哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

カウンセリングの副作用とは?

2013年09月22日 | 哲学・心の病
カウンセリングにも薬と同様に副作用がある。

カウンセリングでは、たくさんの話をするなかで、
・こんなこと、話してよかったんだろうか?
・悩みと言えるだろうか?
・自分は話しすぎたのではないだろうか?
という想いが巡り、話をした自身に罪悪感を抱くこともある。

・ずっと胸に秘めていたことを生の言葉にしたことに対して、自分自身が衝撃を感じることもある。
・カウンセリングを継続する過程で、一時的に症状が大きくなることもある。

カウンセリングに副作用があることは、実は、あまり知られていない。
カウンセラーもまた、声高には言わない。
なぜなら、副作用をうたうことは、ほとんどのカウンセラーにとって都合がよくないからだ。
しかし、カウンセリングに効果があると同じように、カウンセリングには副作用がある。

〈カウンセリングには効果ばかりではなく、副作用もある〉
このことを知っておくことはカウンセリングに臨むにあたってとても重要だ。

幸福感度の多様性

2013年09月22日 | 哲学・心の病
幸福感を感じる度合い(幸福感度)は、遺伝によってある程度の差があることは明らかだそうだ。
外向的な性格の人は人とのつながりが密になり、感情的な報酬が得られやすく、幸福感を感じやすい体験が多いと言える。
一方、神経症的性格の人は細かいことにこだわる人で、達成感が得られにくいうえに不安感をいだきやすく、肯定的な体験をしても肯定的な感じをもちにくい。

そして、幸福感度が人によって多様化している事実は、「幸福な人が生き残りやすい」という単純な進化の歴史にはなっていないことを示している。
たぶん、幸福を感じやすい楽観的な人は状況判断がおおざっぱなので、難しい状況での生き残りに問題があったのだろう。
逆に、幸福を感じにくい悲観的な人は、状況判断が緻密で生き残りに貢献したと思われる。

哲学に答えはない?(「正義」とは)

2013年09月22日 | 哲学・心の病
〈〇〇さんのご意見〉

なにをもって「正義」とするのかの論点として、例えば、母と子供の二人が海でおぼれた場合どちらを先に救助するかという事をサンデル氏は題材に上げておりました。
どちらを助ける事が正義なのかと・・・。

これは人それぞれ考えが異なりますので絶対的なものはなく、「正義」は本人の心の中に存在する確固たるものである。
しかし、客観的に見るとその行った行動が「正義」とは反してたり・・・。
母を先に助けた理由はなぜなのかとか、子供を先に助けた理由はなぜなのかとか・・・。
結局そこには「正義」という概念の答えはなく、本人が正義だと思った事が「正義」なのだと、私はハーバード大のサンデル氏の講演を観ておりました。

私も特に何を言える立場ではございません。
しかしながら、私個人で思う「正義」というものは、他人がどうであれ、ぶれる事なく、持ち合わせていると確信しております。


〉〇〇さんへ

コメントありがとうございます。

哲学とは、論理的に考えて、だれもが納得する(絶対的な)ものを答えることですが、哲学で答えることができないことは、それぞれ個人の直感によって答えなければなりません。
と私は思います。
(「論理」の対義語は、「直感」または「感情」。)

母親と子供が溺れているとき、どちらを先に助けるべきか?
という問いには、マイケル・サンデル氏や〇〇さんのおっしゃる通りで、私も私の直感によって答えるしかないと思います。

私の直感では、子供を先に助けます。
その理由を求められたら、いくつかのことを答えることはできますが、最終的には「(これまでの人生によって築き上げた)私の直感だ」と答えるしかないと思います。

そして、より良い直感を築き上げるには、哲学する、すなわち、だれもが納得する答えを求めて考え続けることも大事なことではないでしょうか。
と私は思います。

「上から目線」への嫌悪の理由

2013年09月22日 | 哲学・心の病
なぜ上から目線の態度をとられると嫌悪を感じるのか、私が納得した理由を紹介したい。
それは、

上から目線で、他者から支配されると搾取される危険がある。

また、自分の心の働きが誰かによって読まれてしまうと、交渉において不利な立場になってしまう。

だから私たちは、上から目線に敏感で、不利な状況からのがれようと、嫌悪するということである。