喜多圭介のブログ

著作権を保持していますので、記載内容の全文を他に転用しないでください。

松本清張の文学(三)

2007-03-29 18:06:57 | 文藝評論
松本清張は風景描写も上手いが、人物描写、とくに女の描き方には心憎い鋭さがある。清張の社会派推理小説の魅力の一つは、女の描き方にある。ここでは『落差』の中の人物描写を見ておく。夫婦であるが、男女を上手く描き分けてある。島地が細貝景子を〈ものにしよう〉と思った最初の場面であるが、実に巧みである。

人物描写といっても写真で撮すようなことではない。どこまでもストーリ展開に絡ませて描くことを意味する

この作品は昭和四十一年が初版。流行の推理作家として売れまくっていた時期である。月に十本くらいは執筆していただろう。だから文章にやや未整理なところが見られる。『点と線』と見比べてみるとわかる。

「奥さんにお目にかかったのは、これで六年ぶりぐらいになりますかな」

島地は隣にやっと坐った景子に話しかけたが、トンネルに反響する列車の響きで言葉がよく分らないらしい。彼は身体を寄せて、もう一度同じことを言った。

眼の前に細貝景子のうすい耳架(みみたぶ)があったが、その上には髪の毛が数本乱れかかっていた。

景子は、島地の身体から離れるようにしていた。

この女は苦労しているらしい、と章吾ほ思った。六年前にこの女を見たのは、まだ細貝貞夫が或る大学の教師をしている時分だった。たしか中野の奥のほうに小ぢんまりとした家をもっていた。あとで聞いたのだが、細貝貞夫が学校から追われると、その家も越して、府中の近くとかに移ったということだった。

島地が最初に細貝貞夫を訪ねたのは、たしか、ほかの人間と一しょだったと思うが、それから彼一人が単独で二度ほど訪ねた記憶がある。

そのころの細貝貞夫は左翼理論を固く信奉した歴史学者で、島地から見て時流に乗っているという感じだった。                              

その後も、細貝貞夫とだけは、何かの座談会で二、三回顔を合わせたことがある。細貝は風采の上がらない男で、ちょっと見ると、町工場の職長か何かの感じだった。学者というような様子は少しも見られなかった。初めて紳貝の家を訪ねたとき、彼は褞袍(どてら)を着ていたから、なんでも寒いときだったと思う。

その褞袍もあまり上等なものではなく、それに、はだけた胸からほ野暮ったいメリヤスのシャツが見えたりして、島地には、話をしてる間も、それが神経に障ってならなかった。

そのときに初めてこの景子を見たのだった。火鉢に炭を運んで来たり、お茶を出したりしていたのだが、細貝貞夫がこのような女房を持っているのが奇異なくらい、彼女は整った顔立ちをしていた。細貝貞夫は百姓男のようにずんぐりとした身体つきをしているが、景子はすんなりとした細い身体つきで、その表情も、動作も、島地の心を軽く惹(ひ)くものがあった。――

トンネルが過ぎて、座席に光が溢れ落ちた。

そのときの細貝の妻が今、自分の横に坐っている。島地章吾は話題を探しながら、眼のはしに絶えず彼女の横顔と肩とを入れておいた。

細貝景子は指定席の椅子に腰掛けて、ちょっと場違いといった落着かなさを見せていた。それに、島地章吾の誘いにうかうかと乗って彼の隣に坐ったという微(かす)かな後悔も混じっているようだった。景子には、できるだけ早目にこの席を起(た)つ気配が見えていた。


松本清張の文学(二)

2007-03-28 16:05:35 | 文藝評論
松本清張著『点と線』より引用。私は二十歳になったかならずにこの小説を読み、この場面に引きこまれた。『点と線』の圧巻描写である。

ぼくの想像だが清張の文体は森鴎外の文体の影響が濃い。明治期の文豪はまず漢文の造詣が深い。漢文は紫式部の平安朝文体と異なり、論理性で一貫している。漢字、平仮名混じりの和文は情緒性が強い。日本人が欧米人や中国人と論争して負けるのは、このためである。だから逃げとして〈あうんの呼吸〉を用意しているが、これでは国際社会の仲間入りは無理で、重宝さを利用されているだけである。

清張の際だった簡潔な描写力には、鴎外文体の下地がある。文体というのはたんに文章の特徴を指すのでなく、思考のあり方でもある

巡査は少しあわてていたが、それでも届出人の住所氏名を書き取り、香椎の本署に電話で連絡をとった。それから二人で交番を急いで出た。二人とも、白い息を凍った空気の中に吐いていた。

もとの海岸の場所に引きかえすと、二つの死体はやはり汐風(しおかぜ)にさらされて横たわっていた。労働者は、こんどは巡査がついてきたので、少し落ちついて、その物体を眺めることができた。

男よりも、女の方が先に目についた。女は仰向けに顔を見せていた。目は閉じていたが、
                                  
口は開いて白い歯が出ている。顔はバラ色をしている。鼠色(ねずみいろ)の防寒コートの下には、海老茶(えぴちゃ)色(いろ)のお召(めし)の着物があり、白い衿(えり)が、ややはだけていた。着衣は少しも乱れていない。行儀よく寝ていた。ただ裾前(すそまえ)が、風に動いて、黄色な裏地を見せていた。きちんと揃(そろ)えた脚には、清潔な足袋があった。土には汚れていない。すぐ横に、これもていねいに揃えたビニールの草履があった。

労働者は、つぎに男に目をやった。男の顔は横を向いていた。これも頬(ほお)は、生きている人のように血色よく見えた。まるで酔って眠っているようである。濃紺のオーバーの端から茶色のズボンがのびて、黒い靴をはいた足をむぞうさに投げ出していた。靴は手入れがとどいていて、なめらかに光っていた。紺に赤い縞のある靴下がのぞいていた。

この男女の二つの死体の間は、ほとんど隙間がなかった。岩の皺(しわ)の間を、小さな蟹(かに)がはっていた。蟹は男の傍(そば)にころがったオレンジジュースの瓶(ぴん)にはいあがろうとしていた。
「心中したばいな」
と、老巡査は立って見おろしながら言った。
「かわいそうに。年齢(とし)もまだ若いごつあるやな」

あたりが、だんだん昼の色に近づいてきた。

◆森鴎外作品をお読みになりたいかたは以下を。少し電子本化しております。
作品

松本清張の文学(一)

2007-03-27 09:43:44 | 文藝評論
若い頃から松本清張の推理小説を多読してきた。推理小説というといかにも暇つぶしの娯楽小説に聞こえ、清張の推理小説の中にもこのようなレベルの作品がないわけではないが、『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞して文壇デビューを飾った清張の推理小説は、犯人のアリバイ工作のトリックの興味も魅力であったが、ぼくはこのこと以上に清張作品に出てくる地名とそこの風景描写に惹きつけられていった

推理小説であろうと清張作品の文体は文学であった。娯楽小説にみられる雑な文体ではなかった。この文体で描かれる風景は一度その場所を訪れてみたい誘惑に駆られる。以下少し清張作品から地名と風景を抜き書きしてみたい。

私の父は伯耆(ほうき)の山村で生まれた。中国山脈の脊梁(せきりょう)に近い山奥である。生まれた家はかなり裕福な地主でしかも長男である。それが七ヶ月ぐらいで貧乏な百姓夫婦のところに里子に出され、そのまま実家に帰ることが出来なかった。

私は幼い頃から何度も父から矢戸の話を聞かされた。矢戸は生まれた在所の名である。父の腕を手枕にして、私は話を聞いたものだった。
「矢戸はのう、ええ所ぞ。日野川が流れとってのう。川上から砂鉄が出る。大倉山、船通山、鬼林山などという高い山がぐるりにある。船通山の頂上には根まわり五間もある大けな栂(つが)の木が立っとってのう、二千年からの古い木じゃ。冬は雪が深い。家の軒端まで積もる」

その話を聞くごとに、私は日野川の流れや、大倉山の山容や、船通山の巨大な栂の木の格好を目の前に勝手に描いたものだった。その想像の楽しみから、同じ話を何度も聞かされても、飽きはしなかった。

翌朝、一番の汽車で発った。備中神代の伯備線に乗りかえて北に向かった。汽車は雪におおわれた中国山地をのろのろと越えた。

それがトンネルを越して、下りの傾斜が増すと伯耆の国、鳥取県西伯郡(さいはくぐん)にはいったのであった。すぐに生山(しょうやま)という駅についた。矢戸はこの駅から三里の奥にあった。
                                  『父系の指』

こういう箇所を読むと「私」ならずとも、ぼくは日本地図の中国地方の頁を開いて、西伯郡、日野川、生山と眼と指で探した。見つかった。地図には大倉山、船通山まで記載されていた。ここが清張の父親の故郷なのかと、ぼくは暫く地図上の周辺の地形を見つめながらぼんやりとした感慨に耽る。

はたしてこの土地が本当に清張の父親の故郷かどうかは判らない。『父系の指』は小説だからフィクションかもしれない。しかしフィクションならここまで詳細に記述するだろうかとも思う。しだいに何時かこの土地に行ってみたい思いが強くなる。

以下の文は『暗線』という作品の中での風景描写であるが、先に揚げた『父系の指』とほとんど同じ描写が出てくる。

島根県能義(のぎ)郡布部(ふべ)村――というのが、私の父の黒井利一の生れ故郷です。布部村の安積(あさか)家といえば、昔から続いた豪農だそうで、戦後はさほどでもなくなったが、それでも、現在は一ばんの古い旧家として、知られているそうです。私の父、利一は明治二十八年、この安積家の本家に生れました。

八歳のとき他国に出た父は一度もこの生れ故郷である島根に帰っていません。尤も、父にはもう一つの故郷があるのです。それは同じ県の仁多郡屋神村です。ここは父の母、私にとっては祖母に当る国子が嫁に行ったところで、本来なら祖母は父をその須地(すち)家で生むはずでありました。

父の姓は須地でもなく、安積でもなく、黒井です。つまり、父は嬰児(えいじ)のときに黒井という家に養子に出されたのですが、この黒井は同じ能義郡の広瀬町にありました。従って、父が生命を享(う)けたのが屋神の須地家であり、この世の空気をはじめて吸ったのが安積家であり、育ったのが黒井家という、ちょっと複雑な関係になるわけです。もう少し具体的に云うと、祖母の国子は須地家で父を妊り、生家の安積家に還って生み、すぐに広瀬の黒井家に養子に出したことになります。
【中略】
決してそうではありません。父は幼い私によく郷里の出雲の話をしてくれました。今でもおぼえているのですが、蒲団の中に父と一しょにくるまっていると、出雲の古い伝説や、故郷の景色などを熱を入れて私に話してくれるのです。それは父の幼時の思い出ですから、うろ覚えのところはあったが、語っている父の様子にはこの上なく懐かしげなものがあり、ときには泪ぐんでいるときもありました。

ところで、この、須地家というのは、島根県の奥地から採掘される砂鉄の工場を持っていたそうです。かなり手広くやっていたとは父の話ですが、それは、父の生れた時が明治二十八年だったことにも関連がありそうで、折からの日清戦争がこの辺の砂鉄を大いに需(もと)めていたから父の記憶に強かったのでしょう。今度の戦争でも、ここから出た砂鋼で軍刀が作られたくらいですから、洋鋼の輸入の少なかった日清役の当時、この鉄鉱山は相当活況を呈していたように思われます。

現在、この須地家というのは屋神村に残っていません。それは、父の後に生れた男の子(父の弟です)が当主になって、遊蕩(ゆうとう)に身を持ち崩し、家財を蕩尽して遂に土地を出奔したからであります。それを風の便りに耳にした父は、おれが跡を取っていたらな、などと洩らしたことがありました。

晩秋のことで、山野は枯れて、杉林だけが黒ずんだ茶色になっています。山の稜線が両方から重なり合って落ち込んだ間に白い道が一本走り、それに沿って百姓家が点々と見えます。傍に川がありました。父が子供のころよく泳いだ話していたその川です。父の少年時代と同じ水がそこに湛(たた)えられているようにさえ私には思えるのでした。
                                    『暗線』

私の地図に島根県能義郡布部はあるか、確認できた。『父系の指』の矢戸からさほど離れていない所に布部は記載されている。

清張は数多くの作品にこの周辺の地名を多く利用している。この辺りの地名を利用することは清張にとっては、大地主の長男として誕生しながら不遇な人生を送り、死んでいった父親への鎮魂碑であったかもしれない。不遇な父親を慈しみ、父親の無念を、清張は終生文学のマグマとして噴火し続けたように思われる

電子文庫本――六甲山上ホテル

2007-03-19 00:44:09 | 自作小説(電子文庫本)
短編集『六甲山上ホテル』に『佐津海岸』、『百日紅』、『月の砂漠』、『深紅色の珊瑚』を合本。しおり付。左のしおりをクリックすると『佐津海岸』、『百日紅』、『月の砂漠』、『深紅色の珊瑚』という表示が出ます。それぞれのタイトル表示にマウスを当ててクリックするとジャンプします。

227ページ。
六甲山上ホテル

団塊の世代と文学・文藝(5)

2007-03-15 08:28:02 | 文学随想
団塊の世代と文学・文藝(3)で電子本について触れたので、最近の電子本はどこまで進化したのか調べてみた。

その結果ebookjapanの体裁が、ぼくの電子本に類似していた。立ち読みした結果報告。1ページが17行×43字。文字フォントが美麗でない。拡大できるが拡大するとますます美麗でなくなる。印刷は不能。印刷可能にするといくらでも複製できるので、可能でもその機能は付けないであろう。読書システムとして文字フォントが美麗でないのは、致命的。ぼくのシステムに軍配が上がると思う。

ぼくの電子本でも印刷は不可能にできるし、パスワード設定するとパスワードを通知された人しか読めなくなる。ブログ読者には読んで貰いたいので、パスワードは設定していない。

ebookjapanの体裁なら電子本として売れる可能性は大になるのではないか。少なくとも文藝物を電子本で読む読者は増えるかもしれない。販売価格も書籍に比べると低価なので、書棚に置いておきたいレベルの内容でなければ、電子本で読んでしまうヒトもいるだろう。ただ文字フォントの難で、今ひとつ売れ行きが伸びないかも。

電子本の利点は復刻本を発刊しやすい点である。出版社は復刻本を書籍で発刊したくとも、やはり販売部数が心配になる。紙の本を一万部再刊して二、三千部しか売れなかったら赤字を抱え込むことになる。この点電子本はファイル形態である。ぼくの電子本はAcrobat Readerで読めるpdfファイルであるから、このファイル一つ作れば、多くの読者に販売できる。紙材料を使わないから低額経費で再刊できる。

団塊の世代と文学・文藝(3)で、既存の電子本に否定的見解を述べたが、ebookjapanの体裁を眺めて、少しは安心した。

編集作業の難易と時間の点で、おそらくぼくの電子本のほうが優れている気はする。大きな相違はebookjapanは企業として電子本を刊行しているが、ぼくのほうはぼく一人の趣味的作業である。

さらに付け加えて書くならばebookjapanが団塊の世代以上の年齢を対象とした、'''団塊の世代電子文学賞'''を設けて、半年おきに応募者の中から5名ずつの授賞を選んではどうか。同人誌などでキャリアを積んだ書き手は多い。こうした誘い水を団塊の世代に注ぐことで、この世代が電子本に眼を向け、電子本販売の興隆にも繋がる筈である。このことが一点目の注文。

二点目の注文は、すでに記述したが、ここ20年間あまり出版社は若者・子どもをターゲットに雑誌や本を発刊してきた。しかしいまや少子化で廃刊する少年雑誌が出て来た。雑誌が廃刊するということは、若者・子ども向きの単行本のニーズが減少する兆しである。だいたいにおいて子どもたちはケイタイに金を使いすぎて、本を買う金を持っていない。逆に金のある団塊の世代は読んでみたい作家の古い作品が、古書店でプレミアム附き価格販売、どこか矛盾していないか。表紙などはなくてもよい、中身が読みたい。

こういった団塊の世代を電子本に向ける努力がebookjapanに必要ではないか。
電子本について

T-Time

電子本書店パピレス

ebookjapan


団塊の世代と文学・文藝(4)

2007-03-13 19:55:39 | 文学随想
ぼくが小説の創作に打ち込み始めた頃の文藝評論は、どの筆者の物も面白かった。その当時は江藤淳、佐伯彰一、磯田光一、久保田正文、小田切秀雄、大河内昭爾、紅野敏郎、高橋英夫、松本健一、秋山駿、柄谷行人、三浦雅士、松本道介、勝又浩、松本徹らの諸氏が健筆をふるっていた。大河内昭爾は「文学界」の同人誌評を長く担当されていた。ぼくの『秋止符』をベスト5にピックアップしてくれたのは、松本道介氏だった。

最近芥川賞、直木賞を授賞した若い作家の文庫本を見ると、林真理子などの作家が受賞作家の作品について書いていることがあるが、評論というよりは感想文のようで、それも仲間褒めのような感じで、このことが文学・文藝をやせ細らせる一因になっている気がする。出版社の「売るPR」に荷担しているとしか想えない。

一流の文藝評論家と作家では小説の読み方が違うはずである。一つの作品を縦横無尽に解剖、分析し、作者本人ですら意識していなかったことを気付かせてくれる手腕は、専門の文藝評論家のものであろう。川村湊のような優秀な文藝評論家もいることにはいるが、全体としては評論家不在の文学・文藝になっている。おそらく一流評論家たちが今日の文学界を見限ったのでないか。

ひとむかしは文藝評論家が新人作家を育てる面があったが、この関係もいまは崩れている

つまるところ5、60代からの優秀な文藝評論家が輩出しなかったということであろう。

文藝評論家の能力的資格としては、一に小説を美的に鑑賞しうる感受性。二に主人公や登場人物のドラマを通しての作者の思想なり心理を分析しうる論理性。三に読者を説得しうる筆者の魅力ある文体。感想文ではここまでの綿密な執筆はやらない。主人公の生き方に共感したとか、なんとかの美辞麗句でヨイショしている。読者がするのなら理解するが、作家仲間では実に見苦しい。

作品を一つずつ読み、評論作業をするという地味な仕事よりも、目立って気楽な仕事に眼が向いているのかもしれない。そしてたまに出版社から作品評論を依頼されると、「売るPR」に迎合したような物を書くしか能がなくなってしまったのかも知れない。

このことは文学・文藝世界にかぎらず政治・経済界も同様である。5、60代からは骨のある人物が多くは輩出しなかったということである。

こういうところにも団塊の世代の小説離れがあるのではないか。

ゆとりのない社会構造。出版社側の責任もあろう。これでは安部晋介の唱える「美しい日本」は、画に描いた餅と断言する。まず彼に美を鑑賞しうる能力があると思えない。

団塊の世代と文学・文藝(3)

2007-03-13 14:52:31 | 文学随想
ところがここに大きな問題点があります。何かといえばこれから団塊の世代によって読まれるべき本が、書店に出回っていないことです。よほどの作家でないと重版、再刊されていない事実です。このことは団塊の世代の読書好きはご承知かと思います。書店で探してもいまもてはやされている単行本、文庫本ばかりで、ぼくが読みたい本が見当たりません。

公共図書館は少しましですが、事情は同じです。つまり司書が若く、どうしても今風の書籍しか購入していない傾向が見られます。

団塊世代にとっては本があって本がないという、なんとも哀れな様相がいまの日本の出版界です。仕方ないのでどうしても入手したい本は、全国の古書店から直接入手しています。古書店は信用で持っていますので、トラブルはありませんでした。
スーパー源氏

そこで少し先を見通していた出版社、たとえば新潮社が電子本、CD-ROM版の「新潮文庫の100冊」を一巻、二巻と販売しました。ぼくは'''電子本については新しい試みと受け止めて否定はしません。が、普及するかとなると当初から疑問視していました'''。現に電車、バスの座席で電子本を読書しているヒトの姿は、これまで一人として見かけませんでした。ケイタイを指先で動かして何か読んでいるようですが、読書とは違うようです。

何よりも電子本は団塊の世代の読書センスとは異なるものです

ぼくは2002年の8月に「電子ブックの行方は?」というタイトルで書いています。少し長いが掲載しておきます。


私はパソコンのオペーレーションシステム(OS)がDOSの頃から文書を縦組で読める電子本(ブック)に関心を持ち、ネット上を探し回っていた。幸いなことにこういうソフトを見付けて,パソコンの画面上で縦に文章が読めたときは嬉しくなったものだ。

WINDOWS3.1になってからは電子本(Book Browser)は株式会社ボイジャーのEXPANDED Book Browserがほとんど独占状態になった。95年に新潮から『新潮文庫の100冊』というCD-ROMが定価15000円で売り出されたが、これにはEXPANDED Book Browserがセットされている。

ページ面を説明すると、16行×20字、ルビが打たれている。印刷機能はない。読みづらい文字ではないが、おとなの私としては画面に齧り付いて読むくらいなら、紙の本で読みたいと思ってしまった。なにより不便なのはパソコン画面でしか読めないことで、パソコンがないと用事のないシロモノである。

B5判ノートパソコンで読めるにしてもノートパソコンの重量を考えると、一冊の文庫本のほうが勝る気がした。

学生のうちは物珍しさもあってこれで本を読んでみようかということだろうが、私はとくに読んでみたいとは思わなかった。

それにこの程度の機能だと『新潮文庫の100冊』の用途が個人にかぎられていて、たとえば大学の文学部の教授が、これを使っての作品研究を学生とやろうとしても印刷機能がないからテキスト作成できない。あえてやろうとすれば20名の学生に一台ずつパソコンがなければどうにもならない。また印刷機能が付いても16行×20字では一頁ずつB5、A4用紙で印刷すればちょっとした作品では、紙消費量は大量なものになり、森林資源の破壊まで心配しなければならない。

EXPANDED Book Browserはその後ボイジャーから発売されたT-Time Ver.2.0に引き継がれていった。多少の機能アップはあっても基本的な文章読みでは変化はない。画像入りの本が読めるようになった分だけ、子供の玩具の趣にさえ堕落したのではないかと思ってしまう。

T-Timeの場合、必ずしもパソコンを必要とはしない。カシオからはl'agendaという携帯用の読書器が発売されている。画面は液晶である。電車で読書が一つの「売り」だがバッテリー切れの心配もあるし、私はこんな物で読むのなら一冊の薄い文庫本を携帯したほうが軽量ではないかと考えてしまう。やはり若者のいっときの玩具かなと思う。

T-Time形態で読ませようというのが文春の商魂、WEB文庫である。10代、20代の読者が少し飛びつく程度ではないだろうか。現に揃えてある電子ブックは平井和正著『月光魔術団』、『時空暴走 気まぐれバス』、半村良著『女神伝説』のような娯楽物が数冊揃っているだけだ。おとな向けの本が一冊もないところを見ると、文春自体がWEB文庫では読まないと踏んでいるのであろう。

T-Timeのソフト自体、まずいプログラミングソフトである。前身の『新潮文庫の100冊』は作品内容をテキストファイルとして抽出しようと思えばできる。著作権切れの作品ならばどうということもないが、大江健三郎などの現役作家の作品が抜き出され、無闇に流出するとなると、著作権侵害が発生する。

それに読書への見識ある作家だと、ぼくの作品をそんな物では読んで貰いたくない、と掲載を拒否するであろう。このことが現状の電子ブック普及にとっては最も大きな障害になる。

ほかに光文社電子書店がザウルスを電子本に変身させるTTVブックリーダ for ZAURUSやシャープ版TTVブックリーダ『ブンコビュア v2.11』で読める作品を販売しているが、いずれも画面が狭くて文字数が少ない。やはり子供の玩具レベル。買って使ってみようかという気にはならない。

ほかにテキストファイルとEXPANDED Book Browserで読めるファイルを販売しているパピレス電子書店がある。太宰治の『女生徒』が400円。

見逃してはならないことは上記の携帯用 Book Browserでの本というのは、ペーパーブック通りの体裁ではないということ。底本通りの復刻は狭い画面に表示するのだからどだい無理な注文。一章、二章といった区分はあるだろうが、この程度のことで、つまりは文字内容だけを読むのである。

こうなると私のサイトのPDFによる書籍体裁のほうがずっと電子本らしい。こちらも三段組体裁であるから底本通りではないもののやれる範囲では底本の体裁に近似させてある。

Book Browserは世界中でフリーウェアソフトとして無料配布されている Acrobat Readerだから、T-TimeのBook Browserを2、3千円出して買う必要もない。体裁は雑誌『文藝春秋』の三段組を真似してある。一頁が400字詰原稿で6枚分、原稿用紙300枚の長篇でもA4縦刷りで50枚の紙消費ですむ。印刷印字は書籍並とくればおとなの読書人にはこちらのほうが適しているのではないか。小説はもとよりエッセーでも新聞社の連載記事でも、あるいは一年分の社説でもまとめて読める。太宰の作品だと『美少女』、『黄金風景』、『待つ』、『作家の手帖』、『富嶽百景』、『ヴィヨンの妻』、『姥捨』、『グッド・バイ』を収録してある。

ところで電子本でも趣の異なっているものとしては、平凡社の「世界大百科事典」のパソコン使用のCD-ROM版。小学館は8cmサイズのCD-ROM電子ブック版「日本大百科全書」を96年3月に発売している。

8cmサイズのCD-ROM版であればソニーが発売しているブックマンというBook Browserで読める。角川の8cmサイズのCD-ROM「広辞苑」といった辞典類などは、項目検索の迅速では書籍よりははるかに早い。書籍版はどれも重たくて書棚から抜き出すのさえ嫌になるし、家屋の床の加重負担もある。部屋のスペースも狭まるし、自分が死んだ後これはどう処分されるのかと余分なことまで思案しなければならない。

この点での利便性はCD-ROM版が勝っているが、ただブックマンの文字画面は狭くて見づらい。勉学途上の学生なら活用するかもしれないが、50代、60代ともなるとパソコン画面での検索ならしてもブックマン形式の読書器は使わないのでないか。

しかしながらパソコンで使える辞典・事典のCD-ROM版は、印刷機能やテキスト文抽出機能が付いていれば今後も伸び続けるだろう。全何巻という「世界大百科事典」、「日本大百科全書」を買うことを思えばこちらに手が出る。

いずれにしてもそれなりのお値段、誰もがおいそれとは購入できそうもない。

このように調査・分析してくると、電子本といっても娯楽ぽい短篇小説を読むためだけの携帯用電子本と、印刷して読むための電子本(パソコン画面でも読めるので一応電子本と呼ぶ)とに方向性が分かれるのではないか。

年配の人に訊くと、とてもブックマンなどで読む気がしないと言う声が多い。こうした人たちには、私がやっているPDFファイル形式が向いているかもしれない。印刷できれば活用範囲が広がる。紙であれば重要箇所に赤線を引けるしポスト・イットだって貼り付けられる。印刷したものをコピーすれば大勢が読める。背景、文字のカラー化も可能だがこれをするとモノクロプリンターだと逆に汚く印刷される。

本のように綴じられていないことも利点である。たとえば太宰治の作品について評論を書く場合、作品の一頁からすべての頁が必要なわけではなく、筆者が注目し引用したい箇所だけあればいい。こういった要求のときは本のその頁を引きちぎるということはやりずらいが、私の体裁のPDFは綴じられていないからその部分だけを机に置いて草稿を練ることができる。携帯の電子ブックではとてもこの芸当は無理だ。

現状のところ電子本の行方は見当たらないし、見当たるとしたら私のサイトのPDFに軍配が上がりそうな気がしている。

書き出しと結末(6)

2007-03-09 02:20:39 | 小説作法
鷺沢萌、デビュー当時から注目していた若手作家の一人だったが、自殺してしまった。おい、鷺沢、いつでも死ねるんだ。その若さで死ぬのは早すぎるよ、と声を掛けてやりたかったけど、衝動的にトイレで首を括(くく)った。35歳だった。統計的にも女性の32±3は、20±3と合わせて危ない時期。これを超えるとまな板の鯉のように観念するのか自殺しなくなる。死ぬにも気力が要る、とは死なないでいる女が言った言葉だけど。

以下は短編『明るい雨空』の書き出し。
【書き出し】

営団地下鉄の赤坂見附駅は永田町駅と通路で接続されていることもあって、朝夕は非常に混雑する。人の波は申し合わせたように同じテンポで動き、自分と同じ方向に向かう波に混ざるとあとは足を前後に動かすだけで入口の階段に運ばれるように進む。

地面にあいた穴ぐらのような地下階段を昇ると、地下の蛍光灯に馴れた目に太陽の光が眩しい。殊に春は、交差点の交番の傍に植えられた樹々の葉のあいだから洩れる白い光が目を射る。

哲雄(のりお)は階段のいちばん上まで来てから立ち止まった。高速道路のむこう側にそびえ立つ、ホテルの巨大な建物に目を向ける。なんということもなしに溜息をついてみた。最近、身体の調子が悪いように思えるのは気のせいだろうか。

一流商事会社の海外渉外課勤務といえば聞こえはいいが、近ごろの哲雄は身体も神経もすり削られているような思いがする。削り取られていった分の中に、かつての自分の大切なものがあったような気がして、それを思うともっと重い気持ちになる。

【結末】

哲雄は老入が怒っていると思った。怒って哲雄を指さしているはずだった。あるいは、悔しがって地団駄を踏んでいてくれても良かった。あのときいっそ、あの老人が窓を開けて、返せとか何とか叫んでくれれば良かったとすら哲雄は思う。それならば哲雄も、ちらっと舌を出して傘を片手に改札口の階段を勢いよく駆け昇れただろうと思う。

けれどその老人は怒っても悔しがってもいなかった。驚いて振り向きはしたが、彼はその姿勢のまま、窓のむこうから哲雄をじっと見ていた。見つめていたと言った方がいいかも知れない。ことばでは言いあらわせないほどひどく悲しそうな目で――。

哲雄は今でも、あのときの老人の目を忘れることができないでいる。