喜多圭介のブログ

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八雲立つ……35

2008-11-06 17:56:30 | 八雲立つ……

孝夫が覚えている大仏の顔は青銅色であったが、これはどうしたことなのだろう。汚れを落としたあとから燻し銀の色が表出したのか、それとも燻し銀に彩色したのか、あるいはこれから金色に仕上げていく過程なのか。しかし燻し銀の大仏は、新世紀の未来を何か象徴しているように思え、孝夫に違和感はなかった。コンピューターグラフィクの画像を眺めているようで、西暦二千年にふさわしい大仏だった。人間の苦悩が多様であるのだから、多様に彩色された仏が在るのもいいのではないかと孝夫は思った。

中学、高校生の頃は足繁く通った奈良であるが、奈良に来ることはあっても大仏を拝顔するのは久し振りのことだった。小・中学生の頃はただ大きいな、という感想しかなかったが、高校生の頃からは大仏の貌について考察するようになった。なんと不気味な、親しみの薄い眼差しの仏なのか、これで本当に人間の苦悩、悲しみを救ってくれるのか、という疑念であった。この疑念はその後、何度か訪れて眺めても変わらなかった。こんな仏のどこがありがたいのか。

二十数年振りに改めて大仏を間近にして思うことは、高校生の頃からの考えとさほど変わらなかった。しかし非情な視線を中空に放って、群がる人間たちを冷視している、大仏の慈悲とは、この非情な冷視のことではないか、二十代を過ぎてから気にかかっていたことに、孝夫はなんとなく解答を得た。大仏は善男善女が鵜呑みに有り難がるようなものではないのでないか、いや大勢の人は大仏の慈悲について何か勘違いをしているのではないか。

そうだ、非情な冷視なのだ、この冷視の元で人間は生死しているのだ、それだけのことなのだ。特別な救済があるわけではない、大仏も自分も孤独なのだ。

この非情な冷視の元に自分が存在することを信じて、生きられるだけ生きてみよう、その挙げ句に絶壁の果てに辿り着くのであれば、そのときはそのときで我が身をあるべき方法で処して行けばいい。孝夫は大仏を見上げて納得すると、大仏殿の中には入らず、踵(きびす)を返して回廊の出口に向かった。

あの老人は今頃、回廊内の片隅で三脚を据えているのだろう、と思い出して周辺の大勢の人の影を見回したが見つからなかった。あの老人はあの老人なりの孤独をああやって過ごしているのだろうか。

     *

子供らと一緒に年越し蕎麦を食べたあと、佳恵はキッチンのテーブルの椅子に一人つくねんと腰掛けて、近くの寺から聞こえてくる除夜の鐘を聞いていた。二人の子どもらは居間でテレビを観ながらはしゃいでいた。兄の高明が戻ってきたので、聡実も嬉しそうだった。

佳恵は紅茶を飲みながら、孝夫が電話の最後で話したことが気になっていた。孝夫は二日三日はM市内のホテルに泊まって、四日に日御碕に出掛けるとその夜と五日はT温泉に泊まって、翌日徳島に帰ると言った。

なぜお義父さんのところに泊まらないのか。二階屋で部屋は幾つも空いているし客用の布団だってある。私のところでも居間に布団を敷けば充分なのに、どうして遠慮するのか。やはり小野一族への強いこだわりが、口には出さないが、孝夫さんにはあるような気がする、と佳恵は思った。お義父さんと芳信さんとの確執だけが原因でない。私の知らないことを孝夫さんは知っているのだ。それだからお義父さんや芳信さんとは一線を画しておきたいのだ。

それなら私や私の子供らはどうなんだろうか。やはり一線を画したお付き合いなのだろうか。いや三年前の京都のことを思えば、そんな風には思えない。なんのこだわりもなく私と聡実に付き合ってくださっていた印象がいまも記憶に残っているから。

お義父さんのお話では子どもの頃に芳信さんに虐待されていたということだが、三年前の孝夫さんの風貌にはひどい虐待を受けていたという面影はどこにも見られなかった。いつも眼差しが微笑んでいて、春の風のような温もりのある穏やかさが感じられた。それは信隆さんや義典さんに見られないものだった。

信隆さんや義典さんは一見明るそうに振る舞っていたが、二人とも何かの折には眉根を寄せて難しい顔をしがちだった。何事も意に介しない風のお義父さんにもそんなところがある。三人ともこころのどこかに鬱積したものがあるように受け取れた。そして三人とも日本酒の大酒飲みだった。

信隆さんは私と結婚した当時はビールを一本二人で空ける程度だったが、五年目頃からは日本酒の一人酒をするようになり、酒量も毎晩三合以上だった。そして亡くなる二年前からは焼酎だった。私もビール、日本酒は少しお付き合いしたが、信隆さんは呑むほどに自分のこころの世界に閉じ籠もって、一人沈鬱に何かを考える風だったから、話し掛けても上の空の応答で、私も話をする張り合いがなく、面白くなかった。警察は難しい仕事のところだから仕事のことが呑んでいても念頭にあったのだろう。あるいはお義父さんやお義母さんのことを考えていたのかもしれない。

お義母さんはM市にいる義典さんとは親しくされたが、信隆さんのところに電話を掛けてくることは滅多になかった。電話を掛けてくるのはお義父さんか義典さんだったし、信隆さんはほとんど義典さんと話していた。電話を聞いたあとはたいてい気むずかしい顔になり、焼酎を呑む量も増え、あとは高いびきで眠ってしまった。


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『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……34

2008-11-06 17:35:36 | 八雲立つ……

「あと二十分ほどあります。私は蕎麦を食べておこうか。あなたは?」
「ぼくも食べておこうかな」
「それじゃ中に入りますか。空いている席があります」

老人は立っている人の肩をかき分けて、蛍光灯の明るく灯った店内に入った。

老人は空席の一つに座ると、傍らに担いでいたカメラ類を下ろし、あーと大きな溜息を吐き、
「来て良かった。歳とると何事をするにも弾みがいるのです」

老人は眼鏡の奥で優しく笑った。

孝夫もつられて笑った。
「いやね、妻が亡くなって二年ほどはぼんやりとしていました。息子が見かねたのか、公民館でなんか受講してきたらと言うもので、ちょうど写真同好会がありまして、それに参加してからこうやってカメラを運び始めましたよ」
「そうですか。しかし歳をとられても、そうやってすることをお持ちなのは羨ましい」
「秋の文化の日には公民館で写真展が催され、これでも一等を二回受賞しているのですよ。そんなことが励みになってね。展示されている受賞作を眺めながら、死んだ妻に、どうだ、よく撮れているだろう、なんて呟いているのです。妻が生きている頃の私は美的センスのない無芸大食でしたから、今頃になって妻を見返しているのです。妻は短歌を若い頃からやっていました」
「仲の良かったご夫婦ですね」
「いや、喧嘩らしい喧嘩はしなかったですが、私が芸術系のことには関心ないものだから、妻には物足りなかったでしょ。商売柄古書の目利きは出来るほうでしたが、これは芸術には関係ないです」

ネギと蒲鉾二切れの素朴な年越し蕎麦であったが、孝夫は老人の話に温もりを覚えながら食べた。一人で食べる年越し蕎麦でなくてよかった、と胸の底でしみじみと思った。
「それじゃこれで。風邪などひかれないようにして撮影してください」

と言ってから、孝夫は先に腰を上げた。
「ありがとう、あなたもよいお正月を」

老人は柔らかな笑みを浮かべ、頷くように言った。

孝夫は自分もああいう老人のタイプであれば、それなりに平穏な生き方ができるのかもしれないと思いながら、両側に屋台の並ぶ賑やかな通りを南大門に向かった。

あの人は今でも亡くなった奥さんと胸の裡で会話しながら生きているのだろう。

孝夫は南大門でゆっくりと左右の金剛力士像を眺めた。老人はここも撮るだろうな、と想像した。あの老人は確固とした余生の目的を持っているようだが、これからの自分には生きていくどんな目的が見いだせるのだろうか、と思った。とにかく生きていけるところまでは生きて行こう、と呟いた。

南大門を通り抜けた辺りから中門までは、大仏殿参詣の人の列が五列にも六列にもなっていた。大仏殿の金色の鴟尾が二本の光芒の中に美しく浮かび上がっていた。孝夫は人の並んでいる列とは別の前方に進む人の流れに紛れ込んで歩いた。一人で参拝に来ているのだ、何も急ぐことはない。大仏拝顔は並んでいる人の列の後からでよいと思った。列の中には外国人のグループも混じっていた。

前方で大きな焚火の赤い火の粉が空に昇っていた。丸太のままの木材が片側に積まれていて、逞しい体格の男が二人、焚火に一本ずつ放り込んでいた。寒くはなかったが、焚火を囲む人の中に混じった。ちょうど横が鏡池で右手の見通しがよかった。ここからは輪郭すら見えなかったが、若者に人気のある女性シンガーのカウントダウンステージが先の方で催されていて、夜空に広がるライトの元からドラムなどの大音響が弾けていた。

焚火に顔を火照らせ群がっている人の姿を眺めていると、大仏殿の右手のほうで一つ目の除夜の鐘が響いた。もっと大きな音かと想像していたが、小さな響きであった。腕時計を見ると零時きっかりであった。中門が開かれ、並んでいた人の列が前方に動き始めた。

同時にカウントダウンステージのほうから、白い風船が夜空に一斉に上った。会場の若者たちが放ったのだろう。焚火を囲む人の群に感嘆の声がわき起こった。新年を迎えるにふさわしいセレモニーであった。孝夫の視線はずっと無数の白い風船の行方を追った。風船の集まりが光芒の帯に紛れ込むと次々と純白の真珠の小粒に変容し、夜空の彼方に切なく上って行った。実に美しい光景であった。とにかく来て良かった、と孝夫は思った。

二本の光芒の意味がやっと理解できた。大仏殿の金色の鴟尾(しび)をライトアップするために、どこからか放射されているのであろう。大屋根の鴟尾を金色に浮かび上がらせ、光芒の延長に無数の白い風船が高貴な真珠の一粒一粒のように煌(きら)
めいていた。巧みな演出であった。

警備員の誘導で人の列は、お互いの体の動きに押し出されるように回廊の内に入った。ここから大仏殿入口までは人の列は崩れ歩きやすくなった。頭上には額縁のような唐破風下の開かれた扉にはめ込まれた、巨大な燻(いぶ)し銀の大仏の顔があった。


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『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……33

2008-11-06 13:31:47 | 八雲立つ……

電話を終えると、孝夫は東大寺に出掛ける用意をした。

背広にコートを羽織った孝夫はホテルを出ると、五重塔のある方角に向かってほの暗い夜道を歩いた。十一時を過ぎていたので、ホテルの前の路上は駐車してあった車の動きがにわかに騒がしくなった。大晦日、元旦を奈良で過ごす観光客の車である。一の鳥居近辺まで車を走らせ、そこから東大寺、春日大社への参道を歩く段取りであろう。

三分ほど歩けば十字路に出る。そこを右に折れて十五分ほど歩けば、東大寺に向かう人混みに出会うだろうから、孝夫は道を間違うことはないと思った。十数年振りの奈良であったし、夜道だけに迷わずに東大寺に辿り着けるのかと、やや心配であったが、目先に興福寺の五重塔の黒く浮かぶ、左右に伸びた通りに出ると、近くの暗がりから女子高校生らしい甲高い笑い声がわき起こった。大樹の下で上下スポーツウェアに同じ色の赤いジャンパーを重ね着した五、六人が、円になってしゃがみ込み、談笑していた。

左右に伸びた通りの左手から、次々と手をつないだり体を寄せ合った男女が、囁きながら、あるいは無言で、右の方向に向かってすたすたと歩いていた。この流れが東大寺に向かう人手だなと思い、孝夫は列に加わった。それにしても若者が多いな、と思った。二十歳になるかならない若者の群に混じって、カップルの後ろ姿を眺めながら歩いていると、自分にもこういう時期があったのだと懐かしく、自然と笑みを浮かべていた。

青白い星の鮮明な夜空には、遙か遠くで分岐した二本の太い光芒が不気味に流れていた。光芒の発光元はどこなのか、歩いている人に訊ねてみたいと思ったが、東大寺や春日大社で、新年を迎えようという気持ちを早らせている人群に訊くのは憚(はばか)られ、孝夫は夜空を見上げ一人思案しながら歩いた。コンピューターの二千年問題が西暦二千年へ円滑に移行しないのではないかと、とくに年末から喧(やかま)しかっただけに、孝夫の眼には二本の光芒が不吉に映った。

これからをどう生きていくかの目処は何も立っていなかった。とりあえず自分はいまここで若い者に混じって、緩やかな坂道を、東大寺に向かっている、としか自覚するものはなかった。

大晦日の奈良は寒いだろうと覚悟して徳島を出たのだが、コートの襟を立てるほどでもなく、歩きながら試しに息を吐いても白くならなかった。一の鳥居から北に上る通りは、両側に照明の明るい屋台が並び、人混みが参道いっぱいに広がっていた。

いまの孝夫には屋台の賑わいと明るさが煩(うるさ)く思え、人混みを避けるために、大通りを渡ると薄暗がりの奈良公園内の小道に入った。暗がりには前方に人の姿もなく心細かったが、見当を付けて東大寺の方向に向かって歩いた。木立の間に黒い巨石と見紛(みまが)う格好で鹿の群が蹲っていた。ゆっくりと孝夫の方に近寄ってくるのもいた。夜でも人慣れしているのだろう、近寄ってきても関心がないのか、すぐに離れて行った。

高校生の頃に何度も散策した公園内を、五十歳を越した自分が新年を迎える四十分前に、このような薄暗がりの小道を、一人で歩いていようとは一度も思い描くこともなかった。これが自分の運命だろうと、これから先の死すら覚悟している孝夫は、とくに深刻な心境には陥らなかった。

この小道でいいのだろうか、とあちこちに十字路の小道のある処で、進むべき道を選びながらも、やや不安であった。前方の左手から人影の歩いて来るのが眼に映った。
「東大寺はこの道でいいですか」

向こうから声をかけてきた。肩に三脚付のカメラを担いでいた。
「はっきりとはしないのですが、この前方の道でいいのだと思うのですが」
「観光に来られたのですか」

七十近い老人は、孝夫と同じ道を歩きながら訊ねた。
「そんなところです。久し振りに東大寺の大仏を拝顔しようかと」
「そうですか。私は大仏殿の唐破風下の窓が零時から八時まで開けられるので、そこから外を覗いている大仏を撮そうと、千葉から来ました」
「千葉からですか。お一人で?」
「ええ。七年前から大晦日から三が日は、こうやってあちこちの寺を撮して回っています。店は息子に任せて。正月は休みですが」
「そうですか。写真屋さんですか」
「いや、古書店、古本を扱う。私の跡を息子夫婦がやっていますので、私はこういう暢気なことを」
「そうでしたか。毎年、お寺さんを撮影に」
「寺にかぎってはいません。昨年は下田の海岸べりで初日の出を撮っていました。温泉を兼ねてですよ」

老人は朗らかな笑い声を上げた。それから厚手のハーフコートのポケットに手を差し込んで煙草を取り出すと、ライターで火を点けた。
「失礼ですがお宅はどちらから?」
「徳島からです」
「お一人で?」
「はい、一人で大晦日に家を出たのは今回が初めてですが」
「そうでしょう。大晦日、元旦に家に主がいないと格好になりませんからな。まぁ、私は妻が十二年前に亡くなったものだから、大晦日、三が日を留守していても用事もないものだから、気ままに過ごさせてもらっています。バス通りに出ましたね。向こうが明るい」
「そうですね」

春日大社前のバス停の付近は人で混んでいた。バス会社の勤務員数名が集まっている人たちになにか説明していた。元旦の寺巡り案内のようであった。近くには店先にテントが貼られ、年越し蕎麦と書いた白い看板が立っていた。店内の内外では発砲スチロールの白い丼に蕎麦が盛られ、二十人近い人がうまそうに食っていた。


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『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……32

2008-11-06 07:20:35 | 八雲立つ……

この頃孝夫は律子が死んだとは思えなくなっていた。あいつはぼくの胸の中で隠れん坊しているのではないかと錯覚することが多くなった。胸の中の木陰から不意に顔を覗かせて、あなた、と明るい顔で微笑むのであった。胸の中で律子は活き活きと、生きていた頃と変わらない笑顔で、孝夫と遊びたがっていた。悪戯っぽく孝夫の胸の奥底まで覗き込むような律子であった。胸の中で隠れん坊をしている律子がいるかと思うと、同様な強さで思い出の場所、場所で待っている幻覚にも捉えられた。

だが大晦日の前日に京都駅近くのホテルの泊まったものの、結局孝夫は知恩院には詣らなかった。律子はやはり胸の中で隠れん坊をしており、ホテルのベッドに横たわっていると姿を現した。

――とうとうM市に出掛けることがなかったなぁ。奈良に泊まったあとM市に行って来る。律子はぼくの胸の中から宍道湖を眺めてみるか。

孝夫は自分を元気づけるように呟いた。

そして孝夫は、自分と不遇な死に方をした信隆、義典、健一、三人の従弟たちのことを考えていた。自分とはどこが違うのだろうか。健一はともかくとして信隆は警察大学校、義典は関西の私立K学院大を卒業していた。が、この四年間をすべて親がかり、信和叔父からの学費と生活費の援助で送ったのではないか。

しかし自分はそうでなかった、と大学当時のことを振り返った。

孝夫は東京の私立大学に合格したときから、父親が早く病死したことと、それまでに蓄積していた母親の生き方への反撥とで、母親からの自立を考えた。それでも最初の二年間は学費と生活費、四畳半一間のアパート代五千円と毎月の生活費一万円、計一万五千円を母親から仕送ってもらっていたが、合格した年から皿洗いのようなアルバイトを探し、本代と映画などの小遣い銭は自分で賄(まかな)っていた。無駄遣いすることがなかったので、少しずつ貯金が増えていった。そして大学二年のときから貯金よりも貯金した金を元手に端株買いを始めた。

端株で買っても株価が上がれば証券会社への手数料を払っても、儲けが出る。当初は元手が小さかったので微々たる儲けであったが、大学三年生のときから母親の援助は学費のみにし、生活費の仕送りを断るくらいの儲けが出始めた。

そして大学一年のときから交際していた二歳年上の律子が大学を卒業して働き始めたときに妊娠したので、三年生のときに律子と正式に結婚した。律子の実家の一間で暮らし始めたので、生まれた子どもの世話は律子の母親がみてくれた。この頃になると孝夫は学費と生活費のすべてを自分たち二人の稼ぎで賄うようになっていた。孝夫にとっての母親からの自立であった。

この辺の生き方が父親の呪縛から解き放されなかった信隆、義典とは違っていたのでないか、と孝夫は結論づけた。

信隆が病魔に倒れたときに小学校の六年生だった長男は、今春大学の三年生になるいう。若かった佳恵もその分年齢を加えた。二人の子供を抱えた暮らしは、叔父からの経済援助があるとはいえ苦労だったろうと想像した。叔父の言った意味とは違った意味で、女としての寂しさも味わってきたことだろう。

孝夫は佳恵に逢うのに躊躇いがあった。だが佳恵の、小野はどうなっているのでしょう、という思い、お互いにいままで感じてきたことなどをじっくりと話せるのは、これが最期ではないかと予感していた。今度いつM市を訪れることがあるのかどうかもわからなかった。叔父、叔母たちよりも自分が先に死んでいるかもしれない。

列車はM市に近付きつつあった。佳恵がJR南口の駐車場で待っている筈だった。

     *


佳恵のところに孝夫から電話があったのは、大晦日の除夜の鐘の鳴る二時間前だった。
「奈良の猿沢池近くのホテルからかけてます」
「奈良におられるのですか」
「東大寺の除夜の鐘を聞いてから、久し振りに大仏さんを拝顔しようと思いまして」
「お一人で……」

佳恵の訝しがる声だった。
「それでですね、二日から五日までそちらに出掛けようかと。叔父には先ほど電話してあります」
「お義父さんにお電話されたのですか」
「ええ」
「私、車でお出迎えにあがります。何時頃に着かれるのですか」
「午後の二時十分に」
「それじゃ南口に出て貰えたらそこの駐車場に車停めておきます」
「ありがとう。お子様たちはお元気?」
「はーい、大学に行っている高明も戻ってきてます」
「高明くんはいま二年生だったかな」
「はい、この春三年生に」
「そうですか。早いものですね」
「ほんとに……私だけがどんどん歳とってお婆さんに」
「お婆さんはまだまだ先のことでしょう」
「恥ずかしくて孝夫さんの顔を合わせられないですよ」

そう言いながらも佳恵の明るい笑い声が、孝夫の耳元に届いていた。


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