おそらく作者が息子の役をして、アーネスト・ヘミングウェーの小説作法や文学精神を語ったのだと想像するのだが、あるいは息子の著書からの創作かも知れない。これも原稿40枚ほどの短編。
そのくせ決して仕事をしていないというわけではない。海が白々と明けてくる頃、起き出して、冷たいシャワーを浴びると、すぐ書斎に入る。それから十時頃まで鉛筆で白い原稿用紙に、直立した、頭でっかちな書体で、なぐり書き風に書いてゆく。そんなとき、行が右下りになるのが普通だ。若い頃、新聞記者をしていたときから、原稿は、一度ハンドライティングで書き、それからタイプライターで打ち直す。もちろんそれがパパの推敲の方法だ。決してハンドライティングの初稿を渡すことはない。タイプ原稿も散々に手が入っている。まっ黒になって読めないとき、もう一度タイブライターで打ち直す。時には、それがまたまっ黒に訂正され、書き込みされる。
パパの親しい編集者が無理に原稿を取ってゆかないと、結局いつまでも加筆訂正が繰り返される。パパは、それ以外に作品をよくする方法はない、と、ぼくにも語った。
「いいかい。君も作家になるんだったら、これ以外に、いい作品を書く方法がないことをよく知らなければ駄目だ。だからといって、いじけていてはいけない。多少乱暴でも滅茶苦茶でも構わないから、とにかく書きたいことを終りまで一息に書くのだ。一息に、だぜ。これが大事なんだ。長篇の場合には、一日二日というわけにはいかない。一年かかるか、二年かかるか、それはこちらの問題じゃなく、神さまの問題だ。こちらがやるべきことは、その期間、一息に、というあの呼吸を忘れないことだ。わたしが『武器よさらば』を書いたときは、毎朝起きると、原稿用紙にむかって、午前中、ひたすら書きつづけた。そして、ある塊りが吐き出されたところで、筆をとめた。が、その時は、明日書くことは胸の中にあるんだ。それを、その日のうちに書くなんてことはしない。エネルギーと書く素材を明日のために貯えておくんだ。そして明朝、新たな獲物に躍りかかるように、一息に、書いてゆく。こうして終りまで、毎日、一息に書く状態がつづいてゆく。そうすると、ある朝、終りが、むこうのほうから、勝手にやってくるんだな。そこで、こちらは、作品を書き終えたことに気がつく。だが、それはまず赤ん坊を産んだだけと同じだ。それからが、むしろ本当の創造かもしれない」
パパが機嫌のいいときに喋ってくれたこの言葉は、ぼくには忘れられない。きっとパパは朝早くから書くのに没頭して、自分がどこにいるのかも忘れていたのだろう。ぼくはたしかパパが〈書く至福〉と言ったような気がするが聞き誤りだったろうか。とにかくそのときは、パパは書いていて至福を手に入れていたのだと思うり パパがハンドライティングで、一息に書くという書き方をその後もずっと守ってきたのは、この〈至福〉の思い出があったからではなかろうか。
しかしパパが人なかを避けたのは、人嫌いからでもなく、傲慢さからでもなかった。パパの考えによれば、都会や人混みは詩をもたらすことがあまりにすくないのだ。パパはつねに詩を求めて生きていたといっていい。そしてその詩とは、パパにとっては〈至福の時〉を感じることだった。それは〈至福の時〉と言い直してもいいだろう。パパがぼくにそう言ったことがあるのだから。
「君はいきなり作品を書くべきではないね」あるときぼくが短篇を書きあぐねていると告白すると、パパはウイスキー・ソーダを飲みながら言った。「君は小説を書く前に、人生を生きなければいけない。だが、誤解して貰っては困る。わたしは世の小説家が言っているように、人生の雑多な経験を積めと言っているんじゃない。ホテルのドアマンをやったり、タクシー・ドライヴアを経験したり、女郎屋のマネージャーをしたりすることは、小説家にとってマイナスになることはない。だが、それが普通の人間たちがやるように、単に経験を積むだけだったら、そんなことはやらなくたって構わない。小説家にとって最も大事なことは、プルーストのように、生というものを深く生きることなのだ。わたしがアフリカで猛獣を追ったり、スペインで闘牛に酔いしれたり、ここで釣りに熱中したりするのは、生を垂直に深く生きるためなんだ。人は小説家の贅沢な道楽というだろう。だが、ここには、他人が入りこむ隙間がない。わたしは死と直面している。ここでは、死は孤独の別名だ。わたしがいう生の深みとは、そこでしか顔を現わさない。だから、わたしはあえてアフリカで狩猟に熱中した。ハバナでは釣りにのめり込んでいる」
パパの短いシンプルなフレーズはセザンヌの短い力強い筆触(タッチ)を思わせた。セザンヌの筆触(タッチ)も一つ一つは並べられているだけだが、それは物の決定的な面を表わし、相互に堅固に結びつけられている。林檎がごつごつした粗い筆触(タッチ)で描かれると、その林檎は、存在する物の壮麗な輝きに見える。林檎は単なる果実を超え、水晶のように硬くきらめく存在の歓喜の結晶に変ってゆく。セザンヌの静物画は結晶する歓喜の歌なのだ。パパの短いシンプルな文章も、同じように、フレーズの流れのなかに、パパが陶酔と呼んだ生の高揚感が脈縛っている。それがこちらに直接(じか)に伝わってくる。
パパがずっと前に、これも機嫌がいいとき(しかしそのとき海はかならずしも機嫌がよくなくて、堤防にもの凄い波を打ち寄せていた)ぼくに話してくれたことは、この高揚感の直接の伝達と関連があるのだろう。
「いいかね。君が物を書くときには」とパパはテーブルに身を乗りだすようにして言った。対象を描写するようなことをしてはいけない。わたしたち小説家は何か物語を語る人間と考えられている。たしかにそういう面を持っている。だが、ストーリーテラーであるだけでは、小説家は十分ではない。ストーリーを書くのは、それが強い感動を伝えてくれるマシンだからなんだ。物だって人物だって、それが感動伝達体であるから、それを書くんだ。物をうまく描写したって、感動を盛りこんだ容器でなければ、何にもならない。小説家とは、感動をストーリーや物で表わす人間なんだ。わたしが永遠を生きるように言ったことがあるね。それは、永遠とは、陶酔の中に開いている青空のようなものだからだ」