忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

性的少数者とカミングアウトフィギュアで五輪経験の高橋成美さん

2022年10月17日 | 忘憂之物






「国際カミングアウトデー」というのがある。もう過ぎてしまったが、それは10月11日らしい。この日に合わせて「花王」が「メリットシャンプーは実のところノンシリコーンシャンプーのことです。国際カミングアウトデーなのでカミングアウトしました」とかやると、SNSでフェミから「国際カミングアウトデー舐めてんのか」と叱られた。

始まりは1987年のアメリカ。ワシントンで50万人(主催者発表)のゲイやレズビアンが集まって行進した。この日が10月11日だった、ということで「ナショナル・カミングアウト・デイ」ということらしい。性的マイノリティに権利を、私たちはここにいる、とかで盛り上がったとのことだ。とりあえず、50万人も仲間がいるなら寂しくないし、男女を問う必要がなく、趣味趣向の合う人がそんなにいるなら相手にも困らんだろうと思うのだが、いま現在でもなにが不満なのか、忘れた頃に騒いでいたりする。

一応、私もカミングアウトしておくと、例えば万が一、我が倅がある日突然、不細工な女装して実家に戻り、私のことを「パパ」と呼んだら、顔の形が変わるまで殴ってから勘当する。これが私のカミングアウトだ。あの愛らしい娘が角刈りにして、私のことを「オヤジ」と呼ぶおっさんになってしまったら絶望して泣く。これが私の揺らぎない価値観である。多様性よろしく、どうぞ、持続可能的な意味でも、是非、認めてほしい。私の権利も守ってほしい。

そして「我が家以外はどうでもいい」というのも本音だ。わざわざ「週末はSMクラブに通っています」とか、知らない人に言わないのと同じく、そんなことカミングアウトされても知ったことではない。犬が好きです猫が好きです、は話のきっかけになる。阪神好きです巨人嫌いです、も気が合うかもしれない。焼肉好きです酒好きです、なら飲みに行ける。しかしながら、男が好きです女が好きです両方好きです、は勝手にすればよろしい。関係ない。

それに過半以上の人は偏見もないが興味もない。テレビでオカマキャラは飽和状態だし、私の知り合いにもいるし、一緒に飲みに行くレベルのもいる。常識があって面白い人なら友人にもなるだろう。どこまでいっても「それだけ」のことである。顔見知り程度、あるいは初対面レベルで、その人の性的趣向を知りたい、などと誰が思うのか。カミングアウトとかされても「ああ、そうですか」以外に感想もないが、この人はなんでこんなことを言うんだろう、と不安にはなるかもしれない。

そもそも「カミングアウト」とは、べつに性的趣向の発表会でもない。例えば、幼き頃の私が衝撃を受けたカミングアウトは、呼吸音が荒くて有名な某銀河帝国の暗黒卿だ。そのセリフは「iam your father.」だった。映画史に残るカミングアウトだ。

あと「実はガンでした」もカミングアウトになるが、最近ではテレビ朝日社員の玉川徹がカミングアウトして謹慎処分になった。なんでも「政治的意図を隠して演出はしますよ、そりゃ」みたいなことを生放送でカミングアウトした。その勇気には敬意だ。

日本のテレビで韓国のアイドルグループばかり、メンバーの一人が兵役につくことになりました、とか日本人からすれば「だからなんだ」と言う他ないニュースを大きく取り上げるテレビ局も「我々は日本の放送局ではありません」とカミングアウトしている。立派だ。

安倍さんの国葬儀に下衆丸出しのイチャモンをしたり、ネット上の「デジタル献花」にまで、旧統一教会と絡めた出鱈目で腐すテレビ局も「我々の仕事は反日です」とカミングアウトしているのである。憲政史上最長、ということはそれだけ国政選挙で勝ち続けたことを意味する。つまり、日本の有権者の民意に基づく判断を小馬鹿にして否定している。これも「我々は選挙結果など気にもしていません」というカミングアウトだ。隠していない。

岸田総理も外国人留学生をして「日本の宝」だと言った。言うまでもなく、海外からの留学生のほとんどが中国人だ。これも「私は日本の総理大臣ではありません。習近平主席万歳」というカミングアウトになる。合わせて高市経済安保相には就任日に「中国という名前は出すな」「セキュリティクリアランスを提案することを口が裂けても言うな」と指示されたとか、高市さんもアウティングした。見事なまでの閣内一致。素晴らしい連携だった。



この元フィギア女子選手はよく知らんが、彼女が参加したトークイベント「プライドハウス東京」とやらの代表は松中権氏。著書に「LGBT初級講座 まずは、ゲイの友だちをつくりなさい」というのがある。読んではいない。元電通の社員らしいが、退職した原因として「一橋大学アウティング事件」を挙げている(関弁連HP インタビュー記事)。この事件を受けて、松中氏は「権利の擁護や法制度等を整備していくための活動が必要だ」(同)と思ったらしい。

ちなみに同事件は2015年に同大学法科大学院にて、ゲイの学生から恋愛対象として告白された異性愛者の男子学生が困り果て、その結果、隠しておくことはできない、と判断してアウティング、つまり友人らに暴露してしまい、そのゲイの学生が不安神経症やパニック障害になり、大学構内のマーキュリータワー6階、ベランダから転落して死亡した事件だ。

このとき告白された男子学生は「そういう対象で見られない」「良い友達でいたい」と断っているが、その後もゲイの男子学生からの言動に悩まされている。つまり「普通の友達」ではないレベルと感じる言動に対し「夜も眠れなくなった」と裁判で証言している。事件の詳細も探せばある。客観的に見て結構、しんどい。

男子学生は「相手を傷つけないように」「なるべく差し障りなく」対処するも、異性愛者からして「その気」があると認識している同性愛者から「オレのこと嫌いになった?」とか、肩に手を回しながら切ない目でみられるとしんどい。それにおそらく、私の主観だが、この男子学生は相当に人権意識も高い。私ならもっと露骨に対応して裁判に訴えられて負けているかもしれない。私の鳥肌が立つ自由も侵害しないでほしい。

私は差別主義者が「人権侵害上等」と書いたTシャツを着て歩いているレベルかもしれないが、どうしても自らの性的趣向を自らの理屈で自ら世に公言して、それに対して世間様に「差別するな」「偏見を持つな」「法律をつくれ」「日本は遅れている」と言ってくる「性的マイノリティ」の人らが「恋愛対象」を見つけたときだけ健気になるとは思えない。

世に数多いる「振られ男」は高嶺の花から「良いお友達でいましょうね」と言われた経験を少なからず持つが、その多くは沈んで酒飲んで寝て、また、次を探すという謙虚さだ。間違っても人様に向けて「まずはゲイの友だちをつくりなさい」と上からモノ申す度胸はない。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。