喜多圭介のブログ

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八雲立つ……68

2008-11-17 17:12:02 | 八雲立つ……

奥さんやなんて、と思ったが、
「ほんとにいいお湯で躯が温もりました」と応え、夜の化粧直しをした。

その間にもう一人の仲居が、孝夫を相手に、
「こちらが鱸(すずき)の奉書焼、こちらが白魚の酢味噌、これは公魚(あまさぎ)の照り焼。あとのものを合わせて宍道湖七珍と呼ばれています郷土料理です。それとこれは松葉がにのかに鍋です。お酒はお電話でご注文いただいたようにお銚子二本用意いたしました。奥さん、ご飯はこちらです。それではごゆっくり召し上がってください。お食事済んでからお布団用意させて貰います。このお宿にはバーも居酒屋もカラオケもありますので、あとで楽しんでください」と説明した。

説明し終わると、仲居二人は部屋の入口で膝を着けて頭を下げたあと、出て行った。
「沢山あるな。まずお酒を味見して」
「お注ぎします」
「ありがとう」

孝夫が佳恵の盃に注いでから、二人は盃を合わせた。
「美味しい。お酒をこんなに美味しいと思ったの初めて」

そう言って、佳恵は微笑んだ。
「きょうは運転ご苦労様でした」
「楽しかったです。奉書焼、地元の人でもめったに食べませんね」
「ぼくも一度だけ宍道湖畔の一流料亭に連れて行かれて食べただけです。これは観光客向けでしょう」

孝夫は醤油たれに薬味を加えると、白身を箸でほぐし、その中に軽く浸けてから口に入れた。
「なんとなく紙の香りがするな」
「がんばって食べないと残ってしまいます」
「お客さん、かなり泊まってますね。男風呂に二十数人浴(はい)ってましたから」
「そうですか。明日までは多いかも」
「お子さんたち、大丈夫?」
「はい、お風呂に行く前に電話しました。聡実が心配ないから二日でも三日でも泊まってきて、と言ってました」
「お母さん用無しってわけか」

孝夫は佳恵を見て笑った。
「もうお母さん役卒業します。そうしないと子どもたちに嫌われますから」
「親はそういうものですね」

昼食が割子蕎麦だけだったので、二人とも食欲旺盛だった。
「お酒一本ずつにしたのは、あとでバーに行こうかと考えて」

孝夫は佳恵の盃に注ぎながら言った。
「孝夫さんはカラオケされるの?」
「ぼくはまったく駄目です」
「お母さんはダンサー当時ステージで歌っておられたとか聞きましたが」
「ぼくは母とはなんでもかでも逆な生き方ですね。佳恵さんはカラオケは?」
「会社の同僚に引っ張られて行ったときは仕方なく付き合ってます」
「ここはバーとカラオケルームは別になっているそうです」
「それのほうが静かでいいですわ」

     *

バーは一階の庭園の一角を利用して架かっている朱塗りの橋を渡った別館にあった。暗くてよく見えなかったが、橋の下には白い玉砂利が川のように配置されていた。
「趣向を凝らせているね」と孝夫が言ったとき、佳恵は胸の裡でアッと声を上げた。

あの女の歌手が歌っていた歌詞、一生一度の竹の花、の中に、渡って懲りない渡月橋、というフレーズがあったことを思い出した。

――これがその橋なのかも……。

さらに驚いたのは橋の中央部の庭園の反対側に、目隠し用の竹垣を背景に、見上げるほどの高さの寒椿がすくっと立ち、赤い花を咲かせていたことだった。そして根元にも無数の花弁が散っていた。

孝夫も珍しく思ったのか、そこで立ち止まった。そして独り言のように呟いた。
「宿の経営者はなかなかの趣味人だな」

佳恵は花弁の蕊(しべ)が黄色くほどけているのを見つめた瞬間、胸裡がカッと燃え立ち、腰から下が熱くなり、感覚を無くしよろけそうになった。狼狽えて横に立っている孝夫の手を初めて握り締めた。孝夫の言葉に応答する余裕はなかった。


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八雲立つ……67

2008-11-17 13:33:36 | 八雲立つ……

「佳恵さんがこんなに大胆とは想像してなかったなぁ」
「私にも鬼が棲んでいるかも」
「えっ」
「車の中で仰ったでしょ、鬼が棲んでいると」
「ああ、あのこと……」
「人に恋する鬼ですわ」
「能の「道成寺」は毒蛇に変身しましたね」
「でもあれは怨みでしょ」
「一度夏に貴船の川床に案内しましょう」
「鞍馬寺の近くのですか」
「そう。貴船神社の鬼も女の怨みですが、やはり能の「鉄輪(かなわ)に出てきます。有名な陰陽師、安倍晴明が登場する話ですが」
「能にお詳しいの?」
「詳しくはないが、創作に能を扱ったことがあるので」
「でも私のは可愛くて切ない鬼ですよ。孝夫さんに怨みなんかないもの」
「小野一族に棲み着いている鬼は冷血、ぼくの母も含めてのことですが」
「でも孝夫さんは冷血でありませんわ」
「いやそんなことはない。冷血です。一度死んでますからね」
「井戸の話ですか」
「あのときから冷血になったと思います」
「奥さんやお子さんにはお優しかったのでしょ」
「どうかな。まあ律子が鬼を封じてくれましたが」
「今度は私が封じてあげたい」
「いつからぼくのことをそんな風に」
「京都のときからです」
「ぼくはあのとき律子のこともありましたが、M市とは関わりを持ちたくない気持ちが強くあり、あなたとも距離を空けていました」
「いまはどうですか」

佳恵は切ない眼差しで問いかけた。
「いまですか……鬼という哀しい者同士がこうして居る……お互いの運命かな」

そう言って孝夫は哀しげな眼差しで雨の降る庭園を見やった。

佳恵も同じように視線を庭園に向けた。沈黙の刻が流れた。
「そろそろお風呂に行きますか。部屋にも露天風呂が付いてますが、ここは何種類かのお風呂があるようです」
「せっかくだから大きいお風呂に行きます」
「お風呂に上がってから食事ということで、フロントに電話しておきます」
「お願いします」

広い浴場のあちこちに巨石を配置した大浴場や露天風呂があった。

佳恵は大浴場の片隅にひっそり浸かると、そこから築山造りの庭園を眺めた。点々と灯る明かりに、雨に濡れた緑が広がっていた。ところどころに赤く見えるのは寒椿なのか。十人ほどの泊まり客が散らばって入浴しているか、洗い場で白い背中を見せているだけで、静かであった。

お互いの運命、そうなのかもしれないと佳恵は思った。正月に孝夫さんが来なければ、私がここにこうしていることはない。そのとき佳恵は信隆と車で孝夫の母親を訪ねたときの、帰路の会話を思い出した。
「孝夫さん、お母さんのところによく来られるのかしら」
「徳島におるからよくってこともないやろ。何で?」
「お母さん孝夫さんの話をよくするでしょ」
「褒めてるな」
「だからあまり来られてないのかなと思ったの。淋しいのじゃないかと思って」
「あんまり行ってないと思う。情がないのやろ」
「孝夫さんに?」
「どっちも」
「そうなの?」
「ぼくも親には逢いたくない。孝夫さんも同じやないか。長いこと逢ってないけど、孝夫さん、冷たいとこがある気がする。小野一族は皆そうや」
「冷たいの?」
「情がな」

孝夫さんも自分で冷血やと言っていたが、情がないということなのか。私にはそうは思えない。なにか悲しみを一杯抱えた人のように思える。私は孝夫さんにどう扱われても後悔しない。いっときでも孝夫さんの悲しみを埋めることができたらそれでいい。私も孝夫さんに満たされるはず。

孝夫さんはここに二泊すると言っていた。私も二泊しようかしら。そして明日は八重垣神社や足立美術館に連れて行ってあげようか。孝夫さんが温泉しかないここに二泊するのは偶然でない気がする。きっと私と過ごすためなのだ。

風呂から上がり部屋に戻ると孝夫さんは先に戻っていて、仲居さん二人が座卓にお膳を並べていた。
「遅くなりました」
「奥さん、いいお湯でしたでしょ」

仲居の一人が鏡台の前に座った、丹前に羽織を重ね着した佳恵のほうを見て言った。


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八雲立つ……66

2008-11-17 10:55:13 | 八雲立つ……

孝夫に京都案内をして貰ったときから、孝夫に抱かれる自分を予感していた。あのときは傍で中三の聡実がうろちょろしていたし、孝夫には奥さんがいた。孝夫さんの胸の中にはまだ奥さんがいるかもしれないが、いたってちっともかまわない。亡くなった奥さんを愛おしむような孝夫さんだから、私も好きになっていく。二人にとって何の不都合もない。佳恵は車を運転しながら、このことを反芻していた。

T温泉に入ったのは、二時半過ぎだった。店の横が駐車場の小綺麗な喫茶店が見付かった。向かい合って腰を下ろした。
「少し天気が落ちてきた」
「日御碕はあんなに青空だったのに、夜に雨が降ってきそうな様子」
「時雨が来るかも……ぼくは小雨程度の雨は嫌いでなくて、梅雨時に嵯峨野を巡ることがあります」
「そんなときは人が少ないでしょ」
「農家の忙しい時期は減ってます。一人で野々宮神社、二尊院から祗王寺辺りを傘さして巡るのですが、モスグリーンの杉苔が美しい」

佳恵は女性と相合い傘で歩いている孝夫を想像して悩ましかった。
「今度は聡実をおいて梅雨時に出掛けますので、祗王寺を案内してください」

孝夫は運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。
「いつでも結構ですよ。ここは川筋が通っていて城崎温泉の中心街に似た風情の町だな」
「城崎温泉は大学のゼミで行ったことがあります」
「志賀直哉の研究にでも」
「お風呂の研究も兼ねてです」と付け足して佳恵は微笑んだ。

佳恵は、あの頃は若かった、と思った。溢れるばかりの人生が前途にあると思っていた。だがアッというまの短い人生。恋らしい恋も経験しないまま、もう五十近くになってしまった。どう掴んでいいかわからないが、信隆亡きあとの三人の子育てに専念して、子どもたちの成長にやっとひと安心できるときには、もう五十。このまま女を終えて、朽ちていくことに理不尽を感じとっていた。

     *

旅館の男性に案内させて駐車場に車を停めた。佳恵はトランクから旅行バッグを取り出した。
「ここに荷物を隠してあったの」と言って、恥ずかしそうな眼で笑みを浮かべた。

いくつもの様式の露天風呂が〈売り〉の旅館の玄関に立った。孝夫が名前を告げると、すぐに和服の仲居に案内されて部屋に入った。二間の、二人で泊まっても贅沢な広さの部屋が用意されていた。

常日頃から故郷喪失感のある孝夫は、庭園を見下ろせるソファに腰を下ろすと、今年は年早々にこんなところに漂着したか、という思いに囚われた。

――それも亡き信隆の妻を一緒に……人生のことはいつまで経っても先がわからない。

そんな思いを強めていた。

佳恵は別間で和服を洋装に着替えていた。そしてベージュのセーターに同色のベストを重ね着、クリーム色のパンツ姿で、衣桁(いこう)に着物と長襦袢などを掛けていた。
「着付けは一人でやるの」とくつろいだ気持ちで訊ねると、
「はい。一人でします。母が着道楽の人ですから、高校のときから着物を着てましたので」
「そうだったの。次ぎに京都に来るときは着物だね」
「そうします」
「日本女性は着物が美しいと思うけど、京都でも背が高く痩せている女性の着物姿は、ひどく貧相に見えることがあるけど」
「着付けが下手なんだと思います。着物は肌着、長襦袢からその人の体型にあった小細工をしながら着る物ですから」
「そうか、下の物から細工するのか」
「そうなんです」
「信隆君の生前はよく着物着たの」
「いえ、大阪にいた頃は着なかったです」
「じゃあ佳恵さんの美しい姿を信隆君は知らないのだ」
「またおかからいになって」

そう言いながら近付いてくると、
「お茶淹れましょうか」と言った。
「ありがとう」

テーブルの上にお茶と茶菓子を運んでくると、佳恵はくつろいだ気配で、向かいのソファに腰を下ろした。
「近くに住みながら私、ここ初めてなんですよ」
「そうだったの。ぼくも初めてだが、温泉だけのところって感じだな」
「静かでいいですわ。小雨が降ってますよ」
「そう、しとしとと降ってきた」

二人はぼんやりと庭園に降る雨を見つめていた。


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