神奈川県庁合唱団

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良寛相聞を歌うために6

2011-11-09 00:56:50 | 曲解説
良寛の出家について、補足。
当時は、田沼意次の情実政治の時代。
良寛はまっすぐな性格。名主としての期待は当然情実政治のなかでうまくやることだったでしょうが、良寛はそんなことはできなかった。
そこで、清廉潔白であるはずの仏門に帰依したのではとも考えられます。
ただ、単に逃げ込んだということではなく、僧侶として大成しようという野心、名僧知識となりて両親に報いたいという希望が、少年の胸に燃えていたのでしょう。
修行に関して、良寛はとてもまじめに取り組んだそうです。
しかし、実際の寺での修業は下っ端は飯の炊き出しや掃除ばかりで、こんなことをやって悟りに近づけるのかという疑問を持っていたようです。その頃の歌には、今悟りを開いている僧侶も昔はこうやって修行していたと、自分を納得させるようなものもあります。
また、真剣に考えるあまり孤立もしていたようです。
そこまで、頑張った良寛ですが、円通寺の修行でも結局は認められることはなかったのです。なぜなら、大きな寺院の僧侶ともなれば、多くの人間をマネージメントする能力が必要で、そこが彼には欠けていたからです。
良寛の書いたものに以下のような意味の詩があります
「自分は孤独であり、加うるに疎庸で、営々と仏道修行に努めることもできない。所詮自分は世に出るような人間ではない。到底出世することはおぼつかない。一鉢を携えて行脚に日を暮らし、時には寺の山門のほとりで子供を相手に慰めるくらいのものである。」
良寛というと相馬御風が子供向けに書いた「良寛さま」が有名で、そのイメージが強いが、この本は子供向けで、内容も浮世離れした良寛のイメージを作るような逸話が多い。でも、多くの逸話がそうであるように、どこまで本当かわからない。
私が調べた良寛は、かなり人間臭く、こちらのほうが共感を覚えます。
良寛が悟りを開いたとしても、それはかなり晩年で、その前に、かなりの人としての苦悩があったことがしのばれます。
まだ、続きます


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