忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

テレビ朝日の謹慎決断には賛成も「電通発言」より問題な玉川徹氏の「そういうふうに作りますよ…

2022年10月06日 | 忘憂之物






ぜんぜん詳しくないが「騙し絵」というのがある。「おばあさんに見えるけど、見方を変えれば若い女性にも見える」みたいなのだったり、ふつうに見れば「髑髏」に見えるが、よく見ると「グラスを挟んで食事をしている男女」だったりするアレだ。

また、騙し絵というか「隠し絵」みたいのもある。一見するとなにも見えない。単なるモザイク柄なのだが、よく目を凝らすと動物がいたり数字があったり。いずれにしても眠れぬ夜、ネットサーフィン(古い)などをしていて見つけると15分くらいは凌げたりする。

これらの特徴というか、まあ、当然なのだが、往々にして「一度見破れば、その後も見抜ける」ということになる。レベルが高いモノは難しいのもあるが、中にはパッと見で見破れる可愛いのもある。それに「像がいるよ」とかヒントもあれば簡単だ。「意識して探す」という作業が加わるとクリアできる確率は上がり、なんというか、徐々にコツも掴んでくる。つまり、もう「騙されなくなる」。


区別しておく必要があると思うが、いわゆる「パレイドリア現象」とは違う。これは人間が勝手に視覚や聴覚に刺激を受けて「無いものが見える」という心理現象だ。集合写真に「その場所で自殺した女性の霊」が見えたりする人は注意したほうがいい。家族写真に「数年前に亡くなったおじいちゃんが」と言うなら、それは亡くなっていないか、もしくはガラスの反射とか多重露光を疑ってみる。古き良き時代のカメラは味があって良いものだ。

あと有名なのは「シミュラクラ現象」か。人間は3つの点があれば「顔」と脳が認識してしまう現象のことだ。天井のシミや削れた岩、三羽で飛んでいるだけのカモメやコンセントに「友人」を見つける人の脳が起こしている錯覚だ。以前、仕事で借りていたワンルームマンションの壁に「笑う福島瑞穂」がいたが、それと同じだ。この壁は社民党のポスターではなく、ただのシミとキズだ、とわかっていても気になって仕方がないからカレンダーを移動したほどだ。

ま、いずれにせよ、これらのことを踏まえてから、テレビ朝日社員のことを考えてみる。

大切なことは「よく観る」だ。先ず、わかり難いがネクタイの上にあるのは「シミュラクラ現象」ではなく玉川徹の顔だ。間違いなく、スタジオで座って偉そうに阿呆を晒している。最近、聞くところによると、なんでも菅前総理の弔辞を小馬鹿にして、ご褒美に会社から臨時の特別休暇をもらったらしい。放送回数で「10回もお休み」とのことで寂しいが、一見すると、この阿呆はテレビ朝日の社員で番組のコメンテーターをしていると見える。

しかも、番組中にずっといて、ジャンルを問わずになんでもコメントする。ぱっと見ると「何でも知っている頭が良いエリート様」に見えるかもしれない。ちゃんとポルシェにも乗っている。しかしながら、よく「観る」と見えてくるはずだ。いや、話の中身がぺらぺらなのは仕方がない。それは仕掛けでもなんでもない。本当に頭の下書きからぺらぺらだ。

それに、どうせテレビのワイドショーだ。真面な見識を持つ専門家の意見など流していれば視聴率は取れない。相手は朝からテレビを見る人だ。まだ寝惚けてもいる人もいるだろうから、そんな小難しい話も聞きたくない。

しかも、この薄ら呆けが真面目に調べてもいないのは周知の通りだ。今回の件も「スタッフのメモの解釈を間違えた」とのことだ。「なにをどう間違えたのか」はいま、NHKとか誰かに相談しながら考えているかもしれないが、思い浮かばないならしれっと流せばいい。自民党の政治家じゃないから「スタッフのメモに電通と書いてあったかどうか」を問われることもない。しかし、ここまでは「騙し絵」でも初歩レベルだ。だれでも見抜ける。

とりあえず、電通入ってますからね、に惑わされるが、いま、多くの人が、さらに「その奥にある問題」が見えてしまっている。ようやく「ここまで見えてしまう人」が増えたことを喜びたい。言うまでもないが、それはここだった。

「僕は演出側の人間としてテレビのディレクターをやって来ましたから、それはそういうふうに作りますよ。政治的意図がにおわないように制作者としては考えますよ」

つまるところ、テレビのディレクターは「政治的意図を隠して制作しています」と言っている。それを臭わないように工夫しています、ということだ。要するに「椿事件」をまだやってます、と言い放ったに等しい。今後は「玉川事件」と表することにしたいが、おそらくは「遅い夏休み」でお茶を濁すことは不可能だと思われる。だって「見えちゃっている」。

しかしながら、更に更に奥深く観る。「コロナはガンガン煽りましょう」でバレたと思ったが、それでもまだ「見えない人」もいた。しかし、いまは安倍さんのお陰で見えやすくなっているはずだ。事実、ちゃんと「観えた」人らは気付き始めている。

亡くなっているのに、まだ、安倍批判しかしないマスコミに対する不気味さは、多くの日本人に「理由」を考えさせてしまった。なぜにここまで安倍さんをこき下ろしたいのか、もはや、第三次安倍政権は実現しないのに、どうしてここまで安倍さんを叩かねばならないのか、とノンポリの日本人までもが疑問に思い、そしてその「動機」を推察してしまった。ならば当然、調べて探して考えてしまう。連中はずっとこれを防ぎたかった。

推理小説と同じだ。いわゆる「3W1H」(WHO・WHY・WHEN・HOW)が揃ったら気になり始めて「先に進みたくなる」。安倍さんが亡くなってから、それもあのような衝撃的な非業の死だったから、日本人は安倍さんが生きていたころとは明らかに意識が違う。まさに分水嶺だった。

日本人は「安倍前・安倍後」でモノの見方に変化が出ている。だから気付くし、見抜くし、見逃さない。その日本人を信じて高市早苗大臣は政治生命を投げ出して「テレビの生放送」でヒント、というか、日本に巣食う巨悪を指し示した。つまり、もう「見えている」。長男を秘書官にしている場合ではない。

また「安倍前」はコロナ騒ぎからアメリカ大統領選。ロシアのウクライナ侵攻に台湾海峡の緊張などをして、目に見えるモノを「見えた」と言ったりすれば、それはパレイドリア現象かシミュラクラ現象だと馬鹿にされた。要するに「陰謀論」だと嘲笑することで誤魔化せると思っていた。事実、誤魔化されている人は多くいるし、知ってか知らずか、中には心霊写真レベルのフェイクを騒ぎ立てるのもいた。保守層を混乱させて分裂させるのに功を奏していた。

それが安倍さんの死によって「計算が狂った」。いや、正確に言うと、連中は安倍さんの死を悼む日本人が、本当に、現実に、若年層に「こんなにいるとは思っていなかった」。

国葬儀に参列した数万人規模の人々は、静かに、しかしながら確実に目を開いていた。あれほど喧嘩ばかりの保守層は一斉に「安倍さんに限らず人の死を冒涜するのは許せない」で一致していた。バラバラで小競り合いばかりの保守論客を安倍さんがまとめてしまった。多くの日本人も「日本人の死生観」という物差しを探して見つけた。怪しいとは思っていたけど、ちゃんと図ってみたら、完全におかしいという結論に至るだろう。

「これは騙し絵です。見抜けるかな」と言って見せるのと、なにも言わず偉そうに見せるのとでは結果に大いなる差が出る。警戒心を抱き、興味を持って、信念に基づいて「観る」と違った図柄、思いもよらない描写に気づく。平和や人権、平等だと思って眺めていたら、実のところはおどろおどろしい「全体主義への入り口」だったと見抜ける。

当然ながら「玉川事件」はこのまま終わらない。というか、そんな雑魚はどうでもいい。テレビ朝日などのマスコミ、その後ろに描かれている「隠し絵」が見えている。周囲に「どうやったらみえるの?」と言う人がいれば、見方のコツを伝えていくことが肝要だ。そして「これしってる?」として提起するのも効果的だ。「隠し絵」「騙し絵」のネタは探せばある。

例えば、見出し画像はマウリッツ・コルネリス・エッシャー。トロンプ・ルイユ(騙し絵)で有名なオランダ人の画家だ。日本でも人気があって、長崎佐世保、オランダの街並みを再現している「ハウステンボス」にも「ミステリアスエッシャー」というアトラクションがあった。

しかしながら2022年9月、エイチ・アイ・エスはハウステンボスの全株式を香港の投資会社PAGに666億6000万円で売却した。その数年前、ハウステンボスは「ミステリアスエッシャー」のアトラクションを無くして、代わりに恐竜やアニメのアトラクションを新設してファンをがっかりさせ、韓流のホログラムライブなどを行って日本人客を切り捨て、来る中国人客を喜ばせようと準備万端にしていた。

「騙し絵」など中国共産党が嫌がると判断したのか。将来的に「習近平の肖像画」に「プーさん」でも仕込まれた日にゃ関係者が全員処刑されるかもしれない、と恐れたのか、と話題にするのも面白いかもしれない。





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