「介護もトライアスロンも楽しんで」

90代両親を介護の日々ですが、合間に走って泳いで、バイクにも乗って年1回のトライアスロン大会参加を目標に楽しんでいます。

ペースメーカー植え込み手術 その1

2013年07月21日 13時52分01秒 | 心臓ペースメーカー植え込み手術

私は2009年2月に先天性心房中隔欠損症と三尖弁閉鎖不全症のため大和成和病院で開胸手術を行い、その後はとても順調な回復具合で、好きなマラソンも楽しむことができるまでに健康な身体を取り戻すことができていました。しかし心房中隔が欠損していたことが原因と思われる徐脈が年々悪化しており、先月末には心拍数30bpmという事態に直面してしまったのでした。

2009年の手術の時点から主治医の先生方から「あまり心拍数が低くなってしまうようならペースメーカーを植え込むしかないですね。」と言われており、今月2日に大和成和病院で受診した結果ついにそのペースメーカーのお世話になることが確定したのでした。

そして7月12日(金)に大和成和病院にてペースメーカーの植え込み手術を受けてきました。手術そして入院時の様子を2回に分けて公開します。

ところで入院・手術の様子を報告する前に、まず私はこの徐脈に対して大きな勘違いをしていたことを白状します。2009年の心臓手術後も心拍数が低かったのですが、実は本人としてはあまり真剣には気に掛けていいなかったのです。ご存知のように私は趣味としてマラソンを楽しんでいます。一流のマラソンランナーはスポーツ心臓になってその心拍数が32~35bpmなんて言うこともあるのですが、私は2009年の心臓手術後の心拍数が40台になってもそれは私も一丁前にスポーツ心臓になっているからだろうと思っていたのです。心拍数が低くなればなるほど練習の成果だ!と自己満足していた所もあったくらいです。そう思ってしまったのは心拍数が低くなっても別に何の症状も出ていなかったからだと思います。

しかし、フルマラソンでたかだか3時間台の人間ではスポーツ心臓になんかなっていませんよね。趣味のマラソンのくせに大きな勘違いでした。私の心拍数が遅いのはスポーツ心臓のせいではなく、洞性徐脈という病気のせいだったんです。このことに気が付いたのは今回心拍数が30bpmになった6月末のことでした。

ははは、のん気なんて言うものじゃないですよね。自分自身笑っちゃいました。

さてさて、それでは その1 入院・手術当日のお話です。

12日に入院、そして入院当日の午後2時から植え込み手術でした。事前にネットでペースメーカー(以下PMと表示)の植え込み手術について調べていたのですが、その体験談などでは皆手術後はPMを植え込んだ側の肩や腕は固定され丸1日は身動きが出来ない様な状態とありました。そして動けませんから当然ながら小便を体外に出すためにドレーンチューブを尿道から膀胱まで挿入されてしまいます。

4年前の心臓手術の時に何が一番いやだったかと言うとICUで目が醒めた後、このドレーンチューブを抜き取られる時のあの強烈な痛みです。前回は全身麻酔をされてから挿入されましたからその痛みは抜き取られた時だけで済みました。しかし、今回は局所麻酔でした。ですからドレーンチューブを挿入される時にも同じような強烈な痛みがシラフの身に襲い掛かってくる訳です。当然剃毛もあるでしょうし、手術前のこの2つの儀式が一番の悩みの種だったんです。

そんな心配を抱えて病室で待っていたのですが、一向にこの儀式が始まりません。午後2時からの手術予定なのに1時を回ってもまだ誰も病室に来ません。そして1時20分になってやっと看護師が点滴を開始したのでした。

点滴 : アクチット輸液 1000ml & 生食注 100ml

この時点で、ああ、これでもう尿道へのドレーンチューブの挿入も剃毛もないんだと理解しました。私はパンツも履いたままなんです。点滴してから剃毛なんてことはあり得ません。

へぇー患部にイソジンで消毒するだけで手術開始なんだなぁ~なんぞと思いながらベッドに横になっていたんです。

そして1時55分になって看護師が私の肩に筋肉注射をしました。徐々に頭がボーッとなってきました。ベッドの端に腰掛けていたのですが、立ち上がる気力がすっかり失せてしまいました。注射後15分後には横になったらそのまま寝てしまいそうでした。

4年前の手術の際にも同じように肩に筋肉注射をしましたが、その時は全くと言っていいほど何の変化もなかったのです。この時は手術室に入ってから全身麻酔を施しましたから、前回と局部麻酔での手術の今回では状況が全く違います。なので使用している筋肉注射の中身に違いがあったのでしょう。

そして2時20分になると看護師が車椅子を持って迎えに来てくれました。もう完全にふらふら状態です。エレベーターに乗って2階の手術室へ入りました。4年前の手術室とは別の、隣にある手術室です。真ん中に手術台がありその上に乗ったのですが、とても幅の狭い手術台です。パジャマの上着を脱がされ、左肩から胸にかけてイソジンで消毒が始まりました。「ああ、これでもう剃毛も尿道へのドレーンチューブの挿入もないんだなぁ~。」ととても安堵をしたのを覚えています。今はどこの病院でもいきなりイソジンでの消毒から直ぐに植え込み手術になってしまうんでしょうかね?これは本当に楽だなぁ~と思いました。

手術台の上に乗ったところで、執刀医の菅原先生やスタッフの方々によろしくお願いしまーす、と挨拶しました。いよいよ植え込み手術の開始です。局部麻酔が左鎖骨下辺りに打たれました。ちょっとチクッと痛みがありましたが、大した痛みではなかったです。背中にはレントゲン用の板が肩から背中に掛けて敷かれています。室内のディスプレイに心臓付近の映像が映し出されているようです。そして頭のテッペンから足の先まですっぽり青い布で覆われてしまいました。顔の部分は布が直接顔に当たらないようにステンレスの枠が頭部に置かれていますので息をするには全く問題がありません。麻酔が先だったか、布で覆われたのが先だったかは覚えていません。ひょっとしたら逆だったかもしれません。

Img_3054_2 写真の手前側が頭です。患部の左肩だけ露出させてこの時はカテーテルを入れて血管の様子をモニターで見ているところです。

写真は手術室の看護師の方に撮影をお願いし、カメラを渡しておいたのです。そして執刀医の菅原先生の許可の下彼女が撮影してくれました。感謝、感謝です。

しばらく画像で様子をみていた菅原先生から「緊急事態、問題発生です。」と言う言葉とともに作業が中断されました。

同時に私には直ぐにピンとくるものがあったのです。4年前の心臓手術をする際に見つかっていたことなんですが、私は「左上大静脈遺残(あるいは残存)」という血管の奇形があるのです。これは胎児期の名残のもので、胎児のはじめの時期には左右の手から血液がそれぞれ別の静脈を通って心臓に戻ってきます。そして次第に胸の上のほうで左右の静脈を継ぐ血管が育ち左手の血液も右手からの静脈に合流するようになり、その後に左の心臓に向かう左上大静脈が退化するのだそうです。しかし、なぜか左右を継ぐ血管が育たなかったりして左手からの血液が元のままの左上大静脈を通っている人が200人に一人ほどの確率でいるのだそうです。

多分このことが原因でPMを入れることができないのかもしれないと思ったのでした。今回の手術前にこのことを担当の医師に伝えようかとも思ったのですが、同じ病院でカルテがあるのだから当然見ていることだろうと思いましたし、あるいはこの事がPMの植え込み手術には全く影響しないのかもしれないとも思っていたので、結局このことを菅原先生には伝えずにいたのでした。

そして作業を途中で中断した先生の口から出た言葉はなんと「左上大静脈遺残」と言う言葉だったのです。この遺残があるとPMのリードを挿入することが困難になり、左肩への植え込みは出来ないとのことでした。しかし、その代わり右肩への植え込みはできるのとのことで急遽右肩への植え込みへと変更することになったんです。米国などでは右肩への植え込みが主だと言うことや、実際に右肩への植え込みをやったことがあるので心配いらないという言葉もいただきました。ただ、私は右利きですので、PMを右肩に入れることでの不便は発生するだろうなぁ~と言う思いが湧いてきたのは事実です。手術開始から多分30分は経過していたと思います。全身に被せた青い布が一旦外され、左腕にされていた点滴が右腕へ、そして氏名の書かれたリストバンドはハサミで切られ、右腕に新しいリストバンドを巻かれました。その上で改めて青い布が全身に被せられ、右肩だけが露出した状態になりました。局部麻酔も打ち直しです。

Img_3055 上の写真とは先生の立っている位置が逆です。右肩への植え込みが開始されました。

菅原先生も年間数十件のPM植え込み手術を行っているのでしょうが、右肩への手術は数年に1回あるかないかのことでしょう。右と左では身体の構造がまったく逆になりますから、先生もとてもやり辛そうでした。左右が逆になってしまうため、作業する手を逆手にしたりしなければならず、また中が見え辛いようなこともあったようです。布で覆われていて見ることはできませんでしたが、先生が悪戦苦闘していることがはっきりと分かりました。スムーズに事が運ばず、時間だけがどんどん経っていく感じでした。とても疲れました。全身麻酔で行われた方が気が楽でした。途中では、「あぁ、もうどにでもなれぇ~。」と諦めの心理状態にもなってしまいました。

Img_3056 手術の方法ですが、
1) 右鎖骨下を横に4,5cm切開し、そこからPMが入るポケットを作ります。

このポケット作りから悪戦苦闘のようでした。筋肉が邪魔していたようで脂肪が適当にあった方が良いのかもしれませんね。私のように筋肉質の人はやり辛いと先生も言っておりました。

ポケットを作る際には電気メスで皮膚を切開したのでしょうが、麻酔をされていますからその感覚は全くありませんでした。ただ、切っている場所に刃先からアルコールを吹きかけているようなシュッ、シュッという音が聞こえたのと霧状の物が身体に掛かっているという感覚がありました。

2) ポケットが出来れば次にリードを静脈から心臓へと入れていきます。このリードの先端には1mm程の突起があって、1本は心房の右心耳と言う場所へ、もう1本は心室の心尖部と呼ばれる場所へ留置されたようです。(確認はしていませんので違う場所かもしれませんが一般的にはこのような場所だそうです。)リードの留置でも何度かやり直し、どこが一番良いかを何度か探しているようでした。

Img_3058 3) リードが収まればあとはPM本体をポケットに入れ込みます。この作業でも大変でした。かなり強引に力任せに肩を押されたことを覚えています。そして何度かビリッ、ビリッと電気が走るような痛みが襲い、その都度身体がそして足も大きく跳ねるように動いてしまいます。

しかし、手術中大変助かったことがあります。看護師さんが足をやさしく押さえてくれたことです。決して強くではなく、足の上にやさしく手を乗せているという感じなんです。このことが緊張している私の身体をずい分とリラックスさせてくれました。

何だかんだとえらく長い時間が過ぎていきましたが、それでもPM本体がポケットに入り、後はいよいよ縫合だけという段になって、私もこの時は随分と気が楽になったことを覚えています。そしてやっとこれで生きて帰れるとも思いました。

縫合はとても丁寧に行われたようです。ちょっとずれるとやり直している感じで仕上がり具合は良好のようです。何針縫ったんだろうと思い、終了後菅原先生に尋ねたところ、内側8針、外側20針は縫ったとの応えでした。

Img_3059 左の写真は縫合の時のものだと思います。 

こうして5時20分に全てが終了し、最低心拍数が60にセットされました。入院中は60のままで退院日にその後の具合で調整するとのことでした。

手術時間は約3時間でした。通常なら2時間程度で終わるのでしょうが、やり直しがあったり左右が逆でやり辛いこともあって1時間ほど余計に掛かってしまいました。しかし兎に角無事に終わってほっとしました。と同時に本当にぐったりしました。局部麻酔でのPM植え込み手術がこんなに疲れるものだとは思ってもいませんでした。電池の残量が少なくなる7,8年後にはまた交換のための手術があるのですが、その時には全身麻酔でやってもらおうかと思ってしまいます。

さて、病室に戻ったのが夕方5時40分でした。その後のことは ペースメーカー植え込み手術その2 と題し後日またアップします。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南林間中学校陸上部

2013年07月21日 08時49分45秒 | 我家

昨日は次男が出場する通信陸上神奈川県大会の応援のため、平塚陸上競技場へ行ってきました。

次男は昨年まで長距離を走っていましたが、今年から短距離へ転向したのです。1年生の時、陸上部に入部するに当たり本人は短距離をやりたいと話していたのですが、長男が高校陸上部で長距離をやっていて、私もマラソンを趣味にしている環境からか、結局長距離を選んでしまったのでした。しかし、引退まであと半年あまりとなった3年時にどうしても短距離で大会に出てみたいという気持ちが強くなったようです。次男は高校進学後は陸上部に入らないと言っているので、最後は自分の気持ちのままにやってみたら、と話をしていました。そして先月の大会で400mを走り何とかギリギリの記録でしたが、昨日の通信陸上県大会に出場することが出来たのです。

そしてチームとして出場が決まっていた400mリレーにも第3走者として走ることができたんです。

Img_3143 写真の2レーンが次男です。この後アンカーへのバトンではゾーンギリギリでのバトンの受け渡しとなってちょっとヒヤッとしましたが、本人は全力が出せた走りだったと言っていました。組での順位は4位で決勝には進めませんでしたが、45秒台のチームとしてのベストタイムが出せ、8月末の市内9校対抗に向けて良い弾みとなったようでした。

Img_3144 そして400mですが、8レーンを走った彼はベストに0.01秒及ばず記録更新はなりませんでしたが、今までで一番の走りが出来たとこちらも満足できた様子でした。

手術後、電車と徒歩で往復だけでも4時間というリハビリを兼ねた応援外出でしたが、行った甲斐がありました。と言うのは次男の所属する南林間中学校陸上部の部員たちの応援が凄かったからです。どの学校も仲間の応援で「行ッけー!行け行け〇〇!押ッせー!押せ押せ〇〇!」と言う手拍子を入れたどこでもやっている応援をするのですが、次男たちは1500mに参加した1年生部員の応援では、このフレーズの応援をスタートから彼がゴールするまでの約5分間ずっとやり通したのです。1人で声を出して皆を引っ張るリーダー役は順番で交代していましたが、この5分間連続の応援にはすっかり感動してしまいました。回りにいる他の学校の生徒達も後ろを振り返ってこの様子を見ていたくらいです。特に女子達の頑張りが凄かったです。良くあれだけ声がでるな~と思う子、また途中で声がかすれても最後まで必死に声を出し続けたあの子、そしてあの子達。去年まではこんな凄い応援はしていなかったのでビックリ仰天でした。そしてアラ還のオジサンとしてはちょっと涙腺が緩んでしまったのでした。

今年の3月までの1年間は私も時間が有る時はこの陸上部のお手伝いを続けていて、長距離陣の子供たちとは一緒に走ったりもしていました。しかし、この4月からは新たに陸上部顧問の先生が加わり、現在は80名の部員に対し、3名の顧問の先生方が面倒を見てくれています。そんなことでこの4月からはお手伝いをする機会もなくなり、新1年生の部員を見る機会もありませんでした。昨日彼らを久し振りに見て子供たちの成長にはびっくりさせられました。次男に聞いたところでは、2年生の女子達が元気いっぱいで、彼女達が自らやり始めたということでした。次回は8月末の市内9校対抗の大会にまた応援に行こうと思っています。楽しみがまた一つ増えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする