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原田芳雄

2011-07-13 | 諸行無常…let it be
僕等世代のヒーローが、また一人、病の渦中にいた。



すっかりやせ衰えた”名優原田芳雄”さんを見るのは忍びなかった。



僕等の青春が化石になってくような寂しさを感じるからかな‥



ご本人はもっとつらいことだろう。



それでも、人前に自分をさらす姿勢‥



これが”役者魂”なのか‥



これが、生きる人間の”生きる様”でもあるのか‥



18~28才くらいまで、僕の日常は下北沢が中心だった。


僕のこの美しい10年間は、思わぬ出会いと、勘違いの連続だった。



こんなのを、青春って、、呼んでしまえるのだろうか‥



その東京青春の舞台のきっかけに、松田優作&原田芳雄がいたことは間違いない。



僕等世代のヒーロー達だから‥



23才の時‥原田芳雄のライブを見て‥原田芳雄をイメージして曲を書いたことがある‥



間接的にだが、聞いてもらった。



”新宿レイニーナイト”



しかし、すでに宇崎さんの楽曲に、同じタイトルの作品があったのと、‥歌詞が気負いすぎと‥ボツとなった。



それから数十年、今でも僕には、いつかきっと原田芳雄が歌ってくれると、その曲を改良に改良を重ねて、確信犯的に温めつづけている。



優作さんが、離婚して下北沢をさり‥しばらくして世を去った頃。



不思議とこの頃を前後して‥仲間等も定職についたり、結婚したり、田舎に戻ったり、家業継いだり‥



優作さんの葬式では、当時のワイドショー”3時のあなた”に、友人や知人や先輩がインタビューされたり、久しい仲間等の泣き顔がたくさん映ってた。



原田芳雄のコメントがかっこ良かった。



”原田芳雄”は、たくさんの名作に出会い、多くの作品で、今も名優であり続ける。



こんな存在感のある俳優は、日本にはもはや数少ない。




まずは、この最近の2作品から順に原田芳雄を再確認してみるつもり‥



NHK広島放送局制作

”火の魚”



”父と暮らせば”