gemma

オカメインコとネコとヒト。

夢。

2011-04-28 | ■キオク、キロク

小さい頃の夢は
「ケーキ屋さん」
というありがちな
夢だった気がします。

お菓子も作った事が
ない頃なので、
オナカいっぱい
食べたかったのかもしれません。

そんなコトを
思い出しながら
お菓子を作りをしてました。

こわい事があった時でも
子供たちには
夢を持ってほしい。

楽しいコトを
見つけたり
考えたり


山形蔵王。

2011-04-26 |   スベル山

日曜日。
ダンナさまの
かねてからの希望であった
スノーボードに
行ってきました。
よくご一緒する
人たちと。

スキー場へ向かう高速道路からは
久しぶりに、郊外ののどかな景色を
見ることができました。

スキー場の駐車場では
仙台、山形以外にも
多摩ナンバーとか、
東北に足を運んでいただけるだけでも
ありがたいです。

この日は晴天。
お客さんもそこそこ。
老若男女、
山登りの人も含め
たのしんでいる光景に
嬉しく思いました。


先日の田中好子さんの訃報は
とても残念でした。
素敵な女優さんだったのに。

夕張市の市長さんが
30歳という若さで当選しました。
大きいものを背負われたんですね。
いつか夕張、
行ってみたいです。

ご近所さんのご両親は
隣の市の避難所にいるのですが
時々こちらへ来ては
心配だからと避難所へと
戻って行くそうです。
住んでいた土地を離れるのって
簡単ではないんだと
思いました。

被災地のことも
それ以外のことも
逼迫していることは
いろいろあり。

できることから
できることからと
何もできませんが
思う毎日です。

今日も一日がんばるぞぉ。


あの日。

2011-04-23 | ■キオク、キロク

3月11日
会社の3階で
津波を逃れた人たちがいました。
その日の夜、水の中を歩くと
夜光虫が足元を照らしたそうです。

仙台港辺りのガレキも
順に片付けられてきました。
最近、近所にも
仮設住宅ができていました。

テレビのCMが
いろいろ流れるようになりました。
でも未だに流れるテロップの
内容が少し変わってきました。
り災証明書や被災証明書のこと
原発事故の相談から
住宅、教育、法律相談
義援金詐欺に注意とか。

あの日から
いろんなことが変わりました。
でも。
これを乗り越えたら


無敵だって
思える。


木瓜。

2011-04-21 | ■キオク、キロク

ボケ。
なんとも愛嬌のある名前。

今日は折角のポカポカ日和なので
明るいコトを考えてみようかと。

少し前から余震回数が
めっきりと減りました。
もう死んじゃったかと思っていた
ノラニャンコも戻って来たし
わたしは夜中に何度も目を覚ます事が
なくなりました。
昨夜に限っては
余震があったにもかかわらず
気がつきませんでした。

本当はいろんな心配もあるけれど
今日はそれを記さずに。

木瓜が満開です。
赤い色がヤル気にさせてくれそうです。


身辺。

2011-04-20 | ■キオク、キロク

ちょこたんだけは
多少の揺れで動揺する事なく
落ち着いています。
それが本当に何より。

生活事情に関しては、
被害の少ない地域のほとんどは
ライフラインが回復しています。
被害の大きかった地域も
少しずつ、というところです。

建物の損傷が
営業に差し支えないお店は
だいぶ営業を始めています。
大型複合施設は、
ゴールデンウィークに向けて
修復作業を頑張っているようです。
スーパーなどは、時短営業ではありますが
ヨーグルトも少し
買えるようになってきました。

個人宅も少しずつ
業者さんが入っている様子。

福島に住む知人とその家族は
いまだ避難中です。
原発からのお仕事も多かったようで、
どんな気持ちでいるんだろう。

福島に実家のある知人は、
津波は来なかったものの
原発の近くなので
お兄ちゃん家族とお母さんが
避難をしていました。
どうやら、お母さんの方は
息子のいる仙台で
同居することになりそうです。

石巻の知人は
新築の家が津波に遭いました。
その後、奥さんの実家に身を寄せましたが
支援物資のおかげで
食べ物などには
あまり困らなかったそうです。

牡鹿で民宿をしている知人は
津波はそこまで来なかったものの
だいぶココロが沈んでいたようで。
大丈夫かな。

大河原の知人は
家を失い
家族とバラバラに住むことに。
その後、アパートを探していたけど
見つかったかな。

横浜にいたけど
仙台に移り住み、
新港で毎日のように
波乗りをしていた知人は、
結局、横浜に戻るそうです。

地震の影響をあまり受けなかった知人は
山形勤務で仕事にも影響はなかったのですが、
涙もろくなっていました。

仙台の蒲生に実家のある知人たちは、皆、
実家は水で流されましたが
家族が無事だったそうで。

次々と被災地を訪問する
著名な人たち、
明るい気持ちになれた人が
たくさんいることでしょう。

自衛隊や消防や警察のひとたち
なんて過酷なんだろう。
そして、どれだけの亡きがらを
目にしたんだろう。
原発で処理にあたっている人たちと
送り出したその家族は



今日、目の前を走る
いわきナンバーの車を見て
胸がギュッとなりました。
震災後からは、
テレビで流れる曲のほとんどが
心にしみて仕方ありません。
好きな音楽しか聞かなかったのに、
今では何でも響いてきます。

そういえば
すごく悲しい時に気づくと頭の中で
「ぽぽぽぽーん」が流れていて
これのおかげで
絶望感が薄れている気がしました。

久しぶりのバラエティー番組にも
ただ笑うことができ
感謝しました。

被災地の人も
被災地ではない人も
たくさんのものを
頭の中に留めていそうで
心配です。

とくに悲しいものは
長くは留めないように、
体にわるいものは
持ってもすぐ手放すように

して下さいな。


なかよし組。

2011-04-16 | ■キオク、キロク

我が家には
ねこ3に対しケージ2
しかありません。

でもそのケージ、
小さめわんこ用なので
だいぶ大きめ。

避難時、そんな事情から
ミーとたびちゃんは
一緒に入ってもらいました。

この時ばかりは、
なかよしで本当に助かりました。
ねこ3がいっぺんに
移動なんて
考えてもいなかったので。


お誕生日。

2011-04-14 | ■キオク、キロク

日曜日、
ダンナさまのお誕生日でした。

少し遠出して
ごはんを食べに

ケーキは
作って

プレゼントは
ちょっと待ってもらって

ささやかに
お誕生日会。

リュックを背負って
マスクとメガネを装着し
港の方へ出社しているダンナさま、
いつもご苦労様です。

さぁ、今日も一日
がんばるぞぉ。

みんなが早く
元気になりますように。


弔。

2011-04-12 | ■キオク、キロク

お休みの日
おじさんたち家族3人が眠る
東松島市へ
行ってきました。

おじさんたちが眠っている
その土地は、
まわりには何もない
少しさみしい山の上でした。

そこにはすでに
たくさんの人が眠っていて
でもそれと同じくらいか
それ以上の人たちの分も
場所が用意されていました。

どんな場所か
覚悟して行ったものの
目の当たりにすると

でもその日、
東京から来ていたという住職さんが
おじさんたちのために
拝んでくれました。
ボランティアで週末だけ
来て下さっていたそうです。

その後も
ぽつぽつと来る人達に
同じように声をかけ、
眠る人たちのために
お経を唱えていました。

帰り、
おじさんたちのいた
家の方へ行きましたが
何もなくなっていて
場所がわかりませんでした。

こんな時いつも思うのですが。
わたしなんて
全然なんともないのに

悲しい光景を見ると
ヌケガラみたいな気持ちになり
申し訳なく思います。

この日は、
東京から来ていた住職さんに
救われました。



よし!ガンバロウ。