であるジョアンはポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻が大学卒でないことを知り養子縁組を躊躇していたが、ジョブズ夫妻がスティーブを大学に進学させることを約束したために養子縁組が成立したという。余談であるが、実の両親はのちに正式に結婚して女の子をもうけ、それから離婚している。
スティーブが生母と再会するのは、スティーブが30歳を過ぎて、養母であるクララが亡くなった1986年である。ジョブズはそのときに初めて実の妹であるモナ・シンプソンがいることを知り、その後彼女とも初対面を果たした。
一方、ジョブズは実父とは死ぬまで一度も会おうとはしなかった。父親のジャンダーリも、息子の成功に便乗していると思われるのを恐れ、親しい友人にも息子について語ることはほとんどなかったという[32]。



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