喜多圭介のブログ

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八雲立つ……19

2008-11-01 16:47:09 | 八雲立つ……

     五章 信隆の通夜


信隆の入院を孝夫は、T市の団地に独りで住んでいる母親からの電話で知った、S市の市民病院に入院していると。
「何度か見舞いに行ったけど悪いらしいよ。静子さんが付きっ切りでいるけど」
「叔母さんが来ているの?」
「佳恵さんは中学校の先生だから休めないやろ。二人の子供の世話もあるし」
「叔母さん泊まり込みで?」
「たまには佳恵さんと交替しているらしいけど」
「そんなに悪いのか」
「まだ四十だから死にやせんと思うけど……」
「縁起悪いことを……佳恵さんは何歳やった?」
「六つ下やから三十四やな」
「そんだけ離れてたの」
「見合い結婚やったやろ。信和と佳恵さんのお父さんがM市の文化財か文化の審議委員とかで知り合って、両方の父親同士で決めた結婚」
「そうやったかな」

二、三日うちに見舞いに行くと言って、母親からの電話を切った。

信隆とは長い間逢っていない。前に逢ったのは義典の結婚式にM市に戻ったときで、それも慌ただしい最中の短い会話に過ぎなかった。

挙式を控えているモーニング姿の義典とは、眼で挨拶を交わした程度だった。それも挨拶になっていたのかどうかは、信隆の通夜での義典の態度からすれば疑問だ。義典の結婚式のときから孝夫親子は、義典の感情の中では拒否されていたのかもしれない。

電話があって二日後に、孝夫は大阪府下のK市の市民病院に信隆を見舞った。冬に風邪一つひかない孝夫は、病院の薬品の匂いには縁遠かったが、親から聞いていた病室番号を頼りにエレベーターに乗り、薬品の匂いの籠もる暗い廊下を歩いていると、自分もいつかこういうところの世話になるのかと、重たい気分になった。信隆は十名分の病床のある大部屋に入っていた。

ドアを開けるとカーテンの衝立に仕切られて十人ほどが寝ていた。目ざとく孝夫の姿を認めた叔母の静子は、床に頭が着くほどに長身の背を丸く曲げて、
「孝夫さん、わざわざ、どうもどうも」

M市独特の地方言葉のイントネーションで迎えてくれた。

場所柄をわきまえない大声であった。叔母と逢うのも久しぶりであった。女性としては長身の人だが、その長身がまるで八十過ぎの老婆のように曲がり、両の手が床を掃くような格好だった。まだ六十過ぎのはずだ。若い頃から姿勢が悪かった。

孝夫は叔母への挨拶もそこそこに、信隆のベッドに近付いた。自分よりも四歳年下の働き盛りの信隆が、長身を折り曲げた格好でベッドに横たわっているのが痛々しかった。無精髭を少し伸ばした信隆は、両頬の痩(こ)けた、薄めた紅茶色の顔で孝夫を見ていた。
「どうもすみません。見舞いに来てもらったりして」

ベッドに浅黒い胸をはだけた寝巻の上半身を起こした。
「横になったままでいいよ」

孝夫が驚いたのは顔色だった。日焼けなのか酒焼けなのか、あるいは薬品焼けなのか、漁師のような紅茶色の皮膚にどす黒さが混じり健康に見えなかった。天王寺公園の一角に集まっているホームレスとさして変わりのない印象を受けた。精神の荒廃を帯びているようにも思えた。だが孝夫を懐かしそうに眺める両眼は、子供の頃の気弱な優しさを帯び、孝夫はその眼に時空を超えた親しみ、子供の頃に一緒に遊んでいた信隆を見出し安堵した。
「驚いたよ、母親が電話で入院していると言うので」
「おばさんが知らせたんですか。たいしたことないです」
「三週間になると母親が言っていたけど」
「いろいろと精密検査に手間取っているので」
「詳しく調べているのだろうな。一つの検査の結果が出るだけでも、二、三日かかることがあるのだろう。働き過ぎかな」

孝夫は叔母が勧めてくれたベッド脇の丸椅子に腰掛けて言った。
「そのようです」

信隆は四角い顔で笑った。
「勤務先が兵庫県に替わって、慣れんのでいろいろ気をつかって」
「山口組の本拠地だ。上級職とはいえ信隆君のような仕事は大変だろう」

信隆は信和叔父と同じ道を、警察大学校を卒業してから歩んだ。叔父は復員して来ると警察畑を歩んだ。M市の警察署長の肩書きで定年退職、あとはお決まりの警備保障会社の相談役に収まっていた。会社に行くことはほとんどなく、初代、二代目鳩堂の作品を整理しながらの悠々自適の暮らしだった。

職場が父親の直接の影響下になかったのが救いであったが、孝夫は見舞ってから三ヶ月後に信隆が亡くなったとき、信隆が父親と同じ道を選択したのは、間違いではなかったかと思うようになった。いや選択したのではなく、父親の無言の圧力であったかもしれない。

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『花の下にて春死なん――大山心中』



八雲立つ……18

2008-11-01 13:25:43 | 八雲立つ……

以来信和叔父夫婦からは女たらしと誤解されている。後に同人誌に掲載したロマン小説を一度だけ送ったのもまずかった。孝夫の小説はほとんどが男と女の愛を主題にしていた。

信隆が亡くなってのちに文学仲間の友人を連れ、信和叔父の家に一泊した。酒に酔った友人は先に就寝し、叔父と二人だけで信隆の思い出話や芳信叔父の話をしていたとき、叔父は、
「佳恵もこれからが大変じゃがね。まだ躯が若いがね。信隆が死んで五年も経つと、女も躯が淋しくなるがね」としたり顔で、孝夫に言った。

叔父流の女性心理の分析かと思ったが、孝夫は叔父の言葉は亡き信隆に不謹慎な言葉でないかと思い、呆れた。いったいこの叔父は何を想像しているのか、と孝夫は得体の知れない物の怪を見つめるように、ビールに酩酊している叔父を凝視した。これでは叔父自身が密かに佳恵の躯を視線で舐め回していることを告白しているようなものだった。あるいは警察畑を歩いた人間は、こういう卑猥な想像しかできないのだろうかと考えた。

孝夫は佳恵が亡き信隆に操(みさお)を立てるなどという時代錯誤の倫理観から不謹慎だと考えたのではない。いずれ佳恵の胸の空洞を埋める男が現れたとしても、それを傍(はた)から非難すべきことではない。死んでしまった者より生きている者が幸せになればいい。操を護って干からびていくことにどれほどの意味があるのか、という考えはあった。

けれどもこのことは佳恵本人の考えや摂理に委(ゆだ)ねる事柄であって、叔父がまだ躯が若いがね、と邪推することではないだろうという反撥が胸に生じた。叔父の妄想に猥褻を覚えた。

叔父の佳恵に対する言葉へのこだわりもあり、昨年の夏に別な友人とこの地域を巡った折りには、佳恵家族の二階家の真横を車で走り抜け、寄ることはなかった。佳恵の家には寄らなかったが、信隆の墓詣りはしておいた。

友人に車を運転してもらい、あの道だ、いやこっちだと苦労したが、なんとか記憶にある寺の門前に辿り着いた。本堂脇の墓地は古い墓石が密集していた。供える花の用意をしていなかったので、炎天に熱していた墓石に水をかけ合掌した。

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八雲立つ……17

2008-11-01 09:14:04 | 八雲立つ……

智世子は孝夫が中学一年、二年生の夏休みの一ヶ月間、信和夫婦に妹の邦子と一緒に孝夫を預けた。叔父夫婦にとっては息子二人の面倒を見るだけで大変な時期であった。孝夫兄妹が従兄弟の信隆、義典と長く一緒に過ごしたのは、この二度の夏休みのときだけだった。叔父は署内の職務に多忙で、二人の世話は叔母任せであった。

孝夫が中学一年生の夏休み、広島県呉の坂の上の叔父宅で過ごした。小学四年の信隆の容貌は馬面の叔父に似ており、義典は色白顔で、小学二年でありながら小ずるい顔立ちだった。この頃すでに信隆の表情にはいじけたものが浮かんでいた。おそらく長男としての信和叔父の厳格な指導と、身を投げ出して信隆を庇(かば)うことのない母親に挟まれ、こころの暗い育て方をされたのであろう。

義典はやんちゃであった。静子は義典が懐に飛び付いてくると広げた白いエプロンにくるんで躯を回転させ、ヒステリックな笑い声を上げた。ときには義典は母親の背に馬乗りになり、静子は大声で笑いながら部屋の中を円を描いて動き、そのまま横に倒れて義典と抱き合った。信隆が母親にこのようなスキンシップを受けたことを孝夫は目撃したことはなかった。

孝夫、邦子は静子から厄介者扱いされながら、肩身の狭い夏休みを過ごしたが、署からの帰宅の遅い叔父の知らないことであった。

     *


孝夫は高校二年のクリスマス・イブの夜、付き合っていた女子大生との突然の別れが訪れた。待ち合わせの駅に彼女が来なくなったばかりか、居所が掴めなくなった。孝夫は生きて行く気持ちを喪い、友人の母親に五千円を借りると、夢遊病者のように山陰本線に乗った。

切符の行先はM市であったが、途中の大山口でふらふらと下車してしまった。閑散とした駅前広場は灰色に吹雪いていた。駅から数人の人が灰色の吹雪の中に後ろ姿を消してしまうと、孝夫一人が残された。行く当てもなくちょうど駅前に停車していた発車間際の大山寺行バスに乗り込んだ。車内に石炭ストーブが燃えていた。

運転手と男の車掌と孝夫だけで吹雪く視界の中を、バスはライトを点けてのろのろと走った。大山寺行最終バスで、終点の大山寺に到着したときは、薄暗くなっていた。腕時計を見ると四時半を回り、周辺の村落はひっそりとダークグレーに染まっていた。

学生帽にコート姿の孝夫は下車した。うろうろしていることもできず、いかにも目的があるかのような足取りで、十センチばかり積もっている蛍光色の雪道を、きしきしと黒い革靴で踏み締めて歩いた。

右手に二階建ての家が古色蒼然と数軒並んでいた。どの家も一階は土産物でも置いてあるのか、店構えのような気がしたが、一軒を除くと白いカーテンが垂れ下がり、人気のない人家のように明かりが消えていた。一軒だけは同じく白いカーテンで内部が見えなかったが、明るい電灯が灯り、人の温もりが感じられた。

誰に出合うこともなく前方の坂道を上ると、目の前に山門があった。それを通り抜けると、奥は寺の広い境内になっていた。前方に大きな黒い建物が、屋根に厚い雪を積もらせていた。ここが大山寺なのかと思ったが、境内は蛍光色の雪が隅々まで積もり、孝夫は先の黒い建物が何かを確認する気力がなかった。

雪は天空から蛍が飛ぶように舞い、境内に降り積もっていった。孝夫は傍らの黒い建物の庇(ひさし)の下に蹲った。こうしていれば死ぬことが出来るだろうとぼんやり考えた。目前に鉄(くろがね)色の大きな牛が寝そべり、その背後に笠を被り錫杖(しゃくじょう)を片手に握った、鉄色の弘法大師像が立っていた。雪は烈しく斜めから降り注いでいた。

孝夫は弘法大師像をぼんやりと見つめているうちに、失踪した女子大生のことはなにも思い浮かばず、芳信叔父宅に預けられていた頃の五右衛門風呂の水汲みのことを思い出した。

     *


大山寺境内で弘法大師像を茫然と眺めていた孝夫は、自分のその後は井戸汲みの虚無から離れていないことを自覚した。あのときぼくは死んだのだと感じていた。とくに惨めであったという感情は薄く、哀しくも寂しくもなかった。この気持ちを抱いたまま死んでいくのがぼくの人生なんだろうと思った。

境内の山手のほうから低い話し声が聞こえてきた。山の奥から山道を人が下りて来るようだった。暗くなっていたので人の姿はなかなか現れなかったが、話し声が近付くにつれて二個の小さな明かりが揺らいでいるのが眼に映った。

猟犬を連れて兎狩りに山に入っていた二人の猟師によって、孝夫のいのちは今日まで長らえた。

この自殺未遂は二人の叔父にも知られることになった。

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