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弧状列島,共助,Music Machine GO! GO! ザ人物伝 31歳ユーチューバ HIKAKIN

2020-05-16 11:45:44 | 連絡
出演者 :
小林克也
5月16日(土) 08:00-08:30
聴取可能期限:2020年05月17日 11:20まで
パーソナリティ:小林克也
「小林克也流」音楽のエッセンスがつまったブログラム。ラジオだからこそ楽しめる音楽の世界を、土曜日の朝たっぷりお届けします。
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HIKAKIN(ヒカキン、1989年〈平成元年〉4月21日[1][2] - 31歳)は、日本の男性YouTuber、ヒューマンビートボクサーである。UUUMファウンダー、最高顧問。
1989年4月21日、新潟県中頸城郡妙高高原町(現・新潟県妙高市)で次男として生まれる[1]。小さい頃は、教室の隅の方にいる変わった少年だった[8]。雪の多い上越地方で育ったことから、小学生の頃の夢は「スキージャンプでオリンピックに出場すること」で、高校生までスキージャンプをしていた[1][9]。
<スキージャンプ
高校までスキージャンプの競技をやっており、全国で8位に入る腕前だった。そのスキージャンプ選手時代に北海道所属と長野所属の選手で合同合宿をやった際に、当時小学生だった高梨沙羅のフォームチェックのパートナーを務めていたこともあった。ノルディック複合にもチャレンジしており、夕方からの部活で20km走るトレーニングを行うなど「青春のすべてをスキーに捧げていた」と語っている[34]>

 妙高高原町立妙高中学校を経て新潟県立新井高等学校に進学し、上越でのライブ活動などを開始[1][11]。そして、2006年12月にYouTubeにて自身の公式チャンネル「HIKAKIN」を開設する[1]。当初は海外のビートボクサーの動画を閲覧する目的で始めたが、自分で投稿すれば逆に見てもらえるのではと思い動画投稿を始めたと語っている[11]。開設してすぐに動画を投稿したが、当時の動画はほとんど残っておらず、現存している最古の動画は2007年に浴室で撮影したビートボックスとなっている。当時は高校3年生だった[10]。

そして、2010年に『スーパーマリオブラザーズ』シリーズのBGMをビートボックスでメドレーにした動画「Super Mario Beatbox」をアップロード。この動画がYouTubeにおける日本国内月間アクセス一位を記録し、アメリカ合衆国の『CBS News』のトップニュースで取り上げられる[16]。アップロードの24時間後に20万アクセス、1週間後に100万アクセスを記録しその後、YouTube側からYouTubeパートナーのオファーが来る[15]。HIKAKINにとってはこの出来事による喜びが自分の原点だと語っており「スーパーの店頭で客に怒られたり、上司に嫌味を言われても自分にはYouTubeがある」と思っていたとのこと[14]。そして更に、2010年度YouTube世界ベストパートナートップ500人に選出[17][18]、「WOWスタープロジェクト2010」では優勝しラスベガスに招待された[19]。これらの出来事をきっかけに、パフォーマーとしてライブやテレビへの出演依頼も少しずつ来るようになった[10]。
2011年6月に日本で「YouTubeパートナーフォーラム」が開催される。当時は動画を投稿して生活するという考えさえなかったが、当イベントでアメリカのYouTuberであるミシェル・ファンに出会い、彼女の演説[注 1]に感銘を受けたことが転機となり、本格的に動画投稿を始める[20][10]。その後、「YouTube NextUp 2011」という受賞者は10組、賞金が200万円のコンテストが開催されチャンスが訪れる。当時、チャンネル登録者数が日本で1位だったため、周りからも受かるだろうと思われていたこともあり「これで会社を辞めて、YouTubeに専念できる」と自信を持ってコンテストに挑戦したが、落選した[21]。屈辱的な挫折を味わったその後、YouTuberへのアドバイザーの仕事をしている佐藤友浩に相談を求める。そこで、動画作りの基本をまとめたハンドブックをもらい、個別にも沢山のアドバイスを受ける。自身でも、国内外のトップクリエイターの動画を研究し、タイトルやサムネイルなどの編集スキルを真似していった。そうすること3ヶ月程、気づいたらYouTubeからの収入が会社員の給料を超えていたという[21]。
2012年にはスーパーの仕事を退職し、動画の投稿を通じた広告収入で生活する道を進むことになる[22]。会社員時代については、「好きなことを仕事にできていなかった事から辛かった。でも、『僕はただのサラリーマンじゃない。動画を作って、海外からもたくさん見られてるんだ』という意地のおかげで、仕事も続けられた。」と語っている[14]。 
慈善活動に積極的であり、2011年に起きた東日本大震災の際にはチャリティー握手会イベントで集まった募金200万円を公益財団法人東日本大震災復興支援財団に寄付した。2017年に起きた九州北部豪雨の際は赤い羽根共同募金を通して100万円を募金し、その際、動画公開前日にニンテンドースイッチのプレゼント動画を公開し、視聴者を多数集めた上で募金の呼びかけを行った[41][42]。2018年のロシアW杯日本VSコロンビアの際は、試合後に渋谷でゴミ拾いを行い、この動画内で「マナーを守って応援しましょう」と呼びかけも行っていた[43]。同年7月に起きた西日本豪雨の際は、100万円と自身のTポイント全額を寄付した[41]。 
HikakinTV





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