* 出雲大社近くに戻ると、正午を少し回っていた。 「出雲蕎麦のお店に入りますか」 「高校生のときのお店わかりますか」 「いやわからなかった。どこでもいいです」 「あそこにしますか」 佳恵が指さした店に入った。おばさんが注文を取りに来た。 「割子蕎麦でいいね」 「はい」 「何枚にしますか」おばさんが訊ねた。 「ぼくはお腹が空いたから四枚」 「私は三枚にします」 出雲蕎麦で昼食を済まし、佳恵のトイレを待って外に出た。 「昨日も城山近くで割子蕎麦食べたけど、M市のほうが旨かったね」 「食べに行かれたのですか」 「宍道湖を眺めてから」 「そうでしたか」 「このままT温泉に行ったら早すぎるな。しかし大社以外とくに観るところはないし」 「それじゃ孝夫さんが歩かれた道を走ってM市に出たら朝の道を走ってT温泉でどう」 「宍道湖ひとまわりだな。疲れない?」 「慣れてますから。懐かしいでしょ」 「うん。ここから宍道湖の見えるとこまでが遠かったな」 佳恵の車は湖岸の行きと反対側の道路を走った。 「その頃とは風景が変わってますよ」 「そうだろうね」 孝夫は暫くフロントガラスを通して、前面の景色を眺めていた。そのうち前方五十メートル先に大樹が道路に覆い被っているのが見えた。 「佳恵さん、ゆっくり走ってくれない。あの前方の樹に見覚えがある」 「歩いたときに見たのですか」 「間違いなくあの樹だ。繁みが二回りほど大きいが、幹の恰好がそっくりだ」 「松のようですよ」 「松かもしれない。辺りはすっかり変わっているのになぁ。学生服の上にコート着てたけど、顔がみぞれでびしょ濡れ。孤独な思いは子どもの頃から何度も経験したが、この道を歩いているときも孤独だった。舗装された道でなかった。だけど歩いていたのだから生きようとする意志はあったのだな。人生って一人じゃ淋しいものだな」 「孝夫さんはいろいろとご苦労されてますね」 「小学三年生の頃はまだ芳信叔父のところに預けられていたのですが、五右衛門風呂の水入れをやらされましてね、とくに冬の時期に二十メートル先の共同井戸から水を汲み上げて、そのバケツを両手に持って運んでいたときはつらかった。あのときぼくのこころは死んだんでないかと思っています」 「死んで仕舞われたのですか」 「そんな気がします。死んだこころに鬼が棲み着いた」 「鬼がですか」 「そう。二人の叔父やぼくの母に共通な鬼が。信隆や義典にも棲み着いていた」 「主人にも」 「おそらくは」 孝夫はゆっくりと通り過ぎていく松の大樹を、これで見納めという気持ちで見上げた。 そのとき、佳恵は大学のゼミで課題として馬場あき子の『鬼の研究』が採り上げられたことを思い出していた――能の中の鬼は哀しい生き物で、鬼にも二種類があって、姿も心も鬼というものと、姿は鬼ではあるが、こころは人間というものがある。後者はあまりにも人間でありすぎたため、あまりにも人を恋い、 人を怨み、哀しんだ挙げ句に、鬼となった――たしかこのような趣旨の箇所があったが、孝夫さんの鬼とは、後者を指しているのだろうか。 M市内に入った。腕時計を見ると一時半だった。 「何処かに立ち寄りますか」 「すっと通り過ぎてください」 「そうします。二時過ぎ頃に旅館に着きますが」 「じゃT温泉近くの喫茶店に入ってから旅館に行きましょう」 「はい」 「運転のしどうしで疲れてませんか」 「疲れてません」 「それならいいが」 「ほんとに私がご一緒してご迷惑でないですか」 「ご迷惑なことなんかありませんよ。佳恵さんに後悔がなければ」 佳恵の不安そうな顔を読み取って言った。 「後悔してません」 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 最初から読まれるかたは以下より。 一章 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! |
「それじゃ方向が逆じゃないですか。岡山だったら米子道走ったほうが早い」 「いえ、子どもたちには昨夜そう言ってあるだけなんです。私がご一緒にT温泉に泊まったらご迷惑ですか」 「いや迷惑じゃないが……」 孝夫は困惑の表情で口ごもった。 「T温泉まで送っていき、そのままお別れしたらもう二度と逢えない気がして」 「……」 「孝夫さんはこれでM市を縁のない土地にされるのでしょ?昨日そう言ってたでしょ」 「言ったことは言ったが……」 「私にも無関心になるってことでしょ」 「いやそんな風には」 「嘘!きっと私のことなどお忘れになりますわ」 「そんなことは……」 「私も小野の一人ですか」 佳恵の拗ねた口調だった。 「あなたは違う……本当にいいのですか、泊まっても」 「どのみち何処かに泊まらないと……そう言って出てきたのですから」 どうにでもして欲しい、お任せしますという投げ遣り口調だった。 駐車場の車の前まで来ていた。 「佳恵さん、旅館に夕食二人分頼みますから、車の中で待っていてください」 孝夫は車から少し離れたところに立ち止まって、携帯電話をハーフコートの内ポケットから取り出した。 佳恵は後部座席で履き物を取り替えながら、窓から孝夫を眺めていた。 運転席に座ると、とうとう言ってしまった、という思いで、胸の動悸が速くなっていた。風はなかったが、ひんやりした冬の大気の中で、佳恵は顔の火照りを覚えた。 孝夫が戻ってきた。 助手席に座ると、 「頼んでおきました。さあ日御碕に出掛けますか」と言った。 道はすぐにわかった。十字路を稲佐の浜へと書かれた標示に進めばよかった。 「稲佐の浜は途中か。国譲り神話の舞台だった」 「弁天島が見えます」 佳恵は孝夫が先ほどの話に戻さないので、ほっとしていた。 「そうですか……八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を、『古事記』の時代にこういう韻律があるのが不思議だ」 「五七、五七、七のリズム感ですね」 「そうそう、そのリズム感」 車は海岸線を走った。海上に次々と小島が見えた。 孝夫はやっとM市にいるときに締め付けられていたような意識から解放されて、くつろいだ気持ちになった。まさか信隆の妻とこんなところを走っているなど、病院に信隆を見舞ったときには思いも寄らぬことだった。 ――人生、先に何があるか……。 日御碕は案外に賑わしい感じの所だった。観光客の車が駐車場に並んでいた。灯台へ続く道筋に民宿や土産物屋も並び、観光客が店内に散っていた。 「日御碕はウミネコの生息地だったな」 「はい、経島(ふみしま)で繁殖してます」 眼の先にスマートな白亜の灯台が見えた。 「女神のような灯台だな」 「海が荒れてなくてよかった」 「荒々しいところかと想像してましたが、お天気が良いせいか穏やかですね」 「青空に白い灯台、気持ちが晴れ晴れします」 「神社がありますね」 「日御碕神社。『風土記』に載ってます。行ってみましょうか」 「ええ」 暫く歩くと朱塗りの楼門の前に出た。 「屋根の高い立派な楼門だな」 「そうですね」 境内に入った。孝夫は案内を読んでいた。 「日沈宮(ひしずみのみや)、下の宮が天照大御神で、神の宮、上の宮が素盞嗚尊ね。素盞嗚尊が天照大御神より上に安置されているのか」 「『古事記』の時代からこの辺に海の人たちが住んでいたのでしょうね」 「きっと海の男、女の祭典が行われていたでしょう」 孝夫は、性典と言いたいところを祭典と置き換えた。 古代人のエネルギッシュな乱交を想像していた。 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 最初から読まれるかたは以下より。 一章 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! |
「子どもの頃、袖師ヶ浦の地蔵さんのところから嫁ヶ島まで泳いだことがあります」 「だいぶんありますでしょ。いつ頃のことですか」 「小学五、六年。夏休みに芳信叔父のところに預けられましたので」 「そうですか」 「あの頃は潜れば蜆がよく採れました」 「私が子どものときもまだ泳げました」 「地蔵さんのところから嫁ヶ島までは、弁天さんだったか弁慶だったか忘れましたが、どっちかが歩いて渡ったという道が付いていて、子どもでも立って歩けるほど浅かったんです」 「それは知りませんでした」 佳恵はハンドル操作しながら応答していた。 「もう少し走ったら山陰自動車道に入りますから」 「こっちも便利になりましたね」 「はい。高速道の終点、斐川インターチェンジから出雲大社まで近いです」 「じゃ十時頃に着きますね」 「はい」 「むかし出雲大社に鳥居近くに出雲蕎麦を食べさせる店があったのですが」 「いつ頃のことです?」 「ぼくが高三になる前の春に大山で自殺未遂しまして、山を下りてからどうしようかと思案してたら出雲大社に来てました」 「自殺未遂のあとですか」 「そう。失恋かどうかわからないけど、その頃付き合っていた女子大生が行方不明になりまして、生きているのが嫌になり、ふらっと大山に上りましたが、見付かってしまって、その挙げ句に縁結びの神さんのところに。まるで笑い話」 「ませとられたんですね。年上の女性とお付き合いして」 「背伸びして付き合ってました。相手が『源氏物語』話すると、中之島図書館で『源氏物語』読んだりして。図書館で知り合った。向こうは大学の受験勉強に来てた」 佳恵は孝夫が嬉しそうに喋るので、胸が焦げてきた。 「参詣してからどうされたんです?」 「一畑電鉄の走っているほうの道を歩いてM市に戻りました」 「えー、歩いてですか」佳恵は頓狂な声を上げた。 「みぞれ混じりの雪が降ってました」 「そんな経験されたんですか。やっぱり孝夫さんはお義母さんのいう熱情家ですね」 「さあどうかな。自分では冷たいこころの人間と思ってますが」 「そんなことありませんわ」 「佳恵さんは洗礼は受けられてるのですか」 「はい。子どものときに。でも私、神とか仏とか信じてないのです」 「信じてないの?」 「だって何一ついいことしてくれないでしょ。反対になんの罪もない人ばかりが悲劇に遭うでしょ」 「まあそれはそうだが」 孝夫は、信じてないのか、と胸裡で呟いた。 話しているうちに斐川インターチェンジに着いた。暫く走ると出雲大社前に着いた。広い駐車場に車を停めた。佳恵は後部座席で履き物を履き替えた。それから二人は参道の松並木の道をまっすぐ進んだ。境内は時間の早いせいか、わりと閑散としていた。参詣客は広い境内に三々五々に散らばり、写真撮影や立ち話をしていた。 「ここに来て眼に着くのはあの注連縄だな」 「日本一だそうですから」 本殿に近付いていった。 「信じてなくても賽銭してお詣りしときますか」 「はい」佳恵は笑顔で応えた。 「ここは二礼三拍一礼?」 「二礼四拍一礼です」 「あまりこういうことはよくわからない」 「私もですが、小学生の頃から遠足などで来ますでしょ」 「佳恵さんはそうだね」 型どおりの参拝を済ますと、本殿をいっとき眺めてからもと来た道を引っ返した。 「艶やかですね」 「えっ何が」 「佳恵さんの着物姿が」 「恥ずかしいですわ」 「実に色っぽい」 「そんな冗談を仰って」 少し沈黙の間があってから、 「きょう私、岡山に行ってることになってるのです」 と呟くように言った。 「岡山ですか」 「大学の同窓会が岡山であることに」 ★読者の皆様に感謝★ ★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均) ★日々の閲覧! goo 396 ameba 409(内26はケータイ) ★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日) 連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。 最初から読まれるかたは以下より。 一章 ★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。 ★以下赤字をクリック! AMAZON 現代小説創作教室 連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。 あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。 『花の下にて春死なん――大山心中』 ★「現代小説」にクリックを是非! |