忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

産経・FNN合同世論調査内閣支持率38・6%最低を更新旧統一教会被害者救済新法「今国会成…

2022年11月14日 | 忘憂之物





西村慎吾氏が小渕内閣の防衛政務次官だったとき、週刊誌で「核武装の議論を国会で検討したらどうか」と言ったら辞任させられた。ここから「非核三原則」はひとつ足されて「四原則」になる。つまり「議論すらしてはいけない」だ。

安倍さんも副官房長官時代、講演で「核兵器を保有することは憲法違反ではない」と言ったらマスコミと野党が大騒ぎしてぶっ叩いていた。「核兵器保有=憲法違反ではない」はお爺ちゃんの岸信介も参院予算委員会で答弁している。なにをいまさら、と思ったが、第一次安倍政権時の政調会長だった中川昭一氏が「核の議論はあっていい」と言うと、国内の野党が更迭しろと騒ぐのはともかく、当時のブッシュ米大統領が「中国の懸念は知っている」と過敏に反応し、びっくりしたライス国務長官が急いで日本にまで来て「核の傘」の提供を宣言した。日本の自主独立など冗談でも勘弁してくれ、ましてや核武装などされたら、2発殴り返される恐怖で夜も眠れない。

中川昭一氏は政調会長や経産大臣、財務大臣といった要職を務めていたから「議論はあっていい」と遠慮気味だったが、たぶん本音は国会議員に対して「さっさと核武装しろ」と言っていた。アメリカや中国、他の国際社会に対しても「日本は核武装しますね、できるのは知っていますよね」というメッセージになった。

中川昭一氏は「自分はアメリカや中国のスパイ組織に殺されてもいい。それでも日本を護らねばならない」という、いまの日本に少なくなったガチの政治家だ。安倍さんや西村氏と同じく、伊達や酔狂、国内保守向けのリップサービスではなかった。いま、はっきり書いておくと、日本の核武装、あるいは核共有などに過剰に反応して騒ぐ連中は、単なる無知で浅薄な阿呆か、もしくは敵性国家の工作員である。地上波などでみる多くは前者か。

「核抑止には核保有」しかない。戦後の国際社会、秩序を分析するまでもない。東西冷戦を思い出すまでもない。いまでも現実問題として、ただ、そこにごろりとあるだけだ。ちゃんと見るか見ないか、というレベルの話だ。

「知の巨人」と呼ばれるフランスの歴史人工学者、エマニュエル・トッド氏が日曜日のフジテレビにて「日本は核を持つべき」と持論を展開すると、横にいた木村太郎がフランス語で「絶対にない」と話を遮った。合わせてキャスターも議論を切った。トッド氏は呆れていたように見えたが、もはや「日本の核武装」は放送禁止用語に近い扱いになって久しい。

もう「なにかあったら米軍が守ってくれる」と思っている人は少ない。限定的に「米軍は協力してくれる」とか「武器兵器を供与してくれるかもしれない」はあるかもしれない。巨大な帝国がいつかは衰退するのも世の常だ。自由と民主主義の大国、アメリカが国際社会の秩序を守り、世界人類、すべての人の権利を守るなど、とっくに御伽噺だと思うが、いまのアメリカを見て、まだ、そんな幻想を持てるのが不思議だ。

大英帝国が七つの海を支配し、世界のGDP3分の1を占めていたとしても、いずれは衰退して国際社会は不安定になった。アメリカの一極集中、冷戦に勝利したアメリカ帝国の弱体化も、いまはもう現実のことだ。国際条約や同盟関係、友好団体も国際組織も「強大な1国が暴れ出す」となにもできないのも自明である。だから普通の国は外交防衛の基盤として軍事力を高める。当たり前に核武装もしている。今も昔も当たり前が弱い国は蹂躙される。

戦後日本、当たり前のことを当たり前に議論することすら止められてきた。いまもべったりと蔓延っている。政治家も悪目立ちを恐れて「当たり前」を避ける。支持率を気にするしかない時の政権はポリコレにハマって動けない。保守論者には優しい人が多いから、岸田がカンボジアで「中国を名指しで批判した」として天晴とする。あとは行動だ、と岸田政権延命を許してしまう。あまりに「当たり前」から遠ざかり、ほんの少しの当り前を評価してしまうのも当たり前かもしれない。

人口が280万人しかいないリトアニアでも、首都ビリニュスに「台湾代表処」を置く。日本はもちろん、欧米諸国でも「台北」代表処しかないが、バルト三国の小さな国でも「当たり前」は当たり前にする。日本でも「長野事件」があったが、リトアニアでも五星紅旗を振り回した中国人が首都で暴れたら、ちゃんと反中感情が盛り上がって、中国共産党から大使を引き上げられようが、経済的威圧をされようが、中東欧の経済協力枠組みから脱退した。ラトビアやエストニアも続いた。ちゃんと習近平の「一帯一路」を拒絶している。

日本はしょうもない国ではない。腰抜けの国でもない。岸田政権の支持率がちゃんと4割を切っている(FNN)。いわゆる「青木率」も6割を切りそうだ。踏まなくてよかった旧統一教会の地雷もスケベ心から踏んだ。マスコミも野党も「次は寺田だ」と気勢をあげている。まだ、こんなことやっているし、これからもこんなことをやるのかと、こんなことしかやることがないのかと呆れ果てる。

そろそろ「モノ言わぬ」日本の有権者も、岸田政権に対する「検討を加速」している。






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