(╹◡╹)
秋めいてきました。
これから、一気に、秋は深まることでしょう。
先月から、晴れ間をほとんど見ない、そんな、今年の秋空模様。
気がついたら、10月になってた。
そんな気がします。
毎年、時間が加速してるみたいで、恐ろしいです。
(-.-;)y-~~~
春から夏へと、季節は舞い上がり、やがて、季節は、ゆっくり降りてくる。
それが本来の、秋なのですが…
この温暖化は、地球の生理なのか、それとも、人間の仕業なのか…
秋と言うと、昔から、僕のイメージは、吉祥寺なんです。
夏が、昔から、僕のイメージが、早稲田通りであるようにです。
別に、その意味も、理由も、全くありません。
ところが、今じゃ、そんな懐かしい風景に出会うこともなくなりました。
…
そして、秋は、いつからか、考えることをする、季節となりました。
そして、この10月は、長年、親しくして頂いたお客さん
の三回忌です。
早いですね。
時の流れは、待ってくれません。
一昨年の10月は、なんと、二人もの、長年、親しくして頂いたお客さんが、亡くなると言う、とてつもない10月でした。
そして、一昨年のこの10月は、客を超えた、長い付き合いの、ある意味、僕の肉親みたいな、親しいお客さんの、めでたい結婚式もありました。
今彼は、地元の大阪で、暮らしています。
僕が、GLASSONIONを語る時に、必ず、登場させる人です。
その結婚式前夜、お客さんが、危篤状態にはいったと、あるお客さん伝いに、知りました。
帰り道、夜空に向かい、穏やかにあらんことを、ただ、穏やかであるように、それだけを祈りました。
ある日、僕の故郷の隣町の出身だと知り、さらに、身近に感じる、お客さんとなりました。
何とも不思議なご縁の、お客さんでした。
そんな縁もあり、いつも、店を、僕を、優しく見守るように、応援してくれたお客さんでした。
そんなお客さんの危篤の一報が、肉親のように親しいお客さんの結婚式の前夜に届いたのでした。
翌朝、大阪へ向かう車中、自分が、人生と言う、天秤の真ん中にいることを、ふと感じました。
おりしも、これから、大型台風が大阪へ直撃との、天気予報の最中でした。
雨足が次第に強くなり、大阪へ向かう新幹線の行く手を阻むかのようでした。
ところが、不思議なことに、大阪を降りると、暴風雨どころか、雨も風も止み、日もささんばかりに、穏やかでした。
式はとどこおりなく…、そして、披露宴もまた、めでたく、めでたい、宴でした。
そこにいる誰もが、優しい笑顔に、満ち溢れていました。
人生なんてのは、この表裏の中で、誰もが、暮らしているのだと思いました。
涙には、幸せの涙、悲しみの涙、喜びの涙、悔しい涙があって、この空の下に、それは、同時に存在しているとのなのだと、その不思議を思いました。
そして、その不思議が、どうにも、ぼくには、折り合いがつけられず、涙が溢れて、止まらなくなってしまったのでした。
1人の、僕の親しい人は、今までの、全ての労が報われ、天までもが、彼を祝福しました。
そして、もう1人の、僕の親しい人は、今まさに、天に召されようとしている。
みんな、報われたのか、みんな、報われたのか、そして、あらゆる全ての労は、誰もが、ねぎなわれるのか…
幸あれ、幸あれ、僕は、心の中で、何度も叫びました。
ちょうど、2011年の3月を、まさに、日本人の誰もが、そう祈ったようにです。
一昨年の10月とは、僕には、生涯忘れようのない、感慨深い10月となりました。
忌野清志郎ならば、それをどう歌にするのだろう。
ジョンならば、彼のどんなメロディを奏でてくれるのだろう。
そんなことを、今も考えます。
…
今年も、世界中に存在する、戦争、紛争で、多くの犠牲者が今も続いています。
その数は、自然災害での、犠牲者の比ではありません。
戦争、紛争の最中に生きる人々は、降りかかった運命と、命と引き換えの表裏の選択を、今日も、余儀なくされています。
そして、僕の周囲には、たまたま降りかかった運命と、堂々と勝負している親しい人が、幾人もいることを、僕は、知っています。
命は、限りなく愛おしいもの。
だから、太古より、命の行方を、ずっと探し続けているのでしょう。
…
一昨日、僕は、僕よりも、ひと回りも離れた、煩悩に苦しむ聖職者を、説教してしまいました。
それは、僕のエゴでした。
みんなやってることを、俺も同じようにやってるだけなのに、なぜ、俺だけを、みんな、責めるんだ。
そう言い放つ、聖職者を、思わず、叱咤してしまったのは、いつもなら、馬耳東風してみせるはずが、今月だけは、それができなかっただけの理由でした。
何をそんなにムキになり、彼を責める理由が、僕のどこにあると言うのか。
遠藤周作の問いかける、主人公キチジローよりも、もっと彼は、自分に迷い、自分に苦しんでいるに、違いないことを、僕は、気づいてるはずなのにです。
だから、反省しています。
僕の10月は、神聖な月となっていたようです。
だから僕には、聖職者としての、彼の、目に余る暴言を、今月だけは、息苦しく感じたのでしょう。
この月ばかりは、どうか、堕落から、目を逸らしたい自分がいたから…、目の前の堕落を否定したくなったのでしょう。
僕らは、愛おしい者への、架け橋を、聖職者に託す以外、術がないのを、どうか、彼にわかって欲しい。
今月だけは、そう、言いたかったのでしょう。
この月ばかりは、堕落論を、したくなかったのでしょう。
自分の堕落を棚に上げても、今月だけは、どこにも堕落は見ていないと、信じたいのでしょう。
結局、僕のエゴです。
人に宿る善悪の行方に、天国も、地獄もない。
ただ、空があるだけ…。
10月9日は、ジョンの、誕生日でした。