哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

死ぬことがこわくない!

2013年09月23日 | 哲学・心の病
池田晶子さんは、「死ぬことがこわくない、私にはいのち根性がない」と言っている。
実は、私も死ぬことがこわくなく、いつでも死ぬ覚悟ができている。
ではなぜ、池田晶子さんは死ぬことがこわくないのか?
その理由は、

『私はもともと命根性が薄い。生きても死んでも大差ないと思っている。「生きている」とか「自分である」とかは、ではどういうことなのかと考え始めると、生死の大差ない宇宙みたいなものに確かになってしまうのだから、そう言うしかないのである。』
と彼女は言っている。そして、

『なぜ人が死を恐れるのかがわかりません。だって、死は観念のなかにしかないんですよ。死体は存在しても、「私の死」は存在しない。正確には、「考えられない」ということですが。詭弁でも何でもなく、論理的に考えれば必ずそういう結論がでる。「理屈はそうだが、しかし」と普通の人は思っちゃうわけでしょう。そこが哲学的な体質とそうじゃない人の違いです。私にとって死は存在しない。ないものを恐れて一生を過ごすのは不健全です。』
とも言っている。

私も彼女と同じ感覚で、彼女が言っていることに理屈なしで共感できる。
これは、生とはなにか、死とはなにか、わからなくなるまで考え抜いた者にしか理解できないことかもしれない、と私は思う。

では、そのような感覚でいる私が、実際の問題で選択することをせまられたらどのような選択をするかというと、まず臓器移植に関しては臓器移植をしてまで生きたいとは思っていなく、ザイルを切らなければ自分が助からない場合は友とともに死に、ザイルを切らなければ友が助からない場合はなんの躊躇もなくザイルを切って死んでいく。
そして、それは美談でもなんでもなく、私にとっては単に当たり前なことである。

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