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天の岩戸の祠より

2014-04-08 | 諸行無常…let it be



かつて、天照大神が、ここにお隠れになっていたそうだ。

ひきこもりの元祖である。

つまり、ひきこもりは、日本古来の文化だった。

僕乙女心研究所の現場検証によると、岩戸は、開閉きいて、快適な暮らしだったと考える。

なぜなら、その痕跡を見つけたからだ。

日本国民なら、一度は、高千穂を訪れるべきだ。

伊勢や出雲くらいで、パワースポットなどとは、まだまだヌルい。


同じ場所から、外の景色を眺めてみた。

深い谷間を抜けたところに、大きな崖をくり抜いたような洞窟だ。


確かに、ここなら、隠れ家には最適だろう。


天照大神が、美人だったのかブスだったのかは、まだまだSTAP細胞の研究段階
と、同じ域にある。

…まだまだ、定かではない。

しかしながら、いじめっ子の弟から逃れて…
とはつまり、弟にいじめられる姉とは、相場でいくと、かなりブスだった可能性が高い。

もしも、姉が美人だと、弟は姉を守りたくなるものだから…

これ以上は、弟の身分ゆえ、恐れ多く、もう書けない!(◎_◎;)



ここなら、煮炊きも可能だし、炊事洗濯全く問題がない。

ミネラルをたっぷり含んだ山々からの雫が、小川になり、たぶん、岩魚やウナギや、ザリガニもいただろう。

タンパク源も豊富だ。

ちなみに、高千穂は、水が上等だから、
珈琲や日本茶が、実に美味。


そして、山には、イノシシや鹿や、猿やキジやタヌキやキツネ?もいる。

木の実や山菜も薬草も、たくさんある。

ここなら、十分に生活できる。





嵐で船が難破して、辿り着いた無人島。

若い二人は、そこで暮らしを始めた…。

…みたいな生活が、この山奥の洞窟なら、可能だ。

最近の無人島シチュエーションならば、芦名星がなぁ~(^.^)おほほほ


きっと毎日が、穏やかな暮らしだったに違いない。

でもきっと、毎日退屈だったに違いない。

天照大神は、ひきこもりしながら、何を思い、ここで暮らしていたのだろう。

ここでは、争う、などどいう言葉を、必要としただろうか。

ジョンが、もしも、まだ生きていたなら、たぶん、一度はここを、訪れたことだろう。

そして、ヨーコと叫んだだろうか。

天の岩戸にて…







父が、話の途中で、ウトウト居眠りを始めた。

まるで、仏様のような寝顔だ。

人は、90年も生きると、どんな人でも、仏様のような顔になっていくようだ。

^^;


父を寝かしつけ、やることがなくなり、テレビをつけてみた。

例えば、こうして帰省したり…
夜の時間に余裕でもないかぎり…、


僕がテレビを意識的に見ることなど、この20年以上、ないに等しい。


だからだろう。

久しぶりに見た、バラエティ番組には、ある種の感動にも似た驚きがあった。


それは、僕の若い頃から、何も変わらない、ほぼ同じ手法で、同じような番組が、同じように作られていることだ。


つまり、世代を繋ぐように、それを楽しむ、何も変わらない、同じお茶の間が存在すると言うことになる。



何十年経過しても、この国の生業は、全く変わらないってことだ。


どう見ても、ヤラセ以外の何物でもない。
そんな、バラエティ番組を、淡々と、ただ垂れ流しする民放放送の役割は、明日のお茶の間に、話題を提供することにある。


そして、これは国民向け放送なんだからと、それを確かめるように、国営放送を、楽しむ国民がいる。



今やネットが、社会の隅々にまで浸透した時代にもかかわらず、このお茶の間とテレビとの、この構図が変わることはないのは、はてさてなぜだろう。


数十年前、大人達が、今と同じように、テレビのあり方に目くじらを立てていたことを、よく覚えている。


そして、当時の子供が大人になった。

すると、今も当時と同じように、テレビのあり方に、大人達が、また目くじらを立てている。


窓ガラスは、多少の歪みや曇りがあろうと、綺麗に磨くことで、日常は、とりあえず、その光沢だけで、安心するわけだ。


つまり、世の中の変化など、誰も求めてはいない、と言う証明でもあるわけだ。


いわゆる、これを平和、と呼ぶ。

ある意味平和とは、置き換えれば、退屈以外の、何物でもない。


でも、この退屈こそが、実は、平和の証明だと、それを、気づかせてあげるのが、政治家の勤め、務め、努め、なんでは…なかろうか。


生き急ぎする、安倍首相を見ていて、なおさら、そう思う。






教育の介入や、特定秘密保護法や憲法解釈見直しなど、安倍政権は、何を根拠に、国家統制をそんなに急ごうとするのだろう。


国民は、そんなもの望んでいるのだろうか…。


僕は、ノンポリのお手本みたいな人種だ。(⌒-⌒; )


世の中に参加するのは、投票に行く…くらいのもんで、今の時代に、ほとんど関心がない。


そんな僕にですら、安倍さんの動向は、ただの、生き急ぎとしか、映らない。

商売なんかやってる者からすると、失敗の原因を、自分から作っているとしか思えない。


なぜに、わざわざ角を立て、騒ぎを大きくしたがるのだろう。

せっかく、返り咲いたのだから、今度こそ、安倍さんらしい、持って生まれた品格と、正直そうな顔立に沿ったやり方で、無理なく演りゃいいのになぁと思う…。



良いところを褒めあう方が、早道だとおもうのだが。



安倍さんは、歴代稀に見る品の備わった人だ。

麻生ちゃんとは、正反対で、育ちの良さが、そのまま現れている。


麻生ちゃん場合は、先祖が悪行の限りを尽くし、その因果の表れなのだろう。


何より、品格は、安倍さんの最大の武器になるはずだ。

品を備えた人とは、即ち謙虚が似合う人。

謙虚とは、己の存在を隠せる人のこと。

品格備えた人は、我先に、電車に乗り込むことではない。

我先に電車を降りようとする者のために、自分が、ドアから一歩身を引き、相手が降りるのを確かめ、電車に乗れる人のことだ。
後方に並んだ人も、お陰でスムーズに電車に乗れる。

品格備えた人の、隠れた行いが、いつの世も、事をスムーズに運んできたのだ。



人は、人それぞれに、何かしら、呪縛を背負って生きてく生き物だ。

この世には、やんごとなき事情や、やんごとなき育ちで、呪縛をバネにする人もいる。

呪縛をバネにした人の、人生もあるはずだ。

でも、それは、呪縛をバネが、似合う人がやれば効果があるが、似合わないか人がやると、裏目にしかならない。

僕は、安倍さんの人柄は嫌いじゃない。
身近にいるような人なら、すぐに、親しくなってるような気がする。


人の育つ、その環境の違いは、世情や世間への、見え方も、左右され方も、全く違うものになる。


すると、世間との折り合い方も、受け取り方も、大人になるにつれ、みんな、大きく違って行く。

だから、どんな人からも好かれるとか、どんな人も好きになれる…、などは、到底至難の技だ。

人の根っこに育てたものは、生涯変えようがないからだ。

しかし、生きてくことは、共存だ。

どんなに合わない人とでも、上手く付き合っていかなければならない状況や事情が、日常には、たくさんある。


上手に付き合うとは、他の生き物を見て分かるように、程よい距離感を、どう互いに認め合えるかにある。


互いの距離感がわかれば、お互いに、そんなに悪い奴ではないことがわかり、そこに、尊重が生まれる。

やがて、上手に付き合っていけるようになるものだ。


飲み屋稼業のスキルとは、人間観察に長けていくことだ。

長年やってると、人のバランスが、どこにあるのかが、わかるようになる。

バランスがわかると、人の幅が見えてくる。

幅から距離が測れる。

僕も毎日の課題だが、その距離感をどう、相手に上手に伝え、共有できるのかが、上手な人間関係のあり方では…と思っている。


国家間など、まさにその典型だと思うのだが…。


ともあれ、人様の心の色は、色とりどりすぎて、ホントに、見分けが難しい…

と…までが、やっとわかってきたしだいだ。

(^.^)