画竜点睛

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「ジェノサイド」(44)

2014-09-29 | 雑談
「既に言った事だが、「意識の直接与件論」で採り上げたのは、自由の問題だ、と明言しながら、著者が、この試論を、敢て自由論と呼ばなかったのは、彼が本当に言いたかった事が、自由とは如何ようにも論じられる問題ではなく、己れに還るというその事、或は、己れに還ってみて、経験される自我とその行為との間の或る関係だという事にあったからだ。自我を直視して、意識の直接与件たる自由に、めぐり会うのは難しいが、自我を、意識的な自働機械と見なしてから、自由について論ずる事は易しい。易しいばかりでなく、空しい。自由に関する論議の衣を脱がしてみなければ、自由の事実は裸にならない。そこで、意識の直接与件を、自由原因として示そうとする努力が、この試論の眼目となったわけだ。読者は、著者が、内的経験のうちに、経験の最初の場所を見附けたと言うその場所に誘われ、私達の内で、自然が産んでいる事実を、共感によって知れ、と言われるわけだ。だが、これには、そうしなければ、自由の真の問題性は、決して露わにならぬ、というベルグソンの考えがある。私達の内に、自然が生きている事を知らなければ、私達は、自然の中に存るという事も、本当にはわからない、という考えがある。流れる時間のうちに、純粋な持続のうちに、自己を置き返してみれば、自由行為の事実について、意識の確証するところは、簡明で疑いようがないと悟るのだが、そう悟ってみなければ、私達は、通常、自己を信じて生きるより、寧ろ外界に頼って生きている。別言すれば、自ら進んで自由に行為する事が、いかに少く、外界に強いられて行動させられている事が、いかに多いかがわからない。自由は、なるほど貴重な事実だが、私達が、これを自得している以上、これを何処に祭り込む要もない。要もないどころか、世界のうちに、そんな場所もない。たゞ自得された自由と境を接して、不自由な外界が拡がっているだけである。内に自由を抱いて、外に挑んでいる私達の在るがまゝの生が、様々な程度の自由を語っているだけだ。どんな精密な外的限定も、内から発する自由行為を条件附ける事は出来ないが、自我という名は、自由行為によって外界に記される他はない。意志は、行動のうちに開花するより他はない。だが、この問題は、「物質と記憶」まで持ち越されたのである。「意識の直接与件論」の目的は、自由という贋物の問題の解消にあった。その為に、空間を隔て、言葉の固定と不連続とのプリズムを透して、内生活の実証的な連続、不可分の持続を見る偽りが、精細にあばかれ、読者は、どうしようもなく、自己の精神に対する直接な視覚に導かれたのだが、一方、この事は、言葉による混同を逃れた時間と空間、内生活と外界とが、厳しく引裂かれ、読者は、自分達が世界の唯中に生きているという言葉のない実状のうちに投げ返されるという事でもあった。自由という事実が裸になったという事は、自由という謎が露わになったという事に他ならなかった。/ベルグソンが、後年、人に語ったところによると(J Chevalier, Entretiens avec Bergson)、「物質と記憶」は、「意識の直接与件論」の出版(一八八九年)を待たず、直ちに引続き着手された仕事である。恐らく、「意識の直接与件論」を書いているうちから、彼には、この試論で到達する自由という精神的事実が、総じて当時の科学が教えようとしているところと衝突するパラドックスである事は、はっきりしていたのだし、これが、心と肉体、精神と物質とに関する新しい観察と思索とを、彼に要求していた事は、言わば著者の予感という形で「試論」のうちに現れている。「物質と記憶」は、それから八年ほどの年月をかけて成った。彼の言うところによるとこれは、莫大な読書と探求との総量を集結しなければならぬ大仕事だったが、仕事が終ると、烈しい疲労の結果、放心状態に陥り、不眠症に悩んだ。尋常な手段では駄目と悟って、休暇を取り、数週間、一人で、アンチーブの岬に旅し、注意力の再教育を自己に強い、諸対象を固定させて、これを記述しようと努めたものだ、と言う(一九三五年、四月二十六日の談話)。彼が、大仕事だったというのは、前作で予感されていた問題を、現実の問題とするには、全く新しい努力を必要としたという事であった。前作で到達した「持続」という結論は、その論理を延長すれば、次の問題の解決の為に応用出来るというようなものではなかった。それは内的事実の線が、経験に即して、果てまで辿られたという事であり、その果てが、外界との断絶というパラドックスとして現れるという事も、ベルグソンが予期していたところであった。もし、常識人は、この断絶に行動という橋をかけている、但し行動に関する反省を欠いている、と考えていゝなら、パラドックスは、単なる言葉の上にはなく、行動という現実自体から生じている、とベルグソンは見た、と言っていゝだろう。ところで、思想家達によって、明らかに意識され、信じられた「心身平行論」というもう一つの橋があった。この理論的架橋は、果して経験的事実に基くものか。もし、これが、行動一般についての誤訳に過ぎない事が明らかになれば、経験に従順な常識を、反省によって深化する道は開けるだろう。これが、ベルグソンの直面した新しい事態であった」(「感想」三十五)。

ベルグソンはいくつかの論文で、「心身平行論」を主題として扱っています(「精神のエネルギー」所収の「心と体」、「脳と思考――哲学的な錯覚」)。また運動図式について述べた際に取り上げた「エクリ・エ・パロール」所収の「心身並行論と実証的形而上学」はある哲学会議でのベルグソンを含む何人かの出席者の発言の記録ですが、30ページほどの短い文章の中で心身平行論をめぐる問題が様々な角度から論じられています。そのうち、ここではベルグソンが「物質と記憶」で用いた方法を自ら解説している部分を簡単に見ていくことにします。何故ならそれは「物質と記憶」の簡潔な見取り図にもなっているからです。

この会議は、「物質と記憶」に否定的な見解を持つ一人の反対者の異論にベルグソンが答えるという形で進行します。最初に二、三の点に関して説明を行った後、ベルグソンは反対者の次のような指摘を取り上げます。「古い唯心論もまた身体と精神との間の隔たりを肯定しなければならないと信じたが、それがこの隔たりを高次の能力の側から探究したのに対して、新しい唯心論では、低次の、無意識の機能の面からこの隔たりが肯定される」(「心身並行論と実証的形而上学」。以下同じ)。

身体と精神との間の隔たりを肯定するというのは、精神の身体に対する独立性を肯定する、という意味です。反対者はここでベルグソンの立場を従来の唯心論とは異なる「新しい唯心論」に見立て、旧来の唯心論もベルグソンの新しい唯心論も精神の独立性を主張する点では同じだが、旧来の唯心論が精神の高次の能力から身体と精神との隔たりを測ろうとするのに対して、ベルグソンの唯心論は「低次の、無意識の機能の面から」身体と精神との隔たりを測ろうとしている、と指摘しているのです。

これに対してベルグソンは、自分が身体と精神との隔たりを測ろうとしたのは決して精神の無意識の機能によってではない、と反対者の指摘を一蹴する一方で、低次の機能によって身体と精神との隔たりを測ろうしているという点については反対者の指摘を認めています。旧来の唯心論が、理性や想像力など高次の能力によって人間の精神を特徴付けようとしたのは、それ自体としては決して間違っていたわけではありません。しかし唯心論が両極の項を、つまり一方で物質をその最も未発達な形において、もう一方で精神をその最も高次な形において考察することに終始し、精神は物質に還元できないと主張するだけで満足してしまったとき、唯心論は独断的で不毛なものに堕してしまったのです。

それは何故かと言えば、第一に、唯心論が精神の高次の能力とその対極にある物質のみを問題にして高みからそれらを対立させ、精神と物質という二つの概念が接する境界、すなわち、低次の心理的状態と、物質は物質でもいくつかの面で意識に類似し、複雑さを備えた物質とが接している境界まで降りてこようとしなかったからです。唯心論が精神の高次の能力だけを問題にしている限り間違いを犯す危険もない代わりに、唯心論とは逆に両極の中間のみを問題にしている学説、すなわち「唯物論の近親である」一元論を説き伏せることもできないでしょう。第二に、精神と物質という二つの概念を対立させ、精神の独立性を一方的に宣言しただけではそこからは何も引き出すことができず、そこから先へは一歩も進めないからです。同様に、その逆の主張、精神は物質に還元できるという一元論の主張も、唯心論と同じく精神の高次の能力と単なる物質を問題にしている限り、そこからは何も引き出すことができません。両極のみを問題にしている二元(的唯心)論と、中間のみを問題にしている一元論という、水と油のように交じり合うことのないこの二つの学説を、どうすれば和解させ、相互に発展させることができるのでしょうか。その唯一の方法こそ、まさにこの段落の冒頭で述べたように、最も高次の心理的状態ではなく、最も未発達な、つまり低次の心理的状態を取り上げ、その低次の心理的状態とそれが形作られる生理的条件との間の事実上の隔たりを、観察可能な隔たりを測ることなのです。勿論両者の間に隔たりがあるかどうか、どれだけの隔たりがあるかは、事実を確かめてみないことにはわかりません。また両者の隔たりを示し得たとしても、その隔たりが科学の進歩によって将来埋められることがないとは断言できません。何故ならある事実を実験的に証明することはできても、その不可能性を証明することは誰にもできないからです。しかしいずれにしろ、精神と物質という二つの概念を高みから見下ろす代わりに、それらが接する境界まで降りてそこに身を置き、その接触の形式と本性を探究すれば、それらの関係を単なる推論によってではなく、経験に基づいて徐々に明らかにすることができるでしょう。

そこで実際に「物質と記憶」で試みたことを、ベルグソンは以下のように説明しています。――わたしはまず、物質を物理学的事実という最も単純な形式においてではなく、生理学的事実という最も複雑な形式において観察した。それも生理学的事実一般ではなく、脳の事実に着目した。脳の事実一般ではなく、明確に限定され、局所化された事実、言語のある機能を規定している事実に絞って観察した。こうしてわたしは物質の最も単純な形式から徐々に最も複雑な形式へと至り、物質の能動性が精神の能動性に軽く接触する点に達した。次にわたしは、精神をその最も複雑な形式においてではなく、最も単純な形式において考察するために、観念をすべて排除し、イマージュだけに注目した。イマージュのうち記憶だけに、記憶一般のうち言語の記憶だけに、そして言語の記憶のうち単語の音声に関する記憶だけに着目した。こうして今度は、精神を徐々に単純化して、脳の現象にほとんど触れる点にまで接近した。ところが、物質と精神とが完全に合致するまでには遂に至らなかったのである。とは言えそこにあったのは、従来の学説が運動と意識との間にア・プリオリに仮定したような関係、すなわち一方の他方による絶対的規定でも、一方の他方に対する完全な無規定でも、一方と他方との厳密な平行関係でもなかった。そこにあったのは、具体的な生きた関係、他のどんな関係にも還元できない独自の関係であった。それによってわかったのは、意識事実とそれに随伴する脳の事実とがお互いに重なり合おうとするとき、脳の中に描かれるのは、思惟とか思想とかと呼ばれるもののうち、身体によって演じ得る部分に限られる、ということであった。生理的諸条件によって厳密に規定されているのはこの身体によって演じ得る部分であって、それ以外の部分、思惟なり思想なりの表象やイマージュは生理的諸条件から独立している、ということがわかったのである。これらのことを考え合わせていけば、生命というものの意味、すなわち心身の区別の真の意味、そして両者が統合され、協力して働く理由も徐々に明らかにすることができるだろうし、生命がわたしたちの思惟や思想に課す特殊な制限も理解することができるだろう。そうして制限された認識、思想として深化される前に、行動として外化されることで弱化した認識を、哲学者は早計にも相対的認識と判断してしまったのではなかろうか。この制限の形式が明らかになれば、それを打破するためにどの方向に努力すべきかも併せて理解することができるのではないだろうか。そして二元論の曖昧さ、精神と身体との間に区別を設けることの難しさも、知性に課された以上のような制限に起因するのではないだろうか。このように、唯心論を極端に狭い範囲に限定して適用すれば曖昧さを排除し、一つ一つ確実な事実を積み上げることによって、一元論の立場に立つ人達にも受け入れられるような認識論、方法において最も実証的な、成果において最も形而上学的な認識論を得ることができるのではなかろうか。
(表象やイマージュの大半が生理的諸条件から独立している、換言すると脳髄内の運動と連帯していない、ということは、持続を理解する上でも重要なことだと思われます。ドゥルーズが「ベルクソンは《無意識》という語を、意識の外側にある心理的実在を示すためにではなく、心理的でない実在を示すために用いていることをわれわれは理解すべきである」と述べているのも、この事実を念頭に置いたものだと考えてよいでしょう。また「思想と動くもの」緒論には次のような記述があります。「ある出来事が時間tの後に起きると仮定するのは、単にいまからある種の同時性をt個だけ数えるということを示すにすぎない。それらの同時のあいだに何が起こってもかまわないのだ。時間がどんなに速くなっても、いや無限に速くなってもいいのである。たとえそうなったところで数学者、物理学者、天文学者にとっては何の変わりもない。しかし意識(もちろん脳髄内の運動に連結しているのではない意識)にとっては深刻な違いが生じる。今日から明日へ、ある時間から次の時間まで持続する疲労は、意識にとって同じものではない」(「思想と動くもの」緒論・原訳))

運動と意識との間にある関係が、具体的な生きた関係、他のどんな関係にも還元できない独自の関係であったという表現からは、自由とは自我と自我によって為された行為との関係であるが、その関係を定義することはできない、という「意識に直接与えられているものについての試論」の結論が思い出されます。その定義できない関係をより具体的に明らかにすることこそまさに「「物質と記憶」まで持ち越された」問題だったのです。

この方法においてわたしたちは物質と精神とが接している境界に身を置いている以上、それらの具体的な生きた関係の全体像を、俯瞰するかのごとく一度に把握することはできません。それを把握するためには、数多くの事実の道を開拓する必要があります。それらの道は最後まで辿ることができるわけではありませんが、複数の道をそれぞれが指し示している方向に延長していけばそれらが収斂する点を確定することができます。つまり一つ一つの道は単なる蓋然性を示すものでしかないとしても、数多くの蓋然性を積み重ねて集約すれば科学的確実性に比肩し得る確実性に少しずつ近づいていくことができる筈です。そのためには自己を越える緊張と、さらには個人の限界を補う多くの人々による追加や修正作業が要求されます。この方法は「形而上学を、他の科学と同様に確実かつ普遍的に承認された学として、構成することを熱望し」、「生命の意味がすべての知性に明瞭にかつ議論の余地なく現われるほど詳細に、思惟の生命の中への挿入を検討するようになるに違いありません」。
(このあとベルグソンは「生命の意味」について簡単に説明していますが、それは「創造的進化」のテーマの一つでもあるので、ここでは触れないことにします。しかしそれ以外にも、次のような興味深い発言が見られます。「わたくしの言いうることのすべては、人間活動の道徳的訓練は生命そのものの深化によって、ますますよく、定義されるであろうということです。わたくしについて申しますと、わたくしはこの活動の展開の中に二重の方向が表現されるのを、いつもそしていたる所に、見ております。思惟は自らを生命の中に挿入し、(生命の対象そのものと思われるところの)行動に自らを集中すると同時に、それは自分自身の本性を、したがってまた、物質に対する自己の自立性をよりよく自覚します。結合(attachment)と分離(detachment)、この両極の間を道徳(モラリテ)は振動するのです。それがそこに固定されねばならないところの極はどれかとわたくしにお尋ねですか。わたくしはそれがなにゆえに固定されるのかわかりません。人は生命に自分を結びつけないならば、努力は強さに欠けます。人は生命から、少なくとも軽くそして思惟によって、身を離さないと、努力は方向に欠けます。行動する力をもつためには、第一の点に合わせて方向を定めなければなりませんし、現在の偏見から免れて、何をすべきかを知るためには、第二の点に合わせて方向を定めなければなりません。しかし、両極端のいずれか一方に完全に行ってはなりません」。――ここで「結合」と「分離」について語られていることは、記憶の並進運動と自転運動を理解する上でも参考になるのではないでしょうか。特に「自転運動」に関しては、思惟によって生命から軽く身を離すこと、と考えればより一層イメージしやすくなります)

そして最後が以下の箇所です。

「ベルグソンは、「意識の直接与件論」で、簡単に心理事実を含めた自然全体を考え、それを、純粋に力学的に説明しようとする企てが、意識の直接与件に衝突し、乗越え難い矛盾を露呈する事を明示した時、私達が、その中に在って生きている実在は、本質的に変化運動である、変化の下に変化する物もなければ、運動の下に運動する物も考えられない絶対的な動きである、という直観は、既にはっきりしたものであった。従って、彼には、精神と物質との協力的関係は、心身平行のドグマから全く離れて、はっきり予感されていたと言ってよい。「物質と記憶」で、この具体的な特殊な協力関係が、記憶現象の観察から導かれたのだから、当然、ベルグソンの物質の分析は、その限りで触れざるを得なかった物質理論である。両者は、平行してもいないし、断絶してもいない。持続するものという共通な糸が両者を結んでいるのであり、精神の持続と深い類似を持った或る種の持続が、又、物質の本性を成す。この考えは、発表された当時(一八九六年)殆ど理解し難い奇怪なものと思われた。物質を構成する原子は、未だ確乎たる存在と思われていた時期であった。一八九六年と言えば、ベックレル(ベクレル)が、偶然な事から、初めてウラニウム塩の特殊な燐光に気附いた年であり、原子の安定性を実際に破壊するような強い力の存在を一般には誰も考えてはいなかった。それに、一方、こういう事があった。ベルグソンは、意識経験の深化という仕事の出発点を生涯離さなかったし、この一と筋な仕事の途次に触れた彼の物質理論は、つづいて現れた「創造的進化」の成功の蔭にかくれて了った。彼の持続の論理は、生の世界に展開され、メカニストの論理が、この世界で如何に不適切であるかが、雄弁に語られた為に、生の哲学者としての曖昧な名声が、彼の物質の性質に関する直観の予言的な意味を蔽って了ったのである」(「感想」四十八)。

     *

ここから実際に「物質と記憶」を読んでいきますが、予告して置いた第一章と第四章に加えて、この機会に「第七版への序言」と「要約と結論」も読んで置きたいと思います。

まず「第七版への序言」と第一章を読んでみましょう。

(つづく)

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