数年前から、個人的なネオロカビリーが、マイブームなのでした。
イメルダ.メイや、ストレイキャッツが、妙に、心地よくて、ついでに、スウィートシスターズに、boogie-woogie、アメリカ1930年代あたりに、最近、すっかりハマって、聴き惚れておりました。
スリーコードの単純明快な、シンプルなロックンロールやブルースが心地良いと、当然、行き着く先は、チャックベリーで、思い出したように、最近は、チャックベリーを、毎日聴いてました。
そして、突然の訃報でした。
もちろん、高齢による、公演のキャンセルや、延期のニュースは伝わってましたが、まさかと、その訃報に、言葉で上手く表せない、もどかしさにも似た、寂しさがありました。
心静かに、偉大なるアーティストの生涯に、合掌しました。
The Beatles、The Rolling Stonesが、大好きと言えど、結局、行き着くは、チャックベリーでした。
その後、変容しながらも、脈々と時代を継承する、ロックンロールも、その全ての起源が、オーティス、サムクツク、チャックベリーであることだけが、これからも、間違いないことでしょう。
これから当分の間は、この、偉大なる、Made In USAを、世界中が、再確認することとなりそうですね。
Mr.トランプ氏は、この偉人を、どう、答えるのでしょう。
それが、今後の、世界が、彼の人物評価の、大きな基準となりそうです。
チャックベリー本人に、歴史に名を残すなんて、全く考えたことすらなかったことでしょう。
ところが、気がつけば、チャックベリーは、世界遺産になっていたわけです。
人類の進化に、大いに貢献した人物であることだけは、確かです。
命あるもの全てに人生があり、命の数だけ、生き様があります。
誰かの人生を忍べることの幸せこそが、生きてることの、この世で最大の実感ではないかと、ふと、そんなことが脳裏をよぎりました。
…
命と言うのか、人生と言うのか、生きとし生けるもの全ての、定めを考えます。
それは、僕の中では、2009年のキヨシロー、マイケル…そして、2011年3月が、僕の人生に、何やら、言葉だけでは、上手く説明できない、ホン二ャラな、ボーダーラインを引いたからだと思います。
天災も人災も、それが大災害となると、善人も悪人も、徳を積んだ人も、積んでない人も、金持ちも貧乏も、全く関係なく、たまたま、その場に居合わせただけの理由で、個人の人生は、The Endしてしまいます。
広島、長崎では、あの日、たまたま、空から舞い降りるアメリカ製品の爆弾の、その下にいただけの理由で、十万人の市民が、一瞬にして、この世から消えたことが、真実であることの事実です。
個人の意思も行いも、全く無関係だから、お化けにすらもなれません。
故人を偲ぶも偲ばずも、ありません。
どんな偉業も、偲びようがありません。
親兄弟も親戚も友人も、みんな、まとめて消えたのですから。
これを、宗教的には、どう説明がつくのでしょう。
僕はまだ、納得いく説明を聞いたことがありません。
宗教とは、結局、この不条理を慰める事にしか役割はなくて、解決などは、ありえないのでしょう。
…
結局、人生とは、砂時計のようなもの。
この世に生まれ落ちた、その時に、神様が、棚に並んだ多くの砂時計の中から、一つを取り出し、砂時計を裏返をして、テーブルに置きます。
それが、人生の始まりで…
砂が落ちきると、神様は、砂時計を裏返しします。
そして、その砂が落ちきると、テーブルの、その砂時計を、また、棚に戻します。
それが、人生の終わりです。
砂時計には、終わりもなければ、始まりもありません。
両筒に、均等に、砂があるだけです。
ただ、両筒の砂が、交互に落ちきるまでの工程でしかなく、それを勝手に、一喜一憂するのが人間なのかもしれません。
果たして、人間以外の生き物は、どうなのでしょう。
僕は、全ての命が、一喜一憂していると思っています。
でなきゃ、進化など、するはずがありません。
…
子供の頃から、憧れるままに、いつも、そこにいてくれたはずの、スーパースター達が、昨年のボーイやプリンスしかり、次々と、天に召されていくことの様は、大きな大きな、宇宙です。
地球が属する、このでっかい銀河の、隅っこに、点でしかない小さな、太陽系があって、その惑星の一つが地球なんだそうです。
そこには、宇宙と言う名の、砂時計があるだけです。
もう、わけがわかりません。
(_ _).。o○
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます