松本清張は風景描写も上手いが、人物描写、とくに女の描き方には心憎い鋭さがある。清張の社会派推理小説の魅力の一つは、女の描き方にある。ここでは『落差』の中の人物描写を見ておく。夫婦であるが、男女を上手く描き分けてある。島地が細貝景子を〈ものにしよう〉と思った最初の場面であるが、実に巧みである。
人物描写といっても写真で撮すようなことではない。どこまでもストーリ展開に絡ませて描くことを意味する。
この作品は昭和四十一年が初版。流行の推理作家として売れまくっていた時期である。月に十本くらいは執筆していただろう。だから文章にやや未整理なところが見られる。『点と線』と見比べてみるとわかる。
人物描写といっても写真で撮すようなことではない。どこまでもストーリ展開に絡ませて描くことを意味する。
この作品は昭和四十一年が初版。流行の推理作家として売れまくっていた時期である。月に十本くらいは執筆していただろう。だから文章にやや未整理なところが見られる。『点と線』と見比べてみるとわかる。
「奥さんにお目にかかったのは、これで六年ぶりぐらいになりますかな」
島地は隣にやっと坐った景子に話しかけたが、トンネルに反響する列車の響きで言葉がよく分らないらしい。彼は身体を寄せて、もう一度同じことを言った。
眼の前に細貝景子のうすい耳架(みみたぶ)があったが、その上には髪の毛が数本乱れかかっていた。
景子は、島地の身体から離れるようにしていた。
この女は苦労しているらしい、と章吾ほ思った。六年前にこの女を見たのは、まだ細貝貞夫が或る大学の教師をしている時分だった。たしか中野の奥のほうに小ぢんまりとした家をもっていた。あとで聞いたのだが、細貝貞夫が学校から追われると、その家も越して、府中の近くとかに移ったということだった。
島地が最初に細貝貞夫を訪ねたのは、たしか、ほかの人間と一しょだったと思うが、それから彼一人が単独で二度ほど訪ねた記憶がある。
そのころの細貝貞夫は左翼理論を固く信奉した歴史学者で、島地から見て時流に乗っているという感じだった。
その後も、細貝貞夫とだけは、何かの座談会で二、三回顔を合わせたことがある。細貝は風采の上がらない男で、ちょっと見ると、町工場の職長か何かの感じだった。学者というような様子は少しも見られなかった。初めて紳貝の家を訪ねたとき、彼は褞袍(どてら)を着ていたから、なんでも寒いときだったと思う。
その褞袍もあまり上等なものではなく、それに、はだけた胸からほ野暮ったいメリヤスのシャツが見えたりして、島地には、話をしてる間も、それが神経に障ってならなかった。
そのときに初めてこの景子を見たのだった。火鉢に炭を運んで来たり、お茶を出したりしていたのだが、細貝貞夫がこのような女房を持っているのが奇異なくらい、彼女は整った顔立ちをしていた。細貝貞夫は百姓男のようにずんぐりとした身体つきをしているが、景子はすんなりとした細い身体つきで、その表情も、動作も、島地の心を軽く惹(ひ)くものがあった。――
トンネルが過ぎて、座席に光が溢れ落ちた。
そのときの細貝の妻が今、自分の横に坐っている。島地章吾は話題を探しながら、眼のはしに絶えず彼女の横顔と肩とを入れておいた。
細貝景子は指定席の椅子に腰掛けて、ちょっと場違いといった落着かなさを見せていた。それに、島地章吾の誘いにうかうかと乗って彼の隣に坐ったという微(かす)かな後悔も混じっているようだった。景子には、できるだけ早目にこの席を起(た)つ気配が見えていた。