喜多圭介のブログ

著作権を保持していますので、記載内容の全文を他に転用しないでください。

八雲立つ……25

2008-11-03 16:55:41 | 八雲立つ……

叔母が、孝夫さんは何が好きかね?と訊ねるので、カレー、と応えると、毎昼カレーとコップ一杯の水だけの食事を出す人だった。信隆、義典も同じ物を食べていたので差別されていたのではなかった。

大阪に戻ってから孝夫は母親から、何を食べていたの?と問いかけられるままに、カレーと応えると、毎日カレーだったの?と聞くので、毎日、と言うと、母親はえらい剣幕で、孝夫を前にして怒り始めた。孝夫は母親の怒り心頭が迷惑でそそくさと逃げた。

このことを智世子は信和叔父に逢うたびに持ち出すので、叔父は閉口して、
「姉さん、あれはあんな女ですわ」と嘆息めいた口調で言った。
「あんたに言っても仕方がないけど。静子さんをあんたに押しつけたのは、婆ちゃんだからね。婆ちゃんにしたら静子さんの実家の財産を少しは当てにしてだろうけど、M市でも評判の吝嗇家だったから、婆ちゃんも当てが外れたわね。小野を見下げてね、あの頃は焼物なんかやっていても食えない時代だから。静子さんだって腹の底ではいつもあんたを見下げているわね。あのケチな父親の教育を受けて育ったのだから。私も婆ちゃんと何度かあの店に行ったけど、陰気なところだったよ」

智世子は憤慨と嘆息をない交ぜにした感情で呟き、煙草を吹かした。

自分に対する叔母の冷淡さをどこかに感じながらも、そのことはすぐに忘れて孝夫は信隆、義典と夏休みの午前中から近くの川でよく遊んだ。歩いて十分くらいのところに、川幅五メートルほどの浅い川が広島湾に注いでいた。孝夫が立つと水面は臍の辺りで物足りなかったが、深みの箇所は乳首辺りにまで水面がきたので、泳ぐときは深みの処まで歩いて行った。だが泳ぐことはあまりなく、三人とも水中眼鏡をかけて、手網で草むらの覆う川の縁に潜んでいる鮒(ふな)や泥鰌(どじょう)を掬(すく)った。

こんなときでも敏捷に魚採りに夢中になるのは義典で、潜って掬うたびに得意顔で歓声を上げ両頬にえくぼのできる人なっこい笑顔を見せたが、信隆は網が曲がってしまったとか、網が竹から外れたと言っては泣きべその顔を見せて、遊びを中断させた。

水中眼鏡が流れたと悲鳴を上げ、細くて長い脚をばちゃばちゃと、川の真ん中を川下に向かって走っていくのを、孝夫と義典は、その滑稽な姿を大声で笑った。

川遊びに飽きると虫採り網と虫を入れる手籠を持って、近くの低い赤土山に上った。赤土山といっても照葉樹林の鬱蒼とした森であった。蝉採りにはすぐに飽き、木登りを始め、頑丈な枝に腰掛けて、森の彼方に展がる田園を眺望するのであった。だがこのときも木登りの遅いのは信隆であった。両方の長い脚を八の字形に開き、不器用に上ってくるのを、太い枝に腰掛けて眺めていると、まるで不器用なバッタの木登りであった。孝夫は義典と手の届く葉っぱをちぎっては、上ってくる信隆の顔めがけて投げた。

上の二人を泣き顔で見上げ、信隆は眉根に縦縞を寄せて苦しそうに上ってきた。やっと二人の腰掛けている枝の処に上り着くと、にやっと照れくさそうに笑った。

こんなときでも信隆は結果的にへまをやった。膝頭がすり切れて血が滲んでいたり、半ズボンの尻が裂けていたりと、帰宅したときに叔母に小言の口実を与えてしまうのである。
「孝夫さんは中学生でしょ。危ない場所では遊ばないようにしてくれないと」

叔母は遊びの詳細を訊ねるでもなく、頭ごなしに年長の孝夫に注意した。

どんな遊びをしていても、信隆一人がどじを踏むというかアクシデントに見舞われ、そのたびに遊びは中断し、遊びが不燃焼のままに終わることが多かった。そして孝夫は叔母から小言を頂戴した。だから孝夫は毎回信隆に腹を立てた。

だがいまになって信隆、義典と過ごした夏休みを懐かしく思い起こしてみると、それでいて信隆は物事を中途で放擲する男ではなかったということに気付いた。いつも気弱に、眉根に縦皺を寄せ、苦しそうな顔で遊びに加わっていたが、自分から弱音を吐いた信隆を見たことはなかった。

弱音を吐いたり、自棄になって遊びを放擲するのは義典のほうだった。義典は自分が出来ないことにはすぐに興味を示さなくなったり、執拗に愚痴るのだった。信隆も孝夫の眼から見ると依怙地な子供であったが、それは孝夫、義典に負けまいとする暗い執念であったが、義典の執念は自分の能力の及ばないことを棚に上げて、その遊びをしたことを、あるいはその遊びを発案したことをぶつぶつ言うのであった。これは直接年長の孝夫を批判しているのではなかったが、自分以外の人間を批判していることには変わりがなかった。

母親に取り入るのが巧みなのも義典で、信隆はこの点でも不器用で、叔母から叱られるのは孝夫、信隆であった。

家の門が百メートル先に見えてくると、義典はいきなり脱兎のごとく走り出した。孝夫と信隆は遊び疲れて駆ける気持ちにもならなかったが、義典は必ず先に戻って叔母に遊びの報告をしていた。二、三分は遅れて到着する孝夫、信隆は、義典が何を母親に報告したのか知る由(よし)もなかった。そしていきなり小言を食らったりした。おそらく虐めてもいないのに二人に虐められたと報告をしたのだろうと、孝夫は想像した。

髪が柔らかく赤茶けていた義典は、ちょっと見には英米人の子供のようであった。乳色のほやほやした頬には金色の産毛が残っていた。いつも浅黒い泣き顔に眉根に深刻な縦皺を刻む信隆を、叔母は好いていなかった。実際、孝夫もじくじくしたところのある信隆よりも、思い切りのよい、そしてえくぼの笑顔でやんちゃそうに笑っている義典のほうが、腹を立てながらも扱いやすかった。


★読者の皆様に感謝★

★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均)
★日々の閲覧! goo 396  ameba 409(内26はケータイ)
★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日)

連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。

★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。
喜多圭介の女性に読まれる小説

★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非!
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
★以下もクリック!
AMAZON

現代小説創作教室

連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。

あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。

『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……24

2008-11-03 12:17:19 | 八雲立つ……

「あんたも悪いわ。女、子供に手をかけたらあかんわね」

智世子は仕方ないという風に、叔父を睨み付けて言った。

不利な立場に立たされてしまった叔父は苦虫を潰したまま、孝夫に手招きして、一緒に布団に横にならんか、と掛け布団の端を持ち上げて眼で誘った。

叔父にとってこういう事態は、常に大事ではなく小事であった。叔母や二人の息子にとっての大事が、叔父にとっては小事であるから、叔父と母子との感情のすれ違い、軋轢(あつれき)は叔父への憎悪に近い形に蓄積された。
「私が信隆を殺したようなものです」

突然、叔母は今まで抑えていた感情の堰(せき)が切れたのか、顔をトマトケチャップ色に紅潮させ気が狂ったように泣き喚いた。
「可哀想なことをしました。あの子は辛抱ばかりしてきたんです。可哀想で可哀想で」
「止めんさっしゃい」

信和叔父は叔母に冷たい視線を向け、短く叱責した。
「義姉(ねえ)さん、この人はいつもこうですけん。自分に気にいらんと。それでも気にいらんと手ぇ上げなさるわね。今夜ばかりは私も言わしてもらわんと、信隆に申し訳が立たんわね」
「何が申し訳立たんかね」

叔父は渋い顔で言ったが、叔母はその言葉を無視した。叔母の恨みがましい眼の縁は、唐辛子の粉でも塗ったように真っ赤になり、ぐしょぐしょに濡れていた。そして叔母は狂ったように納棺にいざり寄り、白布で覆われた棺(ひつぎ)を小脇に抱きかかえる恰好で、
「信隆、信隆、お母さんを許してよ、許してよ」と泣き喚いた。

そして棺の中に首がころっと落ちてしまうのではないかと思うほどにうなだれ、肩を震わせて泣き崩れた。

孝夫は叔母の気持ちに同情するよりも、あまりにも芝居がかった姿が不快であった。孝夫は、人前でざめざめとなく女の涙にいつも欺瞞を視るのであった。男でも女でも慟哭という行為は、もっと孤独で悲痛なものではないだろうか、と思うようになっていた。

叔父は取り乱した叔母の姿に、太い眉を顰め、
「明日は葬儀じゃけん。休まな暑さに倒れてしまうけん。早う寝なさいと言うとるのじゃないか。この道理がわからんかね。泣いても信隆は帰って来んけん。あんた一人でそげんして泣いとりなさい。わしゃ寝るけん。孝夫もわしの布団に入って寝んさい」

孝夫は掛け布団を持ち上げている叔父の布団に潜り込む前に、納棺の上の額縁に納まっている信隆をじっと見つめた。信隆、あんたが死んで残念だ。こんな義典と今後どうやって付き合っていけばいいのか、先が思いやられる、と呟いた。

いつの間にか四畳半に横になっていたはずの佳恵まで起きて来て、何事が起こったのかと、眼を見開き、口を半ば開け、きょとんとした表情で、部屋の隅に膝頭を揃えてちょこんと坐っていた。

孝夫は叔父を批判する叔母の態度に、その都度、そんなに嫌いなら離婚すればいいのにと思ったが、口にしたことはなかった。叔父も叔父だ。相性が悪ければ離婚すればいいのにと思ったが、
「あれはあげな女じゃけん。そう思うていたら気が楽じゃけん」と言い、これで五十年以上経ったのだから、今更孝夫親子がはたからどうこう言うこともなかった。
\chapter{従兄弟)
一体これはどうしたことなんだろうか。孝夫は見当がつかなかった。

義典への孝夫の感情は、孝夫が中学二年、義典が小学三年生の頃の親近感であった。この頃義典の顔は一年ごとに明るくなり、信隆は暗くなっていた。孝夫は最初の頃は小ずるい印象の義典より気の弱そうな信隆が気に入っていたが、五日市の頃は義典のほうが付き合いやすくなっていた。

叔父は呉から五日市に転勤していた。あの頃の義典は無邪気な明るい顔の子供であった。笑うと両の頬にえくぼが出来た。ちょっと眩しそうな眼差しで人を見る眼には、暗さなど微塵もなかった。きかん気なヤンチャな面があった。孝夫は小学三年の義典を目蓋の裏に思い浮かべ、当時のことを回想した。

小学五年生の信隆は義典とは対照的な顔であった。泣いていないときでも泣き顔で、笑っても義典のように素直に笑うことはなく、めそめそした態度で一度こころのどこかで屈折してから気弱に笑った。男の子にしてはじくじくした態度を示し、孝夫は信隆に好感が持てなかった。

三人で遊んでいても孝夫は義典と結託して虐めているのではなかったが、結果的に信隆を虐めている感じの遊びになった。そのために信隆は泣くこともあった。

叔父は五日市の田圃の一軒家から広島市内の警察署に勤務していた。この一軒家は署が転勤組に借りていたものだろう。孝夫は中学二年生の夏休み、ほとんど一ヶ月大阪から一人でやってきて叔父の家族と過ごした。


★読者の皆様に感謝★

★日々の読者! goo 131名 ameba 212名(gooは3週間の amebaは7日間の平均)
★日々の閲覧! goo 396  ameba 409(内26はケータイ)
★ameba小説部門 最高位 86/4849(11月1日)

連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。

★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。
喜多圭介の女性に読まれる小説

★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非!
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
★以下もクリック!
AMAZON

現代小説創作教室

連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。

あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。

『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……23

2008-11-03 08:42:02 | 八雲立つ……

「親父やあんたらは同類や!」
「同類とはどういう意味?ぼくらが信隆君に何をしたというのや」
「孝夫、義典の言うことなんか気にせんでええ。兄貴が死んだんで気が昂ぶっているのや」

眼を赤くしている叔父の表情は苦虫をつぶし、孝夫に、ほっとけ、と片目を瞑(つむ)ってサインした。叔父の意向を受け取った孝夫は、あとの言葉を続けずに口を噤(つぐ)んだ。

孝夫は義典の態度に驚いた。これで玄関口での自分たち親子を冷ややかに無視した義典の態度が理解できた。義典は自分たち親子を嫌っていたのだ。それにしてもなぜ義典に嫌われなければならないのか。十年前に義典の結婚式に出席した折りに、義典の姿を眺めただけではないか。そういえばあのときも義典は、挨拶一つ自分たち親子や芳信叔父夫婦にしなかったな、と孝夫は思い出した。

兄貴が死んだので義典は気が昂ぶっているのだろう、と孝夫は考え直した。八畳間の端で、陰気に長身の背を曲げて蹲っている義典には、叔父叔母、孝夫親子は当たらず触らずであった。佳恵は硝子戸を閉めた四畳半の部屋で、二人の子供と横になっていた。

ビールの酔いが回り、叔父と孝夫の母親は八畳間に敷いた、別々の布団で横になった。叔母は台所で片付けをしていた。孝夫は先ほどの義典の言いがかりに神経が冴えていた。信隆の通夜の席で義典と気まずい雰囲気のままでは、亡くなった信隆にも済まないことだと思い、孝夫は義典の傍にいざり寄り、
「飲まないか」

と、孝夫はビール瓶の口を、義典のコップに向けた。

けれども義典は顔も上げずに、蹲った背を怯えた猫のように細かく戦慄(わなな)かせていた。義典の哀しみがわからないでもなかった。しかし哀しいのはお前一人ではないだろう、おとな気ないではないか、と体格のしっかりとした義典を見つめ、孝夫は頑なな姿勢を胸の裡で批判した。
「あんたらにはなんにもわかっとらんのや。あいつは外面(そとづら)だけの人間や。あいつのおかげでどれだけお袋や兄貴が苦労したか、あんたらにはわからんのや」

やっと義典は孝夫に向かって言葉を発した。しかしそれは顔を上げずに発せられた、暗い怨念の呻きだった。
「あいつが兄貴を殺したのや。兄貴を殺したのや」

聞き捨てならないことを義典は言っていると思ったが、これ以上義典の気を昂ぶらせてはいけないと孝夫は、自制を促すように、
「そんな風に言っては叔父さんが気の毒ではないか。長男を亡くした叔父さん、叔母さんが、今回のことではお前以上に哀しんでいることではないか。なによりも佳恵さん親子がいちばん哀しんでいることやないか。それをお前一人がすべての哀しみを背負ったような態度では」
「あんたには何もわからんことや」
「そりゃそうや。従兄弟同士といってもきみらと暮らしていた訳やないからな」
「あいつは町では名士ぶって、何が鳩堂窯や。家では気にいらんとお袋を殴ったり、足蹴(あしげ)にして。鬼や!」

孝夫の我慢の糸が切れた。
「義典、お前父親に向かって何を言っているのや。あいつ呼ばわりしたうえに鬼か」

怒鳴るなり孝夫の拳が蹲った義典の頬を打った。
「そうや、そないして殴るのや。あんたも親父と同じや」

義典は顔を上げた。その眼は恐怖の色を帯びていた。
「なんで暴力を振るうのや!」

義典は憎悪を眼に点し、孝夫を睨み付けた。

孝夫は内心、しまった、と思った。どんなことであろうと暴力はいけない。

義典と孝夫の険悪な気配に叔父と智世子は、それぞれの布団から躯を起こした。智世子は孝夫の剣幕に驚いた顔であった。
「孝夫、あんたも疲れているのじゃけん。わしの横で寝らんか」

叔父はもののわかったような苦虫潰した表情で、眼で合図しながら孝夫に手招きした。

叔母も何事かと台所から飛び出して来て、義典の傍に寄った。
「叔母さん済みません。義典の言うことを聞いているうちについ手が出まして。義典、わるかったな」

孝夫は叔母と義典に頭を下げた。
「孝夫さん、この子の言うことももっともなんです。私は何度この人に殴られたか」

叔母は白い眼球を撫でつけるように目蓋をしばたたかせた。叔母は若い頃から、ポパイの漫画のオリーブに顔も体つきも似ていた。真実味がないというか、どんな話の内容でも鼻であしらって応答しているように思えた。叔母が真実味のある顔で真剣に喋るのは叔父を罵るときだけだった。叔父の居ないときは、いかにも憎々しげに罵倒するのであった。

叔母はこのときとばかりに頬を涙で濡らし、孝夫の母親に直訴でもしているような熱心さで、夫の日頃の家庭での行状を言い募った。

★読者の皆様に感謝★

★日々の読者! goo 131名 ameba 209名(gooは3週間の amebaは7日間の平均)
★日々の閲覧! goo 396  ameba 391(内26はケータイ)

連載中は執筆に専念するためコメントは【完】のところ以外では許可しておりません、あしからず。

★この作品を読まれた方は『花の下にて春死なん――大山心中』も読まれています。
喜多圭介の女性に読まれる小説

★アクセス急増中! 「現代小説」にクリックを是非!
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
★以下もクリック!
AMAZON

現代小説創作教室

連載予定の長編『花の下にて春死なん――大山心中』(原稿800枚)を縦組み編集中。こちらの読者の皆様にはこれで一足お先に読むことができます(あちこちで同じ事を書いてますが)。十二章あるうちの三章まで(原稿90枚)。文字の拡大は画面上の+をクリックしてください。しおり付。

あらゆる創作技法を駆使してます。なお私のこれまでの作品では禁じ手としてましたポルノグラフィ手法もワンシーンありますので、一部の女性読者に不快な思いを抱かせるかもしれませんが、ご了解願います。

誤字、脱字を見付けられたかたはコメントに書いていただくと助かります。

『花の下にて春死なん――大山心中』