最近、また「南京大虐殺」がどうしたとやっている。よくもまあ、飽きないモノだが、名古屋市長の河村たかし氏が「南京大虐殺を否定するような発言」をしたとかで、支那人だけではなく、日本国内の反日メディアや売国政治屋も怒っている。「ウソがバレたら困る」というのは支那共産党と同じ動機だ。一蓮托生、同じ穴のナントカ、要するに典型的な支那人マインドだ。そのひとり、南京防衛戦に参加したという支那人、李高山(88)という人が「私たちが証拠だ」とかやっている。「証拠だ!」は結構だが、この人は兵隊だから「証言」しかできない。残念である。
「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」というクソ長い名前のところが統計をとると、その「南京大虐殺」の生き残りはもう237人しかいないと嘆いている。でも、心配には及ばない。「当事者を知る当事者」はまだいる。私の勤める施設にも「お兄さんが兵隊だった。生きて帰ってきた」というお婆さんがいる。そのお兄さんは揚子江、つまり長江下流で病気になって日本に戻された。その少し前、ばっちり南京攻略戦にも参加している。
終戦の年、京都の木津川にB―29が落ちた。そのお婆さん、仮に「花子さん」とするが、花子さんを含む近所の子供らは「アメリカ兵がまだ生きている」という噂を聞く。そこでガキ大将が棒切れを持ち出し「アメリカに殺された父ちゃんの仇を討つ」と言い、花子さんにも棒切れを渡す。おい、花子、一緒にアメリカ兵を叩きに行くぞと。
これを帰国したお兄ちゃんに止められる。ガキ大将は頭をぽかりとやられる。「阿呆なことすな。せっかく生きてるのに叩いたら可哀そうやないか。それに戦争が終わったら、おまえら、やり返されるぞ」―――
このお兄さんが支那人の女子供、老人をどうにかするか?と思い問うてみた。そのままずばり「お兄さんは南京で一般市民、子供や女を殺したりしたとか、見たとか言ってた?」と問うた。花子さんは「・・・・?いいや、聞いたことないけど・・・?」と不思議そうにした。そらそうだ。そこにはいつまで経っても「理由はない」からだ。そのような大規模、且つ、徹底した殺戮行為、あるいは略奪行為に及ぶには絶対的な「動機」が必要となる。もしくは、それほどまでに大量の人民を殺害するとなれば、これはもう兵隊に軍事行動をとらせるわけだから、それにも軍事作戦、命令が欠かせない。この支那人とGHQのウソ、反日メディアの都市伝説には、相変わらずそれらの話が一切出て来ない。
そもそも、だ。日本兵はよく「略奪」をしたことにされるが、当時の南京でもいい。朝鮮半島でもいい。その理由を是非、教えていただきたい。例えば、当時の南京には避難区域があった。そこにはおよそ20万人の人民がいた。蒋介石やら南京防衛戦の総指揮官だった唐生智らは、退却命令を出さない代わりに邑江門に督戦隊を置いたから、一般人も含めて大パニックになった。
日本軍はこれに衣類と食糧を送った。1938年の正月には大量の食糧を用意し、紅卍会支部より受領書と感謝状を贈られている。これらは「記録」としても残っている。もちろん、写真もある。つまり、大量に発生した支那人難民に対し、食料を供給する日本軍が何故、略奪行為に及ぶ必要があったのか、ということだ。
日本軍の補給線が断たれて飢えるのはもっと後、それも南方戦線の一部である。日本兵全員が「水木しげる」だったわけでもない。当時の大日本帝国陸軍、中支那方面軍は別に飢えていない。支那人娘を殺して太ももの肉をスライスし、それを油で炒めて喰う理由はひとつもない。支那人の赤子をすき焼きにする動機もない。日本兵は普通に豚肉や鶏肉が喰えている。南京城陥落が12月13日、その月末31日には南京に電気、水道が復旧する。年が明けるころには「ネオン」がつく。忙しい日本の兵隊さんは、理由もなく、命令もないのに支那人民を何十万人も殺して回るヒマなどない。
英米仏独からなる国際委員会も日本に対して感謝状を贈っている。安全区にいる非戦闘員を守ってくれてありがとう、と書かれている。書いたのは委員長だったジョン・ラーベだ。ラーベが出した<私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡を取り得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります>という書簡は現存する。時代は変わった。GHQの検閲もない。もう東京裁判史観、自虐史観は無理なのだ。
それに対し、日本共産党は仕方がないとしても、だ。民主党の官房長官までもが<非戦闘員の殺害、略奪行為などがあったことは否定できない。村山談話以来、政府の姿勢は変わっていない>とか言う。これではウソの上塗りだ。藤村が無知なのは勝手だが、結果的には個人レベルで済まないポジションでの発言となるから困る。
毛沢東は文革の際「一窮二白」と言った。「一窮」は「貧しくやろうぜ」だ。産業も工業もいらない、ということだ。「二白」は「白痴でいこうぜ」だ。文化も科学もいらないじゃないか、という意味だ。実のところ、これは支那の伝統的な思想である。「乏しきを憂えず、均しからざるを憂う」だ。何よりも先ず「平等に分配されているかどうか」を重視する。それなら貧しくても争いは起らない、人間はそうあるべきじゃないのか、という共産原理主義だ。良いか悪いかはともかく、言っていることはわかる。
支那はずっと内戦状態だった。軍閥が蔓延り、国民党内戦、国共内戦が続いていた。国土はもう荒廃状態だ。20世紀を過ぎても支那は食料を輸入せねばならなかった。人口の9割が農民の国ではあり得ない状態だった。何もせずとも支那人民は飢えていた。戦後も回復していなかった。明らかに毛沢東の失政だった。だから周恩来が「大国化」を言い出しても止められなかったわけだが、その当時、貧しい貧しい赤貧の支那の農村から、万人単位で軍事行動する大日本帝国軍が、いったい何を、どれくらい、略奪できたのか。藤村官房長官は説明できるのか。
そういえば民主党政権は「管談話」も出した。日韓併合から100年目、ということで、菅直人は意味もわからず「政治的・軍事的背景の下、意に反して行われた植民地支配」やら「韓国の人々は国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」との文言を残した。馬鹿は死ななきゃ治らない、を地で行く馬鹿さ加減だが、これも結果は軽くない。「河野談話」「村山談話」と同じく、日本の背骨を腐らせる談話ではある。早くまとめて撤回する内閣が出ないものか、と願う。
外務大臣も酷い。岡田も玄葉も「バターン死の行進」でやらかした。岡田が外相時代には斎藤勁官房副長官も総理官邸で謝った。よく「約100キロの道のりを歩かせた」と言われる「死の行進」だが、実際はマリベレスからサンフェルナンドの88キロ。フルマラソンの約2倍の距離を5日間で歩いただけのことだ。もちろん、武装解除後であるから重装備は持っていない。手ぶらで炎天下を歩いただけだが、アメリカ兵の捕虜は2千人が倒れた、となっている。
日本人ジャーナリストの笹幸恵女史が実際に歩いてみた。華奢な女性だが「栄養失調気味の私ですら踏破できた」と馬鹿にしたら、元米軍捕虜が「事実を著しく歪曲した非常に屈辱的な結論だ」と怒って抗議声明を出した。だって水や食料をちゃんと採りながらじゃないかと。しかし、アメリカ軍が焚書し忘れた「比島従軍記南十字星下」という著書が出てくる。昭和17年に出版されている。ちゃんと燃やさないからウソがバレる。
この向井潤吉氏が書いた同著には「投降の敵将校に紅茶の接待」というキャンプションの写真も載る。水どころか、日本軍は毛唐のために紅茶を沸かしていたとわかる。「死の行進」には、なんと「ティータイム」がある。米兵の姿はシャツ1枚、まるでピクニックだ。同行する日本軍兵士は大きな背嚢と銃を担いでいる。
また「1日25キロも歩かされた」と驚いて見せるが、日本陸軍には「六キロ行軍」というのがある。1時間に6キロ歩く、ということだ。もちろん、行軍だから数十キロの重装備を担いで歩く。日露戦争のときは、平均体重55キロの日本兵が60キロの背嚢を背負ってこれをやった。怪物だ。露助が皆殺しになるのも無理はない。
このペースで歩けば、25キロなら4時間少々。日本陸軍はコレが当然だったから、メシも喰わせて、水も飲ませて、紅茶を沸かして、荷物を運んでやっても倒れるアメリカ兵が「死の行進」というのがわからなかった。おまえら、どんだけ車好きなんだと。歩けと。
アメリカ兵も困った。これでは「死の行進」にならない。いくら戦闘で疲弊し、飢餓状態に追い込まれていたとしても、これでは米兵の虚弱が目立つだけとなる。だから、馬に乗った日本人将校が捕虜の首を切り落として回ったことにした。「地獄の兵役」だ。書いたのはレスター・テニー。著者は戦車部隊に配属されてそこにいた。マッカーサーが馬鹿だからクラーク基地は1日で落ち、著者も「死の行進」に付き合わされることになる。
テニーはそこで「日本軍の拷問をみた」と書く。逆さにされて塩水を飲まされたとか、爪の間に竹を通されたとか、睾丸を縛られた、などだ。こんな馬鹿話に当時の岡田外務大臣は、テニーを招待して外務省で謝った。勝手に「日本国を代表して謝罪します」ということだ。「ところで、これが当時、バターンで米軍捕虜が飲んだ同じものです」として紅茶でも出してやればよかった。日本の政治家にはそういう外交センスこそ望まれる。
いずれにしても、もう、いい加減に日本の政治家もちゃんとせよ。「南京大虐殺」など小平まで、支那共産党の教科書にもなかった。阿呆臭い話だが、尖閣諸島やら靖国参拝と同じ。これらはすべからく「政治的な理由」から「特定時期」に発生している。国内での「無駄遣い削減」もよろしいが、支那朝鮮に巻き上げられる税金を先ず止めよ。やってもいない咎で責められる英霊に詫びよ。無価値な土下座外交を止めよ。増税もヘチマも、話はそれからだ。