喜多圭介のブログ

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八雲立つ……62

2008-11-15 19:16:26 | 八雲立つ……

車は湖畔に沿った広い道路を走った。宿泊先のホテルまで十分ほどの距離だった。酩酊気味の孝夫の眼は、黒い湖面の対岸に連なる光の粒を捉えていた。民家の光のようだった。明日はあの光のほうの道路を出雲に向かって走るのだな、と思っていた。

佳恵たちがタクシーに乗るとき、最後に後部座席に乗り込んだ佳恵の吐息のような声が、耳に残っていた。
「明日九時にホテルのロビーで待ってます」

ホテルの部屋に入ると、孝夫は先ずシャワーの熱い湯を両肩に浴びせた。きょう一日の疲れが拭われる心地よさだった。自分ではさほど自覚はないが、この土地にはいると躯よりも神経を消耗しているようだ。叔父叔母ともくつろいで話しているつもりだが、こころの何処かに警戒心があるのだろう。その上義典のところを初訪問した。短い時間だったがこれも疲労として積み重なった。

佳恵や佳恵の子どもたちとの談笑は楽しかったが、信隆の遺した妻であり遺児たちという思いは消えておらず、こころを全面的に開放して付き合った気分にはなれなかった。

明日は佳恵の車で出雲大社、日御碕に向かうという意外な展開になってしまったが、佳恵とのあいだだけは、小野一族という怨念めいた意識を忘れさせてくれる付き合いを願っていた。

しかし孝夫はホテルの玄関口での幻聴を思い出し、困惑していた。

――あれは本当に律子だったのだろうか。

佳恵が親しさを示してくれたのは感じ取っていたが、それはどこまでも亡き夫の従兄としてのことであって、それ以上の感情は読み取れなかった。

――律子、今夜はぐっすり眠るよ。なんだかひどく疲れた。
\chapter{寒椿)
孝夫はフロントで会計を済ませ、旅行バッグ一つを提げてロビーの片隅に立っていた。そこへ佳恵が現れた。着物姿だったので、孝夫は驚いた。
「和服で来られたのですか」
「実家の母が昨年買ってくれた物で、着初めは元旦の初詣でした。きょうが二回目。出雲大社参詣するでしょ」
「それで。着物で車の運転、難しくないですか」
「慣れたら洋服と同じです。旅と草履は車の中でスニーカと短めの靴下に履き替えますけど」

出口に向かって歩きながら喋った。
「着物を着ると老けて見える人と若く見える人がいますが、佳恵さんは若く見えるな」
「ほんとですか」

佳恵は悪戯っぽい眼で孝夫を見た。
「三十代前半ってとこかな」
「もう五十に手が届きそうなんですよ」

アハハと笑ったが、それでも化粧の香りを匂わせ、嬉しそうな顔だった。

孝夫が助手席に腰を下ろすと、履き替えますので少し待ってくださいね、と佳恵は言って、後部座席に座った。
「後ろ見ないでくださいよ。孝夫さんに見せられない恰好してますので」
「はいはい、だけどそう言われると見たくなりますね」

孝夫はフロントガラスの先を眺めたまま、冗談を言った。
「まあ」

佳恵の笑い声が上がった。

それから暫く走ったとき、
「こちらに戻ってから実家の母が出席する茶会に、私も着物で出掛けるようにしてます」と言った。
「似合っておられますよ」
「教員当時のがさつさを少しでも直したくて」
「あー京都のとき、その話をされてましたね」
「女らしい風情をと思って……でも虚しくなることがあります」
「……」
「……なんだか……女としての歓びがないと駄目ですね」

そう呟くと、その思いを吹っ切るように前方を見つめ、少し速度を上げた。

いっとき宍道湖に沿って走った。穏やかな湖面が展がり、嫁ヶ島が見えた。


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八雲立つ……61

2008-11-15 13:12:59 | 八雲立つ……

「本当にごちそうさまでした。とても楽しかったです。子供たちもこういう機会は、主人が亡くなってからはなかったので、とても喜んでいます」
「やっとM市にひとつだけでもいい思い出を残せたなと思っています。これから先はたびたび訪れることはないだけに」
「そんなふうに言わないでたびたびお越しください。子供たちがこれから東京や関西方面に出て行ってしまうと、私だけ取り残されますので」
「そんなことはないでしょ。お友達ができますし、ひょっとすると昨夜の叔母の話が実現するかも」
「そんな冗談を」
「冗談でなく。信隆君が早く亡くなりすぎたせいか、佳恵さんは女として未成熟なところがありますよ」
「えっ! 本当ですか」

佳恵は眼を瞠って大仰な声を出した。
「いやいや冗談。だけど夫を新婚早々に戦争で亡くされた七十、八十のお婆さんの表情のどこかに、少女の面影が残っている人がいますよ」
「孝夫さんは何歳ですか」
「佳恵さんよりは一回りは上でしょう」
「そんなふうには見えないですよ。ねぇ、聡実」
「ずっと若い」
「ありがとう、どんどん食べて。といってもあとはデザートが運ばれるだけだね。じゃ大学が落ち着いたら、お母さんと関西に遊びに来なさいよ。案内しますよ」

     *

コート姿の孝夫は佳恵たち家族を乗せたタクシーのテールランプが見えなくなるまで、ホテルの前で見送った。ここからでは見えない宍道湖の夜空に、青白い星々が宝石のように光っていた。先ほどまでの明るい笑い声、談笑が嘘のような冷え込んだ静けさが、ホテルの周辺を包んでいた。

子どもの頃一時期を過ごした母親の郷里にもう懐かしさはなかった。それに居どころもなかった。感傷という感情は孝夫の胸から消失していた。

もう母親や二人の叔父夫婦のことに思いを馳せることはない、と孝夫はクリアな星空の拡がりをじっと見つめていた。

自分の一生涯をどう終えるか、このことに専心専念しなければならなかった。だからといって焦燥感があるわけでもなかった。

胸の中の律子と生きられるところまで生きた。そんな思いが胸に定着していた。

――律子、この街ではいろいろなことがあったけど、もう何もかもなくなった。ぼくは信隆、義典よりも長生きした。もういつどこでどうなっても悔いはない。だけどいま少し生きて、春と秋に、律子と散策した京の町や嵯峨野、嵐山、大津の石山寺、宇治などを歩いてみるつもりだ。律子、今頃になってね、なぜ律子が京都への一泊旅行を望んだかわかるような気がする。律子は日々の暮らしのなかで、ぼくとの共通の楽しみや思いを作ろうとしていたのだ。連れてあちこちを散策しているうちに、京膳一つにしても楽しみ方を発見したからね。もう少し続けてみるよ。律子と生きてきた意味を探りながら。律子もぼくの胸の中で隠れん坊しながら付き合ってくれたまえ。

だがM市の追憶はこれで終わった……。

《あなた、まだ役目は終わっていないかもしれないわよ》

――えっ、何て言った?

《佳恵さん、あなたに好意をお持ちよ》

――そんなことはないよ。律子も知っているようにあの人は、死んだ信隆の奥さんだよ。

《死んでしまったら奥さんでもないかもしれない》

――大胆なことを言うね。

《私のことは気にしなくていいのよ。私も死んでしまったからあなたの奥さんとしては努められないことがあるわよ》

――そんなことはわかっているよ。

孝夫は高い空でか細く光っている星を眺め、いま別れたばかりの佳恵の面影を眼に浮かべた。嵐山の常寂光寺に満開だった山桜の色と重なる女だと思った。好きか嫌いかを問われれば好きと答えたくなるが、孝夫が積極的に動くには遠慮のブレーキがかかり、そこで思いが自然と中断されてしまいそうな女でもあった。これまでも佳恵をどうこうしようと思ったことはなかった。

孝夫は長い嘆息をつき、右手に停車しているタクシーに手を挙げた。


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八雲立つ……60

2008-11-15 09:28:37 | 八雲立つ……

「工学部だから少ししか在籍していないです」
「恋人を獲得するのが大変だな」
「もともと男友達をつくるのも苦労するほうですから、恋人などなかなかのことです。それこそ孝夫さんに指導してもらわないと」
「佳恵さんまで叔父叔母の悪影響を受けて……。高明君、ぼくは三十になるまではだれかれとは付き合えないタイプだった。いまでもそうだが、恋人を自分からつくれるタイプでもなかった」
「孝夫さん、いま恋人をおつくりになったらお亡くなりになった奥さんとのあいだが難しくなりますよ」
「ワインの飲み過ぎ。高明君を見ているとぼくの若い頃を思い出す。そのうちにいい恋人と巡り逢うよ」
「それなら安心ですけど」
「きみたちのお爺ちゃんは、昔からぼくを女たらしだと誤解しているけどね、だけどぼくは違う。恋愛は合縁奇縁といって、この言葉わかる?つまり縁がなければ駄目だし、縁は意識して作れるものでない。気付いたときにお互いに離れられない、あるいは離れてはいけない強い何かを感じ合う交信。この交信を敏感にキャッチし合えるかだ。

計算したことはないけど、道を歩いたりしていて一日にどれだけの女性に逢うだろうか。ここから計算して一年では何人、五年で何人と計算して行けば、十年か十五年に一人くらいの割で合縁奇縁の女性に巡り逢う。一度高明君、大学のコンピューターで確率計算してみると面白いだろうね」

孝夫はワインの酔いに調子に乗りすぎたかな、とちらっと自省した。
「厳しい確率計算」

高明は黒目がちな眼を興味深そうに輝かせて言った。
「それも縁があるだけの合縁なら少しは確率が高くなるけど、ぼくの場合は奇縁としかいいようのないものだから、もっと低くなる」
「奇縁って?」

聡実が横から口を挟んだ。
「奇縁というのはちょっと難しいけど、思いがけない縁とでも言ったらいいかな」
「じゃお母さんは合縁でも奇縁でもないね。見合い結婚だから」
「結婚したのだから合縁だろうね。ぼくにはこの辺のことはわからないけど、人工的合縁?」
「面白い!人工的合縁なんて」

聡実はアハハと笑った。
「人工的合縁であなたたちのような子供がいるのよ」

佳恵はワインの酔いに、目蓋をうっすらと赤らめていた。

孝夫は子供たち二人が別な話題でおかしそうに話し合っているのを見届けてから、小声で、
「義典君は叔父の家に会社の帰路に寄っていたそうですね。昨夜叔母のいないときに、ちらっと叔父が言っていましたが、会社で疲れる、帰宅しても峰子さんとのあいだで疲れる、それでここに来ては母親と話し込んだり寝転んだりしてから帰ると。ぼくは信隆君の通夜の印象が強かったものだから、義典君も父親との和解にこころ配りをしているのだと嬉しく思っていたのですが、叔父の言葉のニュアンスでは、そうでもない気がしました」

孝夫は胸の裡にあるものを伝えた。
「どういうことです?」
「午前中に義典君のマンションに弔問に行き、峰子さんにお逢いしてなんとなく感じたことで根拠はありません。間違っているかもわかりませんが、どうも義典君は峰子さんにせっつかられて、家を建てる資金の捻出を計っていたのではないかと。先ず叔母を籠絡させて共同作戦で、叔父に出させる。

あなたと峰子さんを仲違いさせるような話で恐縮ですが、峰子さんには本家であるあなたたち家族に一物あるのかもと思います。若い頃はなかってもある時期から考え始めることがある、それが出てきたのではないかと。叔父のこころ配りが佳恵さん家族に傾きすぎているのを羨むというか。それでちくりちくりと義典君に圧力をかけていたのじゃないかな。それがしだいに義典君には重荷になってきた、叔父の家に逃避すると同時に、叔母に家を建てたい話をぼちぼちしていたのではないかと」
「そうでしょうか。私には峰子さんがそのような人だとは想像できませんわ」
「あなたにはぼくのような邪推は難しい。そこがあなたの人柄だと思っていますけど、叔父の言葉に何かあるなと感じるのです、叔父はこういった面に敏感な人ですから。母親に甘えて育った義典君は、狡猾な面とストレスに弱い面を性格的に持っていた気がします。

男のぼくから見れば四十八歳の今日まで、手狭な3LDKのマンション住まいが不思議。昨今は三十代でも住宅ローンを組んで新築に住むじゃないですか。マンションにしても、もっと広い3LDKとか。あのマンションは手狭な公団並でしたね。それをそうしなかったのは、父親の資金援助を当てにしていたのではないか。ぼくから見れば羨ましい話ですが、当てになる父親がいて。だけど男としては不甲斐ない」
「義典さんの住んでいるマンションと峰子さんからそこまで考えるなんて……」
「小野一族の人間関係に揉まれたぼくは、こういう邪推だけは鋭く働くのです。屈折しているところがあるのでしょ。でもぼくは妻によって少しはまともになりましたが」
「小野には私の想像もしなかったことがいろいろとあったのですね」
「こういう言い方は義典君の遺族には悪いですが、彼のおかげで正月早々あなたや子供さんと楽しいひとときを過ごせてよかった」


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