忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

忘憂之物 8

2013年07月18日 | 過去記事




環境が変われば知りあう人が増える。最近また、還暦過ぎた女性から10代の大学生まで、いろんな人と知り合った。嬉しいことだ。

その日、虐められていたのは19歳の大学生。倅よりも1つ下になる。大学では化学分野での勉強をしているとか。聞けばかなりの秀才で成績もよろしく、書いた論文も満点貰ったと喜んでいた。それは中高年を含む周囲の「虐めっ子」からしても既知であり、こいつは勉強できるかもしれないけど、を枕に「それでも世の中では通用しない」と責められていた。

仕事振りもヘンじゃない。要領は悪いが懸命にやっているとわかる。要所で手を抜く「少々手慣れたベテラン」よりも好感すら持てる。しかしながらその日、そんな彼がさすがに落ち込んでいたから事務所で声をかける。

この年頃だ。やっぱり「社会では通じない」が効いていた。周囲の先輩やらから「化学なんて」と馬鹿にもされた。これもよく聞く阿呆の台詞だが「スーパーで買い物するのに数学なんていらない」みたいなアレだ。おまえはつまり、そういうことを知らない、頭に小難しいことばかり詰め込んで、ちゃんとした19歳の男性としてなにか足らない、と詰められていた。私は「半分は正解。半分は妬み。でも気にすることはない」と断言した。

それから机の上にあったエアコンのリモコンを持ち、コレの仕組み知ってる?と問うてみた。するとさすが、赤外線とかLEDとか、信号化などの言葉が出てくる。要すればキミはリモコンをつくる人、あの人らは使う人、と説明した。

あの人らはリモコンで「OFF」とかするけど、なんで「OFF」になるのかは一生わからない。キミは「OFF」になる仕組みは知っているけど、なんでいま「OFF」にしなければならないのか、ということを理解するのに時間がかかる。それだけのことだと。

しかし、日本社会の中で「リモコンが作れない」となれば、日本は技術後進国になってしまう。作り方を知れば中国人でも作れるかもしれないが、いまはパナソニックだけど当時の松下電器とか、サンヨーの技術者がいなければ、いまでもドアを閉めたらテレビがつくとか、そのままだったかもしれない。昔は超音波だったから。

いま、あの人らは「録画予約」とか当たり前になってるけど、これもあの人らが作ったわけじゃないし、たぶん、なぜにそうなるのか、は知らないと思う。もちろん、あの人らがお笑い番組を録画するとき、ナショナルのマックロードで研究開発した技術者の苦労を思い浮かべる必要もない。世の中にある「モノ」にはすべて「作った人」の存在があるけど、その「作った人」を覚えている、知っているというのも珍しいほうだ。

つまり、キミは世の中で通用しないかもしれないけど、キミのような人がいないと世の中は成り立たない。まあ、そういうことだな、と告げると彼はようやく笑った。


という私もよく倅を馬鹿にする。「おまえの頭はドーナツ現象」だと。無駄な知識は周囲に一杯、でも「真中が抜けている」。支那語とか英語ができても日本語が怪しい。サークルに入って飲み会に参加しても、怪しげな支那人や白人が寄ってくるだけで彼女ができない、とか虐めている。ある日突然、支那人スパイみたいなクーニャンを連れてきて「彼女」と言われても困るが。

ま、ともかく大切なのは役割分担。それから自覚。例えば倅が理論武装して、私とアベノミクスについて議論する。そこに妻が飛び入り参加、ケインズを「コーンフレーク」だと信じて疑わない妻に経済の説明ができるかどうか、また、妻に経済を理解させたところで「マカロニサラダ」は美味しくなるのか、という根本的な問題に至るのであった。

「世界平和を実現するには?」→「地球全部の人間を核ミサイルで殺す」と言う妻が偉いところは、それでも参院選挙に「行く」というところだ。それも「わからないから、おとしゃんに聞く」と言ってしまうところである。私が「坂本竜馬って書いてきなさい。比例は新撰組」といえば、たぶん、そう書いてくる素直さ、そして私に対する信頼だ。

冒頭の「あの人ら」はたぶん、各候補者がどんな政治を目指すのか、政策はどうなのか、どんな色がついてどんな背景があるのか、までを知ろうとしない。テレビで「日本は悪かった。また戦争が出来る国にしようというんですかねぇ」と阿呆な司会者が言えば「そうなのかな」くらいしか思わない。そして頼まれでもしない限り「誰に入れても同じ」として投票に行かない。

法律なんてリモコンと同じく、誰かがどこかで勝手に便利なモノを作ってくれる。政治や経済なんて「自分の生活」に直接関係もないし、で思考経路を遮断する。語弊があるかもしれないが、私はそれも仕方ないと思うようになった。だって世の中を形成する多くの「あの人ら」もそれなりに忙しい。コレは決して嫌味ではない。

わからないからわかっている人に任せる、というのも民主主義の特性のひとつだ。「政治家」という庶民の代弁者を選ぶのがその証左だ。それでも欠かしてはならないのが「参加意識」になる。民主主義から参加意識がなくなれば意味が通らなくなる。

わからないから、興味ないからで済まされない。それでしょうもない候補者を当選させて苦労するのも民主主義だ。21日に投票所は避けられてもリスクは避けられない。

そして「耳に優しい言葉」ばかりを羅列する人間は普通、信用置けないと判断するのも常識だ。民主主義国家に住む良民はこの「常識」だけを大切に繋いでいければいい。税金を安くします、原発はいりません、差別も貧困も社会からなくします、世界は今日も平和で日本の周囲は良い国ばかり、だから国防軍なんかいらないんです、という非常識は「常識」で見破れるはずだ。




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