哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

ウィルス進化説とは?

2013年09月24日 | 哲学・心の病
『新・進化論が変わる――ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』という本に驚くべきことが書かれている。
進化の主役はウイルスで、ウイルスが種の壁を越えて遺伝子を運び、生物を進化させてきたというのだ。
ゲノム時代を迎え、この大胆な「ウイルス進化説」は、進化論の正統派・ダーウィン進化論を真正面から批判した今西錦司の今西進化論を科学的に証明・補強するものとして注目されている。

ウイルス進化説は三本の柱で支えられている。
一つ目は、ウイルスによる個体から個体への遺伝子の水平移動が起きること。
二つ目は、ウイルスによる遺伝子の水平移動は種の壁を越えて起きること。
そして、三つ目は、ウイルスは遺伝子を運ぶためのオルガネラ(細胞内小器官)だということだが、これが最も重要な柱である。
つまり、ウイルスは生物が進化するのに必要な遺伝子を運ぶ道具、遺伝子の運び屋だというのだ。
例えばキリンの首について、ダーウィン進化論では、遺伝子の突然変異によって従来のキリンよりも少しだけ首の長いキリンが生まれたとする。
このキリンは従来より高い所の葉を食べることができるようになり、従来のキリンより有利なので、生き残る確率が高くなる。
その生き残った少し首の長いキリンから、さらにもう少し長い首のキリンが突然変異で誕生し、そのキリンはさらに有利なので生き残る。
こうしたプロセスを繰り返すことで、現在の長い首を持つキリンになったと考える。
これに対し、ウイルス進化説では、首が長くなる遺伝子を持ったウイルスに感染したことで一気に首が長くなったと考えるのだ。

ダーウィン進化論は、当時、人々に衝撃を与えた大胆な仮説であった。
今西進化論もウイルス進化説も刺激的な仮説である。
ウイルス進化説は、生物に進化をもたらしたウイルスが見つかったわけではなく、今のところあくまでも仮説に過ぎない。

男は500万年後に絶滅する!

2013年09月23日 | 哲学・心の病
男性の皆さん、大変です!
オーストラリアの権威ある科学者ジェニー・グレイヴス(Jenny Graves)教授が「男は500万年後には絶滅している」と発表し、現在物議を呼んでいるんです。
しかも、その過程は既にはじまっているのだとか。
これはえらいこっちゃ!
彼女によれば、男性の持つY染色体は「潜在的なもろさを持つ」のだとか。
この理論は、「女性と男性の染色体が保有する遺伝子数の差」を元に導き出したもの。
どういうことかというと、女性のX染色体が持つ遺伝子数はおよそ1000個。
男性のY染色体も元々は同じ数でしたが、長い年月の内にどんどん減り、現在ではおよそ100個しかないのだそう。
その中にSRYという「性別を雄に決定する遺伝子」も含まれています。
また、女性はX染色体が2つで補い合えるのに対し、男性はX染色体が1つと ”弱々しい” Y染色体という組合せ。
そのため、女性の方が自己修復能力に優れているということのようです。
彼女によれば、Y染色体に残された100の遺伝子は、「ほとんどゴミ同然」で「進化上の事故に過ぎない」とまで。
「男女間の進化上の戦いは、確実に女性の勝利に終わるはず」なのだとか。
なんとも過激な内容ですが、これを受けたイギリスの科学会では「まあ、気にしなさんな」といったムードのようです。
「Y染色体の遺伝子保有数は、少なくとも25万年は変っていません。気にする必要もありませんよ。」(性染色体の権威ロビン・ラヴェル-バッジ教授)
「もしそうなるとしても、はるか先の話。その頃までに医学の進歩が追いついているでしょうね。」(ロンドン大学のクリス・メイソン教授)そうなのか。
うーん、でも否定はしていないところが逆に……。
グレイヴス教授自身は、「Y染色体が淘汰されれば、それに替わる別の染色体が生まれ、新しい人類の誕生に繋がるかもしれない」と考えているのだとか。
そうしたことは、日本のトゲネズミなど生物学上の先例も確認されているのだそうです。

死ぬことがこわくない!

2013年09月23日 | 哲学・心の病
池田晶子さんは、「死ぬことがこわくない、私にはいのち根性がない」と言っている。
実は、私も死ぬことがこわくなく、いつでも死ぬ覚悟ができている。
ではなぜ、池田晶子さんは死ぬことがこわくないのか?
その理由は、

『私はもともと命根性が薄い。生きても死んでも大差ないと思っている。「生きている」とか「自分である」とかは、ではどういうことなのかと考え始めると、生死の大差ない宇宙みたいなものに確かになってしまうのだから、そう言うしかないのである。』
と彼女は言っている。そして、

『なぜ人が死を恐れるのかがわかりません。だって、死は観念のなかにしかないんですよ。死体は存在しても、「私の死」は存在しない。正確には、「考えられない」ということですが。詭弁でも何でもなく、論理的に考えれば必ずそういう結論がでる。「理屈はそうだが、しかし」と普通の人は思っちゃうわけでしょう。そこが哲学的な体質とそうじゃない人の違いです。私にとって死は存在しない。ないものを恐れて一生を過ごすのは不健全です。』
とも言っている。

私も彼女と同じ感覚で、彼女が言っていることに理屈なしで共感できる。
これは、生とはなにか、死とはなにか、わからなくなるまで考え抜いた者にしか理解できないことかもしれない、と私は思う。

では、そのような感覚でいる私が、実際の問題で選択することをせまられたらどのような選択をするかというと、まず臓器移植に関しては臓器移植をしてまで生きたいとは思っていなく、ザイルを切らなければ自分が助からない場合は友とともに死に、ザイルを切らなければ友が助からない場合はなんの躊躇もなくザイルを切って死んでいく。
そして、それは美談でもなんでもなく、私にとっては単に当たり前なことである。

人はどこに向かっているのか?

2013年09月23日 | 哲学・心の病
プリンストン大学のリー・シルバー教授は著書『複製されるヒト』のなかで、遺伝子的強化の処置を施されて生まれる人々(遺伝子改良人間)のことを「ジーンリッチ」と呼び、この優れた人間集団がいずれ普通の人々である「ジーンプア」を置き去りにし、その結果、人類がふたつの種へと分岐していくことを懸念している。
そして、「ジーンリッチ」と「ジーンプア」の分岐は、最初は社会的なレベルではじまり、しだいに生物学的レベルにおよんで、ついにはホモ・サピエンスとは異なる新たな種を生み出すというのだ。
シルバー教授によると、このような分岐が人類に起こることは避けがたいという。

カウンセリングの副作用とは?

2013年09月22日 | 哲学・心の病
カウンセリングにも薬と同様に副作用がある。

カウンセリングでは、たくさんの話をするなかで、
・こんなこと、話してよかったんだろうか?
・悩みと言えるだろうか?
・自分は話しすぎたのではないだろうか?
という想いが巡り、話をした自身に罪悪感を抱くこともある。

・ずっと胸に秘めていたことを生の言葉にしたことに対して、自分自身が衝撃を感じることもある。
・カウンセリングを継続する過程で、一時的に症状が大きくなることもある。

カウンセリングに副作用があることは、実は、あまり知られていない。
カウンセラーもまた、声高には言わない。
なぜなら、副作用をうたうことは、ほとんどのカウンセラーにとって都合がよくないからだ。
しかし、カウンセリングに効果があると同じように、カウンセリングには副作用がある。

〈カウンセリングには効果ばかりではなく、副作用もある〉
このことを知っておくことはカウンセリングに臨むにあたってとても重要だ。

幸福感度の多様性

2013年09月22日 | 哲学・心の病
幸福感を感じる度合い(幸福感度)は、遺伝によってある程度の差があることは明らかだそうだ。
外向的な性格の人は人とのつながりが密になり、感情的な報酬が得られやすく、幸福感を感じやすい体験が多いと言える。
一方、神経症的性格の人は細かいことにこだわる人で、達成感が得られにくいうえに不安感をいだきやすく、肯定的な体験をしても肯定的な感じをもちにくい。

そして、幸福感度が人によって多様化している事実は、「幸福な人が生き残りやすい」という単純な進化の歴史にはなっていないことを示している。
たぶん、幸福を感じやすい楽観的な人は状況判断がおおざっぱなので、難しい状況での生き残りに問題があったのだろう。
逆に、幸福を感じにくい悲観的な人は、状況判断が緻密で生き残りに貢献したと思われる。

哲学に答えはない?(「正義」とは)

2013年09月22日 | 哲学・心の病
〈〇〇さんのご意見〉

なにをもって「正義」とするのかの論点として、例えば、母と子供の二人が海でおぼれた場合どちらを先に救助するかという事をサンデル氏は題材に上げておりました。
どちらを助ける事が正義なのかと・・・。

これは人それぞれ考えが異なりますので絶対的なものはなく、「正義」は本人の心の中に存在する確固たるものである。
しかし、客観的に見るとその行った行動が「正義」とは反してたり・・・。
母を先に助けた理由はなぜなのかとか、子供を先に助けた理由はなぜなのかとか・・・。
結局そこには「正義」という概念の答えはなく、本人が正義だと思った事が「正義」なのだと、私はハーバード大のサンデル氏の講演を観ておりました。

私も特に何を言える立場ではございません。
しかしながら、私個人で思う「正義」というものは、他人がどうであれ、ぶれる事なく、持ち合わせていると確信しております。


〉〇〇さんへ

コメントありがとうございます。

哲学とは、論理的に考えて、だれもが納得する(絶対的な)ものを答えることですが、哲学で答えることができないことは、それぞれ個人の直感によって答えなければなりません。
と私は思います。
(「論理」の対義語は、「直感」または「感情」。)

母親と子供が溺れているとき、どちらを先に助けるべきか?
という問いには、マイケル・サンデル氏や〇〇さんのおっしゃる通りで、私も私の直感によって答えるしかないと思います。

私の直感では、子供を先に助けます。
その理由を求められたら、いくつかのことを答えることはできますが、最終的には「(これまでの人生によって築き上げた)私の直感だ」と答えるしかないと思います。

そして、より良い直感を築き上げるには、哲学する、すなわち、だれもが納得する答えを求めて考え続けることも大事なことではないでしょうか。
と私は思います。

「上から目線」への嫌悪の理由

2013年09月22日 | 哲学・心の病
なぜ上から目線の態度をとられると嫌悪を感じるのか、私が納得した理由を紹介したい。
それは、

上から目線で、他者から支配されると搾取される危険がある。

また、自分の心の働きが誰かによって読まれてしまうと、交渉において不利な立場になってしまう。

だから私たちは、上から目線に敏感で、不利な状況からのがれようと、嫌悪するということである。

神の数式(テレビ番組のおしらせ)

2013年09月21日 | 哲学・心の病
神の数式 第1回 この世は何からできているのかー天才たちの100年の苦闘ー

NHK 2013年9月21日(土)午後9時00分ー9時58分

2千年以上に及ぶ人類の思索の歴史。それは、全宇宙の謎を解く唯一無二の“神の数式”を追い求めた歴史でもあった。ニュートン、アインシュタイン以来、科学者たちは「あらゆる自然現象は、最終的には一つの数式で説明できるはずだ」と信じてきたのだ。そして今年、ヒッグス粒子の発見によって、人類は“神の数式”の完成に向け、大きく前進しようとしている。この番組は、“神の数式”の探求に挑んだ天才たちの、苦悩と創造、ときには狂気さえはらんだ思索のドラマをビジュアル化することを目指す、野心的シリーズである。第1回は、「なぜモノに重さ」があるのかという、素朴とも言える問いに挑んできた天才たちの物語。ヒッグス粒子の発見は、ノーベル賞を受賞した南部陽一郎博士らの「標準理論」と呼ばれる数式が、全ての物質を書き表す数式であるということを証明するものであった。その本質は、「もともと対称だった世界が、対称でなくなることで重さが生まれる」という奇想天外なものであった。あまりの大胆さ故に一度は葬られた南部博士の理論がどのようにして蘇り、ついには実験で確認されたのか、今年91歳になる南部博士らの証言ドキュメントと最新CGによって、知的興奮に満ちたドラマと斬新な世界観を描い
ていく。



神の数式 第2回 宇宙はどこから来たのかー最後の難問に挑む天才たちー

NHK 2013年9月22日(日)午後9時00分ー時58分

第2回は、物質の理論を手にした物理学者たちが、もう一つの偉大な理論、広大な宇宙を支配するアインシュタインの一般相対性理論(重力理論)との統合をめざし、その2つを網羅する“神の数式”に迫ろうとする闘いを描く。ミクロの物質から、極大の宇宙の果てまで、ほとんどを数式で表すことに成功した人類だが、どうしても説明できない場所が存在する。それはブラックホールの奥底だ。宇宙空間の超ミクロの点を解き明かすことができれば、宇宙がどのように始まったのか、という究極の難問にも答えることができる。現在彼らがたどり着いたのは偉大な2つの理論を含む「超弦理論」と呼ばれる最新の数式。しかしその数式が示したのは「物質の根源は点ではなく、“ひも”である。そして、この世は“10次元”でなければならない」という、私たちの常識をはるかにを超えた世界像だった。車いすの天才スティーブン・ホーキング博士ら一流の物理学者たちが、ブラックホールをめぐって議論を闘わせてきた、人類の知のフロンティアを映像化していく。

哲学に答えはない?(追記)

2013年09月21日 | 哲学・心の病
私は、現在、哲学では答えられないから、政治、すなわち民主主義があるのだと思う。

マイケル・サンデル氏は、
『「正義」とは、人々の道徳的な議論によって見出される共通善に従うことである』
と言っているが、これは民主主義政治が掲げる理念であると思う。

哲学に答えはない?

2013年09月21日 | 哲学・心の病
〉マイケル・サンデル氏のジャスティスについてどう思われますか?
 彼は哲学に答えはないと言ってますが……?

マイケル・サンデル氏のジャスティスを読んだことがありませんので、的外れな答えになるかもしれませんが、答えてみます。

・ジャスティスは読んでいませんので、意見を言うことはできません。

・「哲学に答えはない」についてですが、現在の私も、その通りだと思っています。
哲学は、究極の問題を考えるもので、私の究極の問題は「人は何のために生きるのか?」ですが、現在は「何のためかわからない」と確信めいたものになっています。
では、答えはないと思っているのに、なぜ私は「真理を求めて考え続ける(哲学)」をしているのか?
今のところ答えはないが、いつかそれが見つかるかもしれないと思って哲学をしているのだろうと思いますし、人は死ぬまで真理を求め続けたいという欲求が生まれもって備わっているものと思います。
なぜそうなっているのかは、確信をもって言える答えはありませんが、できるだけより良い生き方をするためではないかと思うときがあります。
少しでもより良い判断をするために、考え続けているのかもしれないと。

では、また、ご質問がございましたら、ご遠慮なくお聞きください。