喜多圭介のブログ

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八雲立つ……59

2008-11-14 17:20:21 | 八雲立つ……

孝夫は高明のグラスにも注いでやった。
「おいしい。お母さん、いくらでも飲めそうだね」

聡実は母親から注がれたワインを、一口舐めると感嘆の声を上げた。
「ワインはあとから酔いがまわるからご用心。京都か神戸の大学だったら、たまにぼくが案内してあげられるな。そのときは佳恵さんも出掛けてきなさいよ」
「合格するかが問題ですの。バレーばかりして勉強に力を入れてなかったので」
「どっかに引っ掛かればそれでいい。あとは大学でどう過ごすかだ」
「この人はどこででも生きて行けるのが強みなだけです」
「いい顔しているから女優に向いていそうだな」
「ホント。わぁ、嬉しい!」
「お正月早々、いいこと言って貰って」

暫く会話を中断して食事に向かった。
「お母さん、このスモークサーモン、柔らかくておいしいよ」

聡実が、口をもぐもぐと動かしながら叫んだ。
「ホント、おいしい」

一口食べた佳恵は、表情を輝かせた。

信隆が亡くなってから後、佳恵家族にこういう機会はなかったのかもしれないと、孝夫は推測した。孝夫は胸の裡でよかった、と思った。

胸で隠れん坊していた律子までが木陰から顔を覗かせ、嬉しそうな顔をしていた。

――律子、この家族は明るくていいね。

孝夫は胸の裡で呟くと、目蓋の裏に熱い涙を覚えた。
「聡実さんは舌が肥えている。学校は家から近いの?」
「近い。自転車で二十分かな」
「いい運動になるな」
「お母さん、この海老もおいしいよ」

聡実は二皿目の海老を口に入れ、にこにこと健康な笑顔を浮かべていた。
「こんなところに連れて来ていただき、申し訳ないです」
「義典君の遺族には悪いですけど、こんな機会でもなければ招待できない。ここはコックさんがいいのかな。京都や神戸の一流ホテルに比べてもひけをとらない」

それから孝夫は二人の子どもにあまり聞こえないように声を低めた。
「叔父と叔母は相変わらずですね。義典の弔問だったのですが、叔父は義典の名前さえ言うなという素振りですし。言わなくてもわかっているという式が昔からの叔父ですが、叔母は言ってもらいたい、話を聞いてもらいたい。だけど叔父が止めるものだから、別な話題になってしまう。かといって実はぼくは、叔母の話を親身に聞くのはご免被りたいほうなので、叔父が止めてくれるのがありがたいことはありがたい。昨夜の叔父を見ていて思うのですが、叔父にとっては義典君より信隆君の死のほうが、打撃は大きかった筈です。義典君の急死を悲しんでいるのは事実ですが、どこまで悲しんでいるのかと考えると疑問に思うことがあります」
「私もそれを感じます。信隆さん義典さんがお父さんからどれほどつらく当たられてきたかは、結婚後、二人の話で私もわかっているつもりです」

佳恵も小声になっていた。
「そうですか。叔父にとっては、信隆君、義典君へしてきたことは、叔父の愛情表現だったのでしょうが、叔父の我が子に示す愛情は、肉親の情からの温もりがないのです。もっともなことを言っていても、血やこころが通っていない、通わすことができない、これはぼくの母親や二人の叔父の共通項です。哀れといえば哀れです。だけど信隆君、義典君に示したという叔母の愛にもぼくは昔から疑問を持っています。叔母は本当に二人の息子を愛していたかというとそうではなく、叔父、そう夫との闘争に二人の息子を味方にして戦った、それだけのような気がします」
「小野のだれもが、両親からうまく愛情の受け渡しができていなかったということでしょうか。このことが主人や義典さんにも影響を与えたと」
「ぼくもですけど……もっとも反撥したのが信隆君であり、母親にうまく取り籠められたのが義典君でしょ。信隆君にとっては父親、母親ともに嫌悪の対象だった。

K市の市民病院に見舞った折り、信隆君に帰郷を勧めたが烈しい気迫で拒絶されました。そのときにこれは父親、母親への拒絶だと思いました。しかし信隆君は小野一族すべてを拒絶はしなかった。だからあなたと一緒にぼくの母とは付き合ってくれた。義典君は小野一族すべてを拒絶したが、自分の母親は拒絶しなかった。母親に懐柔された。こういうことではないでしょうか」
「そこまでお考えになってましたか。私もお母さんが本当に義典さんの死を悲しんでおられるのか、と感じることがありますの。私が思っている悲しみ方とは違うようで」
「高明君の大学は女の子は多いの?」

孝夫は小声で佳恵の耳元で話していたが、佳恵とばかりは話しておれないと思い、真向かいの高明に声をかけた。


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八雲立つ……58

2008-11-14 13:42:13 | 八雲立つ……

孝夫は先頭に立って、三人を案内した。

予約席が枡席に枠で囲まれており、隣の枠内には恋人らしき男女が静かに座っていたが、ほかに客はいなく、オレンジ系の照明が灯った静かな雰囲気であった。大きなテーブル中央に暖色の灯とその周囲に黄色のカトレアの植わった小鉢が置いてあった。向かい側の二脚に高明、聡実が腰掛け、孝夫と佳恵が隣り合って座った。

おそらく二人の子供にしても、こういう席は久し振りなのであろう。まして突然現れた男が、自分たち三人家族の中に割り込んで、母親の横に座っているのを、二人とも浮き浮きした表情であったが、内心不思議がっているのであろう。

高三の聡実は、女の子だけに興味深そうに、母親と孝夫を当分に眺め、大きな瞳をきらきら輝かせていた。高明はにこやかな表情で、これからどんな展開になるのかとそれに関心ある顔だった。

孝夫は自分たちにも育ち盛りの娘二人を前にして、楽しく食卓を囲む時期があったことを、ちらっと脳裏に浮かべた。律子をふくめて女三人、その日の出来事を話ながら、よく笑う夕食であった。いつも律子が笑いを先導していた。きょうだいもなく一人娘で育った律子は、娘二人を妹のように思っていたのかもしれない。

高明は、今宵のために母親に買ってもらった、紺のワイシャツに、ネクタイを締め、若鹿のような雰囲気の青年らしいスーツ姿で、やや下から覗き込む視線で孝夫を見ていた。佳恵が言うように高明の清潔な表情のなかに、ややニヒルな影を人に与えるものがあったが、孝夫には好ましい青年に映った。高明の容貌を目前にすると、午前中に弔問したマンションで逢った義典の長男重成の、一見ピリピリした容貌がまたも気にかかった。

高明と重成がこれから先に、信和、芳信叔父のような、険悪な関係にならなければよいがと案じた。それは今後の信和叔父の、両家への種の蒔き方しだいのようにも思うし、配慮して種を蒔いてもうまく行かないかもしれないと、孝夫は宗教に凝りそうな峰子の蒼白い顔と、気むずかしい翳りのある重成の顔を思い浮かべた。このことはとりもなおさず、傍らに座っている快活な佳恵に、心労を生み出すことになる。小野家の今後は佳恵の肩にかかってくる。

孝夫はオーダーしたブルゴーニュの白を一口飲むと聡実に、
「大学は地元を志望しているの?」と訊ねた。
「それが地元を出て行きたくてうずうずしています。神話と宍道湖しかない古い街は嫌だとか言って」

佳恵は困ったような口調で話した。
「神話と宍道湖か……当たっていないことはないね。それで関西?」

孝夫は香里の顔を見て訊ねた。
「関西でも関東でもどっちでもいい。第一志望は京都」

聡実はややソプラノの澄んだ声で応えた。
「若いうちは大都会に出たほうがいいね。昼間この街をあちこち散策してみたけど、活気が見られなかった。正月のせいもあるのだろうけど」
「地元の私にもよそよそしい街になりましたよ。企業は少し増えたように思いますが、他所から派遣などで来られる方も多く、ローカルカラーっていうものが消えました」
「日本中ステレオタイプになってきますね」
「高明君は卒業したら地元に戻ってくるの?」
「東京で就職したいです」
「じゃあ二人とも地元にいなくなるのか。お母さん、淋しくなるね」

そう言ってから、孝夫はワイングラスを口元で傾けた。
「仕方ありませんわ」
「案外飲みやすいワインだな。あなたも空けてください、何杯でも注ぎますから」

孝夫が佳恵の顔を見てそう言うと、聡実が、
「お母さん、アルコール強い」とにこにこ顔で言った。
「えっ、そうなの」

孝夫が驚いた風におどけると、
「聡実、お母さんの秘密ばらしちゃって」

と聡実を睨み付け、
「飲みやすいですね、このワイン。おいしい」と言った。
「それはよかった」
「とてもまろやかな」
「お母さん、私もちょっと飲んでいい?」

聡実は好奇心旺盛な顔で言った。
「模擬受けてきたから、リラックスするのに一口、二口はいいかな」

孝夫は言った。


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八雲立つ……57

2008-11-14 08:50:24 | 八雲立つ……

高邁(こうまい)な文学理論であっても、無頼派文学は自分の文学のために家族を犠牲にした。しかし孝夫は彼らのような真似はできないと思った。

また孝夫は鳩堂窯初代、二代の為してきたことが家族の犠牲の上に成り立ってきたことも知っていた。

両親による家庭とか家族の温もりに触れないで育った孝夫は、自分の文学活動よりも家族の維持を優先していた。娘二人を大学までは出しておきたいとも考えていた。

自分の創作にも確信が持てなかった。このままの状態でよいのか、文学を断念して暮らしのための金稼ぎに専念すべきではないか、一人思い悩んでいた。

そんなときに大学での学生運動で親しくなっていた梅林陽一が紅葉の京都に遊びに来た。彼は徳島の大学病院の内科医であった。

嵐山の旅館に一泊して旧交を温めあった。その折りに梅林は徳島に来て自分で進学塾経営をやってみてはとアドバイスしてくれた。細面の顔だが、医者らしい雰囲気があった。
「予備校講師ではそんなに収入はないだろうし、将来が不安定だろう」

確かにいまの予備校に勤めていては将来性がなかった。ここ四、五年大学への進学ブームに乗って、京都市内に大手の予備校がいくつも開校されていた。こうしたところに新規募集生を食われ出し、これまでの安穏とした経営からの脱皮を図らなければならなかった。すでに孝夫の予備校に大手予備校から傘下に加わらないかという提案が持ち込まれていた。

そうなると講師の地位も大手の意向でどうなるかもわからなかったし、まして孝夫の気ままな契約仕事は通用しなくなるのは、眼に見えていた。
「これからは高校生相手より、小学高学年から中学生を対象にした学習塾経営がやりやすいのでないか。それも補習塾でなく一流私立中学とか私立高校向けの進学塾経営や。うちの大学でも子供のいる連中が、徳島市内には子どもを医学部に合格させるような学習塾がないとぼやいている。流行ると思う。自分で経営せんと収入は増えないやろ、どうや」

孝夫はビールを飲みながら梅林の話に一理あると思った。
「奥さん、臨床検査技師の主任だろ」
「うん、去年からだけど」
「徳島に来るのだったら、うちの大学で働けるように道つけるよ」
「それはありがたいね」
「奥さんの考えもあることだし、奥さんともよく相談してみて」
「ありがとう。早いうちに結論出すよ」
「できれば来春開塾だと塾生募集の面でも軌道に乗りやすい。十名くらいの生徒ならぼくが口コミしておくよ。あと四十名ほどならダイレクトメールで集まると思うな。ぜひ出て来いよ。お前は都会より田舎暮らしが合うやろ」

梅林が徳島に戻ったあと、孝夫はこの話を律子にした。律子は、私の仕事先があるのなら徳島でも沖縄でも行くわよ、と屈託のない返事をした。そして、行くのなら早いほうがいいわよ、淑子(よしこ)を三学期から向こうの学校に転校させるつもりで。孝夫さんも開塾まで三ヶ月間ほど向こうで開塾の準備したいでしょ、と言った。
「春と秋、年に二回は京都一泊旅行、約束してね」
「ぼくも年に二回は京都に出たい。約束するよ。梅林が鳴門から淡路島には橋が架かっていると言っていたので、車で走れば二時間半くらいで淡路島の北端に着くそうだ。ここの駐車場に入れてあとは船で明石に渡り、そこから電車で京都、四時間半くらいだ」
「四時間半!徳島はやっぱり遠いのね」
「どうしても一泊、ゆっくりしたいときは二泊だな」

     *

昨夜佳恵に優柔不断だからと言ったが、この言葉にはぐずで即座に決断できないという意味以外に、断ち切ることのできない優しさ柔らかさという意味もあるのではないか、と孝夫は自分なりの自己分析をしていた。烈しいだけよりも優柔不断なほうが結論を急がず、よい場合も多い。

佳恵にしても信隆が亡くなって以後、子供三人を健全に育ててきた。浮いた話もなく地味に暮らしてきた。佳恵のような女ほどあるいは不変に烈しい女であることを、長年律子と暮らしてきて、孝夫には解るのだった。

律子と生きてきたからこそ、なんの不安、動揺を感じることもなく、学習塾を営み、平穏な暮らしをしてこられたのではないかと、律子が亡くなってから、二人の日々を思い出すたびに思うのだった。孝夫は地元の同人誌に参加していた。
「二人とも見合い結婚だったとは意外でした。じゃ佳恵さんは恋愛の経験なし?」
「そうなんです。大学を卒業して少し教師生活をして、なんの自覚もないうちに信隆さんと見合いして結婚」佳恵は屈託なく笑った。

きめ細かな色白の頬を紅潮させ、大柄な聡実が切れ長の眼に笑みをたたえ、ロビーに姿を現した。聡実の眼は佳恵の眼であった。
「待った?」
「十分ほど。自転車で?」孝夫は笑顔で言った。
「はい。通っている予備校、ここから近いんです」
「それじゃ全員揃ったので、レストランの方に行こうか」


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