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ウソからホントが見えてくる。

2016-06-07 | 過去と未来のハイブリッド






若気の至りとは言え‼︎^^;

若い頃は、左的な見方ばかりしてたので、国の歴史なんて、全て、権力者の都合で語られるもの。

だから、全てウソと決めつけていたので、恥ずかしいくらいに、僕は日本史には、全く無関心でした。

自分もまた、ウソでした。

受験でも、当時の社会の選択で、僕は地理Bを選択しました。

それくらい、疑うことばかりしてました。



それが、この年齢になり、日本史に、大変興味が湧いたのでした。

それは、民俗学なるものを、知ってからです。

民俗学的な思考から、眺める歴史は、ロマンそのものでした。

これが、歴史の面白さなのだと、あまりに、無知だった過去を悔やみました。

ウソやホントを、点としながら、点を辿ると、やがて、ホントの線が見えてくる。

そのことの、ロマンです。

そして、あれやこれや、ロマンを辿っておりましたら、どうやら、故郷宮崎は、まさに、日本史の、原点であることを、僕なりに発見しました。

実に面白いです。

なぜなら、知ってる場所だから。

天孫降臨より、点を辿ると、僕の悠久の時。

それを、旅することを、僕の、残りの人生に捧げることにしました。




僕の高校は、日向市にある、日向高校。

長い海岸線が、太平洋に面した、風光明媚な土地です。

今では、サーファーの名所として、そして、パワースポットとして、すっかり有名になっていました。

サーファーネタは、次回に回し、本日は、民俗学的なところから…。

僕や、遥か後輩の、あの青木 宣親 野球選手…現在はMLB・シアトル・マリナーズもまた、この神社周辺を、ランニングしたであろう、この場所に、あの"君が代"の、あの、さざれ石が、見つかったそうです。

僕の高校時代は、そんな話は聞いたこともありません。

発見されたのは、ごく最近らしく、今では、ちゃっかり、観光名所となってるそうです。

まぁ、観光地なんて、そんなものです。

(^-^)

最近の趣味として、故郷を、自己満足な視点で、民俗学しております。

歴史に関心のない人が、すぐ口にする、宇宙人の仕業や、パワースポットと片付けるのは、あまりに、もったいない。
悠久の時を、もっと遊ぶべきだと、気づいたわけです。

矢追チルドレンの僕が(^_^;)、こんなことを、言うのも、はばかりますが…m(__)m




学生時代にネパールを旅した直後に、中沢新一の"チベットのモーツアルト"が大流行し、チベットがブームとなりました。

その本を読み、それ以来、中沢新一さんにずっと興味がありました。

それが数年前のある出来事から、折口信夫なる人物に辿りつき、僕の今までの旅の全てが、実は、無意識に民俗学であったことを知り、民俗学に目覚めたのでありました。

なーんて言うとカッコイイですが、目覚めた本当の理由は、店の3階にある、学習塾の金子先生が、民俗学の研究者でもあるのです。

金子先生の話が、とっても面白くて、金子先生が、僕の民俗学の入り口なのでした…(*^^*)










さて、本題‼︎

そもそも、大御神社周辺の「さざれ石」とは⁇(学名 庵川礫岩)

今から約2000万年前、この辺りは広範囲にわたり浅い海岸平野で、大陸から流れる大量の礫(石ころ)が、その河口附近にたまって、粘土・砂などにまじり、長い年月の間に大きな固まりとなりました。
その後、尾鈴山の火山活動により海から陸の方へ火砕流がながれ、礫岩層の上を覆うと同時に堆積しました。

これを柱状節理(溶結凝灰岩)といいます。

神座附近の海岸では、火砕流と礫岩の境、さらに火砕流が礫岩を巻き込んだものと混在したところも見られます。

※礫岩(レキガン)
堆積岩の1つ。円形の礫が水底などに堆積して、粘土、砂などに膠着・固結したもの。子持岩。蛮石。小石が水底につもり、粘土・砂などにまじってかたまった水成岩。


つまり、さざれ石は、全国各地に、あります。







以下記事抜粋‼︎






神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日 (旧暦) - 神武天皇76年[2]3月11日 (旧暦))は、日本神話に登場する人物であり、古事記や日本書紀は日本の初代天皇であり皇統の祖としている。日本書紀によれば、天皇在位期間は、辛酉年(紀元前660年・神武天皇元年)1月1日 (旧暦) - 神武天皇76年3月11日 (旧暦)。

神武天皇の即位月日とされる1月1日 (旧暦)は、明治に入り新暦に換算され2月11日となり、日本国の建国の日として1873年(明治6年)に「紀元節」(祭日)と定められた。紀元節は1948年(昭和23年)に廃止されたが、1967年(昭和42年)に2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となった。

神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進した際に付されたとされる。異称は、古事記では神倭伊波礼琵古命[1](かむやまといわれひこのみこと)、日本書紀では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命





 平成15年の9月。境内西側の拡張造成工事が始まった。
そもそも、社殿のすぐ西側脇に神門があり、境内地を二分していた。
その神門に白蟻が入り破損がひどく、さてどうしたものか、新たに建替えようかとも考えたが、せっかく境内は山(ボウズ山)の際までが神社有地だからこの機に拡げてみようということになった。幅30m、奥行き100mの造成である。
 立ちこめる木、竹藪を切り開いて進むと、山際の前に今まで見たこともない珍しい岩を発見。表面がツブツブ・ザラザラとしており、まるで生コンクリートを捨てて固まったかのような石(岩)である。
 早速、門川町在住の日本地質学会員でもある足立富男先生に見ていただくと、なんともあっさり
「宮司さん、これは礫岩、”さざれ石”ですよ」
「えっーっあの”君が代”のですか・・・」
まさか、大御神社の境内に「さざれ石」が、しかもその規模たるや・・・
"神座(カミクラ)"と名付けしその巨石、境内西側(通称ボウズ山)の岩肌を見下ろす海岸の岩群、そして塩見川河口(ウドノセ)に至るまでの周辺一帯は圧倒的スケールの日本一であることが後日に判明いたしました。
 私は「君が代」を歌うたびに疑問を持っていた。それは「さざれ石の巌となりて」の文言である。小さな石がどうやってくっつき固まって大きな巌となるのか、セメントやボンドがある訳でもないし。この歌詞はいわば、非科学的ではないかといつも考えていた。(実際は、私があまりにも地質学に無知であるがため、ただそれだけのことである。)しかし、こうして圧倒的スケールの"さざれ石"群を目の前にするとうれしさに涙が込み上げてきた。そして何といっても境内地に在ることが有難い。

 今では、この大御神社が、「さざれ石」が宮崎県の観光指定コースとなり、観光バスは勿論の事多くの方が訪れるようになった。神社としてもできうる限りの対応をすべく宮司自ら「さざれ石」又、「君が代」の説明をしている。

 そして、悠久の時を経て巌となりし日本一の「さざれ石」を称えて、その都度「君が代」斉唱することにした。どこまでも澄みわたる青空、広がる水平線ここちよい潮騒を背にうけながら声高らかの「君が代」の斉唱は、また格別なものがある。


- 君が代 -歌ってみてください。

実に面白い歌詞です。



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