2001年9月11日のニューヨークテロ(同時多発テロ)以後、10月7日開始の米国のアフガニスタン空爆、2003年3月19日の米英によるイラク空爆に乗じた形で、日本でも憲法改定論議が小泉前政権より強まっている。それも太平洋戦争を知る世代や敗戦当時の貧困を知る世代(6、70代以降)よりも知らない世代の声が大きい。小泉首相の後を引き継いだ安部晋三首相は、あからさまに憲法改正(改悪)を目論んでいる。
こういう物騒な世相の中で故渡辺一夫氏の『狂気について』(岩波文庫渡辺一夫評論集『狂気について』大江健三郎・清水徹)の一篇「狂気について」を思い起こすのも無駄ではないだろう。渡辺一夫氏については以下参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E4%B8%80%E5%A4%AB
たしかプレーズ・パスカルだったと思いますが、大体次のようなことを申しました。 ──病患は、キリスト教徒の自然の状態である、と。
つまり、いつでも自分のどこかが工合が悪い、どこかが痛むこと、言いかえれば、中途半端で割り切れない存在である人間が、己の有限性をしみじみと感じ、「原罪」の意識に悩んで、常に心に痛みを感じているのが、キリスト教徒の自然の姿だと申すわけなのでしょう。まあ、そういう風に解釈させてもらいます。
これは何もキリスト教徒に限らず、人間として自覚を持った人間、即ち、人間はとかく「天使になろうとして豚になる」存在であり、しかも、さぼてんでもなく亀の子でもない存在であり、更にまた、うっかりしていると、ライオンや蛇や狸や狐に似た行動をする存在であることを自覚した人間の、愕然とした、沈痛な述懐にもなるかもしれません。
恐らく「狂気」とは、今述ぺたような自覚を持たない人間、あるいはこの自覚を忘れた人間の精神状態のことかもしれません。敢えてロンブローゾを待つまでもなく、ノーマルな人間とアブノーマルな人間との差別はむずかしいものです。気違いと気違いでない人間との境ははっきり判らぬものらしいのです。先ず、その間のことを忘れてはならず、心得ていたほうがよいかもしれないのです。我々には、皆、少々気違いめいたところがあり、うっかりしていると本物になるのだと、自分に言い聞かせていないと、えらい「狂気」にとりつかれます。また、そういうことを知らないでいると、いつのまにか「狂気」の愛人になっているものです。
天才と狂人との差は紙一重だと、ロングローゾは申しているわけですが、天才とは、「狂気」が持続しない狂人かもしれませんし、狂人とは「狂気」が持続している天才かもしれませぬ。
空腹なライオン、トラ、ワニが獲物を捕獲するときの凶暴性を我々は知っているが、こうした動物も満腹のときはおとなしい姿を見せている。人間も動物という範疇(はんちゅう)に属しているから、こうした凶暴性を保持しているのだが、普段は理性と知性の発達による倫理観で自らを制御している。この足枷が外れた状況になると凶暴性を発揮することは、古今東西、人間の歴史を振り返れば理解のいくことである。
性善説と性悪説がある。幼児でも性悪の強いのが目に着くことがある。おそらくは両方の親の家系からの遺伝と育つ環境という二つの要因が関係していると思うが、倫理観を育てることで社会秩序を乱すということにはならないが、渡辺一夫がとりあげている狂気は、集団、社会、つまり政治という大枠での狂気である。
しかし、人間というものは、「狂気」なしにはいられぬものでもあるらしいのです。我々の心のなか、体のなかにある様々な傾向のものが、常にうようよ動いていて、我々が何か行動を起す場合には、そのうようよ動いているものが、あたかも磁気にかかった鉄粉のように一定の方向を向きます。そして、その方向へ進むのに一番適した傾向を持ったものが、むくむくと頭をもたげて、まとまった大きな力のものになるのです。そのまま進み続けますと、段々と人間は興奮してゆき、遂には、精神も肉体もある歪み方を示すようになります。その時「狂気」が現れてくるのです。幸いにも、普通の人間のエネルギーには限度はありますし、様々な制約もありますから、「狂気」もそう永続はしません。興奮から平静に戻り、まとまって、むくむく頭をもたげていたものが力を失い、「狂気」が弱まるにつれて、まとまっていたものは、ばらばらになり、またもとのような、うようよした様々な傾向を持つものの集合体に戻るのです。
そして、人間は、このうようよした様々なものが静かにしている状態を、平和とか安静とか正気とか呼んで、一応好ましいものとしていますのに、この好ましいものが少し長く続きますと、これにあきて憂鬱になったり倦怠を催したりします。そして、再び次の「狂気」を求めるようになるものらしいのです。この勝手な営みが、恐らく人間の生活の実態かもしれません。
渡辺一夫がこれを書いた時期は1948年(昭和28)5月であることを思えば、終戦後3年で、もう危惧される事態が起こっていたのである。一億総懺悔のこころは新たな冷戦構造(米ソ対立)と〈喉元過ぎれば熱さを忘れる〉日本人気質で没却されていったのである。