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経営者はメンタルヘルスにどう取組むべきか:ヒューマンリスクとしてのメンタルヘルス2010年2月24日嶋田 美奈

2022-06-05 17:14:10 | 連絡
開催日 2010年2月24日
スピーカ 嶋田 美奈 ((株)ICD代表取締役/臨床心理士)
モデレータ 森川 正之 (RIETI副所長)
 RIETI(独立行政法人経済産業研究所、英語名称:The Research Institute of Economy, Trade and Industry)は、2001年に設立された政策シンクタンクです。理論的・実証的な研究とともに政策現場とのシナジー効果を発揮して、エビデンスに基づく政策提言を行うことをミッションとしており、これまで20年以上にわたる活動を通じて内外から高い評価を得ています。
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〇メンタルヘルスとは
メンタルヘルスとは「心の健康」で、メンタルヘルスケアは「心の健康づくり」を指します。
メンタルヘルス不全者とはメンタルな問題を抱え、業務や生活に支障をきたす者、もしくは支障をきたすおそれのある者と理解されています。
メンタルヘルス不全者は経済状況の悪化や就職難のほか、心の病の認知度が向上していることを背景に増加傾向にあります。
米国労働安全衛生研究所(NIOSH)による職業性ストレスモデルによると、「急性のストレス反応(心理、生理、行動)」は「職場のストレッサー(作業、作業環境、人間関係など)」に「個人的要因(年齢、性別、性格など)」と「仕事以外の要因(家庭など)」と「緩衝要因(社会的支援)」の3つの要因のいずれかまたはすべてが作用して引き起こされます。
ストレス反応の方向性と程度はそれぞれの要因の有無により異なります。「疾病(ストレス関連疾病)」はストレス反応を受けた後も状況が改善されなかった場合に起こるといわれています。
NIOSHによるストレスモデル以外にもいくつかのモデルが存在しますが、明確な解決モデルは提示されていません。
それぞれの要因について個人差が大きく、共通の対策を講じることが難しいためです。どこからが病気なのか、急性と慢性との区別が難しいのも解決モデルが提示されないことの大きな要因となっています。
ー略ー
〇経営者のメンタルヘルス
現在取り組まれている企業のメンタルヘルスは従業員が主になっており、経営者・経営陣を対象としたメンタルヘルス対策はありません。
しかし一方でメンタルヘルスの問題を抱える経営者の数は増加しています。
実際、中小企業経営者の自殺者数は大企業管理職の自殺者数の約4倍の多さになっています。
経営者・経営陣を対象としたメンタルヘルス対策を考える必要があります。
そうした対策は従業員を対象としたメンタルヘルス対策とは別物として位置付ける必要があります。
企業として精神科医や心療内科医といった専門医とのネットワークを持つ必要もあります。
経営者自身も健康管理とストレスコントロールをうまくして、疲れた時には健康対策として進んで休みを取る姿勢を企業内でアピールすることも必要です。
〇質疑応答
Q:
(1) 日本人の自殺者が世界の中でも多いのは国民性の問題も絡んでいるとお考えですか。
(2) 社会に進出することに不安を感じる学生が多い中、どういうアドバイスをすればメンタルヘルス問題の軽減につながるでしょうか。
(3) メンタルヘルス不全者なので人員削減の対象とするという考えに合理性はありますか。
A:
(1) 専門的に研究している訳ではないので断言はできませんが、国民性の問題は絡んでいると思います。「自分が大変になったときに他人に迷惑をかけないため」といったところで日本人には変な意味での「潔さ」があるのかもしれません。
(2) 学生に対するアドバイスは、自分にあった企業に入ることです。
自分の中でやりたいこと、企業の中で自分を活かせる分野をみつけることです。
すぐにあきらめないことも大切です。
何事もそうですが、基礎的なことはおもしろくありません。
おもしろさは、自分の中にある程度の知識や情報が蓄積されてから感じるものです。
その意味で、最初の2~3年は我慢して、いろいろなことがわかった上でおもしろくないのであれば、その時点で判断すれば良いのだと思います。
(3) メンタルヘルス不全者だから人員削減の対象とするというのは常識的な考え方ではありません。
メンタルヘルス不全者でもパフォーマンスの高い従業員は多くいます。
従って、メンタルヘルス不全者でもパフォーマンスの高い人材とそうでない人材は別の次元で考えるべきです。
メンタルヘルス不全だからという理由だけで問題を片づけることはできません。
Q:
ベックのうつ病調査表 (BDI テスト)を従業員に回答させて、それを時系列で追っていけばメンタルヘルスケアの効果はわかるのではないでしょうか。
メンタルヘルスの取り組みはうつ病に対し医学的に効果のある治療法(認知行動療法や対人関係療法)とは関係のないように思えます。効果はあるのでしょうか。
A:
BDIテストで費用対効果が明かになるのであれば、ぜひ取り組んでいただきたいと思います。
メンタルヘルスの取り組みの目的はメンタルヘルス不全者の早期発見であり、治療ではありません。
これがメンタルヘルス分野での主流の考えです。
認知行動療法や対人関係療法でケアするのはハイリスクアプローチで、そうしたケアはEAPや専門スタッフにより提供されるものです。
これは企業内での取り組みとは別の話です。
企業内でのメンタルヘルスケアの取り組みは、従業員1人ひとりがメンタルヘルスケアに関する知識を持ち、メンタルヘルスに関する問題を発見し、ストレスを早めにコントロールし、問題を放置しないようにするための予防的手法として取り入れられているものです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。


【後編】メンタルヘルス領域のスタートアップ代表がうつ病で退任した話2020年11月25日小林宣文/ゆえ@Re代表

2022-06-05 16:27:38 | 連絡
■自身のコンディション面を振り振り返っての気づき
回復期になり、ようやく自身を振り返ることができるようになりました。
振り返りの中で感じた「未然に防ぐためにできること」、「それでも発症してしまったら」これら2つの視点でまとめたものをご紹介します。
 ・未然に防ぐためにできること
1.意識して休みを取る
どんなに忙しくても、ストイックでも、定期的な休息と遊びをとった方が良いです。
体力と同様、メンタルにも回復が必要です。
「会社が大変な時に遊んでる場合か!」と思いがちですが、少しの時間でもそこから離れる時間を持った方が良いです。
の道疲弊したままひたすら邁進してもブレイクスルーは生まれません。
可能なら宣言して休むくらいがちょうど良いと今では思います。
よくあるのが、「今は頑張る時」ってアクセル踏むと、大体数ヶ月どころか一年くらいそのまんまになるパターンです。
だからこそ、「どんなに忙しくても」を強調したいです。
2.メンタルの黄・赤信号サインを把握する
弱ってきたり、疲れてきた時が慢性的に続くと当然ながら発症リスクは高まります。
疲弊してから、発症してからでは自身のコンディションや危険なサインなどを把握する余裕は全くなくなります。
平時から自分の状態に目を向け、高ストレスによってどんな身体症状や行動が現れるか把握しておくことで早期にケアや対策が可能になります。
当時を振り返って、これは赤信号だったなと感じたのは、当時相談に乗ってくれた事業家仲間が、「自社に最も大切なピースは誰でもなく、代表である君とその想いだ。お金がなくても、人がいなくても諦めない限り何度でもやり直せるから」という言葉をかけてくれました。
当時ももちろん理解はできたものの、既に発症し、動けなかった私には「そうは言っても……」という感情がありました。
今ならこの言葉が本質を示していることがよく分かります。
この経験から、この言葉が腹落ちしなかったり、「but」が出てくるなら自分のコンディションは赤信号だと認識するようにしています。
3.自身のメンタルに対しての弱点を知る
平時の際、自分の天敵やシチュエーションを先んじて知っておくと、いざとなった時に対応しやすいです。
私の場合、ハードワークや予想外のアクシデントなど、社外での出来事にはかなり耐性がありましたが、組織内の人間関係が致命的でした。
これを把握した上で、「自身で立ち向かうところ」と「外注して敢えて触らないところ」をしっかり決めておけば良かったと感じています
4.専門家や第三者に対応を依頼する
今回の件を経て、予め専門家や第三者に処理を依頼する「戦略的に逃げる」ラインを決めておくことが重要だと思いました。
経営者は責任感から、自身の問題として捉え、処理しがちですが、自身が壊れてしまったら元も子もありません。
状況によっては表に出ない方が良い場合があることも、今回の一件で学びました。それも立派な対処法です。
うつ状態になるほど「こうすべき論」が心を支配し、視野が狭くなりがちです。一旦、その状況から距離を置きましょう。
5.深い相談ができる相手を「独立」して「複数」つくる 
事業者である以上、相談とはいえ弱みを見せることに大きな抵抗があると思いますが、それ以上にこの恩恵は大きいです。
事業領域やフェイズなど、いろいろな違いはありますが、自身と価値観が合う友人は平時はもちろん、緊急時にも間違いなく頼りになります。
ちなみになぜ「複数」なのか?というと、一人だけだと依存したり、その人と万が一揉めたりするとより強くダメージを受けてしまい、逆効果になるからです。
「独立」の理由も同様で、複数の相談相手が同じグループだったりするとグループそのもののポジショントークや別グループとの諍いなど、より苦しむことになるかもしれないからです。
6.周りの人からアラートを上げてもらう
初めてこの状況を経験する場合、「自分自身の行動異常についてはほぼ自覚できない」と思った方が良いです。
この時は「どんな不調でもただの甘えなのではないか?」と過剰な自責思考に陥りがちです。
そのため、早く気づくためには周りの目が重要です。
早期に指摘してもらえるように日頃から話しておくとより効果的だと思います。
今回は大西がこの役割を担ってくれました。
多分彼があの時止めてくれなかったら、もっと悪化してから病院にいっていただろうし、うつからの回復速度も遅かったと思います。
・それでも発症したら……
1.可能な限り早期に病院を受診する
精神科や心療内科と書くと他の科よりも心理ハードルは高いため、中々門を叩くのに勇気がいるかと思いますが、行ってみると雰囲気などはほぼ他のクリニックと同じです。
当時を振り返ると、「もっと早くに行けば良かった」と感じます。
2.投薬治療をしっかり行う
脳に作用する薬のため、抵抗があるのはとても分かります。
仕事柄、薬剤の構成や作用機序をある程度理解していたにも関わらず、私もとても心理的なハードルが高かったです。
しかしながら、この状況になったら飲まずに悪化する方が明らかに危険なので、まずは医師の提案通りに服用することを強くおすすめします。
もう一つ言いたいのは、次の診察時に、薬の合う合わないなどを自分が感じたままに伝えることです。
例えば、効きの良し悪し、増やしたい、減らしたい、副作用の表出などです。詳しい情報を医師と共有することで、薬剤選択の精度が上がり、結果的に早期の快方に向かいます。
3.一人の時間を作らない、余計なことを考える時間を減らす
一人でいる時や何もしていない時は特にあれこれと考えてしまい、症状を悪化させたり、トラウマが表出しがちです。
身体は休息していても、この状態の脳は活動を続けているため、回復しずらい状況にあります。
 自分が一緒にいて安心できる人、疲れない人、気を使わなくてよい人と一緒にいることでそれらを緩和することができます。家族やパートナーが該当しやすいですが、上記に当てはまらない場合も往々にしてあるので、自身が誰と過ごしたいかを優先すると良いと思います。
 また、人と過ごす方が疲れたり、消耗する場合もあるので、その際は「余計なことを考える時間を減らす」ことを目的に行動すると良いです。
映画やアニメ、ドラマなどのストーリーがあるものだと、それらで脳のリソースを消費できるのでおすすめです。 
4.とにかく休む
まずは余計なこと考えずに休みましょう。私も、当初もがいたので焦る気持ちは分かります。
しかし、脳や骨髄などの基幹部位は損傷・ダメージからの回復、代謝は通常の抹消組織よりも圧倒的に時間がかかります
根性があろうが焦ろうが自然の摂理なのでどうしようもないです。
徹底的にストレスフリーで過ごす方が回復は早いです
休養が良い人もいれば、適度に活動した方が「脳に対して」ストレスフリーな人もいるので、その辺りは自分の心に従って選びましょう。
5.振り返りをしばらくしないこと
焦って発症したきっかけや、事象に対して向き合おうとしないことを強く言いたいです。
少し症状が落ち着いても、原因そのものに向き合うのはまだまだ早いと思った方が良いです。
そっちに意識を向けた瞬間にぶり返すなんてこともざらにあります。
私の場合で言うと一年近くたった今、「ようやく向き合えるかな?どうかな?」とおっかなびっくり主治医の先生や臨床心理士の方々と相談をしながら模索しているような状況です。
■走り続けるスタートアップの仲間達に伝えたいこと
日々の業務も行いつつ、走りながら計画立案などの大きな絵も描かなければいけないポジションなので、自身の状態、特にメンタル・ストレスケアが後回しになりがちなのも痛いほど分かります。
もちろん私もそうでした。
常に自身のコンディションに気を配れというのは難しいですが、月次や週次など、自社を振り返るタイミングで必ず自身のメンタルコンディションも振り返ってほしいと思っています。
問題の早期発見、早期治療は事業でも、病気でも同じく大切なポイントです。
実際に発症、闘病を経験した現在、うつ病や精神疾患、メンタルヘルスの知識や理解が深くとも、実際の症状や苦しみは予想の遥か上にあるというのが正直な感想です。
一度発症すると、後遺症が戻るのに少なくとも1年以上はかかります
自分が命を懸けて取り組んでいる事業、サービス、組織構築、事業連携全てに大きな影響があり、最悪の場合は会社毎傾くことになりかねません。
社内外のメンバーを大切にするのと同じように、その大切な気持ちを自分の想いやコンディションにも向けてほしいと強く思います。
■最後に
私が早期回復できたのは、公私に関わらず周りの人たちのサポートが大きいと思っています。
当時の私にとって、寄り添ってくれる人と話したり過ごしたりする時間が一番の薬でした。
経営者である以上、弱みをみせると足元をすくわれたり、変に利用されたりするかもしれない不安があるので一人で抱え込む気持ちは分かります。
しかしながら、もっと早くに相談したり話したりすれば良かったと今では思っています。
もし、現在進行形で苦しまれている方がいれば、遠慮なくこちら



まで連絡ください。
絶対に力になれるとは言い切れないけれど、少しは楽になるかもしれません。お話ししましょう。


【中編】メンタルヘルス領域のスタートアップ代表がうつ病で退任した話2020年11月25日小林宣文Re代表

2022-06-05 15:24:54 | 連絡
■当時から現在までの症状とその推移
私の当時の状況についてお伝えする前に、まずはうつ病における治療の流れについて簡単に説明します。
うつ病は一般的に大きく症状が出る急性期を経て、徐々に回復に向かう病気です。
(下図参照)
下記URL
(引用元:https://utsu.ne.jp/treatment/approach/)
参照

治療としては下記のような流れになりますが、私を含め多くの方は、発症してからしばらくはうつ病の自覚や精神科で相談するという選択肢がそもそも存在しないため、図中にある「うつ症状があらわれる」から「治療期」に入るまでの期間が長くなりがちです。
当時の私もその選択肢がなかった1人です。ありがたいことに大西が私の異変に気付き、通院を強くすすめてくれたため、比較的早期に受診することができました。
私の場合は、時系列で症状や精神状態が大きく異なるため、症状が酷かった「治療前」と「治療開始直後の急性期前半」、「治療中の急性期後半」、「回復期」の4つに分けて書きたいと思います。
時系列は下記です。( )の中には当時の状況を記載しています。
1.2019年11月~2020年1月 治療前 (トラブル中、症状の自覚なし)
2.2020年01月~2020年2月 治療開始直後の急性期前半(退任決定、診療を勧められる)
3.2020年02月~2020年5月 治療中の急性期後半(退任後、治療開始)
4.2020年6月〜現在  回復期(療養やデイケア・リハビリを兼ねた仕事)
4つの状態についてそれぞれご説明をします。なお、当時の手記を元に記載しているため、一部表記が分かりにくい点があるかもしれません。
何卒ご了承ください。
・1.治療前
○時期
2019.11~2020.
1
○当時の状況
業務と並行し、社内トラブルを解決しようと一人で奔走していた時期。
大西が私と会社の異変に気付いてくれて、日本橋の大通りで彼との電話中に号泣したのもこの時期でした。
①食欲・体重の激減
私を知っている人は驚くかもしれませんが、食べることが好きだった私が、トラブルが始まってから全く食べれなくなりました。
一日一食、インスタントのお味噌汁だけで過ごす、みたいな日が何日も続きました。
創業後右肩上がりだった体重は、ピーク時の88kgから最終的に20キロ近く減少しました。
今思い返すとセルフネグレクトなどの自傷行為に近かったかもしません。
私の場合、中程度のストレスだと過食でメンタル側をリカバーし、
疾患発症レベルの過剰ストレスだと絶食になるのかもと感じました。
②睡眠障害
投資委員会や海外でのピッチなど、大一番でもしっかり睡眠は取れていましたが、この時期は起きている時、就寝時関わらず、常に頭の中で「何が悪かったのか、どうしたらいいのか」をエンドレスに考えてしまい、朝まで寝れないことが続きました。
 ③思考障害 
 人と会っている時、話している時だけはギリギリ体裁は保っていられたのですが、それ以外の時間は意識によらず、何をしていても「トラブルについての思考が止まらない状態」でした。
これによって、ストレスケアの観点から大切にしていた1人の時間が地獄に変わりました。
ある一定以上は悩んでも仕方がない事象というものはあるかと思います。
そのうちの一つであるとは理解しながら、思考の切り替えが自分の意思ではできない状態でした。
正直なところ、この症状が上記の①②よりも辛かったです。
専門医の先生に後日お伺いしたところ、うつ状態が酷い時は「ヒマな時間をヒマだと感じることができない」ということを教えて頂き、とても腹落ちしたことを覚えています。
○今振り返っての気づきやコメント
これらの心身症状がある状態、かつ疾患のある程度の知識を持っていても、当時は全くうつ症状の自覚はおろか、異常な精神状態であるという認識はありませんでした。
そういう意味では「自身の思考ロジック、判断基準や視野などにも大きく影響していたんだな」と今になって改めて感じています。
・2.治療開始直後の急性期前半
○時期
2020年01月~2020年2月
○当時の状況
トラブル終盤、大西を始め、残留メンバーやVCの皆さんが状況を知り、前面で対応してくれた時期。
○当時の症状
④希死念慮(死にたいと願う精神状態)
この辺りから希死念慮という、死にたいと思う気持ちが常につきまとうようになりました。
しかし、当時心配してくれた周りには「死ねないし、死なない」と言っていました。
ただ実際に死者が出れば、倫理上事業継続が難しい領域であることや、大切な人たちが悲しむことを考えると、どこまで行っても死ねなかったとは思います。
死にたい気持ちを因数分解すると、厳密には意識がある時間を無くしたいのだと思います。
事業家としては命の次に大切な時間を、この時期は「早く今日(意識がある時間)が終われば良い」とぼんやりベッドの上、動かなくなった身体で思いながら過ごしていた記憶があります。
 ⑤身体症状
とにかく身体が動かず、ベッドから起き上がれませんでした。特にお風呂が重労働でした。また、動けないゆえに頭の中では思考がグルグル巡り続けるという悪循環に苛まれました。
⑥感情の暴走
感情の制御が効かず、感情の振れ幅が以前と比べて大きくなりました。
急に涙が止まらなくなったり、悲しい気持ちになってその場から動けなくなったり、感情に伴う異常行動が多く表出したのはこの時期です。
また、自責、他責の切り分けができず全てを自身で対応し始めたのもこの頃です。
代表である以上、多くが自責であることは間違いありません。
ただ状況から見てどうしようもないものまでこの時は全て自分が何とかしなければばいけない、相談してはいけない=報告・連絡・相談否定症状=というマインドが強く頭を占めていました。
 ○今振り返っての気づきやコメント
心身の状態が今から考えると明らかに異常であるにも関わらず、自身には疾患発症の自覚はこの時もありませんでした。
その後、周りに通院を勧められてから初めてうつ状態を発症している可能性に思い至りました 
「心身喪失した状態での大きな決断は避けた方が良い」とよく精神医療においては言われていますが、これは間違いなくYESだと感じています。
不幸中の幸いですが、当時会社では大がかりな決断などを行う時期ではなかったのが救いだったと感じています。
トラブル時の決断はひどいものでしたが、現メンバーのおかげで最悪の事態は回避できました。
 
・3.治療中の急性期後半
○時期
2020年02月~2020年5月
○当時の状況
退任を決めた後に受診し、適応障害によるうつ状態と診断されました
うつ病の簡易検査を行なったところ、57点満点の検査で健常人が0点~16点の範囲に収まるところ、私は46点でした。
聞かれている問いが、不思議なくらい当時の私にはしっくりきました。
この時、いくつかの薬を処方して頂き、治療を開始しました。
 ○症状
①~⑥の症状はなくならないものの、食欲と睡眠は退任後、徐々に回復しました。
他も症状そのものが無くなるわけではないですが、それらの頻度や重さは少しずつ落ちてきました。
致命的な症状や周りの状況が落ち着いたためかは分かりませんが、他にも症状があることに気付きました。 
⑦トラウマ・フラッシュバック
当時のトラブルの現場や彼らと食べた物などと関連して、近づけない場所や食べられない物が出てきました。
なお、身体症状に現れるほど酷い状況ではないので、厳密にはPTSDやトラウマ・フラッシュバックの定義には当てはまりません。
また、きっかけの有無に関わらず、定期的に当時の状況を思い出して悶々とすることが見られました。
随分頻度は減りましたが、1年近く過ぎた今もあるような状況です。 
⑧言語能力など、各能力の低下
トラブルが落ち着いて自身の状況に目を向ける余裕が出来たからか、自身の能力低下に気付きました。
これまではほとんどありえなかった一日に三回も予定調整の日程をミスしたり、同じ内容を何度も確認したり、明らかに以前と異なる自分に気付きました。
また事務処理能力や記憶力などが大幅に低下していました。
 中でも最も気になっているのが言語能力の低下です。
元々良くしゃべる性分なので、周囲はあまり変わりないと言ってくれるのですが、表現したい内容とぴったり一致する言葉がすぐに出てこないもどかしさがあります。
イメージで言えば歯車がうまく噛まずに止まってしまう感じでしょうか。
会話は即レスを心がけているため、一致する言葉が探せず、以前が100%とすると60~80%の合致率くらいで会話している感じがあります。
⑨不安障害
治療開始後、最も苦しんだ症状です
通常、既読スルーや、簡素なレス、予定のリスケなどは全く気にしないのですが、当時はこれらの言動に触れた際、誰もが離れていくんじゃないかという激しい不安に襲われました。
いつもの何気ないレスポンスや態度、話し方を異常なほどネガティブに捉えてしまう精神状態に陥りました。
初めて恋人ができた人が、パートナーを失いたくないあまり取り乱したり、束縛してしまうような状態に近い印象を受けました。この症状が表出している時は取り乱したり、ロジックが破綻していて、自身でも目を覆いたくなるような被害者意識が前面に出ていた記憶があります。
この症状は5年間走り続けた結果を全て失ったと思い込んでいたことによる自信喪失が根底にあると感じています。
その後、さまざまな人が寄り添ってくれたため、レコードや能力に対して人が付いてきてくれたわけではないと気づけました。
おかげさまで、現在この症状の表出はほぼありません。
 
⑩その他の変化や体験について
療養に専念し始めたこの時期、以前と比べていくつかの変化を経験しました。他の症状と比べると大した内容ではないですが、個人的に印象的な体験を2つほど記載しておきます。
①一つ目の経験は、神社などでの願掛けが全くできなくなったことです
今までどんなに辛い事などがあっても、自身はある程度満たされていたため、大切な人のことをお願いするのが常でした。
ただこの時期は、自分のことを含めて願掛けは全くできませんでした。
私は支援を行っていた経験上、「自分の面倒を見れるようになってから他人を助けるべき。そうでないと沈んでしまう」というスタンスを持っていました。まさに「その通りになったなぁ」とこの時は感じました。
 ➁二つ目は、ストレングスファインダーなどの適正テストを行なった際にひどく苦しんだことです。
時間もあるし、改めて自身を振り返ろうと挑戦しましたが、今回の出来事や疾患によって、以前あった強みが、もはや強みではないのだと改めて認識する作業になってしまったのが良くなかったと思います。
当時は能力、実績、生きがい全てを失ったような印象が強かったためにそう感じていたようです。

○今振り返っての気づきやコメン
5年近くRESVOに全力投球した後だったので、退任後もしばらくはその実感がなく、心が休まらない、でもふわふわしているような、あまり生きている実感のない精神状態の日が続きました。
今考えるとこの時期に開始した投薬の影響もあったのかもしれません。

今回の一連のトラブルの振り返りをすることはもちろん、「この後自分の人生はどうなってしまうんだろう」というを不安すら考える余力、気力もなく、まずは何も考えずに意識的に休み、日々を生活することを意識していました。
頻度が少ないとはいえ、この時期も引き続き油断するといろいろと考えてしまうことがあったからです。
・4. 回復期
○時期
2020年6月〜現在
○状況
治療開始から最近まで、通院、投薬、リワーク・デイケアや福祉側の取り組みであるリカバリーカレッジ、いくつか頂いている仕事や継続的に気にしてくれていたコミュニティのお声がけなど、さまざまなところのお世話になって少しずつ症状の回復に向かいました。
現在も頻度は減りましたが通院を続けています。
○回復の傾向について
基本的に非連続な回復ではなく、症状は日によって起伏が激しいため、小さい回復と悪化を繰り返して、それでも少しずつ全体として上向きになっていくようなイメージでした。 
図は、下記のURL
(引用元:http://www.utuban.net/self/05/08.html)
参照
具体的には5月の後半くらいから徐々に昔のアクティブな思考ロジック、性格が戻り、症状の表出頻度が減少し始めました。
現在は症状そのものはだいぶ落ち着き、寛解に向かっていると感じていますが、現状で回復したものと、後遺症のように、一定の回復はあるものの、完全には戻らなかったものもあるのでそれらを紹介します。
・回復したと感じるもの
①食欲、②不眠、③思考障害、⑤身体症状、⑥感情の暴走、⑨不安障害については完全に回復しました。
特に不安障害については、性格や思考ロジックに直接影響を及ぼすほどに強烈な症状だったため、これが改善したことが「回復期」に入ったのだろうと感じる一番のきっかけになりました。
・回復していないと感じるもの
④希死念慮、⑦トラウマ・フラッシュバックについてはだいぶ頻度も少なく、症状自体も軽微にはなったものの、完全になくなったわけではありません。
特に場所や場面におけるトラウマ想起は、試すことはできませんが恐らく今も続いていると考えています。
 ⑧言語を含む能力の低下ですが、回復したとはいえ、各能力でおおよそ発症前の30~60%くらいの値になっている印象があります。
これらの後遺症については一定までは回復していますが、今後はここからは100%に戻っていくのか、それとも戻らないのかはまだ分かりません。
日々じっくり観察したいと思います 


【前編】メンタルヘルス領域のスタートアップ代表がうつ病で退任した話2020年11月24日 小林宣文/ゆえ@Re代表 

2022-06-05 15:11:30 | 連絡
  • ■はじめに
  • このnoteは、メンタルヘルス領域のスタートアップの代表をしていた私が社内トラブルと向き合う中で、うつ病(適応障害によるうつ状態)の発症とその体験、その後、振り返った気づきをまとめたものです。
    社内トラブルも、うつ病の発症もスタートアップでは珍しくないと思います。
    しかし、私の場合は精神疾患領域の事業を行っていたため、うつ病をはじめとする精神疾患、及びメンタルヘルスに対する一定の知識、現状を理解していました。
    にも関わらず、発症後の体験は私の理解を遥かに越えていました。
  • この経験の共有が、スタートアップで働く人たちの役に立てば嬉しいなと思い書きます。(もちろん起こらないに越したことはない!)
  • ※私の記録として、当時の詳しい症状なども記載しています。そのため、読む人によっては辛い気持ちになるかもしれません。フラッシュバックなどが不安な方は、読まれないことをおすすめします。
  •  自己紹介と会社設立までの経緯
  • 初めましての方はよろしくお願いします。
  • 知っている方はお久しぶりです。
  • 小林宣文(よしふみ)と申します。株式会社RESVO(レスボ)という会社で2015年1月の創業から2020年の2月まで、代表取締役として活動していました。
  • RESVOは精神疾患領域の医療・ヘルスケアを手掛ける会社です。
    大学・大学院では主に物理学を専攻し、バイオとは縁遠い学生生活でした。
  • 新卒時は自動車開発に関する仕事を行い、マーケティング会社、シェアハウス事業などを経てRESVO(レスボ)を創業しましたが、学生時代は起業など、ましてや医療関係での仕事は全く考えていませんでした。
    RESVOを創業したきっかけは、大学院時代から精神疾患に苦しむ友人の支援を続けているなかで、「非医療者の私にも何か出来ないか」という思いがあったからです。
    長年うっすらとあったこの想いが芽吹いたのは、精神医療の研究者の大西(現代表取締役)と、私たちを繋いでくれた当事者を家族に持つ学生の杉本との出会いでした。
  • 互いの想いを話す中で、世の中をどうにか変えようと私たちの想いは一致しました。
  • 大西が研究サイド、そして私がビジネスサイドとしてタッグを組み、杉本を交えた3人で、精神疾患の支援だけでは解決できない現状と技術の実用化に向けて2015年にRESVOを創業しました。
  • なぜ私がうつ病になったのか?
  • 発症から一年近く経過したとはいえ、ライトなフラッシュバックが未だにある関係で概要のみに留めますが、発症のきっかけは、新メンバーたちとのトラブルでした。
    私の心身に異変が生じたのは、彼らが参加して数ヶ月経過した2019年の10月末です。丁度、シード期の資金調達から二年が経過したころでした。話し合いの末、最終的に彼らは去り、私は療養のために退任することとなります。

    >>【中編】当時から現在までの症状とその推移

精神疾患に苦しむ全ての人へ、2022年、RESVO顧問 小林 宣文、

2022-06-05 14:03:09 | 連絡
精神疾患に苦しむ全ての人へ
精神疾患の解決に挑むバイオベンチャーであるRESVOの代表をしています。 
自分の振り返りみたいな感じで書いているので、あまり面白いことは書けませんが、興味を持ってくださった方は是非お話し出来ればと思います。
この先やってみたいこと
統合失調症だけではなく、精神疾患全般における根本治療を目指したい。
 研究者の頑張りがしっかり社会に還元し、研究者本人も報われる社会にしたい。 (2018年追記) 
2018年に新たな技術である精神疾患の発症前状態に有意に変化するバイオマーカー群を見出した。
究極の根本治療である発症予防の実現も事業に加え、事業を加速。
〇2020年2月-現在
 代表退任後は療養の傍ら、顧問として微力ながらRESVOをサポート。 
また、退任後にお声がけ頂きいくつかの企業の経営企画、人事労務(メンタルヘルス面)、広報マーケティング、ファイナンス面を支援。
 〇2015年1月代表取締役
 【RESVOの事業内容について】 統合失調症と自閉症の根本治療と発症予防を目指し、活動しています。 
現在は免疫障害を原因とする統合失調症に焦点をあて、検査キットと治療薬の二つの軸で開発を行っています。
現在はリアルテックファンド、ウィルグループファンドよりシード調達を終え、次のラウンドを目指して日々走り回っています。 
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【経験談と覚書】 現在も走っているため、ゆっくりと振り返れる時が来たら長々書こうと考えています。
〇2014年1月-2016年8月
ブルースター株式会社マーケティング事業部3年間
【経験談、当時を振り返って】 転職の予定はなかったものの、偶然ご縁を頂き転職。ビジネスマナーが壊滅的だったため、業務と並行しつつキャッチアップした。
主に担当した業務は海外IT系のプロダクトの国内展開を担当(UTMやエンドポイントセキュリティ)、海外マーケティング会社と国内大企業のJV立ち上げ、ソリューション導入のSIer的な営業活動、C向けプロダクトマーケティング、CMなど媒体制作ディレクションなど。
 小規模の会社なので、非常に小回りがきき、かつ内部の経営ノウハウも自由に学べる環境だった。
『必ず定時で仕事を終えて、その後は各々見聞を広める事。』という代表の強い意志が出ているIT系では稀有な会社。(定時的な意味で) 現在の法人設立、運営のノウハウの5割はここで学んだ
 また、とても理解のある代表の方だったので、有休については退職時マイナスになっていたが笑って許してくれたのが懐かしい。
今でも年一回くらいご挨拶に伺う会社。 今考えると、部下の扱いとしてはとても信頼してくれていたように思う。
大体提案したことが通るし、営業なども自己流を尊重してくれる。
もちろん短所もあったが、総じて楽しく働ける環境を作っていた。
今自分が部下に対して出来ているか、というと正直足りない部分が多い気がする。
恐らく足りないところも敢えて指摘せず、経験させつつ会社のリソースで育ててくれていたのかなと思う。
〇2010年4月-2014年1月トヨタ自動車東日本株式会社4年間
 研究開発
【経験談、当時を振り返って】
 内装部門新型開発を経て、内装部門新規技術開発へ転属、その後転職の為退職。
 余談だが、新人研修の一環において、製造現場、ディーラー部門の経験あるため、事業全体の総合的な視点が養われた。
また、巨大グループなので経営、生活の安定感は抜群。 
しかし、残念ながらローカルルールが多いことや、開発配属ということもあり対外向けのビジネスマナーは当時壊滅的だった。
(コンサル時代に数か月会得する為苦労した。)
〇 2010年 東北大学大学院工学研究科
〇2010年東北大学ナノメカニクス専攻
〇2008年北里大学理学部
〇2003年湘南高等学校