喜多圭介のブログ

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八雲立つ……65

2008-11-16 16:50:52 | 八雲立つ……

     *

出雲大社近くに戻ると、正午を少し回っていた。
「出雲蕎麦のお店に入りますか」
「高校生のときのお店わかりますか」
「いやわからなかった。どこでもいいです」
「あそこにしますか」

佳恵が指さした店に入った。おばさんが注文を取りに来た。
「割子蕎麦でいいね」
「はい」
「何枚にしますか」おばさんが訊ねた。
「ぼくはお腹が空いたから四枚」
「私は三枚にします」

出雲蕎麦で昼食を済まし、佳恵のトイレを待って外に出た。
「昨日も城山近くで割子蕎麦食べたけど、M市のほうが旨かったね」
「食べに行かれたのですか」
「宍道湖を眺めてから」
「そうでしたか」
「このままT温泉に行ったら早すぎるな。しかし大社以外とくに観るところはないし」
「それじゃ孝夫さんが歩かれた道を走ってM市に出たら朝の道を走ってT温泉でどう」
「宍道湖ひとまわりだな。疲れない?」
「慣れてますから。懐かしいでしょ」
「うん。ここから宍道湖の見えるとこまでが遠かったな」

佳恵の車は湖岸の行きと反対側の道路を走った。
「その頃とは風景が変わってますよ」
「そうだろうね」

孝夫は暫くフロントガラスを通して、前面の景色を眺めていた。そのうち前方五十メートル先に大樹が道路に覆い被っているのが見えた。
「佳恵さん、ゆっくり走ってくれない。あの前方の樹に見覚えがある」
「歩いたときに見たのですか」
「間違いなくあの樹だ。繁みが二回りほど大きいが、幹の恰好がそっくりだ」
「松のようですよ」
「松かもしれない。辺りはすっかり変わっているのになぁ。学生服の上にコート着てたけど、顔がみぞれでびしょ濡れ。孤独な思いは子どもの頃から何度も経験したが、この道を歩いているときも孤独だった。舗装された道でなかった。だけど歩いていたのだから生きようとする意志はあったのだな。人生って一人じゃ淋しいものだな」
「孝夫さんはいろいろとご苦労されてますね」
「小学三年生の頃はまだ芳信叔父のところに預けられていたのですが、五右衛門風呂の水入れをやらされましてね、とくに冬の時期に二十メートル先の共同井戸から水を汲み上げて、そのバケツを両手に持って運んでいたときはつらかった。あのときぼくのこころは死んだんでないかと思っています」
「死んで仕舞われたのですか」
「そんな気がします。死んだこころに鬼が棲み着いた」
「鬼がですか」
「そう。二人の叔父やぼくの母に共通な鬼が。信隆や義典にも棲み着いていた」
「主人にも」
「おそらくは」

孝夫はゆっくりと通り過ぎていく松の大樹を、これで見納めという気持ちで見上げた。

そのとき、佳恵は大学のゼミで課題として馬場あき子の『鬼の研究』が採り上げられたことを思い出していた――能の中の鬼は哀しい生き物で、鬼にも二種類があって、姿も心も鬼というものと、姿は鬼ではあるが、こころは人間というものがある。後者はあまりにも人間でありすぎたため、あまりにも人を恋い、 人を怨み、哀しんだ挙げ句に、鬼となった――たしかこのような趣旨の箇所があったが、孝夫さんの鬼とは、後者を指しているのだろうか。

M市内に入った。腕時計を見ると一時半だった。
「何処かに立ち寄りますか」
「すっと通り過ぎてください」
「そうします。二時過ぎ頃に旅館に着きますが」
「じゃT温泉近くの喫茶店に入ってから旅館に行きましょう」
「はい」
「運転のしどうしで疲れてませんか」
「疲れてません」
「それならいいが」
「ほんとに私がご一緒してご迷惑でないですか」
「ご迷惑なことなんかありませんよ。佳恵さんに後悔がなければ」

佳恵の不安そうな顔を読み取って言った。
「後悔してません」


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